きみのためにできること長い髪からふわっと風に乗ってやってくる彼女の好きな洗髪材の香りと、俺に向けた彼女の優しい笑顔に心奪われ、胸が高鳴る。
俺が守りたかった彼女の笑顔。一度、約束を守れず彼女の心に深い傷を負わせてしまった。
割れた鏡に封印され、鏡の世界にも戻れず彼方の世界の途中にある何もない不思議な空間に放り出された俺は、恋人である彼女と離ればなれになり寂しい時期を過ごした。
どれくらいそこで過ごしたのだろうか。日々落ちる気力と体力に愕然とした不安を抱き始めた頃、どこからともなく彼女が姿を現した。
この空間に偶然やって来た彼女は俺に似た格好と髪型をしていた。体力も気力もなく小さく踞っている俺に気付いた瞬間、彼女は目を見開いたかと思うとゆっくりと瞼を閉じ、一筋の涙を溢した。
その時風に乗ってやってきたのは血と汗と泥にまみれた者の匂い。ここに来る前までよく嗅いでいた戦いに明け暮れた時の俺のような香り。彼女に一番纏って欲しく無かった全ての香りが彼女と俺のまわりに充満していた。
ほっとしたのだろう。彼女が俺に見せた泣き顔はあの頃と変わらなかったのに、変わり果てたその姿を見た俺は知らない間に彼女が変わってしまったような、そんな悲しい気持ちになった。
「シャドー……。」
陽にあたると柔らかな銀色に見える彼女の長い薄灰色の髪は…どこにもなかった。俺の剣で切ったであろうと思わせる歪な髪型、そして色も似せたのだろう。暗闇と一体化しそうな程に染め上げた漆黒の髪の近くでは俺がつけていたのと同じイヤーカフが左耳で揺れている。
「此処に…居たんだね……会いたかったよ……ダーク…!!」
ろくに動かせない俺の体の状態を見てなのか、彼女が俺に近寄り抱き上げる。
俺が居ない間、重い剣を振り上げれる様に日々努力したのだろう。少し筋肉質になった彼女の体は女性の部分が垣間見える場所以外はまるで…自分の生き写しのようだった。
「もう…会えないかと思ってた……。…帰ろう、ぼくたちの家に。」
異空間を繋げている出口が閉じかけている。その出口に向かい俺を抱き抱えて彼女は走る。その姿は俺の後を走って追いかけてきた頃の小さな妹だった時代や、俺から三歩下がって歩いて来ていた可愛い彼女の時代とは違い1人の大人として…いや、俺が彼女にしてやりたかった理想のパートナーの姿をしていた。
恋人であると同時に、誰よりも彼女を守ってやれる『騎士』という存在に。
彼女に抱かれ移動している間に目を瞑って考える。
俺の敵を取る為に俺に成り代わってあいつらと戦ったであろう彼女。優しい心の持ち主である彼女にその役をさせてしまった事を深く反省する。
もう…シャドーにはそのような思いをさせたくない。これから自分達に降りかかる厄災や悪者に対して戦う、その覚悟を…今度は俺が引き継ぎたい。
今度こそは本当に彼女の『騎士』になるために。
(早く…体力を取り戻して……今度こそシャドーを…あの笑顔を俺が守るんだ……。)
それからは必死になって体力回復の為のリハビリに励みながらも今までの戦い方ではまた同じ事の繰り返しになると思い今の自分の最善の戦い方を何度も考え、行動に移し調整する。
その横では元の髪色に戻し、少し髪の伸びた彼女が無理はしないでと言いながらも今の俺の戦い方や防御の方法を一緒に考えてくれていた。
この空気が、凄く心地よい。シャドーと一緒に居ると心が満たされる。……でも…今のままで良いのか…?本当はシャドーはそれ以上の関係を望んでいるのでは…?
そう思った瞬間、ひとつの目標がうまれた。
俺の新しい戦い方が決まったら、これからの人生をどんな時でも2人共に生きようと。『シャドーとずっとこの先も一緒に居たいという気持ち』を伝えようと。
ついにその日はやって来た。
今までで一番しっくりとくる俺のプレースタイル。
隣で喜ぶ彼女。その笑顔を見て俺の胸はいつも以上に高まった。
「ありがとう…シャドー………。」
ドキドキする気持ちを抑え、ゆっくりと呟くように彼女に語りかけ、
「俺の代わりになって…ずっと守っててくれたんだよな…。」
久しぶりに会ったあの頃よりも伸びたシャドーの髪に優しく触れて口付ける。
「大事な髪も……服も全て……俺に似せて…。」
口づけをしながらじっと彼女を見つめた。彼女は驚いたのか暫く動かなかった。
「…シャドー…?」
心配になり声をかけると、我に返ったのか
「な、何でもないよ…ごめんね、ダーク。」
と慌ててこちらに向かって語りかける。
何だか不思議な感じがしたがプロポーズするのは今しかないと思い、俺はゆっくりと口を開いた。
「シャドー……折り入って話がある。」
じっと、彼女を見つめる。
「シャドーのお陰で今の俺がいる。あの時助けてくれなかったら、リハビリに付き合ってくれていなかったら………いや、シャドーが俺の姿で彼奴らと戦ってくれていなかったら……俺は居なかった……。」
俺はシャドーの髪に触れていた手を離し、そっと彼女の手を握る。
「……俺もシャドーを守れる位の強さを取り戻した………シャドー……結婚してくれ。一緒になろう。」
嗚呼、やっと言えた。大好きなシャドーに、ずっと思っていたこの気持ちを。
そう思った瞬間、涙が零れ、全身が震えた。
もしあの時あのままだったなら……今の幸せは無かったのだ…。
「ダーク……!ぼくも……!!」
そう彼女が力強く返事をしてくれた瞬間、彼女の両目からも沢山の涙が零れていた。
俺は彼女の思いが嬉しくて、気付いたらぎゅっと力強く彼女を抱き締めていた。
「シャドー…!シャドー……っ!」
『愛している。』の言葉が言い終わる頃には俺とシャドー、2人の唇は重なっていた。
「お揃いのアクセサリー、買いに行かなきゃな。」
「…嬉しい。2人、ずっと一緒だね。」
ふわっと広がるいつもの彼女の洗髪材の香りに包まれながら、リハビリの為に庭に出ていた俺とシャドーは2人の愛の巣へ向かいゆっくりと歩き出した。