最下層より。コニーが蝙蝠と出逢ったのは、賑やかさのピークを過ぎた夜中の繁華街の外れにある古いアパートだった。
弟を巻き込んで銀行強盗をして置き去りにした挙句、1人の女性の親子関係を拗らせ、1人の老婆の好意を無碍にし、1人の少女の心に傷を付け、1人の男を結果的に死なせてしまったその最悪の日。
その場凌ぎに染めたゴワゴワの金髪の隙間からパトカーの外を見て、こう思っていた。
どこからやり直せばいい?ここではない何処かなら、オレはもっと真っ当に生きられただろうか。ああ、でも、もうどうでもいい。
すべて。
前科で捕まって出所してから、なんとか生活を立ち行かせようと努力はしたつもりだったのだ。30を目前に控えた、この冬は。
祖母の手から自由になって、弟のニックと穏やかに暮らそうと、本気で考えていた。
父親はとうの昔に死んでいるし、母親とかいう女は、ニックの障害が分かると兄弟2人が眠っているうちに家を出て行ったきりで、もう顔も思い出せなかった。
2人だけの家族で、兄弟。
それもここまでか。強盗に逃亡、少女連れ回しに警備員への暴行、更に不法侵入。これだと次は前よりもずっと長い刑期になるだろう。
我ながら随分やらかしたなと、瞬きもせずに思い巡らせた。そういや、接近禁止命令なんてのもあったな。まぁ、守る気などひとつもなかったが。
乾いてきた瞳の痛みに、反射的に目を閉じた。次の瞬間だった。
コニーは見知らぬ街の、見知らぬ公園のベンチにいた。
何が起こったのかよくわからないまま、所持金もなければ携帯もない状態で動き回るのは得策ではない、なんて考える事もなく目覚めたベンチに腰をかけ、ただただ、公園を通り過ぎゆく人々と見覚えのない高層ビルの突き刺さる曇り空を眺めていた。少し離れた場所からサイレンが聞こえて消えていく。公園の時計によれば、今は午後16時半らしい。自分がパトカーに乗せられた時間とは違うなとぼんやり思っては、目の前に横たわる空虚を眺めることしか出来ない。
次に何をすればいいのか、どうすべきか。
何が、したいのか。
たとえまた服役して罪を償ったとして、再びの接近禁止命令を反故にすれば、それこそニックに会う機会は2度と与えられないだろう。それならば、自分は何をしたら?
「オレは、なんのために…??」
ぽつり。
呟いたのと同時に、小さな雫が頬を打った。気が付けば曇り空はその暗さを増していて、今にも本降りになりそうだ。
屋根のある場所を求めて、小走りに公園を出たコニーはうらぶれたカフェのテラスの隅に身を寄せた。
そこで、店のウィンドウに写った自分の姿に目を疑う。捕まった時と服装は変わらないというのに、金に脱色していた髪だけは、元の黒髪に戻っていたからだ。
(一体何が、どうなってんだよ…)
考えようにも検討がつかないし、夢にしては逃亡の疲労はそのままだ。強くなってきた雨の音も重なり思考が遮られて、かぶりを振る。
半ば諦めるような気持ちで溜息をつき、日が暮れて増した寒さから身を守るように、腕を組んでウィンドウに寄り掛かった。警備員の家から掻っ払ってきた光沢のあるグレーのブルゾンで過ごすには、この街は寒過ぎるようだ。
しばらくすると、飲み物も買わずにテラスに居座るコニーに苦言を呈しに来たらしい女性店員が話しかけてきた。コニーが申し訳なさそうに、あることないことを混じえて事情を話すと、最後には「奢るわ」と一杯のホットコーヒーを渡された。
冬の寒さと雨で冷え切った身体の内を流れ落ちていくコーヒーに、やっとひと息つけた気持ちになる。
さて、どうするかと思案し始めた時、カップスリーブに挟まれたメモがあるのに気が付いて中身を見る。そこには21:00とだけ書かれていた。店内に目を向けると、先程の女性店員が小さく手を振った。コニーはメモを持った手をヒラリと振って笑うと、またひと口、コーヒーを流し込んで白い息を吐く。
とりあえず、一晩の宿は確保出来そうだ。
と、思っていたのだが。
「貴方かわいいから、紹介したい人がいるの」
カフェの女性店員の家に向かっているのだと思っていたコニーが連れていかれたのは、繁華街を通り抜けた先の良くある古びたアパートの一室、だが、複数の男女がドラッグに塗れて善がる異様な部屋だった。ニューヨークの最下層にいたコニーにとっては初めてではない光景だが、馴染みのない場所では危険でしかない。
「あんたと2人で過ごせると思ってたんだけど、そうじゃないならオレはここで。コーヒーありがとうな、じゃあな」
「え、ちょっと〜!」
女に呼び止められるが軽く振り払い、部屋のドアが閉まり切る前に踵を返す。しかし、タイミング悪く外から仲間らしき男がコニーより先にドアノブに手をかけた。
「なんだぁ?見ない顔だな、新入りか?」
「ブラック、私が連れてきたんだけど…」
「手違いでね。悪いがそこを通してくれるか」
ドアを強引に押すが、ブラックと呼ばれた男は退かなかった。体躯は細いが、小柄ではないコニーが見上げるほどの上背の頭には名前とは逆に脱色されたブロンドが立ち上げられている。
「ああ〜そうかい、どうぞ〜…とはいかねぇんだわ、お兄さん」
部屋の内側へと押し込められ、鍵をかけられる。
コレは、まずい。
「・・・おい、マジかよ・・・」
「コレ、見ちまったんだろぉ?そりゃそのまま帰せねぇよぉ、なぁ?」
「別に誰にも言わねぇから好きにやってろよ、信じてくれ」
コニーを見下ろしながら、長身の男・ブラックは のしり と距離を詰めてくる。ゆっくりとした穏やかな口調に聞こえるが、男は明らかに「キメて」いて、隈が色濃く目元を塗りつぶしている。
コニーは男を睨み上げてはいるが逃げ道がなく、喘ぎ声と青臭さの充満する部屋の中心へとジワジワと追い詰められつつあった。
「ん?…へぇ、あんた髭面だけどよく見りゃ、かわいい顔してんなぁ??」
ブラックは、目をやんわり溶かし口角を上げるとコニーの顎に手をかけ顔を寄せる。
「はあ?んだそりゃ、触んな、離せっ」
バチンッと強めに手を払うが、男は表情を崩さずまた一歩コニーは部屋へ追い込まれる。
「いいねぇ、すげー好みだわ」
「生憎だがこっちは少しも好みじゃねぇよ」
「ん〜わかるよぉ、でも、あんたこーゆーの初めてじゃないだろ」
「…っ!ふざけっ、んなっ⁉︎」
耳元で囁かれ、再び制された顔を振り解こうとするが床に転がっていた酒の瓶に躓いた隙を突かれ、コニーの視界は天井を向いた。
「あーあ、大丈夫かよ」
言いながらブラックは手で仲間たちに指示を出し、コニーを抑えつけようと男達が襲い掛かってくる。抵抗するも虚しく、多勢には敵わず呆気なく羽交締めにされ、後ろ手に拘束されてしまった。脚をバタつかせるコニーの腹の上に、ブラックが跨り屈む。
「顔傷付けたくないからさぁ、そんなに暴れんなって。オレと楽しくやろうぜ?」
「お断りだね、他をあたれよ」
「好きなドラッグは?LSD、マリファナ、ドロップもあるけど、どうする?」
男3人相手に、この状況から抜け出すのはまず無理だろう。いよいよ年貢の納め時か、いや、元々逮捕されて連行されてる所だったんだっけか。どこに行っても人生なんてのは大して変わらないんだな。もうどうでもいいと、さっきまで思っていたじゃないか。我ながら図々しい命だ。
はぁ、と長いため息を吐いて、抵抗しなくなったコニーの顔をブラックが楽しそうに指の甲でひと撫でする。
「見れば見るほどタイプな顔してるわぁ、かわいいじゃん。ほら、一緒に楽になろうぜ?」
ブラックはコニーの唇を親指で押し開き、仲間から受け取った小さな錠剤を口に放り込むとボリッと噛み砕いて顔を寄せる。
ずっと断ってきたドラッグを、こんな所で、こんな奴に。
(ごめんな、ニック…)
バッゴォオオオン‼︎
ブラックの顔が触れる直前、デカい音と共に部屋のドアが吹き飛んだ。爆発した、という訳ではないようだったが、間も無くパニックに陥った裸の男女の悲鳴で部屋の中は混乱に飲み込まれた。
「なんだぁ??いいとこだったのになぁ」
ブラックはこんな状況でも特に動揺もせずにコニーの上から立ち上がると、部屋の窓からヒラリと姿を消した。
「おい!待てよ、コレ外してけって‼︎」
声を張り上げるが、もう手遅れだった。
バタバタと慌てふためく中毒者達に踏まれそうになりながら、床を這いずって壁際へと避難する。拘束された手首が痛い。
ふと、目の前でヒラリと黒い布が翻ると騒動の中でガチガチと音が鳴る度に、ひとりまたひとりと声が消えて、気が付けば静寂が戻っていた。
裸の男女が累々に横たわる中に、ぬっと影が立ち上がる。黒いマントに、黒いブーツ、細かな傷が沢山あるスーツ、バイカーが使う様なプロテクター付きのグローブ、そして……角の生えた、黒いマスク。
さっきガチガチと音がしていたのは、この影が履いているブーツかららしい。
(なんだコイツ。もしかして気付かないうちにオレなんか盛られたのか??)
混乱したまま、コニーは既視感のあるその影を眺めていた。影は、マスクから覗く瞳をゆらりとコニーへ向け、一歩踏み出した所で動きを止める。数秒後に再び歩み寄り、コニーの前で膝をついた。
「…、怪我はないか?」
聞いたそばからコニーの腕が拘束されているのを確認し、胸の防具からただの飾りだと思っていた部分を取り外してコニーの手首を自由にしてくれた。その影からは、雨の匂いがする。
「…少し、跡が残っている」
「…、あー、まぁ別に…、大したことは」
皮のグローブが手首に着いた拘束跡を撫でたので、むず痒いような恥ずかしいような気分になり、コニーは反射的に手を引っ込めた。
折角助けてくれたのだが、相手が得体の知れない影なのと先程の混乱を引きずった頭では何もいい言葉が思い浮かばない。
「…金髪の、背の高い男を見なかったか。最近は此処を拠点にしていたはずだ」
影の中から声がする。小さく低いが、わざと低く話しているような気がした。同じ影から浮かび上がる瞳が、なんとなく、子供のようだからかもしれない。金髪の背の高い男には、もちろん心当たりがあった。
「あぁ、その金髪の男、さっきまでオレの上に跨ってたよ。あんたが来てすぐ、そこの窓からしれっと出てったけどな。確か…ブラック、とか呼ばれてた」
「…そうか、また逃したな…」
考え事をしているのか、影は少しの間じっと床を見つめて動かなかった。目の前に居る影の距離と沈黙にコニーが気不味く感じてくると、目線だけをこちらに向けてきた。
「すまないが、一度気を失ってもらう」
「はっ⁈なにいっ、て…、…」
瞬間、スプレーのようなものが吹きかけられ、視界が白く濁る。今日という日があまりにも酷すぎるなと、コニーは薄れる意識のほんの数秒間、もうある筈のない場所へ「帰りたい」と思った。
「おや、目が覚めましたか。お加減はいかがですか?」
威厳のある畏まった声が、朧げな視界の片隅から耳に流れてくる。サラリと、ふんわりとした背中のあたり心地に夢と現実の境目が曖昧になる割に、辺りは仄暗い。少しずつクリアになって、仄暗いのは天蓋があるからだとわかった。天蓋付きベッドなどコニーには縁が無さ過ぎて、それこそ死んだのかと手を掲げ見ると、その手首には、拘束された痕が赤く残っている。
「少し擦れて傷になっていますが、数日もすれば治ります。起きられますか?」
まだ沈んでいたいが、コニーは重い身体をゆっくりと起こして、声の主を見遣る。綺麗に整えたグレーヘアーに、皺のないベスト、姿勢の良い立ち姿、その右手には杖を携えていて、あの冷静で威厳のある声を発する元として説得力のある佇まいだった。
「…なぁ、此処どこだ?オレ生きてんだよな?」
「勿論、生きておられます。…お名前を聞いても?」
「…コニー」
「ではコニー。此処はゴッサムシティ、そしてゴッサムの象徴ともいえるウェインタワー内のゲストルームです。私はウェイン家に仕える執事のアルフレッド・ペニーワース、お見知り置きを」
「ゴッサム…?」
その名前には聞き覚えがあった。世界で多くの人が知る、蝙蝠を模した姿のダークヒーローが守る街の名前だ。でもそれは、コミックの中の話。フィクションとノンフィクションの区別はしっかり出来ているつもりだったが、とコニーは眉間を揉みほぐす。
ウェイン家で、執事が居て、ここがゴッサムだと言うのなら、昨日の影のような男はつまり。
「待ってくれ、実在するのか?ゴッサム」
「ええ、この通り」
「ニューヨークは?近いか?」
「その話は後ほど地図を見ながら詳しく説明致します。それだけ話せるのなら体調は大丈夫そうですね」
別に何処が痛いわけでもなく確かに体調は問題ないのだが、次から次へと入ってくる不可解な情報に、今にも頭がかち割れそうではあるなとコニーは考えていた。
コミック世界に入ってしまったという事なのか、あるいは自分の存在は元々フィクションだったのか、ならば弟はどうなった??
「混乱するのも無理はありません。皆さんそうでしたから。さ、起きたならばシャワーを。間に合わせですが着替えをここに。また後ほど、リビングホールで会いましょう」
「皆さんて誰だよ、おい、ちょっと!」
「主人を起こさねばならないので。まぁ眠ってもいないでしょうが…では」
カツッと杖を鳴らし美しくお辞儀をすると、アルフレッド・ペニーワースはあっという間にドアの向こうへと消えていった。
コニーは浮かせた腰をまたベッドに沈ませ、呆然とゲストルームを天蓋の下から見渡してみる。
アルフレッドがベッドに置いていった着替えを手に取って確認してみると、意外にもスウェットトップスとデニムパンツだった。主人に会わせると言うから、どんな堅苦しい格好をさせられるのかと思っていたのだが。
「ウェインってことは、つまり、そういうことだよな…、マジかよ」
昨日から、全く頭の追いつかない状況が続く中で、コニーは少しだけ弾む気持ちが顔を出したのを隠しきれずに笑うと、着替えを持ってベッドを飛び降りたところで気付く。
「つーか、シャワーもリビングもどこにあんだよ??」
どこに何があるのか、落ち着きなく右往左往しながらシャワーを済ませ着替えたコニーは、リビングホールへ上がる階段に辿り着いた。
タワーと言われるような建物の中とは思えない内装・装飾を見えるままに眺めて、手摺をなぞりながら脚を持ち上げる。
辿り着いたリビングホールは、有機的にも見える厳かな装飾が氷柱の様にアーチを飾り、高い天井にはリブ・ヴォールトが張り巡らされ、紺碧に金で水面の様な模様が所狭しと描かれている。まるでゴシック建築の教会のようだ。
口を開けて天井を見上げるコニーの思ったことといえば「金持ちのやる事はわからない」の一点だったが。
「ああ、来ましたねコニー。どうぞこちらのテーブルへ。サンドイッチはお好きですか?」
「あぁ…」
促されるまま、大きなテーブルの一角に身を置く。目の前には丁寧に磨かれた銀食器に盛り付けられたサンドイッチと、フルーツ、スコーン、そしてコニーでもわかるほど香りの良い紅茶と次々に並んだ。
「召し上がってください。主人は降りてくるのに今暫くかかりそうですから」
室内とはいえ冬の冷気はそこかしこからやってくる。まだ湯気の勢いのあるうちにと、如何にも価値のありそうなティーカップを手に取るが、マナーなどお構いなしに拭き冷まし、控えめに啜る。目に入った壁掛け時計を見遣ると、時刻は14時前。
「随分とのんびりなんだな」
「何やら夜もお忙しいようで」
(まぁ、アレがバットマンならそうだろうな)
夜を飛び交うヒーローの代名詞、バットマンの正体はブルース・ウェインなのだから。知っている事を伝えたらどんな顔をするのだろうか。この世界の大富豪でプレイボーイ、ゴッサムのプリンスと謳われる人物はどんな顔なのか。あわよくば、その権力に肖りたいもんだなと二口目の紅茶に口をつける。
「アルフレッド」
「漸くお越しになりましたか、ブルース」
「待たせたか?」
「ええ、少し」
コニーは、アルフレッドが顔を向けた声のした方を見上げ、上階から降りてきた人物を見ると盛大に紅茶を噴き出した。
幸い、弁償に何年かかってもおかしくなさそうなティーカップは落とさずに済んだが、折角用意してくれたサンドイッチは台無しになった。
「ゲホッゲホッ、なんっ、は⁈ど、ッゲホ」
「咽せましたか、コニー」
おや、といった顔でアルフレッドはコニーがテーブルに吹き散らかした紅茶と朝食を片付けて行くし、驚いて腰を上げたコニーとは逆に、ブルースと呼ばれた男は外の光に眉を顰めながら当然のように席に着く。
いよいよ本当に頭がイカれたのかも知れないと我ながら思うが、髭やピアス、髪型、訛りは違うが ここまで というのはありえるのか?と、コニーは率直に、シンプルに疑問を発した。
「お前、なんで、オレと同じ顔なんだ⁈」
「そうだな、理由はわからない」
「わからないってのにその態度なのか⁈一体どうなってんだよっ」
「コニー、名はコンスタンティン・ニカスで間違いないか」
淡々と話すブルースが発した名前に、コニーはピタリと動きを止めた。それを見たブルースは「合っているようだな」と呟くと、銀皿に盛られたブルーベリーをひとつ口へ放り込み、アルフレッドが手渡した新聞を広げ目を通し始める。
「なんで知ってんだよ、フルネームはアルフレッドにも言ってねぇだろ」
「コニーを愛称とする名前を考えた。ゴッサムではそう多くない名だ、候補はすぐに絞れる」
「オレはゴッサムの人間じゃねぇ」
「…そうだな。ゴッサムの「コンスタンティン・ニカス」は昨日死亡している」
新聞を折り畳みテーブルに置くとブルースは人差し指でトンと紙面を叩き、見るように促した欄にはこう印刷されていた。
コンスタンティン・ニカス 29歳 男性
数件のコンビニ強盗の容疑で逃亡中の事故にて死亡。
「・・・んだよ、コレ・・・」
名前も年齢も同じなら、やってる事も大差無いなんて、なんて救いようの無いーー。
やっぱりどこに行っても「そういう」人生ってことかよと、思わず小さく笑いが漏れた。
「ゴッサムのコンスタンティン・ニカスについて調べたが、お前とは、顔も背格好も違う別人だった。彼が居なくなった事で、同じ名前のお前が呼ばれたのかもしれないな…推測の域を出ないし、原理も理由もわからないが」
「…アンタの代わりに死ぬ為かもしれないしな、なぁ?バットマン」
バットマン。その名を口にした途端に2人からの目線の圧が変わった。
「…一体何のことだ」
「「オレの世界」じゃアンタの正体はみんなが知ってる。街に蔓延る悪に復讐する蝙蝠野郎、その正体はゴッサムの大富豪ブルース・ウェインだって。光栄だよ、そんなプレイボーイの金持ちと顔が同じなんてな?」
ダンッ!とテーブル上の新聞に拳をぶつけると、カチャカチャと食器が騒ぎ立て、銀皿からいくつかのブルーベリーが飛び上がり床に身を投げた。
「コニー!」
「待てアルフレッド。お前の世界にも「バットマン」が居るのか…?」
「ああ、居るよ。ただし紙の中だ、コミックスの中の架空の存在だ、歯医者の本棚の隅で破れて埃被って、読み捨てられて路地裏で燃やされる、古いヒーローだよっ‼︎」
昨日から止まる事を知らない混乱と、怒りと、込み上げる虚しさとで、つい悪態をつく。いくら喚いても、状況が良くなった事など一度も無かったと分かっているのに。口は禍しか呼ばない。
「夢なら殴り飛ばしてでも目を覚まさせてくれないか?オレはニックに…っ、あー、もう訳が分からなすぎてウンザリだーー…っ⁈」
言い切ったと同時に身体がクルリと回転し、あの紺碧の天井が目いっぱいに入る。
「ほら、目は覚めたかい?新入りくん」
パンパンッと手を叩き、あっけらかんとした声が逆光の男から降ってくる。
良く言えば柔らかそうな、自由奔放な金髪の下には雰囲気は違うが見覚えのある顔があった。
そういえば、アルフレッドが「皆さん」と言っていたのをコニーは思い出す。
「どうか落ち着いて、話をしてもらえないかな?まぁ、混乱はごもっともだけれどね。僕はニールだ」
「…、…おまえもかよ…」
差し出された「同じ顔の男」の手を無視して、コニーは手足を放り出して大の字に脱力した。同時に、ぐうううううっと盛大に腹が鳴る。何度も思ってきたが、本当に図々しい命だ。
「新しいサンドイッチをご用意しますよ」
「ははは、それが良さそうだね!ブルースもベリーだけじゃなくちゃんと食べて」
「…わかってる」
「ところでプレイボーイって誰が?」
「私も存じ上げませんね…「どこの」ブルース・ウェインの事なんでしょうか」
「……」
「さぁコニー、君の話を聞かせてくれるかい?」
改めてニールが手を差し出す。
この対話を乗り越えなければ、ここでの事は何も始められないのだろうと半ば諦めのような、安堵したような複雑な気分になる。
同じ名前の男には、弟はいたんだろうか。いたとしたら、どんな弟なんだろうか。ニックには、このまま本当に二度と会えないのだろうか。
紺碧の天井の金のラインを目でなぞって、チッと舌打ちをすると、コニーは「わかったよ」とニールの手を取り、再びテーブルの一角に身を置いた。
これがゴッサムの蝙蝠、ブルース・ウェインと出会った話。