シュガーの加護ぐぎゅるぎゅる……
皆が寝静まった微睡みの中、唐突走った腹痛に飛び起きた。ぎゅうっと締め付けられる感覚に耐えられるはずもなく慌ててトイレに駆け込んだ。
……これで治まってくれたらいいものの治まる気配もなくトイレと寝具の往復をふらふらと何度も繰り返している。これじゃ寝れねぇじゃねぇか……朝飯作る時間まで数刻あるものの体を休めたくても休めれないのはどうにも苦しい。
ぎゅるるっ
くっそ……治まることのない腹痛のおかげでそろそろ動かないと朝飯の時間に間に合わない。早起きの鍛錬組を待たせちまうのはもう確定かもな……
《アドノディス•オムニス》
気休めで作ったシュガーを口に放り込む。しゅわぁと溶ける感覚に少しだけ楽になる錯覚を得た。
「ネロ、おはようございます」
「リケか、おはようさん」
「朝食はオムレツですか」
「ああ、そうだよ。もうすぐ出来るからもうちょい待ってな」
「はい」
万弁の笑みを浮かべるリケに朝食を運ぶのを手伝ってもらう。
「あれ」
「どした」
「いえ、オムレツを入れるお皿が1個足りません」
「あーー、それ、俺の分だよ……朝起きて食べたから俺の分はいらないからさ……」
リケの純粋な眼に口ごもりながら言葉を綴る。当然朝飯なんて食べてすらいなかった。朝飯の味見でさえ腹痛に襲われ何度かトイレに行ったくらいだ。とてもじゃないけど何も食べたくなかった。
「今日はネロと一緒に食べれないのですね」
「……昼は一緒に食うからさ」
シュンとするリケを前に罪悪感が芽生える。と同時に昼までには治まってくれよと思いながら未だに痛む下腹部を撫でた。
不幸中の幸いか東の国の授業がないための朝飯の片付けと昼飯の下ごしらえを軽く終わらせると迷わず布団に潜り込んだ。とにかく痛い。何か変なもんでも食べたのだろうかお腹を温めようと体を丸めて擦る。
「……っ」
痛い。もう、動きたくないけど昼飯を作んねぇと……リケと一緒に食べるって言ったこともあり食べないという選択肢はもはや残ってもいなかった。
「ネロのご飯はいつも美味しいです」
「ありがとな」
ほっと胸をなでおろした。腹痛に襲われ続けている体のため味見はできなかった。いつもと変わんねぇなら良かった。
「ネロ食べないんですか」
「ネロさんいつもよりお箸が進んでない気がします」
「あ、いや、そういうわけじゃねぇんだ。あんまりお腹空いてなくてさ」
苦笑いしつつもお腹を抑える。少し食べただけでもうお腹が痛い。このままでは脱水になると思い水を一口飲むものの治まることのない腹痛に席を立った。
「わりぃけど先に片付けるな。おこちゃまはいっぱい食べな」
キッチンに向かうネロの背中はどこか遠い。呼び止めたいけれどかける言葉も見つからない。互いに目を合わせるリケとミチルは無言で食事を再開するのだった。
カチャッカチャ
食器がぶつかる音と水が流れる音。ネロ以外いねぇなとあたりをつけキッチンに入る。いつもならば物音を立てないようにつまみ食いをするが今日はわけが違う。どかっとわざとらしい音を立て椅子に足を組む。ビクッと縦に動いた背中がこちらを向く。
「てめぇ大丈夫かよ」
「は何が」
「とぼけてんじゃねぇ……腹いてぇんだろ」
「……」
目線をそらし泳ぐ眼に相変わらず分かりやすいやつだなと思う。
「食べれてるのか」
「……いや……」
「……ったくそんなにかよ。久しいなてめぇがそこまで苦しめられてんの」
「うるせぇ」
そらし続ける目線を戻そうと顎に手を当て視線を合わせる。
「《アドノポテンスム》」
何を恐れたのか……ぎゅっと目を閉じたネロの口元にシュガーを転がす。ネロの咥内で回復をかけた魔法が溶けだす。
「っシュガー……」
「それ以外に何があんだよ」
「どうせ早く上手いフライドチキン食わせろくらいしか考えてねぇだろ」
「おーよく分かってるじゃねぇか。ネロの飯ならいつでも大歓迎だ」
ひらひら手を振ってキッチンから去っていくブラッド。あれだけ酷かった腹痛が嘘のように消え失せていた。
あれからというものの腹痛に襲われることなく2,3日過ぎ去り、ああもう治ったなと安心する反面、フライドチキン食わせろとうるさい彼を見てないことにも気づく。
「ったく、また何処かに飛ばされてんのかねぇ」
揚げたてのフライドチキンを置いているキッチン。揚げたところから数は減ることなく増え続ける安心感ともどかしさに苦笑いを浮かべる。
ぎゅるるっ
「っ……いっ……っぁ……」
数日ぶりの腹痛に蹲る。治まれ治まれ頭の中で念じ続けるも治まらない。
「ネロ……」
「ファ……ウスト……」
「大丈夫か」
慌てて駆け寄りながらも背中を擦って落ち着けようとしてくれる。
「お腹が痛いのか」
「……っちょっとだけ」
目を瞑って苦しそうにしている彼にちょっとじゃないだろ口から零れそうになる言葉をぐっと飲み込む。
ぎゅるる……
未だに下腹部を抑え込むネロにブランケットをかけて回復魔法をかける。
「ありがとな先生。だいぶ楽になった」
「君というやつは……それは一時的に過ぎない。ちゃんと医者に診てもらった方がいい」
「いや、そんな大層なことじゃねぇし」
「はぁ……君ここ数日鏡を見ているか特に今は顔色最悪だぞ。みんな黙って君を見守っているが子どもたちも僕も心配している」
「……わりぃ。そこまでだと思ってなかった……」
ファウストが召喚した魔導具で自分の顔色を見てみると確かに青白くてとてもじゃないけれど健康そうに見えなかった。
「フィガロのところに行くよ」
「……」
無言で嫌がる彼が逃げないように見張る。そんなに見つめなくても逃げねぇって。信憑性のない言葉にじとっとした重い視線を向けておく。
「やぁ何してるの二人とも」
「げ……」
「フィガロか」
「ネロげ……は酷くないフィガロ先生傷ついちゃうな」
「フィガロ、ネロを診てくれ。体調が良くないのを隠している」
「最近顔色良くなかったよね。ようやく来る気になった」
「別にそういうわけじゃ……」
「はいはい、そういうことにしておいてあげる。患者さんはそこの椅子に座って待ってて」
「……患者じゃねぇし」
渋々椅子に座って診察を受けるものの結果は特に異常なかった。
「最近少し気温下がり始めたから冷えかな。ちゃんと布団掛けて寝てね」
「ガキじゃねぇんだから」
「ま、俺からしたら可愛い子供みたいなものだけどね。賢者様には話しておくから今日はもう休みなよ」
「ああ、わりぃ」
未だに引かない痛みの中料理するよりは休めるのは本当に助かる。また後でお礼言っとかないとと思いながら自室に戻った。
腹部に分厚めの布団をかけて目を閉じる。フィガロからもらった薬を飲むもののあまり痛みは引かない。
「はぁ……」
あいつからもらったシュガーの方が効いてたと思いを馳せる。正直どこに飛ばされやか分からないあいつの帰りなんていつになるか想像がつかない。早ければその日の内に帰ってくることもあるが、1週間ほど帰ってこれないときもある。北の国に飛ばされたらたまったものじゃない。そういえば最近腹痛続きで眠れてなかったな……じわじわと重くなってくる眼に抗うことなく目を閉じた。
「あ、起きたか」
半分寝ている頭で必死に考えを動かす。
「ブラッド……」
「おう。賢者がおじや作ってくれたが食べれそうか」
「え、あ……」
口ごもる俺の顔をじっと見つめられる。また腹痛に襲われるくらいなら食べたくない。そう言いたいがせっかく作ってくれた賢者さんに悪いし……ぐるぐると回る思考回路にブラッドがデコピンをした。
「いっつぁ。てめぇ……」
「余計なこと考えてんじゃねぇ。食いたいか、食いたくないかだ」
「った、食いたい……けど……」
「けど」
「腹痛くなるの嫌だ……」
「ったく、それを早く言え」
きれいなシュガーがブラッドの手の上に形成される。きれいな星屑が俺の手に注がれる。
「それ食って少し回復しろ。そしたら何食おうが腹痛なんて無縁だぜ。なんせブラッドリー様のシュガーだからな」
「なんだよその理屈」
口に放り込んだシュガーはどの薬よりもどのシュガーよりも痛みを消してくれる。締め付けられる痛みと苦しみから開放された体に賢者さんのおじやは体に染み込む。胃に優しい食べ物で作られており味付けも濃くなく薄くなく食べやすい。
「ん、美味しい」
「そりゃぁ良かった。てめぇには早く元気になって貰わねぇとな」
「そういえばキッチンフライドチキン置いてたな。てめぇ食べてねぇだろうな」
「当たり前だろブラッドリー様を誰だと思ってんだよ」
「つまみ食い常習犯」
「っはは。ま、実際は夕食ですっていうガキどもに死守されて食えなかっただけだがな」
「おこちゃま達は優秀だな」
「だからよ今度はみんなのためではなく俺のために揚げろよな。みんな好みの味付けより俺好みの味付けで」
「……分かったよ」
「もう寝ちまいな」
「ん……」
布団にくるまると再び睡魔に襲われる。ぶらっど、ありがとな……眠る間際に呟いた言葉はちゃんと音を発していただろうか。
「休みてぇときくらい休みたいって俺くらいには言えよな」
絶対にそんな日は来ないだろうと思いながらも目に掛かった前髪をのける。ネロのためだけのシュガーを近くにあったシュガーポットに詰める。回復と加護2つの魔法をネロにあわせて掛け合わせているなんて一生の秘密だ。
「早く良くなれよ」
ぽんっと布団に手をかけてんんっと寝返りをうつ彼を背に部屋を後にした。