読切ドラロナ小話目覚めたらそこは、楽園だった。
床に座り込んだ形で復活した私の眼前の景色には、色気たっぷりのうなじがバーン!と広がっている。しかも汗をかいてしっとりと濡れた銀色の後れ毛が張り付いた絶景。
「フッ……ッ……」
乱れた呼吸音とともに、その後れ毛から滴り落ちる汗。うなじを伝う様子をじっと見ていたいのに、それはすぐに床に倒れて一瞬で隠されてしまう。
しかしまたフッと漏れ出す声とともに眼前に戻ってきて、一瞬遅れて鼻腔にふわりとその馨しい汗の匂いを届けた。
ごくり。
思わず喉が鳴る。
その音が響いたような気がして慌てた拍子にパサリとマントが翻った。
「……あ?復活したのか?」
目の前にあった色っぽいうなじがくるりとふり返って、綺麗な青い宝石にかわる。
「ぉわっ、近っ!」
パシパシと音の鳴るほどびっしり生えた長い銀の睫毛に二度ほど隠れた碧玉はサッと離れて行ってしまった。残念。
「ごめん、どれくらい死んでた?」
死の直前の記憶は、まだ宵の口。休日だからとこの城を訪ねてくれたロナルドくんにはしゃいで夜食を振る舞い、映画でも見ようか。と持ち掛けた所で途切れている。
「二時間半だな」
三時間はかかると思った。とあっけらかんと答えられて、アア……と頭を抱える。
こういう日のために厳選したロマンチックな映画を見て、そっと手を重ねちゃったりして……盛り上がったところでエンドロールが流れたら、そのあと寝室にお誘いとか……したいなぁ〜なんて下心を持っていたのがいけなかったんだろうか。映画のパッケージを持って来た途端に何も無い床に躓いて死んでしまうなんて……!
今から映画を見始めたって、見終わる頃には眠りにつくべき時間になってしまう。もちろん朝更かしだってやぶさかでは無いが、ロナルドくんが眠くなってしまったらそこまでだ。それを抱きかかえて移動させたりする力は無いし……
がっくりと落ち込んでいる私に、ロナルドくんが追い討ちをかける。
「まだ暫く掛かるから待ってろよ」
「えっ!もう二時間半もロスしてるのに!?」
思わず本音が出てしまった。
「自分のせいだろ」
「それはそう〜!」
そうなんだけど〜!うわ〜んと恥も外聞もかなぐり捨てて泣き喚いているとロナルドくんが肩を震わせる。
「ん、ふっ」
くすくす。笑われて恥ずかしいやら、蕩けたような笑顔が眩しいやらでどんな顔をすればいいのかわからない。
むにむにと口を動かして言い淀んだ後、なおも笑っているロナルドくんの雰囲気が随分柔らかい事に気付いて意を決して言ってみる。
「死んでいなかったら、その時間分イチャイチャ出来たのに……」
口に出せば思ったよりも拗ねたような響きになって、やっぱり少し恥ずかしかった。
思わず俯いた私のつむじ辺りにふんわりと触れる何か。
「えっ?」
今の何!?と顔を上げようにも頭に重みが乗っていて咄嗟に動けなかった。
「じゃあ、同時にやるか」
直接響くような声を聞いてようやく、項垂れた私の頭にロナルドくんが頬を寄せている事に気付いた。
えっ、えっ?
「何を!?」
突然の接触に動揺しながら尋ねれば、返ってくる答え。
「イチャイチャと筋トレ」
「イチャイチャと筋トレ」
思わずオウム返しした。
そうか、さっきの動きは腹筋の筋トレだったのか……
って、問題はそこではない。
ロナルドくんがさっさと離れていってしまったのは惜しいが、それよりも先程の言葉だ。
「どうやって?言っておくが私に筋トレをする為の筋肉など無いし、負荷にも向かないよ?」
バランス崩して死にでもしたら次こそ三……いや、五時間コースかも。そうしたらもう何もかもタイムオーバーじゃないか!
必死の訴えにも、ロナルドくんは楽しそうにクフクフと笑うのだった。
「お前が死なないように、ゆっくり起き上がるから、ここに座って待ってろ」
指でさし示されたのは揃えた足の甲。
この上に乗り上げて座れと指示され、言われるがままにぺたりと尻をつけたら山形に立てられた膝が目の前にそびえる。
「足押さえ役には向かないかも……」
自重の儚さに不安になって尋ねたがそんな役割は求められていないらしい。
「全部自力でやらねーと筋トレにならねぇだろ。足を固定するのはマシン使った本格的なヤツ」
今日のはセルフトレだから己の腹筋のみで反動は無し。つまり私はそこに居るだけでなにも役に立つ訳ではないらしい。
「ここで、膝にしがみついて何してればいいの……」
特等席ではあるけどさあ?
疑問ばかりの私に、まあ一度やってみるか。とロナルドくんがさっさと仰向けに寝転んでしまった。
先程まで顔突合せてお話していたから一気に空いた距離に寂しくなって……いる暇はなかった。
グッと盛り上がる腹筋と共に、ゆっくりとその顔が近付いてくる。
にまにま笑いながら、焦らすようにゆっくりと。
「あっ、えっ?」
どうすれば良いのかわからずにアワアワと焦って、ぎゅうっと脛周りに腕をのばして抱き締めた頃に、その顔はあと数センチの距離に迫っていた。
(あ、睫毛、長〜)
そんな事を考えているうちに……
ちゅむ。
唇に柔らかな感触。
一瞬だけのそれは異様に熱くて、その感触をもう一度味わいたくて無意識で顔を寄せるけれど、すーっと遠ざかってしまった。
「えぇ!?」
今日初めてのキスは本当に一瞬で、全然物足りない。
しかもロナルドくんの方から近付いてのキス!当の本人は今はもう床に背中をつけて離れていってしまったけれど。
大混乱のこちらの気を知ってか知らずか、静かに目を合わせてきた彼が、見せ付けるように唇を舌でペロリと舐めた。
「お前は、俺の腹筋のご褒美役」
「ご……」
ご褒美?私とのキスが、ご褒美になるの?
ええ……なにそれ、可愛いこと言う……っ!
ロナルドくんがご褒美のキス♡したくて腹筋頑張るって事!?私得でしかないけど!
キャーキャーと心の中は騒がしいけれどポーカーフェイスは保っていたい。高等吸血鬼の意地とか矜恃とか色々あるんだよこっちにだって!
そんな慌てふためいているこちらの心境を知ってか知らずか、ロナルドくんが淡々と言ってくる。
「今から、1セット10回の2セット目だ」
な、なるほど?
「何セットやるの?」
いま大事なのはそこだ。
「3」
「に、20回キスできるってこと!!?」
示された数字についに興奮を隠しきれなくて、大声でちゃった。
くすくす笑ったロナルドくんが追い打ちをかけてくる。
「ゆっくり……な?」
「ッ〜!」
ゆっくり!
キスする為にゆっくり近付いてくるロナルドくんを待って、キスをして、ゆっくり離れていくロナルドくんを見送る×20回!?
「ちゃんと数えとけよ」
言われて、思わず出た言葉が
「時蕎麦してもいい?」
だったのは自分でもどうかと思う、けど……
ロナルドくんはついに爆笑しながら、不敵に「いいぜ」と言ってくれた。
まあ実際、そんな余裕は無かったが。
自分でこんな腹筋が出来るとは思えないから想像の域を出ないが、ゆっくりと起き上がりまたゆっくりと倒れ込むという運動負荷はとても高いようで……
1セット終わった頃にはすっかり息が乱れたロナルドくんの、荒い呼吸や真っ赤な顔、流れる汗……の、合間合間に口付けを交わして。
いや……
こんなの……
耐えられるわけがなくない?
20回終わる頃にはすっかりこちらの方が興奮してしまった。
もちろんぺたりと座り込んでいるのはロナルドくんの足の上だし、身体は密着している。
私の状態などバレバレであるはず、なのに……
「終わった……ね?」
口から出る言葉がねっとりと響く低音になっているのは仕方がない。だってもう、こんなに興奮しきっているんだから。
今すぐにでもベッドに連れ込んでしまいたい衝動を耐えながら、ゆっくり腰を上げて横から回り込み、寝転んで荒い息を吐くロナルドくんを上から見下ろして持ち掛ける。
「……ね?移動、しよう?」
ここはリビングだし、床にはロナルドくんが持ち込んだらしいヨガマットを轢いてあるけれど少し面積が足りない。
キミのために誂えた大きなベッドがやはり一番都合がいい。
20回もキスして、すっかりその気にしておいて今更断ったり、しないよね?
「いや、無理」
今更断ったり……しないでーッ!
「何で!?こっちの方が無理だよ!もう我慢できないよ!」
汗べっとりのインナーを掴んでガクガク揺さぶ……ったような気持ちでぐいぐい引っ張ると、私のあまりの動揺っぷりに腕で口元を隠してしまったロナルドくん。
声も出ないほど爆笑するの酷くない!?
うわ〜ん!
泣き喚いてやろうか!?
尊厳を捨て去る1歩手前の私に、その声は何とか届いた。
「クールダウンの、ストレッチして……シャワー浴びてぇから……待ってて」
小さな声。隠された口元。僅かに覗く頬が運動によるものとは明らかに違う赤みを持っていて……
潤んだ青色の瞳がそっと下から見上げてきた。
「うっぐぅ……」
破壊力がヤバい。
拒否じゃなかった!ロナルドくんも吝かじゃなかった!
それだけで機嫌は急上昇だ。
「寝室……整えとくね」
「……ん」
頷く仕草があまりに可愛くて、ちゅっとこめかみにキスを贈った。
寝室にロナルドくんが現れたのはちょうど先程私が死んでから三時間後。ロナルドくんが復活するまでの予測をたてた時間だった。
映画の分ロスしたと思っていたけれど、この身体中解れて熱くて柔らかいロナルドくんに触れたら、唐突に気付いてしまった。
(私に抱かれる準備運動に筋トレやストレッチして待っててくれてたのぉ!?)
堪らない心地になって、抱き締めてキスをして、それから何度も何度も愛し合ったのは……また別のお話!
END