再録1 とある日の食堂にて
本日の食堂も賑わっていた。昼食時はもちろんだが、昼を過ぎても常に人はいる。生徒も教師も授業によって食事を取る時間はまちまち、軽食やデザートも揃っているので空き時間に食べに来る者も多く、いつも賑やかだ。むしろ、全生徒の食事を食堂一つで担っていることに驚嘆する。
体の健康は食事から、英気を養うのも食事から、何事も食事から! そんな中で、とある生徒達は賄われた献立と睨めっこをしていた――。
「野菜がなければいいのに……」
「そんなに睨むことか?」
「睨んでいません! そんな子どもみたいなことしてません。少しだけ……ほんの少し苦手なだけです」
「ならいいだろ」
不貞腐れるリシテアの隣には素っ気ないフェリクスがいた。二人仲良く昼食…とは言い難いが、この二人が一緒に食事を取ることはそう珍しくない。学級は違えど取る授業は被っており、ちょうど昼時に終わるものがあった。流れで共に食堂に行くのは幾度と重ねており、もう馴染みになりつつあった。各々好きなペースで食べて、ほどほどな雑談が丁度良いらしい。
しかし、今日は違った。いつになくリシテアが饒舌だった……。
「わ、わたしに野菜は必要ないと思います。そうです、お菓子で十分です!」
「菓子じゃ腹は膨れん。大体そういうのは、飯の後に食うものだろ」
「わたしは、お菓子を主食にできます!」
「……体壊すぞ」
未だに本日のメニュー『野菜たっぷりサラパスタ』に手を付けないでいるリシテアに、フェリクスは顔を顰めた。すぐに売り切れるほどの人気メニューなのだが、二人共好みではなかった。フェリクスも野菜は好ましくないが、食すことに意義はない。肉料理の方が好ましいが、野菜からの栄養の重要性、食物が豊かに育成しない寒国で育ったためか、与えられる食事は全て完食していた。
だからか、常に隙を見せないようにしてるリシテアの拒絶は意外であり、我が儘にも見えた。彼女に対して子ども扱いをしないフェリクスだが、この時ばかりは駄々をこねる童子に見えた。
「さっさと食わないと冷めるぞ。冷めた方が不味くなる」
「わかっています。あんただって、野菜が嫌いなのにどうして食べれるんですか……」
「必要とわかっているからな。肉ばかりじゃ偏って、思うように動かん」
「わたしは頭脳派なので、甘いもので十分だと思います」
「いいから食え。食わないのなら、お前の菓子はもう食わん」
子どものようなやり取りをする。リシテアは不貞腐れた様子で渋々にフォークを手にして湯気立つパスタを掬って口にしていく。……彼女の表情はさらに硬くなり、仏頂面になっていった。
「……野菜の味がします」
「野菜だからな」
「そうですね。あの、食べないと……いけませんか?」
「さっきの通りだ。お前が食わないなら、俺はもう菓子は食わん」
「はぁ……横暴です」
どっちがだ! と返したくなるのを堪えて、フェリクスは隣で暗い顔でパスタを食べていくリシテアを見つめた。嫌そうに食べていく姿は、普段と真逆に思えた。
(俺も菓子を食う時は、こんな顔をしていたのか…?)
微笑みが一切ないリシテアは、フェリクスには新鮮な印象を与えた。ちょっと面白い……そう思ってしまうのは致し方ないのだが、彼は悪党ではないので良くないと考え直して消し去った。
「そんなに嫌なのか?」
「食べられます。……食べたくないですが」
「それを嫌というんだが。あとで、好きなものを食えばいいだろ」
「もちろん、そのつもりです! ですが……最近、食べ過ぎかなって思ってて」
頻繁に間食してるからな、と頭に過ぎったが口に出さないでおいた。女性に体重に関することを言ってはならない、という礼儀を幼なじみを通して思い出した。
苦虫を噛んでいるかのようにゆっくりで、どんよりな空気を出しながら食べるリシテアと共に食事を取っていった。当然フェリクスの方が先に食べ終わったのだが、気になって席を立つ気が起きずにいた。手持無沙汰になりながらも様子を窺うのは、性根の面倒見の良さが出ていた。
──放っておいても良いと何度もフェリクスは思ったが、その度に惜しく感じて不可解な気持ちが湧いていた。
そんな彼の気持ちに気付かず、暗い影を落として頑張っていくリシテア。
「……喉が苦いです」
「もう終わりだろ。あと二口で完食する」
「二口じゃないです! そんなにたくさん食べたら苦しいじゃないですか!」
「今日のお前は一段と面倒だな……」
「面倒ってなんですか! 子ども扱いしないでください!」
「していない」
適当な返事をして淡白なフェリクスだが、最後まで付き合う気ではいた。普段の強気な姿は鳴りを潜め、暗い顔になっては不貞腐れるリシテアの新たな一面は、彼にはたのしかった。顔には出てないが、その眼差しは穏やかに微笑んでいた。
「やった、終わりました! 食べ終わりましたよ!」
最後の一口を食べ終えたリシテアは、皿を掲げんばかりに満面の笑みで喜んだ。隣で見守っていたフェリクスも、彼女の健闘に心の中で小さな拍手を送った。
「さあ、これで条件が整いましたよ。観念してわたしのお菓子を食べて、甘いものの素晴らしさを理解してください!」
「何でそこまでするんだか……」
「わたしが困るんです。ちゃんと野菜を食べたんですから食べてもらいますよ!」
そう言うと、制服のポケットから個包装された焼き菓子をフェリクスに差し出す。また持ってきた……と、苦笑しながらも受け取る手は早かった。
フェリクスは『お菓子を食べない』とは言っていない。飯を食べてからなら構わない、と思っていたのだが、リシテアの中ではいつの間にか『野菜たっぷりサラダパスタを食べたらお菓子を食べてくれる』にすり替わっていたようだ。
苦いと顔を歪ませながら完食したリシテアの努力に水を差すより、大人しく菓子を食べた方がいいか……と、考え直したフェリクスは訂正するのを控えた。
「食後に菓子を食う日が来るとはな……」
「あら、食後の甘いものは普通ですよ。ふふっ、今日のはよく焼けた自信作です! 食べないと言っても食べてもらいます」
「お前のなら食える」
「はっ!? ……今日は素直ですね」
応酬に応える気だったが、素直に褒めるフェリクスに驚いて口を閉ざしてしまう。
ほんのり頬が朱色に染まっているリシテアに気付くこともなく、フェリクスは無愛想で黙々と食べていった。
「お前こそ、今日はよく変わるな」
「何がですか?」
「いつもと違って澄ましてないお前も悪くなかった。あんなに嫌そうな顔をするのは、初めて見たからな」
「なっ!? 子ども扱いしないでください! あんたが、野菜を食べろって言うからです!」
「俺はそんなこと言っていない……。まあ、もう目的を果たせたのだからいいだろ」
納得いかず膨れるリシテアを見るのは初めてではないが、この時は普段よりも幼く、年相応に見えていた。子ども扱いしないでください、と口癖のように言っているが、その行為自体が微笑ましいと気付いているのか否か……。
「そういえば、お前は今期の最年少だったな」
「なんですか、今更? 幼くて不似合いと思ったんですか?」
「いや、俺より年下だったな、と思い出した」
「……それはそれで反応に困るんですが。あんたのことだから誉め言葉で受け取っておきます」
変に大人ぶらず、年相応な方が良いんじゃないのか──。
そう思っても話術が豊富でない自分が口にすれば、面倒な誤解を招くと悟り、黙って菓子を食べていくフェリクスだった。知らない一面を見れたのは、想像以上に実りが大きかったよう。
後に、リシテアの偏食の改善を考えてたベレス先生に相談されたフェリクスは、今日みたいに彼女の食事によく付き添うようになった。特に何かするわけではないのだが、この日を境に二人は頻繁に食堂に現れるようになった。
リシテアもフェリクスも野菜が得意ではないが、互いに野菜や魚など苦手な物を食べるようになり、食生活が改善されていった……らしい。
「あんたって、パイ食べるんですね。そうです、アップルパイも食べれるんじゃないですか!」
「ミートパイと甘味は別だろ……」
「同じパイ生地なんですから食べられますよ!」
「じゃあ、お前も嫌がらずに食べろ」
「……ミートパイとアップルパイは違います」
食堂に行くと、二人の賑やかな会話が聞こえた。