いつもの週末は『日曜日、映画観に行こうよ』
そのメッセージとともに宇佐美から送られてきた映画のタイトルは、俺がシリーズを通して円盤までそろえている映画の最新作だった。宇佐美にも以前貸したことがあったから映画が公開されたら誘おうと思っていたところで、そんな矢先の誘いに俺はすぐ肯定の意を返信した。
前世から繋がりのあった宇佐美と再会したのは去年の夏。互いの職場の近くに相手の家があったので、帰るのがめんどうなときは相手の家に行ったり、週末は一緒にどこかへでかけたり。前世と同じように夜の行為までするというよくわからない関係を続け、結局クリスマスまで一緒に過ごしてそれから付き合うことになった。付き合ったからと言って今までと関係に大きな違いはないけれど、互いが互いのものだと認識するようになったことで、平時のスキンシップや夜の行為は少しだけ糖度が上がったような気はしている。
そんな恋人となった宇佐美とのいつもどおりの週末を過ごすため、待ち合わせに指定されたショッピングモールの入り口脇にある喫煙ルームで、しばしタバコの煙で肺を満たす。
そう。いつもどおり、だ。
本当は今日は俺の誕生日だ。恋人になった今なら自分の誕生を祝福してくれる相手を見つけたと言えるだろう。しかし、自分の誕生日を伝える機会がないまま今まで過ごしてきてしまったから、宇佐美は俺の誕生日を知らない。だから、いつもどおりの週末を過ごすしかないのだ。
ガラス越しにモールの入り口の様子を見ていたら宇佐美がひょこひょこ歩いて来るのが見え、俺はまだ半分くらいのタバコを吸い殻入れに押し付けてガラス張りの部屋を出た。
ショッピングモールの上階にある映画館に着くと、宇佐美があらかじめ席を予約していたらしく、スマホでQRコードをかざすだけで中に入ることができた。映画は前評判以上によく、昼食を食べるために入ったモール内のレストランで、ひとしきり感想を言い合った。今まで映画を観た感想を言う相手がいないことをもどかしく感じたことはなかったけれど、こうして自分の好きなものを同じ目線で語ってくれる相手がいる楽しさを実感する。
映画より長い時間レストランに居座り、会計のために席を立つとき伝票を取ろうとすると、宇佐美に先を越された。
「宇佐美は映画の金出してるだろ。そのぶんここは俺が払う」
「ううん、今日は僕が映画に付き合わせたんだし、僕が払うよ」
「でも、」
俺が食い下がると、宇佐美は俺の眉間を中指でピンとはじいて耳打ちしてきた。
「今日は彼氏ヅラしたい日だから、彼女の百之助は驕られてなって」
「な、彼女じゃねぇ!」
耳元で喋られ動揺してつい大きな声が出た俺に、宇佐美は「はいはい」とだけ答えてしれっと先に会計をしに行ってしまった。
「スーパーで買い物してこっか。今日はうちでご飯食べよ。僕作るから」
ショッピングモール内の服屋や本屋をぶらりと見て回り、一階に下りてきたところで宇佐美が言った。会った日はたいていどちらかの家で泊まることが多いので、俺は「ああ」と頷く。
食品売り場に入ると、賑やかに垂れ流される宣伝文句に負けじと大きな声で、宇佐美が何を食べたいか尋ねてきた。
「うーん」
食べたいものがすぐには思い浮かばず、周りを見回す。パンやら弁当やらが並ぶその隣のスイーツコーナーにケーキが置いてあるのが見え、誕生日にこうして恋人と過ごしているんだなとふと思い出す。自分からケーキを買うとは言い出せず、視線を他の食材に向けて、短く「鍋」と答える。
「せっかく僕が作ってあげるのに鍋でいいの? 作りがいがないじゃん」
「だって一人だと鍋なんて食わねぇだろ。それに鍋ならすぐ食える」
「なんだよ、食い気かよ」
「いや……」
食い気、というと違う気がする。宇佐美が食事を作ってくれると言うけど、なんとなく今日は作ってくれる時間を待つよりも食べている時間やそのあとの時間を大切にしたくなっただけ……で……と、そこまで思考して、唐突に自分の考えていることが恥ずかしくなった。
「百之助は鍋にマロニー入れたい? ……って、なに照れてんの」
前を向いて買い物かごに食材を放り込み始めていた宇佐美が、振り返って首をかしげた。顔には出していないつもりなのに、宇佐美はいつも聡い。
「べつに」
短く答えた俺の顔を、宇佐美は目を見開いてじっと見て、そしてにやりと笑った。
「ふふ。早く買い物済ませて帰ろっか」
この恋人となった男には、自分の思考がどこまで筒抜けなのだろう。
食品売り場で会計を済ませてモールの出口へ向かう。その途中、宇佐美が突然俺の手をつかんで立ち止まった。
「百之助さぁ。僕になんか言いたいことあるでしょ」
通路のど真ん中で手をつないだ状態で立ち止まった男二人を、他の客がよけて歩いていく。
「言いたいこと?」
宇佐美の言った言葉に心当たりが無く、俺は通路が広くなるように立ち位置を変えながら首をかしげる。
「正しくは『言わないといけないこと』かな。それも、今日中に」
言わないといけないこと、と言われて一瞬浮気でも疑われているのかと思ったが、今日中に、と付け足されると、心当たりはひとつだけある。でも、それは宇佐美は知らないはずだ。
俺が黙ったままでいると、宇佐美は手を離して、降参するように両手をあげた。
「はぁ~、ほんと失敗。こういうことお前が自分から言うわけないのにね。なんで今日の今まで待っちゃったんだろう」
宇佐美はそう言って、もう一度俺の手を取る。
「百之助、誕生日おめでとう」
おめでとうを言うにしてはちょっとふてくされたような表情で、宇佐美は告げた。
「知って、たのか。……なんで」
「前にお前がタバコ買うときにさ、身分証出してたやつ見てたんだよ」
宇佐美と一緒にいて俺がタバコを買ったのなんて結構前のことで、少なくとも付き合うよりも前のことだったんじゃないだろうか。そのときからちゃんと俺の誕生日を覚えてくれていた? この男が?
「今日会うなり祝ってあげればよかったね。ごめん」
「いや……、俺が言わなかったから」
「それもそう。僕たち恋人になったんだから、そういうことはちゃんと言えよな。――気を遣わせたくない、じゃなくて、祝わせてよ」
「すまん」
「んで、ケーキ買ってく?」
宇佐美が示す方向を見ると、自分たちの真横にはケーキ屋があった。ガラスのショーケースには、さまざまな色のクリームで飾りつけられたりフルーツが艶やかにちりばめられたりしたケーキが並んでいる。
「うん。いちごのやつ」
「誕生日と言ったらショートケーキだよね。小さいホールのあるからあれにしようよ」
手を引かれるがまま、ケーキ屋のショーケースの前に並んで立つ。宇佐美はホールケーキと一緒に俺の年齢になる数字二桁のろうそくを注文して、最後に
「あと、ケーキにつけるプレートってできますか?」
と尋ねた。店員が「はい」と答えてプレートの一覧が書かれたボードを取り出す。
「プレートはこちらからお選びください。プレートにはなんと書かれますか?」
宇佐美はにっこりと愛想のいい笑顔を浮かべて答える。
「『百之助くん誕生日おめでとう』で」
ちょっ、宇佐美⁉ と俺が言うより早く宇佐美に繋いだままの手をぎゅっと強く握られ、俺の口からは「いっ」という呻き声しか出なかった。
「『ひゃく』は漢数字で~、『の』はこれとかゆきとか読むやつ、『すけ』は助けるの助です」
黙らされた俺をよそに宇佐美と店員とのやり取りは終わり、店員がプレートを作りに裏へ引っ込んだ。俺は無言で宇佐美に抗議の視線を向け、宇佐美は笑顔でそれを受け流す。
攻防にすらならない無言のやりとりをしながらも、プレートが完成するのを待つ間、俺たちはずっと手を繋いだままでいた。