Bad Appleぽす、と片耳に差し込んでいたイヤホンを引き抜きながら簓は鍵を開けた。
「体洗ろとるわ」
「ン」
そのまま音を立てないように扉を開き、すりガラスの向こうの盧笙にバレないように速やかに、それでいて静かにリビングに簓と零は向かった。
Bad Apple
スマートフォンのディスプレイに表示される時刻は22:38。
簓は開いていたアプリを閉じた。
「いやー、でもなんとか間に合ったわ、しかも結構ええ時間ちゃう?」
「おつかれ、買っといたぜシャンメリー」
零は持っていた紙袋を軽く掲げた。
「マジで買うてきたん、その見た目で?」
「別に恥ずかしくともなんともねえよこんなもん買うに」
「俺がパートのおばちゃんなら腹抱えてレジ打てへんやろうな」
「俺がそうそうスーパーなんて行くかよ」
零は適当に紙袋をテーブルの下に隠した。紙袋の隠し先を確認しながら簓は着ていたコートを脱ぎ、マスクを剥いだ。
そして適当にそのへんに放る。
キョロキョロとそのまま周りを見渡せば見慣れない紙袋、あとテーブルの上のクリアファイル。
なんの躊躇いもなく簓はクリアファイルを取った。
「ッハ、」
簓の笑い声に零は簓の手元を覗き込む。
「おー、よく描けてんじゃねえか」
「足立クンどんどん絵上達してくな。」
簓はクリアファイルをテーブルに戻した。
「相変わらず愛され教師やってんなあ」
「せやなあ、めっちゃお菓子とかもろとるわ」
「自分の物みたいに言うねえ」
「俺のもんやろ」
簓は よ、っと紙袋を体を伸ばして引き寄せた。漫画本が入っていた。よし、ちょうどええネタやわ、と適当に取り出し床に広げていく。
「なかなか古い漫画だろこれ」
「そうなん?」
「簓クン○○○○知らねえの?」
「あー、あ、あ。作者名見てへんかった。はー、これが。」
ぽん、と最後の3冊を雑に簓は置いた。
「ぎょーしんのせーとちゃん達のお陰で俺、漫画大好き芸人の地位狙えそうや、おおきに生徒チャン達」
「いつにも増して凶悪なツラ〜」
「ほぼ4徹」
「お前の年ならまだまだイケる。」
「言われんでも余裕やわ。は〜、しっかしいよいよ俺ら立派なアラサーやなあ」
「30代の簓とか想像つかねえ。相変わらず好感度ランキング上位キャラでやっていくつもりか?」
「そんなんそん時にならんとどう身を振るかなんて分からんやろ、」
「おいおいもうちょっと遊ぼうぜ、」
「やって30の俺もどうせちゃんと世間サンってのと上手く折り合い付けて世の中を渡ってくんやろうし、なんもおもろないやろ。考えたとこで」
「夢がねえなあお前は。俳優とか画家とか意外な才能が開花するかもしれねえだろ?」
「無い無い、小屋には絶対立って、…んのは無理やろうな、朝の帯出てそう。俺時事とかほんま興味ないねんけどなあ」
「思いっきり国主催のやつに参加しといてそれはないだろ。」
「いつだって、何歳の時やって別にそんな事興味ないねん、なんや面白いこと体験したいな〜欲を満たしたくてズカズカ入っていっとるだけ」
「悪魔みてえ。」
「可愛らしい例えするやん」
「いやいや。今日もエンターティナーの鏡だなあ相変わらず」
「おおきに。おひねりちょーだい。」
「あ?んだよ」
「ンー、なんにしようかなぁ、あ、法律変えれる?」
「気軽にぽんと頼むもんじゃねえだろそれ、」
「やーワンチャンお前ならできるかな思て」
「簓クン公民の授業ちゃんと受けてたのか?学生時代」
「コウ……ミン…?」
馬鹿のモノマネをする簓を放って、零はスマホを取り出した。そのままドライブのアプリを立ち上げ、とりあえず高校か?と、PDFデータを開いた。ぱぱっとスクロール。
「お、でも公民3.5だぞお前、高2、1学期」
「あ?ホンマ?」
簓が零のスマホを覗き込む。
「はー、見事に3か3.5ばっかやなあ、つまんな。」
「お前国語と英語だけはちゃんと授業受けてきたんじゃねえのかよ。」
「古典とか漢文とか漢字とかが足引っ張ってたんちゃう?てか多分、俺なりになんかあったんやろこん時」
「適当だねえ。」
「あ、俺小1の通信簿見たい。毎日元気で明るいねって書かれてて嬉しかったから。持ってる?」
「小1?」
「多分3学期〜」
零は素直に言われるままファイルを閉じて、簓の小学校1年生3学期分の通信簿を開いた。
「おー見事に二重丸ばっかじゃねえか」
「逆に小1で花マルもらえへん方がどうかしてんちゃう。」
「言うねえ天才」
「こん時は純真無垢で可愛らしくてあととにかく必死やったからなあ。」
「泣けるねえ、お、ホントだ。積極的に発言してくれる明るい子、だってよ」
「なんやそれ聞くと俺小1からなんも成長してへんことになるなあ。」
「お前なんておつむ3歳児のままだろ」
「6歳児ぐらいのつもりやったんやけどなあ。」
「どっちも対して変わんねえよ、はあ。で、かしこくげんきいっぱいなささらくんは何がほしいんだ?」
「盧笙」
「ストップ。バック。法律改正希望辺りから。」
「あー、いよいよ結婚したくて」
「はあ。んだ、あんじゃねえのなんかその辺。男も女のついでで」
「いーや、アチラさんはなんや ぽいのはあったで、けど男はどうでもええ、ゴミ以下のご時世やからこのところは。」
「ちげえねえな。」
「盧笙のあのひと、」
「どの人?」
「母親」
「ん、」
「が、かわいいかわいい家の盧笙ちゃんが30過ぎても独り身とか世間体が許さないザマスとか言ってきそうやん、そのうち。」
「ベタなキャラ付け」
「そういうのを全部黙らしたい思うわけ、できれば穏便に。」
「穏便ねえ、お前の穏便は一般的な穏便じゃないから困ったねえ。」
「母親出てったからそういうの欠けてんねん。」
「耳が色々痛てえ話。」
「いっくら俺がな、わーわーほざいたとこで、〝ああ今度はそういうキャラで行くのね〟。で、〝んーでもキャラチョイスミスったんちゃいます?変えたら?〟。」
「の割にはもう十分ってほど出回ってんじゃねえか。」
「いやいやなかなか色々不評やでー、チョキチョキされまくり。『お名前を出されるのは微笑ましくて良いと思うのですが、その、出演オファーが取れない方のお名前はチョット…』て、にがにがし〜お顔でお伝えされる日々。あと現役コンビの皆々様に営業の邪魔になるからやめろとドヤされる毎日。」
「お前が初期に目論んだ〝盧笙、先生タレントデビュー計画〟が上手く行ってりゃあよかったんだがなあ」
「はぁ〜…盧笙君ホンマ俺の思い通りになってくれへん〜、予想外の方向ばっかや。いや、んー、だいじなだいじなせーとちゃん達に囲まれて立派に先生やってる盧笙はそれはそれで好きやねん。……俺が言うとどうしても胡散臭く聞こえてまうけど」
「おお、胡散臭え。詐欺師顔負け。」
「来世で雇って。口八丁では誰にも負けません!必ずやボスの望む結果を手に入れてみせます!」
「おーこわ、後々乗っ取られるヤツじゃねえか。」
「前、夜中になあ、よう事情は知らんねんけど、家庭内でなんかあった子と電話してる盧笙見た時になぁ、ああーこんな先生居ったらよかったのになあ、って思ってん。しみじみ。そしたら俺も今みたいにグズグズ、ジミジミ腐ってカビ生えることもなくおれたかもなあ。」
「お前飲んだ?」
「ワーカーズハイ」
「恥ずかしくて聞いてられねえ」
「いうてお前もガキ3人こさえてんやからそれはそれはま〜溺愛しとったんやろ、タレ目美女。」
「ささらくんー、恋バナすんなら他当たれ〜」
「一千万口座に振り込むわボス」
「一千万なんて安すぎだろ、億スタートだ」
「はー」
「おー、ちょうどいい頃合いで出てきそうだぞ」
「空気の読める先生やねえ、」
簓はそう言うと側に置いた漫画を一冊取った。零もそんな簓を見てフッと笑って、同じく簓の側の一冊を手に取ったのであった。