腕とか組むなよ暑いだろ 家事は半々だと決めたのはドブではなくて小戸川のほうだ。ドブのことを慮ったわけではなくて、単にこれは同居ではなくて間借りをさせているだけなのだと、自分のことは自分でやれと釘をさす意味で決めたのだ。
「小戸川くん、食べた茶碗は水につけておいてよ」
着古してえりのよれた、小戸川のおさがりのTシャツを部屋着にしているドブは、汗でぺったりとはりついた胸元をぐいぐい引っ張って、少しでも扇風機の恩恵を受けようと必死だ。
「ああ、悪い」
小戸川は扇風機の首振りスイッチをオンにして、風量をあげてやる。だぼだぼのハーフパンツから伸びたドブの足が小戸川の顔の真横にきた。ドブはTシャツのすそを上げ、体中に風を目いっぱいにうける。
「小戸川くん、いつも口ばっかりでさあ、毎回俺が片付けてるじゃん」
「……疲れてたんだよ」
「ふーん」
小戸川は言いながら、気まずくなって顔をそらす。今じゃ家事は半々どころかほとんどがドブの担当で、今週小戸川がした家事といえば自分が入ったあとに風呂を洗ったこととドブが出かけた日にカップ麺を作って食べた、そのくらいなのだった。まるで母親に甘えっきりの高校生みたいな生活に慣れて、慣らされて、最近した喧嘩では「俺の金で生活してるんだから、そのくらいしてくれよ」だなんて最低な夫みたいなセリフでドブを怒らせてしまったところだ。
「ねー、昨日の飯うまかった?」
「おいしかったよ」
「小戸川くんがこの間テレビで見て、うまそーっつってたろ?だから作った」
「ふうん……」
「また覚えてないんだ」
「うん、まあ……ごめん」
「いいよ、俺が作りたかっただけだし」
小戸川はころりと寝転がって、床からドブを見上げる。ちょろりと跳ねた後ろ髪が汗で濡れてうなじに張り付いているのを見つけてたらなぜだか目が離せなくなった。
「どこ見てんだよ。小戸川くんのえっち」
「別に。変なとこ見てない」
「えー?どうだかなあ」
ドブも座って、小戸川の腹に手を置いたランニングシャツにトランクス一枚で寝転がる小戸川をオジサンくさいとドブはからかうが、事実小戸川はとっくのとうにオジサンで、もっと言えばドブだって出会った時から立派におじさんなのだ。本人はずっと若いつもりでいたいのだろうけれど。
「あちー」
「やばいな、これ」
「小戸川くーん、やっぱクーラー新しくしようって。もうオンボロすぎてうちのクーラーつけるとむしろ暑いじゃん」
「うーん」
「今は買ったほうが電気代も安くなるんだって、工事代必要ならさあ、俺出すからさあ」
「ええ?」
「きれいな金だよお?小戸川くんとの約束だから、悪いことしてねえよ。な?」
「お前に信用ないんだよ」
「最近は小戸川くんのが嘘つきじゃん。茶碗水につけないし、靴下裏返しだし、約束したのにこの間買い物忘れてきた」
小戸川の腹をぽすぽすと弱く叩きながら、ドブがむくれて見せる。小戸川はそんなドブの様子を四十も半ばの男がしてもかわいくないぞと思いつつも、言わない。ドブも多分分かってやっているのだろう。自分に似合わない駄々のこね方なのも、小戸川がそれを甘受しているのも。
「それに火ィ使うのキチィんだよ。飯作るたびに汗だらっだら」
「わかった。買う。俺が金も出す」
「本当?やった!小戸川くんだいすき!」
「……オッサンからそんなこと言われてもちっとも嬉しくならないな」
「俺は今嬉しいからどうでもいい。なー、じゃあ今日行こうよ」
ドブがTシャツを勢いよく脱ぎ捨てる。汗でびっしょりの頭をかいて「シャワー浴びてくる」とにこにこして見せる。
「一緒に浴びちゃおうぜ。待ってる間にまた汗かいたらやだし」
「俺はいいよ。面倒だし……本当に今日じゃなきゃだめなのかよ」
「炊飯器じゃないんだから、買ってきてすぐ使えるわけじゃねえだろ?だったら早いほうがいいって」
小戸川がしぶしぶ立ち上がろうとするとドブに腕をとられて転びかける。ぽかんと口を開けて座ったままでいると、ドブに両手を上げるよう促される。結局、小戸川は小さな子どものようにバンザイの恰好をして服を脱がされた。
「風呂入って、この間買った服着てさ、クーラー買ったら飯、行こうよ。久しぶりにデートしよ小戸川くん」
「久しぶりも何も、一回もしたことないだろ……」
結局、狭い浴室で二人そろってほとんど水のシャワーを浴びた。ドブはずっと嬉しそうに「何食べようかな。小戸川くん何がいい?」とはしゃいでいる。小戸川は今更「今日はお前が焼きそばを作るっていうから楽しみにしてた」とは言えず、黙っている。あんまりにもドブが嬉しそうにしているものだから。
そもそも日めくりカレンダーによれば今日は水曜日、本当なら小戸川が夕飯の担当で、小戸川もドブだってそれをわかっている。わかって、無視している。なあなあで、ずぶずぶの同居生活。
せめてもと小戸川は洗濯機に放り込むTシャツを表に返した。ドブが干して畳むとき、ひと手間かけなくてすむように。