本とうたた寝の隙間もうそろそろ夕方に差しかかろうという時刻。
私は調べ物をするために本丸の書庫に向かっていた。
書庫には、本丸開設時に政府から支給された書物から、定期的に届く広報資料、本丸の戦績や日誌、私が個人的に集めていた本、刀剣男士たちが購入した書籍や漫画など、様々な書物が集まり、本丸開設から4年過ぎた今では小さな図書館のようになっている。時々赴くと知らない本が置いてあるので、本丸生活のささやかな楽しみとなっていた。
いつも誰かがいるわけではないが、時々本を探しにきたり、置きに来た刀剣男士に遭遇することはある。
今日はだれかいるかな?もし先客がいたら悪いので、驚かせないようにそっと書庫の扉を開けた。
書庫の窓は小さく、明かりをつけないと夕方には暗くなる。もう明かりをつけないとな、と思った時だった。本棚の間に調べ物のために置いてある机と椅子。そこにだれかが突っ伏しているのに気が付いた。
えっ、と声が出そうになったのを飲み込んでまじまじとそのひとを見る。大包平だった。
ゆっくり上下する白いシャツの背中は穏やかで、腕を枕にして寝ている。前髪の奥の伏せられたまつ毛が長くて綺麗だ。
そっと大包平が寝ているのと向かい側に移動して、机の端からその寝顔を見る。大包平の傍らには、読みかけであろう本が開きっぱなしで置かれている。
大包平が寝てるのを初めて見た……。
感動にも近い気持ちになる。大包平は、人前で気が抜けているような態度を見せることがない。私は大包平があくびをしているのだって見たことがなかった。なんというか、隙がないひとなのだ。
それなのに、それなのに……。
本を読みながら眠くなってしまって、眠り込んでしまったのだろうか。大包平にもそういうことがあるんだ、と今まで感じたことのなかった親近感が湧いてしまう。
いつも大包平と話すとき、緊張してうまく顔が見れないのに、彼が寝ているとわかってじっと見てしまう自分はずるい。そう思っても目が離せなかった。
知っていたけど、本当に綺麗だな……。前髪に隠れていてもまつ毛が長いのがわかる。赤い髪の毛も綺麗。ずっとこのまま見ていたい……。
それにしても、眠っているところなんて一番無防備なところを見てもいいんだろうか……とふと気づいてしまい、急に見てはいけないものを見ているような気持ちになって、どきどきしてきた。
もう時間も時間だし、起こした方がいいのかな。でもよく眠っているみたいだし、疲れているのかもしれない。だとしたら起こすのも悪いし……。大包平の寝顔を見ながら頭の中で忙しく考えていると、大包平が身じろぎして、うっすら目を開いた。あ。やば。
そのままの姿勢で、ぼんやりした目を正面の私に向けた。
「……あるじ?」
いつもの凜とした声ではない、気の抜けたような声。こんな声も初めて聞いた。
急に起きてしまったことにびっくりして動けないし答えられないでいると、大包平が今の状況に気が付いたのか、勢いよく上体を起こした。顔にシャツの跡がついている。
「す、すまない、その……すまない」
慌てたように大包平が早口で謝る。珍しく瞳も揺れている。こんなに動揺している大包平も初めて見た。どうしよう、情報量が多すぎる。
「申し訳ない、調べたいことがあって本を読んでいたら、その……」
「……眠くなっちゃったの?」
やっと出た声はすごく小さかったと思う。
「……。」
大包平はやや私から目をそらして、きまり悪そうに微かに頷いた。
「……そうだ。少しだけと思っていたのだが……。情けないところを見せてしまった」
恥ずかしそうに私の方を見てそう言った。
「情けないなんて……。というか、えっと……大包平も居眠りすることあるんだなって、ちょっと嬉しくなっちゃった」
「何故だ?」
「だって、大包平って隙がないなって思ってたから……、ちょっと親近感湧いちゃったっていうか……」
「そうか……」
大包平は、私のその言葉を聞いてほっとしたような顔になった。
「……幻滅されたらどうしようかと思った」
「するわけないよ!む、むしろ……それは私がいつも思ってて……」
「するわけないだろう」
「でも……」
「俺だって、お前がもう少し気を楽にしてくれたらいいと思っているんだぞ」
大包平が照れくさそうに言った。
「ご、ごめんなさい……。大包平がいつもきちんとしているから、私もきちんとしてなきゃって思っちゃって、その、」
びっくりするようなことを言われてびっくりしてしまい、勢いで言わなくていいことを言っている気がするが、わからなくなってきた。
「なら、お互い様だな。俺も主にはだらしないところは見せまいと思っていたんだ。見られてしまったがな」
大包平は苦笑しながら傍らの本を閉じる。
私はむしろ見られてよかったのに……。ん?お互い様って何?真面目だからやはりそういうところを見られるのは恥ずかしかったのだろうか。申し訳ないことをしてしまった。
「ところで、主は何故ここに?」
そうだった。すっかり忘れていた。
「忘れてた……。ちょっと調べ物しに来たの。そしたら大包平が寝てたから、見ちゃって、あっ!!」
今度こそ言わなくていいことを言ってしまった。どうしよう、本当に今更だが、寝顔を勝手に眺めていたなんて。大包平はきっと見られたくなかったのに。
「……そんなに見ていたのか?」
「ご、ご……ごめんなさい」
大包平は驚いたような顔の後、笑った。
「はは、もういい。見られたのが主でよかったのかもしれん。鶯丸に見られていたらつつかれていただろうからな」
「あ〜……。そうかもしれないね」
想像できて、私もつられて笑ってしまった。
*
その後、大包平が目的の本を探すのを手伝ってくれた。ちょうど本棚の一番上の段にあり、ひとりだと取るのが大変だったかもしれないので助かった。
「ありがとう!助かったよ」
書庫を出て、並んで廊下を歩く。遠くで刀剣男士たちの声が聞こえる。
日が長くなってきたとはいえ、もうだいぶ日が傾いていた。
他の男士に会う前に言わなければ……と使命感にも似た気持ちで、私はずっと気になっていたことを口にした。
「あのね、ずっと言いたかったんだけど」
「なんだ?」
「顔にシャツの跡ついてるよ」
「なに?」
大包平はぎょっとしたように顔をごしごし擦った。それは擦っても取れないのに。大慌ての大包平がおかしくなって笑ってしまった。
「笑うな……」
「ごめん、笑ってごめんね……。きっとすぐ取れるよ、大丈夫だよ」
私は大包平を見上げながらそう言った。笑って気が緩んだからか、いつもよりまっすぐ見られる。
廊下を進み、主にみんなで食事をする大広間が近づいて、刀剣男士たちのにぎやかな声が近くなる。もうすぐ夕食時だから集まって来ているのだろう。
目があった大包平は少し目線を泳がせてから息をついた。
「……そのくらい笑ってくれていた方が助かる」
「え?なんて?」
ちょうど大広間から聞こえてきた「今日の夕飯カレーだよ!!」という厨当番の声にかぶってよく聞きとれなかった。
「……なんでもない。さて、カレーを食べに行くか」
「そうだね」
なんて言ってたんだろう。そんなに大事なことではなかったのかな。
なんでもないと言われた手前、聞き返せずに私は大包平と大広間へ向かった。