窮鼠の選択「くそっ、……こんなところで……」
身を折る程の狭い暗闇の中で吐き捨てる。
赤の水薬と緑の水薬のフラスコが左右の手の内にあり、焦りが選択を妨げる。
もう猶予は、そこには無かった。
こんな事になったのは、見栄に慢心と、それと何より功績を焦ったが為だ。
数日前の事だ。
冒険者の集う酒場で僕ら五人は同じ目的で集った。
人間の男の戦士。
鴉獣人の男の剣士。
狼獣人の男の調薬師。
エルフの女の魔術師。
そして僕がネズミ獣人で女のシーフだ。
種族柄背は小さく、腕力もそこまであるわけではない。
胸もないし、口調を女の物に寄せる事もなかった。
この立ち振る舞いは少なからず冒険者募集において多少なりとも有用だという覚えはある。
罠の探知に解錠を技術、それらだけが評価される世界であるなら苦労はなかった。
獣人の性差は大きい。ハイエナの獣人にしても、獅子の獣人にしても。
体格や性格に強く性差が現れるのは周知のものだ。それでも、どちらが優れているなどと決めるにまでは至らない。
至らないものだったが、その認識は部族によっても変わってくる。主に、役割の枠組みが決まっているという意味においては。
感覚的に、この男装の立ち振る舞いは有用である。
人間の男が何気なく、集ったメンバーを見て紅一点と言ったことからもそれは知れたものだ。
何気ない言葉ではあったが、そういう無遠慮な扱いも嫌いだった。
だから言わず、そして女であるとも言わず、追及されることもなかった。
挨拶もそこそこに、ある未踏のダンジョン深部に冒険に行く計画を進めていく。
今回挑むダンジョンは通称『躯音の廻廊』と呼ばれる七階層までは探索されているダンジョンだった。
その第八階層目の隠し扉が見付かった事で、再度の探求が行われる。
危険な未踏のダンジョンの深部へ挑むパーティには、前回の探索において隠し通路を発見した狼獣人も参加していた。
軽い打ち合わせをそこそこに解散したところで、狼獣人の男を捕まえる。
低い位置から外套を掴まれた様子に僅かの驚きの色の混じる表情。一方で尻尾にはそう反応はなく。
「っうぉ!と、何だ、ああ、リテナか。シーフの」
「調薬師のグラウ。話がある」
酷い体格差に彼が屈んで話を聞こうとしてきた。
それを片手で遮り、顎で酒場のカウンター席に促す。
そうして彼が座り、僕は彼の右の椅子に身を跳ねさせて座る。
先程の集まりの間でも脱がなかったフードを脱ぐ。
切り揃えられた赤髪に翡翠の目。小さなネズミの口から短く息をカウンターに吐き出す。
横にいる狼獣人は薄暗い灰色のボサボサ髪をそのままに、緋色の横眼をこちらに向けてくる。
賑やかな夜の酒場のカウンター、その端の方のそう明るい訳ではない席。
離れた暖炉の揺らぎ火が無邪気を映すようなその緋色を微かに煌めかせる。
「どうだい?リテナくん。やっていけそう?」
「リテナでいい。さあね、あまり興味はなかった。お前は前回『躯音の廻廊』で八階層の隠し部屋を見付けたそうじゃないか、グラウ」
「へへ、成程。欲しいのは情報ね」
その灰髪の狼獣人、グラウは口元に笑みを浮かべてエールを注文する。僕は続いてナッツの盛り合わせを。
不満そうに揺れるネズミの尾は座る椅子から床にすら付かない。座っても体格差は酷く大きい。
彼が左上で牙の生え揃う口を僅か開いた。
「俺のパーティにもシーフは居たんだがね」
「そういう話は聞く気はない」
「まあ待てって、そう急ぐ事でもないだろう?」
そう言って彼が語り出したのは、同行した"とある"シーフが突っ走り、その八階層に飛び行って酷い目に遭ったという話であった。
そのシーフはプライドが高く、他の冒険者に知られない為に口封じしており、グラウが偶然発見したものだという事にしたのだと。
「なら第八階層は未踏ではないという事だ。地図を寄こせ」
「おいおいおいリテナくん、そいつはナシだぜ?なんせ、」
「負傷した三流シーフはオコジョ獣人のルラロクスで左手を骨折して治療中、その失態が八階層でヘマをしたからであるとグラウが――」
「――ちょッ!わかったわかった!一瞬で情報を人質に取るんじゃないぜオイ!?ったく、シーフってヤツはこれだから……!」
指で弾いたナッツを、口に放り齧る。
こちらも伊達に情報を多く仕入れていない。
近郊の街においてのダンジョン踏破状況、冒険者の状況や話題は耳に入る方だ。
今回は都合良く点と点が繋がったと言える。口止めされているものを名前を伏せて語ろうと、繋がるものが見出せた。
無言で僕は手を差し出す。
グラウは何度か唸ってから、諦めたように腰のポーチから地図を引き抜いて差し出す。
「写したら返せよチビッコ」
「先程から周りを警戒しているようだけれどこちらを注視してる人はいないよ、三流以下の君には分からないだろうけど」
「ッたく、言うなぁオイ……」
悪態を吐きつつもエールを飲むグラウ。その酔っ払い直降下の過程の戯言を話半分に聞きながら。
淡々と僕はその場で地図を描き写して、さっさと酔っ払いになったグラウのポーチに突っ込んで返し、代金を支払って席を立つ。
代金は勿論グラウのポーチからのものだ。
当日。
僕は第八階層に踏み入ったと同時に駆け出した。
後ろから怒号が響く。エルフの女と人間の声だろう。
未踏のダンジョンの宝物は高額で売れるのは当然として、それが簡単に人生を変える事もある。
その価値は誰もが理解するところにあり、そして財宝は山分けだ。ここに一切の疑問を挟む余地は無い。
尤も、これは正式なギルドとして組んでいるパーティにおいての事だ。
どこにも組していない、流れの冒険者と仲良く配分などする気は元よりなかった。
未踏ダンジョンの危険性は承知の上だ。
前回のシーフは無様な姿を曝し、恐らく仲間、彼は仲間とすら思っていなかった者達に連れられて帰還した。
これ異常に無様なことはないだろう。
僕はそのような失敗はしない。既に描き写した地図の内容は頭に入っている。
それに、ダンジョンの一階層から七階層までの情報は既に仕入れているものだ。
罠の傾向を知り、何が待ち受けているかという内容まで記載されていた地図の情報まで知る。
この機会を逃すものはなかった。
帰り道に心配は無い。高価な壁抜けの札を一枚買い揃えてある。
これは、地図と照らし合わせて先程の入り口を経由せず七階層に戻る事が出来る。
待ち伏せされていようがお構いなし、という事だ。
残りの四人には第八階層までの露払いをしてもらった。それ以上の事はない。
尤も、最後の切り札として地図の事と嘘の情報とを織り交ぜて、仲間が危機に至らないうちに解除したと言えばいい。
服数人いると発動する罠を解除してきたなどとでもでっち上げて帰ってくればいい。
そんなものすら、杞憂であるものだろうけれど。
走る勢いのままに跳躍。
天井に潜んでいたコウモリ型の魔物を斬り伏せる。
反転させたダガーに紫の血液が軌跡を曳いて、着地し前傾姿勢にて踏み込み。
左腰の小型ランタンが闇に揺れて、角を曲がる。
毒の霧の罠が発動し、即座に出所に繋がる仕掛けを破壊し抜ける。
解毒剤の瓶を一気に飲み干し先へ。
幾つかの隠し道、魔物との遭遇を経て一つの小部屋に辿り着く。
その小部屋の真正面には、大きな宝箱があった。
豪華絢爛な金装飾の施されたその宝箱以外には何も見当たらないように見えた。
鼻で笑う。
一歩踏み込むと、目の前を大質量が駆け抜けていった。
それは、部屋の重々しい石壁が真横へと滑るように動いて行った様子であった。
石壁には燐光。魔術の罠であると見て取れる。大きさで言えば大の大人が巻き込まれれば、そのまま壁に潰されるようなもの。
戻りは重々しく、緩慢に。元の位置へ収まっていった。
その間、足元に起動の燐光が淡く浮かび上がっていたのだ。対処は容易。その場所を踏まなければよいのだ。
前回の探索において負傷したシーフ、オコジョ獣人のルラロクスは腕の骨折で済んだが、これは間違いなく押し潰す罠である。
命を辛うじて繋ぐ程度の反射神経はあった、という事か。
「三流」
鼻で笑って歩み進む。
宝箱の前に片膝を着いて、小型ランタンを置く。
ダガーをその豪華絢爛な表層に突き立てる。
"反応"はない。
息を一つ吐き出して、ダガーを仕舞い込み代わりに取り出したスキットルから水を飲んで、置く。
鍵穴を覗き込み目を細める。
「三流トラップに三流の解錠難度、辺鄙なダンジョンではこんなものか」
慣れた手付きで人差し指に引っ掛けるように解錠道具の輪を引き抜き回す。
輪に無数に連なった金属の棒が綺麗な音色を立てて、翡翠の視線が一つを捉え。
一本を掴み、残りを握り込むようにして鍵穴に差し込む。
「一、三、三、八、二、……右、……軽いな」
そう時間を経たせることもしない。
瞬く間に、解錠の音色を響かせた。
「だから三流だって――」
皆まで言い切らなかった。
目の前に、巨大な牙と舌、口腔の闇。
施錠されていたミミック。
そう理解したと同時に、闇の中に取り込まれた。
失敗した。
否だ、取り返せる失敗だ。
そもそも失敗にすら含まれない。
取り込まれた瞬間にダガーに手を伸ばし、その舌を斬り飛ばした。
深々と突き立てて、真横に引き裂いたのだ。
そうしなければ何度も繰り返し強靭な牙で噛み付かれて無残な死体としてここに残る事となっていただろう。
今は、魔物としてのミミックは殺した。
この内部もただの木箱になっている。
「っ、っ、っ……!」
片手を宝箱の天井、上蓋へと当てて持ち上げようにも動かなかった。
動かないのだ。全く。
「チッ……」
舌打ちを零す。ただの宝箱となっているのなら解錠の手順を普通に踏むのみだ。
なんとか肩で蓋を押し上げて僅かな隙間を空けようとする。
ほんの僅かの光が差し込んだ。外に置いたままのランタンの光だ。
蓋の裏側を探り見る。どうやらこちらに鍵穴は見当たらない。
考えるが、表からの解錠はどう足掻いても出来ない。
蓋の裏側は丁度鍵の位置が金属板と釘で留められていた。
ダガーを差し込めば金属板を剥がせるか。思案し、側面から差し込もうとするが隙間が全くない。
金属板が木箱に作られた窪みに確り嵌っており、簡単な造りではない事を知る。
「クソッ……!」
肩に力を込めて蓋に隙間を作り続けるのも辛くなってきたために肩を裏蓋から離し、暗闇に包まれる。
息を深く吐き出す。
方法はあるはずだ。蓋と本体との接続点を解体出来れば抜け出せるのだ。
それが、解錠とは全く別の分野である事は承知ではあるが、宝箱の金具や蝶番の仕組みは知っている。
「そも、……」
そも、だ。ミミックとの邂逅は初めてのものであった。その狭い宝箱の中で潜思する。
弱点の肉、舌を切り裂いて即座に対処できたのは文献や遭遇報告書をよく見ていたからに他ならない。
それのみならず、情報は仕入れていた。
それでも、実際に遭遇する確率の考えが甘かったのはあるし、解錠訓練を積む事が出来ない対象であったことは事実だ。
ピッキングツールは手元にある。ダガーも。
腰のポーチは牙にでも引っ掛けたか、腰には無かった。
足に何か触れる。木板に転がる硬質な音。
切り裂いて残った舌の残骸が触れて粘着質な音を立てた。粘液を側面の木箱の裏で拭いて、音の方に手を伸ばす。
触れたのはフラスコのようなものが二つ。ダガーを仕舞ってから二つを取る。
それぞれ、液体が入っている。
再度肩で裏蓋を押し上げて、光を差し込ませて見る。
霞んだような視界に、赤と緑の液体が見える。それぞれ針金で括り付けられたタグが見える。文字が滲んで見える。
一つ、赤い液体はラグラドルの地水。
もう一つ、緑の液体はレクラニアの樹水。
前者は瞬間的に怪力を生み出すものだ。代わりに反動で一時的に知性を下げる効果があるものだ。脳筋バカが更にバカになる事を前提に飲むバカ薬だ。
後者は希少な水薬であり様々な毒に対する解毒効果は絶大なものであるが、軽微な不調を齎すと聞く希少品だ。十分な売却価値が見込める。
他には、と閉じ込められ息苦しさを感じる狭い宝箱の中身を、肩で押し上げ続けている蓋の隙間からの僅かな光で探る。
背に当たる感覚に手を伸ばして引き抜けば、霞む視界に白銀に輝く器。精緻な銀装飾の輝き。目を擦り、凝視する。
つるぎの銀聖杯。
その装飾紋様から判別するに、水を注げば剣士に更なる力を捧げる聖水へと変わるものだ。
相当に高価な品だ。この第八階層が為に見付かった、迷宮『躯音の廻廊』の中でも最上に価値がある秘宝だろう。
あの同行していた狼獣人の剣士、グラウなら使う事も出来るかもしれない。支払える資金を持っているかは、分からないが。
それにしても先程から目は霞む、それに息苦しさもある。
嫌な予感がする。
右手に痺れを感じて、水薬を置いて視線を向ける。
「?……ッ、……!」
先程のミミックの舌の残骸に触れた際に付着した粘液。
その箇所から痺れを感じる。
そして息苦しさは狭さの為に感じるものではないのだと。
視界の霞みもまた、同じく。
これは、毒だ。
痺れと息苦しさ、視界不良を齎す毒が充満している。
これは愚かにも宝箱を開けようとし捕食された冒険者を動けなくさせるものだ。
「まずい、……!」
解毒剤は今手元にはないポーチの中だ。
腰に付けていたものであったが。やはり無い。
取り込まれた際に落とした可能性がある。簡単には落ちないものだが、やはりミミックの牙に引っ掛けた可能性は否めない。
頭を使え。考えろ。
現状として策はある。
このフラスコ内の水薬を飲み干して対応する必要があるという事だ。
選択肢はふたつ。
ひとつ。
赤のフラスコの水薬、ラグラドルの地水を飲む事。
これで宝箱を無理矢理開くか、金具・蝶番を破壊する。
上手くいけば即座に出られる。そして外の解毒薬を飲んで、つるぎの銀聖杯とレクラニアの樹水をいただく。
懸念は、もし上手くいかなかった場合だ。毒が回る程に危険だ。
それに、ラグラドルの地水は副作用として効果が切れた際に知性を落とす。
効果が切れる前に問題無く脱出できればいいが、そうではない場合高価で売却価値のあるレクラニアの樹水を結局飲む必要がある。
飲むという選択を選ぶほどの知性は残っている事を願いたいが、その度合いまでは調べが足りない。
レクラニアの樹水の副作用も気になるが、これは軽微と聞いているが為に問題は無いだろう。
ただ、ラグラドルの地水の怪力で抜け出せなければ、もう抜け出せないという事だ。
仲間、として同行してきた彼らに救助される他ない。
最も無様なシーフの失態を晒す事になる。
肝は、いかに早く脱出できるかだ。レクラニアの樹水も消費せず済むかもしれない。
リスクは、脱出できなかった場合毒の影響が大きく響くかもしれないという事だ。
ラグラドルの地水は新陳代謝も上げる。毒の回りが早くなるという事だ。
ふたつ。
緑のフラスコの水薬、レクラニアの樹水を飲む事。
軽微な副作用はこの際無視する。重大な損失はこの水薬の売却価値だ。
毒の状況を先ず改善させた後に対応を考える。
対応を考えるというのは、ラグラドルの地水を飲んで半ば力任せに脱出するのみではないという事だ。
この水薬は例によってこの僕の知性を低下させる。
その前に脱出、解錠の手段を見出す事も出来るかもしれない。
尤も、時間的な猶予が無いが為にラグラドルの地水の筋力に頼る、という手段の選択肢はある。
それでも元が非力なシーフであるという事は避け得ない事実だ。
じっくり解錠する手段を考えあぐねる時間を確保しようとも、さほど猶予はないのだ。
だが、冷静に物事を見極める事は大事だ。
ラグラドルの地水を先に飲んだ場合、早い脱出は叶うかもしれない。それでも脱出後にも知性低下の懸念は残る。冷静さは欠かせない。
外のポーチに解毒剤があるにもかかわらず、高価値の解毒剤を飲んだ後簡単に脱出できてしまった場合が痛いが。
肝は、毒の対策を真っ先に行い冷静に対処する事だ。毒の影響下の長時間居るのは危険だ。
代償に、高価なレクラニアの樹水を消費するのは確実だ。
「くそっ、……こんなところで……」
身を折る程の狭い暗闇の中で吐き捨てる。
赤の水薬と緑の水薬のフラスコが左右の手の内にあり、焦りが選択を妨げる。
もう猶予は、そこには無かった。
→赤の水薬、ラグラドルの地水を先に飲む
→緑の水薬、レクラニアの樹水を先に飲む