五月七日 拘束部屋にて 夏油傑は憔悴しきった様子で拘束部屋の呪符を見つめていた。
何枚もの呪符が身体に貼り付けられ、両手は後ろで束ねられ身動きがとれないようにされている。特に掌には幾重にも呪符が貼り付いている。
『傑〜♪調子はどうだい?』
いつから居たのか、背後から五条悟が現れた。
『…』
『傑ぅ〜、黙ってちゃわかんないよ?』
『…』
『ヨーヨーHey Yoマイメンすぐる〜♪わっさぷまいめんラブリーすぐる〜♪』
『…』
『チッ…無視かよ傑』
五条はわざとらしくハァと深く溜息をついて肩をすくめた。
暫く沈黙が続いた後、夏油はずっと閉ざしていた口を開いた。
『…ナンデ私ハココニイル…?』
夏油は極度の疲労で呂律の回らない状態のまま何故拘束されているのかを尋ねた。
『ブフォッwwちょ何だよ傑その喋り方ww』
開口一番カタコトの夏油に五条は思わず吹いてしまった。
『…』
目覚めた時既に夏油はこの状態だったし記憶に関しても昨日の一切を思い出せていない。
念のため自分の誕生日、両親の名前、背後にいる声の主の名前を思い出したところすぐに頭に浮かんだので思い出せないのはどうやら直近の記憶だけのようだ。
一時的に記憶を失っているだけだろうか?
落ち着け私、冷静に考えるんだ。
一つ一つ整理していけば…。
『ここがどこかはわかるかい、傑?』
『呪術高専。ついでにここは拘束部屋だろ』
答え終わると鋭い痛みがこめかみに走った。聞き馴染みのある五文字が脳裏をよぎったが、まずは状況の整理だ。
今日の日付は…五月七日…だよな?
じゃあ昨日は六日…
そうだそうだ、昨日まで出張だったんだ。
『そうそう、わりと長期のね』
悟のこちらの考えを見透かすような言い振りは今に始まったことではないので夏油は特に驚きはしなかった。
それよりも夏油は心を落ち着かせて一つ一つ丁寧に記憶を紐解いていくことにした。
★
六日の記憶。
除霊はスケジュール通り終わらせて新幹線の時間までは駅前の定食屋入った、と。
食事は…あぁ、肉野菜炒めだな。
会計で席を立ったら…
『ハァァァ‼︎』
何かを思い出したようにぱぁぁっと夏油の表情が明るく輝く。
『っぁぁー悟ぅぅ‼︎思い出したよぉー‼︎店のテレビでなぜかぁっ‼︎ミス○ーワトさんの試合がぁぁっ‼︎やってたんだよぉぉ‼︎2月の興行のぉ‼︎きた○ーるの‼︎』
ひゃ〜と顔を紅潮させた夏油はさながら乙女のようだ。それもそのはず、本当であれば五条と夏油二人で観に行くはずだった興行だったからだ。
『傑…可愛…じゃなくて、今どうしてここにいるのか、それを考えてよ…』
身体を拘束されてることと五条の態度から察するに、夏油は本当にとんでもないことをしでかしてしまったに違いない。
あの興行のハイライトが画面越しではあるものの目前で繰り広げられて私は再び席についたんだよな。結局最後まで観て…
『あ、私どうやってここに帰ってきた?』
すると五条は俯いて肩を小刻みに小さく揺らしながら笑った。
『…フォッフォッフォッ。そうです、どうやってここまで帰ってきたか、が肝なんです』
五条はいつもより声をワントーン低くし己の持つ最大限ダンディな声でそう言い放った。
夏油はギョっとして五条を見つめた。
驚いたのは五条の話した内容ではなく奇妙な話し方の方だ。何とも気色悪い話し方。
『ちょ、なんだよその不敵な笑みと話し方は。らしくないしキモいよ。てか本当に記憶がないんだよ…再確認だけど、ここに拘束されてるってことは私確実になにかやらかしたんだよね…?』
『…フォッフォッフォッ。傑どん、自分の胸に手を当ててよぉく考えてごらんなさい、なにをやらかしたのか』
『や、拘束されてるから手当てられないしその話し方キモいからまじでやめて傑どんもやだ』
『いやこれ傑と前に見たテレビのネタだよ覚えてないの』
『いやいやそうゆうのじゃないでしょ今』
夏油は頭を項垂れてうーんと考え込んだ。
ちょうどその時静寂を破るように悟の携帯が鳴る音がした。3コール待ってもまだ鳴り止まない。
『ま、とりあえず考えてみてよ。ちょっち失礼』
悟は通話ボタンを押して相手の会話に黙って耳を傾けた。
呪術規定、夏油傑、私の名前、剥奪…
通話相手が話すこれらの言葉は意識が遠のく夏油にも聞こえた。
そして暫くの沈黙が続いた後、悟は口を開いた。
『…ククッ…もしそうなれば私が夏油側に付くことも忘れないでくださいね…』
そう言って電話を切る五条の口元はニヤついていた。
★
夏油は寝落ちしていた。
首がカクンと落ちてやっと目が覚めた。
こんな状況なのに私は随分と呑気に寝オチしていたものだな、それより…
夏油の頭の中で何かが火花を散らした。
思い出したのだ。どうやって高専まで帰ってきたのかを。
『Noooooooo‼︎‼︎』
傑は全身の毛が逆立ち、毛穴からは汗が噴き出た。もうだめだと悟った。
『フフフフッ、やっと思い出したんだね傑』
傾げた頭を壁に預けた姿勢で五条が言った。
『悟…私わかったよ。全部思い出してしまったよ。自分が情けない。わたしは…術師失格だよ』
『…』
五条は今までの夏油からは見当も付かない位の落ち込み様にどうしても笑ってしまいそうになる。
『フッ…私はあの日帳も下ろさず呪霊でここまで帰ってきたんだよ…恐らく窓からの通報があったのだろうね…とんでもないことをやってしまったよ悟、どうしよう…終わりだ…』
『…』
『悟、何か言ってよ…最後ぐらい…』
『…』
『呪いのアレを…』
『ちょ、それまじでやめて俺のトラウマ』
ついに夏油は涙をぽろぽろ流しながら項垂れてしまった。
(俺の傑が…男泣きッッ‼︎もももも萌えすぐるぅーー)
その時だった。
夏油は何かの気配を感じた。
♪…チャ…チャ…ンチャ
だんだんこちらに近づいてくる音の正体に耳を立てた。
(ん、お祭りかな)
音がどんどん近づいてくる。
♪…チャ…ンチャ…ズンチャ…ズンチャ…
『悟、なんか音楽が鳴ってるよ。近づいてくる…これは一体…』
バァァァァン
ドアが音を立てて開くと同時に音の主たちは一斉に歌い始めた。
♪そ〜んなことなどモーマンタイ〜
(ズンチャズチャ)
♪ハロウィン奇行にゃ及ばない〜
(ズンチャズチャ)
♪傑がしたことお咎めな〜し
(ズンチャズチャ)
♪五条家総出で揉み消しyo〜
(ズンチャ)
けたたましく鳴り響くシンバル。
拘束部屋からだと逆光で顔までは確認出来ないが、ヒラヒラとテープを波打たせながら行進する人々が見える。
五条は何故か彼等の横でクラブステップを踏んでいる。
え、何これなんとかモブですか悟どうゆうことこれ何なのハロウィン奇行てなになに何の話
つか五条家そんなことで出していいの叱られないの五条家の無駄遣いだよねそれ
てかてかツッコミどころがありすぎるんですけど何情報が完結しないです
っはッッ‼︎まままさか情報が完結しないのはここが悟の領域の内側ってことなの
えーもう何わかんない、これは夢なの?そうなの悟いつまで踊ってんの
夏油は意識が遠のいた。
★
『ぉぃッ…ぐるっ!傑っ!大丈夫か?!』
目を開けると心配そうに見下ろす悟越しにクロス張りの折り上げ天井が見えた。折り上げの中央にダウンライトが二つ。あぁ、ここは私たちの寝室だ。
(…あれは夢か)
Tシャツは汗でぐっしょり濡れている。
『傑お前うなされてたぞ?ほら水飲めよ』
『あ、あぁ…すまない。ありがとう悟』
夏油は前髪をかき上げてトイレに立った。
時計は2時を指している。
とてもカオスな夢だった。繁忙期の激務で疲れが溜まってるんだろう。
諸説あるが、夢というのは現実での記憶や実体験などの様々な情報を整理するために見るのだと以前本で読んだことがある。
(だとしたら妙な既視感も納得がいくわけか…)
夏油はベッドへ戻り五条の方を向いた。
『ありがとう、悟』
『ん?水のことか?気にすんな、それより…』
五条はイタズラな目をしながら手を前に出した。
『さいしょはグー、じゃんげん…』
五条がパーで夏油はグーを出した。
『フッ、私の負けだね。仕方ないなぁ』
そう言いつつもまんざらでない夏油を見て五条はフハハと笑いながら頭を上げた。
『傑は寝相悪いからこれも最初だけなんだよなぁ』
まぁまぁ来なさんせと夏油は五条の頭の下に腕を置く。
『おやすみ傑、いい夢をね』
『おやすみ悟、キミもいい夢を』
明日は久々の共同任務だ。