ベッドから抜け出し床に落ちたシャツを拾おうとして、ふと思い出したことがある。賢者の世界での、恋人にしてほしいことの話だ。確か、”かれしゃつ”と言っただろうか。恋人のシャツを借りて着て見せてくれるのがいいのだと、そんな話だった。
手の中の濃い紫色のシャツを見つめて、少し考える。これを着れば、たぶん”かれしゃつ”というやつになるんだろう。どうしようかと思ったのは一瞬で、結局好奇心に負けてシャツに腕を通した。
「うーん、いつも着てるのとあまり変わらないな」
正確に言えば少し大きいのだが、ほとんど誤差の範囲だろう。考えてみれば、シャツの持ち主であるブラッドリーとはあまり体格が変わらないのだから当然と言えば当然だ。
しかしこれでは”かれしゃつ”にはならなさそうだ。賢者が言うには、だぼっとしたのがかわいいらしいので。
このシャツをだぼっとさせるには、シャツ本体を大きくするか、カイン自身が小さくなるかだろう。前者はさすがに人の持ち物には出来ないので、必然的にとれる手段は後者だけだ。子供になるのは少し違うだろうし、大人のままで小さく、と考えて、そうだと指を立てた。
「《グラディアス・プロセーラ》」
体がほのかに光を帯び、すぐに消えていく。体に触れて状態を確認して、変身魔法が成功したのに小さく歓声を上げた。
ぐっと握る拳はいつもより二回りほど小さく細かった。シャツの袖口からは指先しか見えていない。下を見れば、柔らかく丸みを帯びた太腿のほとんどをシャツが覆っている。
その様子は、以前リケに上着を貸してやった時のことを思い出させた。なるほど、確かにこれはかわいいかもしれないと頷く。
鏡でも見てみたいとクローゼットの方に向かおうとしたところで、後ろから伸びてきた手につかまえられてしまった。見上げれば、ワインレッドの瞳が呆れたようにこちらを見ている。
「何やってんだ、てめえは」
「賢者様が言ってた”かれしゃつ”ってやつなんだ」
うまくできてるだろ、と笑えば、ブラッドリーの視線がシャツのあたりに落ちた。へえ、呟いたかと思うと、そのまま担ぎ上げられる。それに声を上げる暇もなくベッドの上に落とされた。
のしかかってくる男の指が太腿を撫でて、はっと我に返って腕を掴む。
「何してるんだ?!」
「誘われてやってんだよ」
「誘ってないぞ?!」
太腿をなぞっていた指がするすると上に滑って、腰骨を軽く叩く。そこにあるべき下着がないことにようやく気付いた。
「これで?」
咄嗟に否定の言葉が出なかった。楽しそうに弧を描く瞳の奥には、隠す気もない色がちらついている。指先が脇腹を撫でた。
今日は予定がと言いかけた唇は、キスで封じられてしまった。