見通しが甘かったと言うよりほか無かった。疲れ切った体とずぶ濡れのブーツを引きずって、カインはようやくロッカールームの扉を開いた。いつもは意識しない空調のありがたさをしみじみと噛みしめる。体が冷え切っていた。
昨夜はフォルモーントシティでは珍しい大雪だった。夕方ごろから降り出した雪は今朝まで降り続き、街を立派な雪景色に染めていた。
カインがシティポリスとなってからは初めての大雪で、子供の頃からの記憶を思い起こしても五本の指に入るほどの積雪量だ。窓を開けて外を見た時、思わずはしゃいだ気持ちになってしまったのは否めない。勿論、それによって引き起こされる事故などを考えると喜んでばかりはいられないことはわかってはいるのだが。ほんのり浮かれた気分は家を出る瞬間にもおさまってはくれず、徒歩で出勤する羽目になったことを少し喜んでしまったぐらいだった。
その結果がこれである。
ロッカールームに置かれたベンチに腰を下ろし、濡れたブーツを脱ぎ捨てる。撥水加工は雪の前には無力でしかなかった。靴下は足首まで色が変わっていて、びしょびしょの感触が気持ち悪い。
カインの部屋は家賃相応の立地で、署までは歩けば一時間はかかる。いつもはそれに何を思うでもなかったのだが、こうして雪道を歩いて来てみると距離の遠さを恨むしかなかった。ため息を吐いて靴下を脱ぐ。水分に纏わりつかれた素足が空気に触れてひやりとする。
予備の靴下はあっただろうかと考えていると、ロッカールームの扉が開いて見慣れた顔がのぞいた。
「あ?何だ、早えじゃねえか」
いつも通りに制服を着こんだブラッドリーが片眉を上げる。雪が、とカインが答える前に、濡れたブーツと靴下に目を止めたブラッドリーが、ああそうかと笑い出した。
「てめえのオンボロアパートは遠いもんなあ」
ご苦労なこった、と心底楽しそうに言って、カインの前にしゃがみこむ。ぬるい体温が爪先を覆った。
「あーあ。随分冷えちまってんな」
爪先に触れた指先が、甲を伝って足首に触れる。踝を撫でられてはっと我に返った。汚い、と足を引こうとして、それより早く踵を掴まれる。ブラッドリーの顔が足元に近付き、冷たい甲に唇が触れた。恭しいその仕草がやけに恥ずかしくて頬が熱くなる。
「あったまっただろ」
楽しそうなその声は、完全にカインをからかっている。いつも通りのその顔に、いつもよりもむかっとしてしまう。疲れているせいもあるかもしれない。普段なら文句を言うだけで済ませるところだが、今日はやり返したくなってしまった。
踵を掴むブラッドリーの手首に、爪先を伝わせる。血管を探るようにゆっくりと肘まで辿って、捲られた上着の袖の隙間に親指を押し込んだ。冷えた指先がじんわりと温かくなる。逆にブラッドリーはひどく冷たいだろう。
どうだ、と顔を上げれば、楽しそうに細くなった目とぶつかってぎくりとする。
「そんなにあっためて欲しかったのかよ」
「いや、違う!ちょっと、その、……す、滑っただけだ!」
慌てて言い訳にもならないような言葉を口にするが、逃げることは叶わなかった。再び踵をつかまえられて反対の手が足首に触れる。スラックスの上からふくらはぎをなぞった指先が太腿に辿り着き、くすぐるように内側を撫でた。ベッドの中でよくされる仕草に息を飲む。仕事前に思い出すべきじゃない記憶が浮かび上がりそうになって、慌てて首を振った。楽し気に動く指を振り払う。
何だよ、とブラッドリーが顔を覗き込んでくる。
「手が滑っただけなのに、ひでえことすんな」
白々しい言葉はお互い様だ。先に仕掛けたのはカインなので文句も言えない。肩を落とせば、笑い声と一緒にぐしゃぐしゃに髪を乱された。