「んぐっ!?」
夕方、リビングでいつもの口喧嘩の最中に突然交わされた口付け。
それはファルガーの思考を一時的にでも止めるのに十分で、脳を支配するいやらしい音に思考が緩やかにマヒしていく。
「ん……は、ぁ♡」
「ふは、いい子だから機嫌をなおせよファル?」
ヴォックスにされるがまま、ファルガーの手はヴォックスの服の裾をつかむ。もっと、とキスをねだろうとした時、残った理性が叫んだ。
……まて、俺はまた流されそうになってないか?キスで黙らせる、というヴォックスの
策にまたはまるのか?!
「このっ……いい加減にしろ糞兄貴!」
全身全霊で兄を押しのけ、そのまま自室に駆け込む。跳ね上がったままの心臓を無視して、そのままベッドにもぐりこんだ。
◇◇
いつも黙らせる時の最終手段として接吻は有効だったが、昨日ばかりはそれも違ったらしい。
不機嫌なまま家を出た弟に思いをはせる。はたして今日は帰って来るのか、あいつの最長家出記録はたしか二ヶ月だったが。
流石にあんな大喧嘩はヴォックスももうこりごりだ。
……仕方ない。確かに今回の非は俺にある。
ファルガーが勢いのままに閉じた玄関の音を思い出しながら、弟の好物を今夜の夕食に並べる準備にヴォックスは取り掛かった。
◇◇
「はあ……なんで俺はいつも」
すっかり遅くなってしまった帰りだが、足取りは重い。
今日は皮肉の一言も言わずに家を出てきてしまった為少々気まずいのだ。
(頼むから糞兄貴はもう寝ててくれ……)
そう願ってドアを開けるも、
「おや、朝に挨拶の一つもくれなかった愛しの弟じゃあないか」
お帰り、と言葉を発するのは気味が悪いほどの笑顔を貼り付けた兄。
思わず舌打ちが漏れる。
「なんだ? いっておくが、俺は謝らないからな。いい加減に」
「ああ、確かに今回は俺が悪かったな」
「は?」
は?
何が起こった?あのヴォックスが俺に謝るだと?
「……ついに俺の兄は当番制、というものを理解してくれたのか。それは喜ばしいな。洗濯当番を忘れることがどれだけ大罪かじじいの頭でやっとわかったのか?」
「……」
おかしい。いつものように返答が返ってこない。無言の兄ほど不気味なものはないのに。
「お、おいヴォクシー……?」
すると突然、ヴォックスはきゅる、と瞳を潤わせ、
「今日はお前の好物を用意したんだ。だからどうか機嫌を直してくれないか……?」
とのたまった。
なんだそれは。眩暈がする。本当に怖い。しおらしいヴォックスなんて死んでも見れないものだと思っていたのに。
「わ、わかった……わかったからその薄気味悪い態度をやめろ。今すぐ!」
◇◇
真夜中のリビングで、なんだかんだ敵わない兄を見つめる。
急に下手に出られて俺が動揺するのもこいつの計算の内、手のひらの上なのだろう。
「ほら、お前の愛しい兄からの仲直りのキスだ」
「……その嫌に自信に溢れた態度が気に食わないんだよ」
「そこが好きなくせに」
窓から入り込む夜の春風に吹かれながら交わしたキスは、昨日のものよりずっと穏やかで、くすぐったくなるようなキスだった。