付喪神の恋「貴様、まさか、このオレに敵うとでも思っているのか。逆らっても無駄だ、やめておけ。オレは貴様をどうにでもできる。意のままにな。貴様はこのままでは後がない。本気でオレを怒らせる前に進退を決めた方がいいな」
ロン・ベルクは至極真剣な表情で、膝を付き合わせて目の前の相手を説き伏せている。表情からしてよほど赦せないらしい。相手はテーブルについて、微動だにせずロンの言葉を聴いているようだ。
「……そうか、どうしても認めないというわけか。だとしたらオレは貴様を棄てざるを得ない。この結果は貴様の逆運の証だ」
ロンは目の前の相手に冷たい視線を送った。ロンの目の前、テーブルの上にはノヴァの護身用のナイフが鎮座していた。
そう、ロンがナイフ相手に真剣に説教をしているのだった。
ノヴァの哀しみを受け止めたあの夜以来、ロンは夜中にうなされているノヴァに気づいた。苦しそうなうめき声が聴こえたかと思うと、悲鳴をあげて飛び起きている。その姿を横目で見るたびに、どうしたものかと考えあぐねている。
はじめのうちはノヴァの故郷の記憶が彼に悪夢を見せているのだと思った。しかし、次第に思い違いだと考えるようになった。
ノヴァが飛び起きて苦しさを紛らわすために流しや外へ姿を消すと、それを追いかけるような、不気味な視線を感じるようになったのだ。
圧倒的な何かが、ノヴァの姿が消えた方向へ念を送っているように感じるのだ。
ロンは何度目かの違和感の後、静かに眼を凝らして部屋の中の異常を探した。
いつも通りの居住区、いつも通りの吊りベッド、いつも通りの弟子の寝具、いつも通りのテーブル。
今は使えない自分のナマクラ刀、腿に着けるクウィス、ノヴァの新品の剣に、護身用の……。
装備品を立て掛けておく場所から異様な波動を感じる。そっとそちらへ眼をやると、地鳴りのような微かな振動が伝わってきた。
(あいつのナイフか……)
はっきりと見ようとするとまるで見えない。ナイフからやや視線を外すと、どす黒い何かが、うねうねと四方八方に藻のような不気味な何かを伸ばしているのが見えた。
ノヴァが流しから戻ってくる。水でも飲んだのか、小さなため息をついている。ノヴァの姿が見えた途端、あの異様な地鳴りが消えた。むしろ周囲に花でも咲きそうな勢いで明るい念が生じている。
(なんだ?こいつを見てナイフが喜んでいるのか?)
ノヴァが静かに寝具の中に入る。しばらくして寝返りを打った後、静かな寝息を立てだした。すると、ナイフの方からいじけたような雰囲気が漂い、そのうち妙な地鳴りが再開した。そのとたん、再びノヴァがうなされはじめた。
(なんだ、これは)
あまりに珍妙な出来事に、さしものロンも困ったような表情をした。
この珍妙な夜が続いているせいで、ノヴァはかなりの寝不足だった。朝食が終わると、すでに眠そうな顔をしている。図面を広げて未来の工房を設計している間も、かくん、と舟を漕いでしまう。ハッと目を開けて、まことに申し訳ない、という顔で師に謝るのもしばしばだ。
寝不足はノヴァのせいではないので、ロンも叱るに叱れない。こんなことがいつまでも続いて良いわけがない。ロンはナイフの出方をうかがう事に決めた。
夕食が終わり、食後の歓談を楽しんだのちに洗面を済ませると、ノヴァが携帯寝具に横になった。いつまでもこんな地面に寝かせておくわけにもいかぬから、早く改築と増築をしたいのだが、この調子で全く進んでいない。
しばらくするとノヴァが寝息を立てはじめた。ここのところほとんど眠れていないのだ。目を閉じたらすぐに眠りの世界だろう。
そうこうするうちに、果たして悪夢の時間が始まった。
「おい、坊や……おい、起きろ……坊や」
「ン……?」
「お前、うなされていたぞ。悪い夢でも見てるのか?」
ノヴァがもぞもぞと上半身を起こしてため息をつく。ロンも同じように身体を起こしてベッドに腰かける。
「いつもの、故郷の夢です……最近、ちょっと内容がひどくて……」
「どんなだ?」
「ボクがあのナイフで次々にひとを殺めていくんです。もう、相手は敵なんだか味方なんだか、それすらも分からなくて……」
固唾を飲み込んで、ノヴァが沈痛な面持ちになる。上下する白い喉を見つめてロンは無言で話を促す。
「ボクの手はもう血だらけで……恐ろしいのになぜか心は高揚していて、次の獲物を探して駆け出すんです」
目を擦りながら俯いて答える。目の下には濃い隈ができている。体力も精神力も限界が近いに違いない。
「来い」
「え?」
「こっちへ来い」
ロンは視線で自分のベッドの横を示した。一拍置いたのち、ノヴァが立ち上がり遠慮気味にロンの横に腰を下ろした。ふらふらの身体と頭で、まともにものを考えていない虚ろな表情だ。痛む腕をようよう上げて、ロンは包み込むようにノヴァの肩を抱いた。
「……先生?」
ノヴァは少しぼんやりとした面でロンを見上げた。次第に思考がはっきりとしてきたようで、大きな瞳をしばたくと、白い肌がゆっくりと色づいてくる。
「静かに……」
ロンはナイフの様子をうかがう。そのうち、とんでもない殺気がロンに向かって放たれた。
(すごい殺気だ。オレを殺しかねない勢いだな)
視線を外さなくとも、どす黒い殺気がロンに向かって腕を伸ばしているのが見えた。
「すごいな……」
思わずロンが感想を口にする。
「えっ……そんなに……ドキドキ……して、ます……か?」
「その表現でいいのかは分からんが、とにかくすごいエネルギーだ」
「そっ、そんなに!?あの、ボク、ボク……」
ノヴァが熱いため息をつき、トロンとした表情でロンの胸にもたれかかる。ロンの胸は寝不足の頭と身体に、とてつもなく温もって気持ちが良い。ロンの長い鬢が頬をくすぐるので、ノヴァは思わずキュッと唇を結ぶと片目を閉じた。
ロンはナイフの殺気からノヴァを護るように眉をひそめ、眼光鋭くいなしている。お互いの表情が見えないのは幸運なのか不幸なのか。
「あ、あの……せん、せい……」
「しっ、静かに……もう少し、このままで……」
「は……は、ぃ……」
消え入りそうな声でノヴァが応える。ノヴァもロンの胴に腕を回して、ギュッと抱きしめた。
「うん?どうした?怖いのか?」
「いっ、いえ!そんなんじゃ……怖いというより、意外と優しい……と思います」
「……?けっこう、ヒドいぞ……」
「そんなこと……ありませんよ……」
ノヴァはそのままロンの胸に顔を埋める。なんだか会話が噛み合っていない気もしたが、ロンはナイフに集中することにした。
「先生……ボク、なんだかとっても眠いです……このまま眠ってもいいですか?」
「あ?ああ」
ロンがナイフから視線を外さずに答える。ノヴァが更に身体を押し付けてくる。すると、ナイフからこの世の終わりかというくらいの悲嘆に暮れた念が漂ってきた。
(やはりあのナイフ、意思がある。しかもどうやら坊やに岡惚れしているようだな)
己の胸の中で、すやすやと寝息を立てだしたノヴァの肩を抱きながら、ロンはナイフに鋭い眼光を飛ばした。
翌朝、吊りベッドで目覚めたノヴァは赤くなるやら青くなるやら目まぐるしい勢いで師に陳謝して朝餉の支度に取りかかった。温かいノヴァを抱えているうちに、ロンも眠気が差してきて、そのまま吊りベッドで共寝をしてしまったのだった。
朝餉を終えると、久々に熟睡したノヴァは、ランカークスまで買い物に出かけると短く伝え、身仕度もそこそこに工房を飛び出していった。耳まで紅くなっていたのは言うまでもない。
「慌ただしい奴め」
ロンは苦笑すると、件のナイフをようようテーブルに運び、自らは対面するように真正面の椅子へと腰を下ろした。
どこかの地方に、付喪神という伝承があったのを、ロンは思い出していた。道具やモノが年経ると、魂を宿して意思を持つようになるという。このナイフもそういった類いの奇妙な生命体なのだろうか。
様式や鋼のハリからいって創られてから百年程度だろうか。
説教してやろうと思った。
ノヴァがランカークスから戻ると、テーブルの上に護身用のナイフが置いてあるのを見つけた。誰が運んだのだろうと師に尋ねると、答えの代わりに質問が投げかけられた。
「お前、このナイフをどこで手に入れたんだ?」
「どこって……リンガイアの生き残りを探している時に……」
「どこだ?」
「そこらじゅうの建物が壊れて辺りの様子が変わってしまっていたので定かではないのですが……教会の跡だったと思います」
「教会?」
「はい。価値ある聖遺物が同じ場所でたくさん壊れていたので、たぶん。リンガイアの神話や言い伝えに出てくる聖遺物が納められていた場所だったんだと思います。歴史的に価値のある品々……レリーフや壺や絵画や鎧……いろんなものが壊れて、焼けていました」
「それで?」
「故郷を踏みにじられたような気がして、凄く悔しかった。よく見ると、残骸の中にあのナイフが落ちていました。無事だったのはあのナイフくらいで……何かの縁かと思って護身用のナイフにしたんです」
「なるほどな」
惨劇の中から救いだしてくれた一筋の碧い光。
(まぁ、気持ちは解る)
「それがどうかしたんですか?」
「捨てろ」
「はっ?」
「悪夢はこのナイフのせいだ」
「まさかそんなこと……」
「こいつはな、お前と一緒に戦いたくて仕方がないんだよ。お前と共に死線をくぐり抜けて、己の価値を見いだしたいのさ。だからお前を戦いに駆り立てるような夢ばかりを視させる。だが、こいつが知っているお前との戦場は、件の故郷だけだ。要するに、悪夢しか視せられない」
「そんな……」
「あの決戦でこいつを身につけていたか?」
「いいえ……歴史的価値のあるものですから、決戦場には持ち込みませんでした」
「そらな。悪いことは言わん。棄てるか手放すかしろ。逆運を招いていることを考えると、お前たち人間の神の家に預けるのが、一番良いだろう。先人もそう思ったんだろうよ。だから教会に納められていた」
ノヴァは神妙な面持ちになって、ナイフを見下ろした。
「なんだか可哀想だ……」
「なんだと?」
「そんな風にしてまで戦いたいだなんて……ボク、ちょっと棄てられそうにないです」
一瞬ロンの腕を見つめて寂しそうに微笑むと、ノヴァは腰にナイフを佩いた。
その夜。すべての命が静まり返っている夜更け。何かの気配を感じてロンはふと目を覚ました。無意識にノヴァを探すと、炉の近くで背を向けて佇んでいる姿が目に飛び込んできた。
「坊や?」
ノヴァは応えない。ロンは不審に思って吊りベッドから身体を起こすと、ゆっくりとノヴァに近寄った。
ノヴァの全身から異様な気魄が漂っている。ノヴァの身体と空間の間に、仄かに赤いエネルギーが取り巻いていた。
ノヴァがふとこちらを振り向いた。眼が赤光に彩られていた。
「憑かれたか」
言うが早いか、ノヴァがナイフを片手に襲いかかってきた。ロンが半身下がる事で攻撃をいなす。ノヴァが切り返してロンの首めがけてナイフを突き出す。ロンはほんの少し首を傾げるだけでその突きをかわした。
ノヴァのいつもの鋭さは全く無かった。だから攻撃など当たるはずもない。しかし、いつまでも逃げ回っているわけにもいかない。
ノヴァが右手で大きくナイフを振りかぶった瞬間、ロンが半歩でノヴァの懐に踏み入り、己の左の鎖骨と大胸筋でノヴァのがら空きの左肩を迎え撃った。
バランスを崩したノヴァの左側を抜くと、横から己の右脚でノヴァの右脚を引いた。
更にバランスを崩して前のめりになるノヴァを、左膝を上げて一旦支え、そのまま地面に仰向けで転がした。
手からナイフが落ちる。部屋の隅にナイフを蹴飛ばすと、ノヴァの鳩尾に膝をめり込ませて乗り上げた。
「オレに敵うとでも思っているのか!」
一喝すると、ノヴァが悔しそうに優美な面を歪めた。
「言ったはずだぞ。逆らうのは無駄だと」
悔しそうにしていたノヴァが一転妖しく微笑むと、両の腕をぬるりとロンの首に巻き付けてきた。凄まじい力で半身を起こすと、薄紅色の唇をうっすらとあけて、ロンの唇に吸いつこうとする。
ロンは顔を背けると、更に体重をかけてノヴァの動きを封じた。ノヴァのおもてが苦渋に満ちる。
「生まれてたかが百年の青二才がふざけた真似を!オレからこいつを奪えるとでも思っているのか!片腹痛いわ!」
あまりの剣幕にナイフに操られたノヴァの顔が恐怖に強張る。
「分かっちゃいないようだから教えてやる!貴様の呪いでこいつは死ぬぞ!これ以上邪魔だてするなら、貴様を熾火にくべて峰も刃も叩き潰してくれる!」
ロンの最大級の恫喝に、恐怖に打ち震えたようなそぶりを見せて、ノヴァの身体から力が失せていった。ロンは部屋の隅に蹴飛ばしたナイフへ鋭い眼光を突き刺して言い放った。
「この翡翠はオレのものだ。誰にも渡さん!分かったか!」
ナイフから響いていた地鳴りが、ふと、止んだ。
翌朝ノヴァが目覚めると、なぜか工房の地面に横になっていた。不思議と鳩尾までズキリと痛む。横を見るとロンが工房の壁を背にして片膝を立てて座り込んでいた。
「先生……」
「よう、お目覚めか」
「なんだってこんな所で……」
「ああ……ひどい寝相だったぞ」
ロンがフッとシニカルに微笑む。
「これ、寝相とかいうレベルの話じゃないですよね」
ノヴァは肘をついて上半身を起こすと、キョロキョロと周囲を見渡した。
「あっ、ボクのナイフ」
部屋の隅に打ち棄てられているナイフを見つけると、起き上がって取りに行く。
「おいおい……オレのことより、持ち物の心配か?」
「そうじゃないですよ……うわぁ、何があったんですか、コレ。錆びちゃってる……」
「表面だけだよ。中身は死んじゃいない。まったくとんだかまって野郎だ」
フン、と面白くなさそうにそっぽを向くと、ため息を一つついてからノヴァに向き直った。
「……なんです?」
「お前に早く鍛治を教えたい。お前がこいつに焼きを入れて生み直せ。他人様に迷惑をかける道具に成り下がらんように再教育してやれ。生まれ変わればこんな妙な事は起こさない。こいつも普通のナイフに戻って優れた武器としての真価を発揮できる」
一瞬ぽかん、とした顔をして、ノヴァの唇が次第にほころんでいく。
「はい!」
満面の笑みを浮かべてナイフを胸に抱くと、ノヴァがロンを真っ直ぐ見つめて応える。ナイフも喜んでいるようだ。
仕方のない連中だ、とロンは瞳を閉じてシニカルに微笑んだ。
年経り永らえたモノには魂が宿るという。
ならば三百年近い長き齢を重ねた己の内には何が宿るのだろう。
停滞、焦燥、憎悪、挑戦、頓挫、欺瞞、狡猾、絶望、訣別、彷徨、怠惰。
それとも翡翠と出逢ったが為に芽生えた、もっと別のモノか。ロンは大人しくなってしまったナイフを見て自問する。
悲哀、共感、歓喜、羨望、憧憬、渇望、恋慕……。
やれやれ、とかぶりを振る。
「オレも……付喪神、だな」
朝餉の支度をはじめたノヴァを眩しそうに目で追うと、穏やかな朝陽が満ちる日常に微笑みながら、ロンはそうつぶやいた。
―おわり―