素晴らしき人類賛歌
世界は、シンプルな方が良い。
あるがまま、それをそれとして。例えば、リンゴが黄色だという人が居れば、その人にとって黄色でしかなく、信号が緑だという人が居れば、緑でいいのだ。
というのも、往々にしてそうでないことがある。
信号は青だと言い聞かされ、リンゴは赤だと石を投げられる。そういうものが、蔓延っている。
それが、わからなかった。
ナイフは、気がついた時にはなかった。無いから、殴った。そのうち、殴るものもなくなった。仕方ないから噛みついた。
血が飛び、骨が砕け、右腕が飛んだ。いつしか、べっとりと髪を濡らす血が、頬を裂いた骨の欠片が、零れ落ちた眼球が、誰のものなのか分からなくなった。ふみつけた感触だけ、如実に伝わる。ああ、もしや俺のだったか。
腹の底から笑いが込み上げた。肉の壁に吸いこまれ、それは響かない。それでも笑った。笑い、肉を噛み、ぶら下がるだけの脚を捨てた。
追いかけていた人の背中も分からなくなったころ、それが幸福だと気づいた。
こんなにもはっきりとしたことはないだろう。ここにあるのは、命の在り方だけだ。生きるか、死ぬか。それだけが、存在している。
それでいい。理由などない。生きる為に、食物を得るように。生きる為に、殺すのだ。恋の歌が世界中で愛されるように、そのたった一つの事実は、はるか昔から人々の上に歴然とあった。それこそを、人は神と呼んだのかもしれない。
倒れ伏した時、ようやくナイフを見つけた。同級生の抉れた顔の下にあった。鈍くなった左手で引きずり出す。刃こぼれしている。油と血でぬれそぼり、しっかりと握らないと抜け落ちてしまうだろう。
どうして、リンゴは赤でなくてはいけないのか。それが分からなかった。きっと、誰かが言ったのだ。リンゴは赤いと。その最初の人間を、人は救世主と崇めた。それ以外は、あってはならないと。
その罪を人は知らずに重ね、肥大し、いつしか化物が生まれた。化物は、誰の胸の内にもいる。俺の中にもいた。それが、何より憎らしかった。
今でも、世界が終わる間際でも、人は争っている。自分の中の救世主を求めて。
ならば殺そう。救世主などいらないのだ。友達が泣いているなら、歌えば良い。誰かが困っているなら、傍に居ればいい。ありもしない幻影を求めるから、人は絶望し、誰かのせいにする。理由を探す。残酷になる。難解な計算式も、巧みな言葉遊びもいらない。ここで這いつくばっているのは、誰かのためではない。自分が、自分として生きる為だ。何度だって、この道を選ぶだろう。
柄を床と歯で固定し、左手の甲にナイフを沈めていく。ずぶずぶと、深く、どこまでも。痛みはない。とうに消えた。つまり、体は死を甘受した。喉から、また笑い声が漏れた。
これで、零れ落ちる事はないだろう。手の平から刃先を付きだして、のしかかってきた巨体のこめかみに打ち付ける。何度も、何度も。太い指に首を絞め挙げられながら。
世界は、シンプルな方が良い。幾度も生き返るような、複雑怪奇なものはいらない。死を、一つの死として受け入れられるような、そんな――。
潰れかけた額に巨体がぐらりと傾いで、倒れ伏す。ぐしゃりと、鈍い音がした。
いくらリンゴが赤くても、黄色でも、潰れてしまえば一緒だ。だから、その争いに意味などない。
そんな単純な答えを、人類は今も求めているのだろうか。