「……て……さい」
何だろう。何か呼ばれている気がする。
ああ、でも、もう少し眠っていたいな。
「起きてください、殿下」
「ほえ?」
でんか? なんのこと?
「早く起きなければ、朝食に間に合わないぞ」
布団を思いきり剥がされたかと思えば、目の前にはとんでもない形相のディルックがいた。え、何事?
「両陛下はお揃いになられています。鍾離殿下も。あとは貴方だけです、ウェンティ殿下」
全くと言っていいほど理解ができない。
なんだこれ……。なんなんだこれは!!
ディルックに急かされるまま身支度を整えてホールに向かえば、男の人と女の人と鍾離がいた。誰なのか全く知らないけど、脳が両親であると訴えかけてきたので、それっぽく挨拶をした。鍾離との関係がいまいち分からなかったから、とりあえず名前を呼んでから挨拶すれば、何故か三人は揃って目を丸めてくる。
「えっと……。ボク変なこと言った?」
恐る恐る尋ねれば、顰めっ面しかできないはずの鍾離がふわっと笑う。
「いや、いつもは兄さんと呼ばれていたから新鮮でな。だが、立場を考えれば、その呼び方の方が良いかもしれない。そうは思われませんか、両陛下」
両陛下と呼ばれた二人はええそうねと笑う。
ええそうね、じゃないんだよね〜。何も理解できないんだよ〜。
困惑しているボクに鍾離は真っ直ぐと視線を合わせる。
「案ずるな。お前が王位を継いだとき、俺は宰相としてお前を支えるから」
あ~~、ボクが王位継承者なのか〜〜。
朝食後、ディルックに遠回しに話を聞いて段々と理解してくる。
どうやらここは、この前、旅人に見せてもらった小説の中の世界みたいだ。
意味が分からないと言うことなかれ。ボクだって一ミリも理解できない。
よし、落ち着いて整理しよう。
まず、この国はモンドと璃月が王家の結婚を機に統一化された国。今の国王は王家の人間で王妃がモンド側の人間。ボクはこの国の第一王子。つまるところ、王位継承者だ。鍾離は父親の弟の子供でボクの従兄弟に当たり、将来有望な宰相候補にして、第三王位継承権を持つ。彼の父(ボクの叔父)は王位には興味が無いと公言しているから、実質第二位みたいなものだけど。
ディルックはボクの側近。他にもジンやリサ、ガイアも王宮騎士団であったり、王宮魔道士であったりとして存在している。
ここで旅人との話を思い出す。
『この本の面白いところは、誰を攻略するかで、親密度を上げるキャラが全然違うところなの。例えば、ウェンティ攻略ルートなら鍾離先生との親密度を上げておかないといけなくて、ディルックさん攻略ルートなら、義弟であるガイアとの親密度を上げておかないといけない』
『じゃあ、それ以外はどうでもいいの?』
『うん、基本的には。でも、結構設定が凝っててね。鍾離先生攻略ルートならさっきと真逆で、ウェンティは最終的に王位継承者から引きずり下ろされる』
『意味分かんないんだけど!?』
『まあ、その辺りはご都合主義だから。あんまり気にしすぎないで読んでいくと良いよ』
そう言って渡されたあの本のタイトルは何だったか。思い出せないが、内容は死ぬ気で思い出さなければ。
だって、万が一にも鍾離攻略で話が進むなら、ボクは王位継承権を剥奪されるどころか、国外追放、最悪の場合は斬首刑だったはずだ。
いやいやいや、冷静に考えれば意味が分からない。作者はボクに恨みでもあったのかな。
えーっと、確か……。
今の年齢から考えると、来年には鍾離が歴代最年少の宰相になるはず。そのせいで、鍾離の方が次期国王に相応しいという意見が上がり始め、ボクたちの仲が悪化していく。
ウェンティ攻略ルートなら、主人公が鍾離との間を取り持ち、国民に好かれる国王とそれを支える宰相という関係にまで改善しハッピーエンドだ。だが、鍾離攻略ルートだと、ウェンティが主人公に横恋慕し、無理矢理に婚約者にしようとする。しかし、鍾離と主人公の気持ちが離れることなく、それに嫉妬したウェンティが鍾離を殺そうとして、拘束されるってオチだ。
いや、やっぱり、作者はボクに恨みがあるのかな?
とりあえず、ボクとしては王位継承権とかどうでもいいから、鍾離との関係を悪化させないようにしよう。現状、関係は兄弟みたいに仲睦まじいみたいだし、いける。
ディルックルートだとボクは良い役柄みたいだし、その他のルートなら基本害はない。公子ルートだと鍾離が割を食うみたいだけど、ボクは関係ないしね。
よし、やるべきことを纏めておこう。
一、鍾離と仲良くする。嫉妬しない。王位継承権を譲っても良いことを仄めかす。
二、この身分だし、襲われても良いように弓以外の武術を身に着けておく。
三、武術以外の食べていける技能を身につける。物語の強制力で逃亡しなければならない結果になるかもしれないし。外国でも食べていける知識と技術を身に着けておかなければ。
うん、これくらいだ。
「剣を教えてほしい? 君には弓があるだろう。それに、剣は弓とは違いすぎて変な癖が付くから嫌なのではなかったか?」
「えーっと、うん。その、ね、いつもディルックがそばにいるとは限らないし、自分でも身を守れるようにしておきたいなあって」
「それは構わないが……。僕よりも鍾離殿下に習ったほうが良いんじゃないか」
「鍾離には内緒にしたいんだ。え、と、ほら、心配させたくないし」
ここまで言えば、渋々といった感じでディルックが承諾してくれた。
これで第一の関門はクリアだ。一年間、剣の修行に励もう。
「魔法を教えてほしい? 急にどうしたのかしら」
「えっと、魔法があれば色々な場面で重宝するかな〜って。ほら、それに、せっかく魔力があるなら、上に立つ者として習っておいて損はないでしょう?」
「やっと目覚めてくれたのね。いいわよ、お姉さんが丁寧に教えてあげる」
この世界で言うところの魔法は元素力みたいなものみたいだし、ボクにも素質があるなら使いこなせて損はない。真面目にやってれば、魔法関連の仕事がもらえるかもしれないし。
ニコニコ笑いながら上目遣いでリサを見つめて、魔法の先生も確保できた。
うんうん、順調順調。
「最近、武芸も魔法も励んでいると聞く。両陛下もお前が漸く後継者としての自覚を持ったとお喜びだ。だが、急にどうしたんだ。無理はしていないか」
無理しかしてないけど命は惜しいから、というのは喉元で抑え込んで、ニコリと笑いながらティーカップを置く。
「ボクは鍾離ほど優秀じゃないから、努力しないとな〜って思って。そういえばさ、ずっと訊きたいと思っていたことがあるんだけど、答えてくれる?」
「お前の望みなら何だって答えるさ」
「ボクの代わりに王位を継ぐ気はない?」
ガチャンと大袈裟なまでにティーカップが音を鳴らす。
どうしたんだろう。
「何を馬鹿なことを言っているんだ」
「ずっとね、思ってたんだ。ボクが次の国王になるよりも、鍾離が国王になった方がずっと国のためだって。君にだって継承権はあるんだし」
言い切ったところで鍾離の顔を見れば、とんでもなく怖い顔をしていて、思わず喉が鳴った。
「俺は、お前が王位に就かないのであれば宰相にはならない。お前を支えるためにここまで努力をしたんだ」
「で、でも、実際君を国王にした方が良いっていう意見もあるし……」
ガンっとテーブルが殴りつけられる。
「誰が言った」
「え……」
「誰がそんなことを言ったのか聞いているんだ」
誰ってそんなの王宮内で結構頻繁に囁かれていることじゃないか。こんな環境なら原作のウェンティが鍾離を嫌いになっても仕方ないよねって思うくらいには。
でも、目の前の人は目をギラギラさせていて本当に怖い。具体的な名前を上げたら多分その人は死ぬ。
「あー、えっと、勘違いだったかも! ごめん、全部冗談だから忘れて! ボク、そろそろ部屋に戻るね!」
間違えた。何を間違えたのか分からないけど、確実に何かを間違えた。やばい、死の足音がする。
とりあえず、物語が始まるまでは大人しくしていようと決意した。
そうして、この世界で数年経過した。
鍾離は物語通りに歴代最年少の宰相になり、ボクは物語とは違って、ある程度真面目な王子になっていた。
意味が分からない。
そして、原作通りにご令嬢である主人公との顔合わせがあった。ちなみに主人公は旅人。意味が分からない。しかも、顔合わせがあるということは、ウェンティルートか鍾離ルートだ。ここで彼女がボクに話しかければウェンティルート。鍾離を見つめれば鍾離ルート。心臓が嫌な音を立てる。
ボクのルートであってくれ。ボクのルートなら死なないで済むし、まるっとハッピーだから。
そんな願いは虚しく、旅人は鍾離を見つめているではないか。
あー、死んだ。ボク、死んだ。いや、死なないために準備してきたけど。死なないかもしれないけど、数年過ごしたこの国とはサヨナラだ。
ごめん、ディルック。ボクの側近がゆえに君も罪に問われるかも知れない。君と君の家門に影響が出ないように頑張るよ。
このまま鍾離が旅人の手を取って一旦は終わりのはず。だというのに、彼は旅人を見もせずにボクの方に視線を固定している。何これ怖い。
「ウェンティ、誰かとお話してきたらどうかしら」
母親に促され、漸く息の仕方を思い出す。肯定の意を返す前に、鍾離に阻まれた。
「王妃陛下。殿下は体調が優れないようですので、ここは一度お開きにして、また後日と告知を出すのがよろしいかと」
「あら、そうだったの。早く言ってくれないと。では、この場は私に任せて、宰相はウェンティを連れて行ってくださる?」
「仰せのままに」
鍾離は女性が卒倒しそうな微笑みを貼り付けながらボクの手を引いて会場を後にした。
何これ。どうなるの。こんなルート知らない。え、ひょっとしてもう死ぬの?
戦々恐々としながら彼に引き摺られるようにして足を動かす。ボクの自室に入ると、彼はドアを閉めてから、ボクをドアに押し付けてきた。逃げようにも、顔の両側に手を置かれ、ご丁寧に足の間に膝を入れられている。
かなりまずい。それだけは分かる。
「えと、しょ、うり?」
「結婚するのか、あの令嬢と」
あの令嬢と結婚するのは君〜〜〜〜。
と言える雰囲気でもなく、全力で首を横に振る。
「じゃあ、誰と結婚するんだ」
「ボ、ボクが、決められることじゃない、ってことくらいは分かってる。ほら、家柄とか、素養とか、そういうのを見て、父上と母上が決めるだろうし」
鍾離の眉間に皺が寄る。
あ~~、ボクのバカ。よく分からないけど、外れだったっぽい〜〜〜。
「俺では駄目か」
「は?」
「俺では駄目かと聞いている」
怖い怖い怖い。駄目か、以前に駄目でしかない。後継者はどうするんだ。
「後継者なら心配する必要はない。最近、甥と姪が生まれたんだ。双子でな、魈と甘雨と名付けられた」
君たちはそういう枠で出てくるんか〜〜い。
いや、本当に理解できない。何このルート。
「結婚しよう、ウェンティ」
いやいやいや、百歩譲って結婚するにしたって、色々とすっ飛ばしすぎだ。そのあたりだけ、妙に鍾離の再現度が高い。
「ひっ」
彼の膝の位置が上げられ、あらぬところを刺激される。情けない声が恥ずかしくて目を瞑れば、顎を掬われ、え、と思ったときには口を塞がれる感触がした。思わず目を開ければ、鍾離の整った顔が視界全面に映るものだから思わず仰け反ったが、元々ドアに押し付けられている状態だから仰け反りようもない。舌を差し込まれて、口内を懐柔される。
呼吸ができなくて、段々と頭がボーッとしてきた。
やっと解放されて、息を思い切り吸い込めば、鍾離がもう一度問うてきた。
「俺と結婚しよう」
あー、うん。
何かもう、それでいいかな。死ななそうだし。彼が全部やってくれそうだし。
うん、いいや、それで。
頷けば、至極嬉しそうな顔で鍾離が笑って、もう一度口付けられた。
なんでこうなった。
「あ、そういえば、ウェンティに言い忘れちゃったな。あの本、半分くらいは男の子同士の恋愛を主人公がサポートする話なんだけど……。まあ、読めば分かるよね」