彼の声が好きだ。ステージ上から体育館の一番後ろの隅っこまでハッキリ届く力強い声。演技は苦手だって謙遜するのに照れたり逃げたりせずに演じ切るところも好き。舞台映えする体の使い方や目を離せない繊細な表情は俺を惹きつけてやまない。
彼に見惚れているうちに演目は終わり幕が閉じていく。俺は後ろの扉を薄く開けて体育館を出ると足早に部室へ向かった。
鍵を開けて部室に入り、パチパチと電気をつける。衣装用のラックはハンガーだけが乱雑にかけられていた。俺はそれを向きを揃えて整え、座りやすいように椅子の間隔をあけ、空調を強めに効かせる。
部室の準備が整う頃にちょうどよく廊下から足音と話し声が聞こえてきて、俺は扉に手をかけみんなを迎え入れた。
「みんなお疲れ様! メイクしてる人は俺のところに来て! 衣装汚したら自分で手洗いしてもらうからね!」
はぁいと気の抜けた返事も今は許そう。舞台から降りたばかりで疲れているだろうから。
真っ先に俺のところに来たのはシュウで、彼は目を眇めながら「顔が重い〜」と泣き言を言った。強いライトに照らされた舞台の上は蒸し暑く、遠目からでもよく見えるようにした舞台用の濃いメイクは確かに重たいかも。
シュウを椅子に座らせて前髪をクリップで留め、コットンに化粧落としを染み込ませて「今日いい感じだったじゃん」と適当に褒めながらメイクを落とす。照れて微笑むシュウは舞台上で堂々と演技をしていた人と同一人物とは思えなかった。普段はわりと照れ屋で、友達とふざけたことばかりしているくせに、演技になると全然変わるから面白い。
「よし、オーケー。相変わらず綺麗な肌でムカつくな」
「浮奇、メイクする時にもそれ言ってるよね。浮奇だって綺麗だと思うけど?」
「俺はメイクしてんの。おまえの素肌とは違うから。はい、どいて。次」
「わあ」
「おっと。大丈夫かシュウ」
「ふーふーちゃん! 座って座って」
「僕の時と全然態度が違うなぁ」
「当たり前でしょ。早く着替えて今日の反省会でもしてな。はい、ふーふーちゃんはこっち。えへへ、今日もすっごくかっこよかったよ」
「ありがとう、浮奇のメイクのおかげで稽古の時より舞台の出来がもっとよくなったよ」
「そんなことないよ。でも、ありがと」
メイクをする時も落とす時も人によって差をつけるつもりはないけれど、好きな人が目の前にいて、指示通りに目を開けたり閉じたりじっと大人しくしてくれているのに、その時間を他の人と同じだけにしろって言うのは無理な話だ。
シュウの時より動きが遅くなる手で彼のメイクをしっかり落としていく。今回は役柄的にあまりメイクに力を入れるわけにはいかなかったから、比例してメイクを落とすのも簡単に終わってしまう。まだ、もっと彼に触れていたいのに。
「浮奇」
「っ! うん、なぁに?」
「ふふ、びくってした」
「……だって、急に声を出すから」
「シュウとはたくさん話していたのに静かだから、ちょっかいかけたくなったんだよ」
「……今日、今までで一番かっこよかった。通し稽古の時に少し演技を変えたでしょう? あれ、俺好きだよ」
「……そういうことは公演の前に言ってくれ」
「俺はただのメイク担当で、演技は素人だから」
「観客はみんな素人だろ。観客と同じ目線で見られる浮奇の意見は貴重だよ。俺たちだけじゃ変にこだわって暴走しかねない」
「ふーふーちゃんの暴走した演技も見てみたいもん」
「ふっ。そう言われると浮奇の意見はあんまり参考にできないかもな? 俺が何をしても褒めてくれる」
「だってふーふーちゃんのこと大好きだから」
目を瞑っていたふーふーちゃんは俺がそう言うとパチッと瞼を上げた。思わず手を止め、その瞳を見つめ返す。
「ありがとう、浮奇。下手くそな演技でもおまえが好きだと言ってくれるから俺は演じ続けることができる」
「……ふーふーちゃんが演技が好きだから、舞台に立ち続けられるんだよ。俺の言葉なんてなくてもふーふーちゃんはそこに立ってる。……それに、下手くそじゃないってば。俺の好きな役者のこと貶さないでくれる?」
真面目な顔は途端に崩れて笑みが溢れた。演技をしているふーふーちゃんのことは大好きだけど、演技をしていない素の彼のことはもっと大好きだ。ハグをしてキスをして愛してると囁きたいのをグッと堪え、俺は再び手を動かした。
「次はふーふーちゃんが王子様みたいにかっこいい脚本がいいな。アイクに頼んで当て書きしてもらうのはどう?」
「俺の当て書きなんてしたらギャグになるだろ。裸の王子様になってしまう」
「それはそれで見てみたいけど。かっこいい王子様も演じてみたくない?」
「俺には似合わないよ」
「何言ってんの! こんなにかっこいい人、他にいないのに!」
メイクを落とし終えたふーふーちゃんの顔を左右から挟むように両頬に手を添えると、ふーふーちゃんはふにふにと何かを言いたそうに唇を動かして、それから結局何も言わずに「はぁ」とため息を吐いて見せた。ねえ、王子様、演技にやる気がないんじゃない? 嬉しそうな顔が隠せてないよ。
「あー……かっこいい王子様より偉そうな王様がやってみたいな。無茶苦茶なことを言ってみんなを困らせる役。楽しそうだ」
「ふーふーちゃんのわがままなら全部叶えてあげたい」
「お、じゃあ浮奇も舞台に立つか」
「……ノー。それは遠慮する。俺はみんなにメイクするのが好きだし演技なんて無理」
「そうか? きっとみんな浮奇に見惚れるのに」
「……ふーふーちゃんも?」
「俺はいつだって見惚れてる」
「う……」
まっすぐ向けられた言葉に心臓が跳ねて、照れた顔を見られたくなかった俺はふーふーちゃんの目を両手で覆った。くすくす笑って弧を描く口元がメイクなんかなくても色っぽい。いつだって、見惚れてるのは俺のほうだ。
「……もうメイク落とし終わり。みんなと反省会してきて」
「ふ、了解。ありがとう、浮奇」
腕を引っ張って彼を立ち上がらせ、背中に触れて集まっている部員たちのほうへ押しやる。顔だけ振り向いたふーふーちゃんは嬉しそうに笑って「いつでも舞台の上で待ってるから」と言うから、俺は拗ねた顔だけ返してそっぽを向いた。
演劇部の中には裏方と役者を兼業している人も多いけれど、俺は演技は苦手だし体育館中に聞こえるような大きな声も出せやしない。いつもそう言っているのにふーふーちゃんは何回も俺のことを誘ってくる。
おまえと一緒のほうが楽しいだろ、なんて嬉しくなっちゃうこと言わないでほしい。俺は体育館の一番後ろから好きな人の演技を見るのが大好きなんだよ。