君を愛す「ちょっと待ってて」
ミスタがそう言い残して家を発ってから38分。彼が甲斐甲斐しく用意してくれたコーヒーを飲みながら、シュウはゆったりと恋人の帰りを待っていた。
3月11日から俺の家に来てくんない?そうおねだり――いや、あれは土下座にも近い勢いで頼まれたのは3月に入ってすぐのこと。
ミスタがそんなふうに切羽詰まった様子で逢瀬を希望するのは付き合い出してから初めてで、余程の事でなければ恋人の願いを基本断ることのないシュウはふたつ返事で了承した。丁度良く日程も空いていたし、恋人から会いたいと言われて嬉しくないようならば、そもそも恋人になんてならない。
そんな訳で急遽短期旅行を決めたシュウはアメリカを発ち、11日にあたる昨日からミスタの家にお邪魔をしている。
昨日はいつもとさして変わらなかった。落ち合ってから一緒に食事を摂り、そこらの入りたい店を冷やかし、夜は一緒のベッドで眠る。ただ、いつにも増して丁寧に身も心も解され、思わず「ねちっこい」と声に出してしまう程度には熱烈な愛情を受け取ることにはなった。
別に普段が淡白なわけでも、乱暴なわけでも勿論ないけれど、進言してしまうレベルには普段よりもじわじわと侵食されていったのだ。
自分を暴かれる度、羞恥とそれを乗り越えた先の心地良さをミスタには教えられている。それは相変わらずだった。
慣れたはずの行為にまだ先があることを予見しつつベッドの海に溺れたのは数時間前のこと。身体を重ねたふたりきりの夜も更け、翌朝は決まってミスタが朝食を作ってくれる。
最初の頃は組敷くことに罪悪感みたいなものを持っていた彼に「それなら次の日は君がご飯を作って」とシュウが提案したのが始まりだった。
以降ミスタは肌を合わせた温もりと共にシュウの胃袋まで満たしてくれるようになり、そこまでは今日も変わりない。なかったのだが、問題はその後だ。
起きる時間が同じくらいだと、シュウはミスタが簡単な調理をする様を見て余韻に浸ったりする。それがどうしてか今日は許されず、作ってる間は寝てて、なんて頼まれた。少し不思議に思いはしたものの特に追及することなく受入れ、段々冷えていくベッドシーツに包まっていると、いつもとは違う香りがキッチンから漂ってくる。
それは今までこの家で嗅いだ事はないものだが、シュウにとっては当たり前の香り。 どうして、浮かんだ疑問を呑み込むことが出来ず、シュウは疑問符を浮かべながらも起き上がると寝室を後にした。
「ミスタ……?」
「お、おはよ、シュウ。グッドタイミング」
既に身支度を整えたミスタはシュウを視認すると柔く笑む。手に持たれたプレートにはサラダとベーコンエッグが乗っており、まるでホテルで食べる朝食でも目指したかのようだ。わりといつもはスープとパンだとか、その程度なのである。
それなのに今日はテーブルを見るとスープは勿論、程よく再加熱されたクロワッサンとオレンジジュース、ミルクも並んでいる。そして、シュウが起きた原因の匂いであるカフェラテを発見した。
「おはよう。いつからコーヒーが飲めるようになったの?知らなかったや」
「え?おれは飲まんよ。コレはシュウのぶん。飲めてないから分かんないけど、きっと美味いはず」
一体全体何があったというのか。そう言ってしまうにはミスタの顔があまりにも誇らしげで、浮かんだ疑問をすごすごと喉奥にしまい込み、シュウは自らの定位置に腰を据えた。
「今日の朝ごはんは豪華だね」
「いつもは雑ですみませんねー」
「んハハ、そんなこと言ってないじゃん!僕結構好きだよ、ミスタがたまに焦がすトースト」
「バターとハチミツ塗ったらほぼ分かんねーだろ!」
「今度チョコスプレッドも買おうね。……で、本日の朝食のご説明をお願い出来ますか、リアスシェフ」
「アー……ん、オホン。えー、本日の朝食はカフェラテにクロワッサン浸して食べるやつと、サラダとベーコンエッグです」
恭しく話してからシュウの向かいに腰を下ろし、テーブルをめいいっぱい使った朝食をふたりで食べ始める。嫌いなものなのに、わざわざシュウのために淹れてくれたミスタの作ったカフェラテは確かに文句なしの美味しさだ。シュウはコーヒーの違いなど大して分からないし、最悪飲めれば御の字だと思っているが、このカフェラテがとても丁寧に淹れられたものなのは分かる。繊細なフォームミルクも重なっており、見た目もとても綺麗だった。
目の前でサラダを食べようとフォークにレタスを刺したまま止まっているミスタの視線はシュウに向いていて、内心ハラハラとしている様子が分かりやすくて面白い。シュウが泡のついた唇を人差し指で拭ってからサムズアップを見せれば、盛大な息がミスタから溢れた。
「良かったー……」
「本当に美味しいよ!クロワッサン付けるの勿体ないくらい」
「クロワッサンも美味いって聞いたとこのだからウマさ倍になるはず」
トースターで程よく加熱されたクロワッサンの外皮はサクッと香ばしく、対する中はじんわりとバターが滲み、柔らかな食感で口内を満たしていく。生地が薄すぎて、噛むたびにポロポロと破片が落ちていくのが惜しい。クロワッサンは何層もの層になり、その層が薄いものほど熟練だというが、このクロワッサンは正しくそれだろう。
互いにひとくち食べた時点で二人はクロワッサンの虜になり、ミスタはホットチョコレートに、そしてシュウはカフェラテにクロワッサンを浸す。そのまま今一度含めばじゅわりとコーヒーの苦みと甘さが混ざり、しんなりとした皮部分の食感も変わることでまた違った美味しさを引き出していた。
シュウが目を輝かせてミスタを見れば、ミスタも舌鼓を打っていることが分かる。次もここのパン屋行ってくる、後で僕にも教えて。そんな会話を繰り広げながら、いつもより豪華な朝食の時間は過ぎていった。
「それにしても、いつからコーヒー淹れられるようになったの?」
胃と味覚が満たされた後、ミスタが食器を溜める前にとキッチンにふたり並んで皿洗いをしながら、シュウはようやく疑問を舌に乗せる。ただ色がついたり苦いだけではなく、香りも良いコーヒーは土壇場で淹れられるものではないだろう。シュウが見たところ日本にあるようなインスタントコーヒーの類もキッチンには見当たらない。となると、しっかりと自分で豆を挽いたのかもしれない。
「へへ、ナイショ」
「前に来たときはなかったよね?」
「だぁから、内緒だって」
シュウが自身の淹れたコーヒーを気に入ってくれたことが嬉しいのか、ミスタは内緒と言いつつも先程淹れた残りがあるとポットを指差した。ミスタはコーヒーが飲めないので、これはこのあとシュウだけが楽しめるものになる。それは素直に嬉しいが、意図や経緯を隠されたままなのは頂けない。
シュウは既に外出着に着替え終えているミスタの袖口を気にしてやりながら、洗剤で洗われた食器類を流していった。後は食洗機の乾燥モードのお世話になる。
洗い物を済ませ、食後にふたりでソファで寛いでいるときもシュウは質問を止めなかった。
「前まで1ミリも興味なかったのに」
「でもシュウは飲むだろ」
「ミスタの前ではあんまり飲んでない」
「でも飲めるじゃん?もしかして、飲めるだけでコーヒーそんなに好きじゃなかった?」
「好きだけどさ……ミスタ、なにかあった?」
「シュウに喜んでもらいたいだけ」
ほだすようなキスに渋々黙るが、やはりどこかしら納得はいかない。ミスタからは今までだって沢山のものを貰っているし、喜ばせてもらっている。その普段の愛よりもう少し重さが増している気がして、シュウはそれが不思議でたまらなかった。
コーヒーの味がしたのか、なんとも言い難い表情になるミスタに笑いつつ、シュウは今一度ミスタと唇を重ねる。今度はソファに沈むかと思えば、ミスタは堪えるようにシュウを抱きしめただけで終わってしまった。
「今日出かけるって言ったし、そろそろ準備しよ」
「それもそうだね。僕も着替えてくる」
「あ、いや、シュウはゆっくりして!ふたりで出かける前に一回おれ出てくる」
「え?今から?」
「今から!」
そそくさとソファから身を離し、近くのチェストに置かれていた香水を軽く降るミスタの姿も、よくよく見ればいつもより丁寧に髪がセットされている。洋服だってはじめて見るもので、シュウはますます首を傾げるばかりだ。
「すぐ戻ってくるから、ちょっと待ってて」
寝癖の残っているシュウの髪を手櫛で梳き、頬にキスを落とすとミスタは問われる前に手を振って鍵もかけずに出ていってしまった。
「変なミスタ……」
跡形もなくなったミスタの温もりは頬でさえも冷ます。仕方なくコーヒーをもう一杯頂き、シュウは緩慢な動作で洗面所へと向かった。
顔を洗い、撫でられた寝癖を水で濡らしてドライヤーで乾かし、ミスタが愛用しているワックスで軽く整える。化粧水で肌を整え、目元に朱を差した。普段と変わりない、いわばルーティンだ。
今日出かける場所は以前からシュウが足を運びたいと言っていた街である。英国唯一のビーチがある海辺の街は普段なら行きたいと候補に上がることもないが、ミスタとなら行ってみたかった。遊園地も行ってみたかったし、何よりミスタも降り立った事がないと言うからこれ幸いと望んでみたのだった。
「シュウからどっか行きたいって聞くの久々」
普段はミスタが希望を出したり、他にも友人が居る時は合わせる事が圧倒的に多い。シュウにとっては誰かと過ごせるだけで充分な程楽しいからだったが、こうして希望を述べるだけで嬉しそうにする恋人の姿を見ると、もう少し我儘でも良いのかとむず痒くなったのはつい先日のことだ。
潮風で少し寒いかもしれない。インナーに薄手のニットを重ね、シャツを羽織る。ハイウエストのパンツに太めのベルトをつけ、トップスはインした。
電子時計のバンドは以前ミスタと揃いで買ったものに付け替えてからこちらに来たが、果たしてミスタは気づいているだろうか。
足元は前にこちらで買ったまま履いていないトラッドシューズにしようと検討をつけ、一通りの準備を終えると今一度ソファに腰を下ろした。
時計の針は20分ほど経ったことをシュウに告げている。そこからまたコーヒーを飲み、シュウは「ちょっと待ってて」にしては長い時を過ごした。
(僕って結構堪え性ないんだな)
持参したタブレットでSNSを見ながらもチラチラと時刻を確認する自身を認識した瞬間、シュウは思わず苦笑する。気は長い方だと思うし、人の『ちょっと』なんて大概ちょっとではないと思っているが、ミスタに言われた『ちょっと』を言葉の意のまま受け取っている自分がなんだか可笑しくて、誰も居ない空間で小さく笑った。
そういえば、どうして11日から居てほしかったかの理由を聞いていない。今日に至ってはこうしてミスタは一度外出してしまっているし、何か重要な事があったのならこの期間ではないほうが良かったのではないだろうか。それとも、今さっきのように鍵も閉めずに出ていくことを警戒しての留守番要員だったのかもしれない。それはそれでシュウとしては構わないし、会える機会が増えているのも事実なので文句もないが。
少し冷えた自分の体温を美味しいコーヒーで誤魔化しながら、やはり何度も時刻を確認しつつも恋人の帰りを待っていると、唐突に家のベルが鳴った。リンゴン、少し雑なベル音は配達か何かが来た合図だ。配達が来るなんて話を聞いてはいないが、せっかく自分が居るのに受け取らないのも変だろう。
もしかして代金引換便でも頼んだのだろうか。そのお金を下ろしに行ったとか?大体はカードで済むけれど、そうもいかないからわざわざ面倒な事をしに行ったのかもしれない。そう勝手に合点をつけて、自らの財布に幾分かの現金が入っていることを確認し玄関に向かう。
水臭いな、お金くらい立替えとくのに。帰ってきたらそう言ってやろうとろくに確認もせずドアを内に引くと、目の前に立っていたのは見慣れた人影だった。
見慣れないのは、彼の胸あたりで溢れんばかりに咲く花達くらい。
「……え、」
困惑で思わずシュウが固まったことが分かっても、見慣れすぎた人影――ミスタは止まらずに恭しく片膝を付く。
「Shu」
眼前に差し出される花束と、真剣なミスタの瞳に気圧され、シュウはたまらず姿勢を正した。なに、なんて声も出せず、バクバクと鳴り始めた心臓の音が鼓膜の内で反響していることしか分からない。
片膝をついて乞うのは、いつだって相手の愛の同意だ。
「今日一日、おれとデートしてくれませんか」
そして、切羽詰まった告白に数度瞬きを繰り返し、咀嚼し終えたところで失礼ながらもケラケラと笑いを溢してしまった。
じわじわと赤く染まっていくミスタの顔は若干泣きそうで、内心ではイタい事をしたとでも思っているのだろう。ひとしきり笑い終え、更に溢れそうな声をシュウは噛み殺す。そしてしゃがみ込むとミスタに視線を合わせ、差し出された花束を優しく受け取った。
「喜んで」
よくよく見れば、ミスタの額にはほんのりと汗が滲んでいる。整えたとはいえいつも付けているチョーカーも少しずれており、彼が走ったのだろうことはなんとなく理解できた。
花を受け取って貰えた事に安堵したのか、両手で顔を覆ったミスタの片手をシュウは引いてやる。現れた顔はせっかくおめかしをしているというのに嬉しさと達成感にまみれたぐちゃぐちゃの顔で、あまりの愛しさにシュウからキスをひとつ贈ってやった。
至近距離、合わなかった視点がようやく互いでかち合うところまで離れ、もう一度頬を擦り合わせるように近づく。せっかくの洒落た服だというのに、ミスタは躊躇わずにもう片方の膝もつくとシュウに覆い被さるよう抱きしめた。花束を器用にミスタの背に回し、シュウもより密着するように彼を抱きしめてやる。
互いの鼓動はいつもより速く、耳元で聞こえるミスタの声は普段より深く、低い。
「めっちゃ緊張した」
「このブーケ受け取りに行ってたの?」
「そう。ごめん、待たせて」
「待つのも好きだよ」
いつものようにミスタがシュウの頬を親指で何度も撫でていく。その掌にすり寄るようシュウも少し頭を預けた。今度はミスタから近づいた唇を受け入れ、何度か啄むとふたり一緒に笑い合う。
手を繋いだまま立ち上がり、今度こそ室内へと戻ればようやく花束を眺める余裕が出てきた。
定番の薔薇は勿論、アネモネの花が目立つように組まれている花束をシュウははじめて見る。花束を貰うのはオーケストラの演奏会以来だろうか。花の種類には詳しくないけれど、これが珍しいものであることは見て取れた。
「この花束、どうしてアネモネもあるの?」
「よく分かんな?それ今日の誕生花。花屋の人に勧められてさ」
「へえ。アネモネって毒あるのに」
「ハァ?!そうなの?!」
「そうだよ。前にアニメで知った」
「ああそう……」
花言葉もあまり宜しいものでなかったと思うが、赤いアネモネはまた違うのかもしれない。こうして相手に贈る為に使われるくらいだし、ミスタの反応を見るに特に違和感はなかったのだろう。
もごもごと口を動かすミスタに先を促すと、せっかくセットした髪を空いた手で崩しそうだったので咄嗟に向き合い、今度はその手を握ってやる。今はシュウの胸に抱えられている花束を見ながら、ミスタはぼそりと呟いた。
「……赤いアネモネはさ、花言葉が良かったから。毒があるなんて知んなかった」
「どんな花言葉だったの」
「……、ググって!ちょっとイタいしハズいから」
「今更!」
一番恥ずかしかったのは片膝をつく時ではないのか。堪えきれずに笑い飛ばしたシュウにつられ笑うミスタは、意を決したように解を告げる。
「君を愛す、ってのが花言葉なんだってさ。だから、今日にピッタリかなって」
「それは……熱烈な告白だね?」
「当たり前だわ」
赤面しながらも視線は外さないミスタに愛しさを覚えつつ、愛されている実感でもある花束を抱え直す。生花で作られたそれは仄かに香り、シュウは微笑んだ。
「君、僕がこっちに来てからすごく拘ってたよね。記念日でもないのに……」
記念日を忘れられるほど関心がないわけではない。来てほしいと懇願された時に何かあっただろうかとシュウは記憶を辿ったが、自分達に関わる記念日は尽く被らなかったはずだ。思い立ったら吉日、というやつなのかもしれないが、イベントに対して綿密に練るミスタが『唐突』を起こすイメージがシュウの中にはなく、ずっと疑問だった。
散々甘やかされた昨日に、今日の朝食だっていつもより特別で、彼の着る服でさえおろしたて。この大きさの花束はたかだか30分で作ったうえでの行き帰りは難しい。こうして全て周到に用意されたものだというのに何もない、は無いはずだろう。
「だって今日、おれとオマエの真ん中バースデーなんだよ。おれとシュウが生まれたちょうど間の日。なんかロマンチックじゃん?だから絶対今日にしたくて、こうしてワガママ言ってシュウに来てもらったんだ」
そんなシュウの疑問を解消するように、ミスタはつらつらとシュウの求めていた答えを快く教えてくれる。やはり自分の知らない単語が出てきて、軽く説明をしてもらいながら納得した。自分とミスタの関連性のある日が良かったのだとはにかむミスタの手を今一度強く握り、シュウは嬉しさを滲ませながらも茶化してみる。
「てっきりプロポーズされるのかと思った」
「……そうだよ」
指輪、買いに行こう。
開いた口が塞がらない。破顔していた顔が変に歪んでいく。出したかった言葉は何か分からなくなり、今立っている地面が揺れている気さえした。
いつものような軽口が飛ぶと思っていたのに、返された真摯な想いがシュウを包む。咄嗟に花束に視線を逸らし、返答を辛抱強く待っているミスタにもう一度そろりと視線を向けば、やっぱり彼は笑っていた。
「デートしようって、」
「デートして、指輪も買お」
「え、で、でも、……え?」
「シュウも気に入る指輪がいーの。おれが選んだヤツでもオマエは喜ぶんだろうけどさ、おれはシュウが良いねって言う指輪つけてぇの」
だめかなあ。なんて、言われてしまえば頷くしかない。嫌ではない。嬉しくて、驚きと覚悟の大きさに戸惑いがあるだけ。シュウだって、このままのんびりと互いに愛を育んでいって、もしかしたらその先でいつしかこうなるかもしれないとは思っていた。
何気ない日々の中で「結婚しようか」「そうだな」だとか、シュウはなんとなく自分から言い出すかもしれないとさえ考えていたことがある。それなのに、まさかこうしてすぐに、しかも誰もがロマンチックなシチュエーションとして想像するような映画やアニメの中にあるような形で告白されるとは思っていなかったのだ。
どれだけ鈍くても確実に届く愛をくれた相手に、シュウは感無量になりながらも自らの感情を吐露した。
「婚約指輪は、いらない」
「うん」
「いらないというか、婚約指輪と結婚指輪は同じがいい。ひとつだけ買って、それ以外にお金を残しておきたい」
「いいね」
「……それで、……今度は僕からプロポーズしてもいい?」
面倒な事は嫌いだし、合理性がないものに納得はいかない。シュウはいつだって自分が怠惰で協調性に欠ける部分があることを理解していたが、それを変える気もろくに無かった。それでも、許してもらえるのがミスタの前だ。
盲目的なものではない。神聖視でもない。それが闇ノシュウだと、ミスタは笑う。「シュウのそういうとこも含めて好きだ」と言葉にして伝えてきてくれた恋人のおかげで、シュウは今此処でこうして本音をぶつけられている。
貰った花束で顔を隠して伝えたプロポーズ宣言は、どう受け取られただろうか。ミスタは笑ってくれるだろうか。いつもみたいに、嬉しいって、幸せだって、言ってくれるだろうか。一生忘れないって、誓ってくれるだろうか。
握ったままのてのひらが少しだけ離れ、指先が絡まる。シュウがミスタの顔を覆った彼の手を退けてやったように、ミスタもシュウの顔の前から花束を退かすように手を近づけ、温い指先で輪郭をなぞった。
「ありがと」
一生忘れないから、おれを一生忘れない人にしてよ。
こういう時泣くのはいつだってミスタだ。これまではずっとそうだった。シュウはそんな彼の脆ささえ愛しかったし、好ましく思っていた。それなのに、どうしてか今日は自分が泣きそうになっている。
滲む視界を誤魔化したくて何度も瞬きを繰り返す。呪術師の宣誓は呪いだ。本来ならその身に刻ませることも出来る。分かっているのだろうか。望んでしまっていいのだろうか。そんなこと、ミスタにとっては全て今更なのだろう。
「僕より先に死んだら呪うよ」
「おーコワ。まあ大丈夫っしょ、おれ悪運つえーもん」
こつりと当たる額を受け入れ、自然と目蓋を下ろす。慣れた優しいキスをひとつ貰い、シュウはアメジスト色の瞳の中に涙を閉じ込めた。
港街は程遠い。そろそろ出なくては楽しむ場所も楽しめなくなるかもしれない頃合いだ。どちらからともなくクスクスと笑いをこぼし、いつものふたりに戻っていく。
着いたら此処に行こう。食べたいものがある、タピオカ飲みたい。指輪は何処で買うの。フィーリング?まあ、ふたりならきっとなんでも楽しい。
繋いだ手はそのままに、二人は直ぐ様家を後にした。
この日の花束がシュウの呪術により半永久的に枯れないようになったことをミスタが知るのは、数ヶ月後の話。