第15回 菅受けワンドロワンライ「映画・特別」―― My momma always said,”Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.”
スクリーンに文字が流れ切ると一瞬、視界が真っ暗になる。それから一拍ほど置いて照明がつき、同時に静まり返っていた劇場内は賑やかになった。同行者と話し始める人、荷物の整理を始める人、足早に席を立つ人など、さまざまだ。菅原と及川は席に座ったまま、人が捌けるのを待っていた。
菅原がときおり訪れる映画館では、名作映画を週替わりでリバイバル上映している。上映される映画は、菅原が生まれるより前のものであったり、まだ幼く映画館に訪れることがなかった時期のものだったりと、古くても目新しいものがほとんど。なかには、昔から映画番組で何度も観たことのあるものもあったが、テレビで観るのと、映画館で観るのとでは、没入感や臨場感、ストーリーの理解度が段違いだった。要は映画にしっかり向き合えるのだ。この週替わりの上映を菅原は気に入っていて、めぼしい映画をチェックしては、映画館に足を運ぶ。この日観た映画は、アメリカのヒューマンドラマ映画で及川と菅原が生まれた1994年に公開されたものだ。たまたま上映日と及川の帰国が重なり、菅原は及川を誘って映画館にやってきた。
「人生はチョコレートの箱で何が入っているかは食べるまでわからない、かあ」
真っ白になったスクリーンを眺めながら及川が云った。沁み入ったという様子でため息を漏らす及川の横顔は、スクリーンよりももっと遠くを見ているようだった。そんな及川と同じように、菅原もまた真っ白なスクリーンを眺めている。
「確かに、いつ何が起こるかわかんないよな」
「卒業してすぐアルゼンチン行ったり?」
「それ聞いたとき一番わけわかんなかったわ」
「いや、及川サンなら世界を股に掛けるだろうって予想できたでしょ」
「いや、できねえよ」
「ばーか」と菅原が悪態をつくと、及川はよよよと泣き真似をする。眉を八の字に垂らし、涙を拭うような仕草は昔イメージビデオで見た未亡人のそれだが、今目の前にいるのは身長180cm超え、菅原よりひとまわりは胸板が厚い男である。儚さはゼロ、せいぜい「こいつ睫毛なげぇな」と思う程度で、菅原の心には響かない。じぃっとその様を眺めていると「ちょっと、そろそろ止めてよ」と鳴き真似を止め、不満げに及川が顔を上げた。
「俺的にはスガちゃんが学校の先生になったのも結構びっくりしたけどね」
「そうかあ?」
「まあ飛雄とかショーヨーとかの相手してるとこ見ると納得っちゃ納得だけど」
「今思うと、確かにあいつらの相手は子どもらへの対応に近いものはあった……」
高校時代の後輩二人の挙動を思い浮かべて、菅原がしみじみ遠い目をする。それを見て及川はあははと笑い、「そろそろ出よっか」と立ち上がった。劇場内にはもう菅原と及川の二人だけ。ちょうど、劇場スタッフがほうきとちりとりを持って入ってきたので、会釈をしつつ劇場を後にした。
「パンフレット買ってきても良い?」と及川が云うので、二人は喋りながら売店に向かう。ちょうどこれから始まる映画の入場のタイミングだったらしく、二人が歩く退場通路の反対側に人が集まっていた。休日の映画館は盛況で、家族連れ、カップルなどたくさんの人がいる。そのなかにいた初々しい雰囲気のカップルが菅原の目に留まる。中学生くらいだろうか。少し緊張した雰囲気を感じ取れる。
「それより何よりお前と付き合うとか、思ってもみなかったな」
菅原がチラリと傍らに視線を移すと、瞳をパチクリさせた及川と目が合う。
「最初はやべぇセッターいるな〜って感じだったし」
初めての邂逅は、烏野高校と青葉城西高校の練習試合。最終セット、烏野がマッチポイントを握ったところに颯爽と及川は現れた。そのとき、菅原はコートにいなかったので、きっと認識すらされていない。
「俺も最初は、真面目そうな爽やか君がいるなあくらいの認識だったな。全然爽やかじゃなかったけど」
「はあ、泣く子も黙る爽やかさだろ」
「どのくちが」
売店は退場口から入場口を挟んだ奥にある。先ほど集まった人たちの入場が終わり、次の入場を待つ人たちが集まり始めていた。人の間を縫うように進んでいくと不意に菅原と及川の手がぶつかる。するとそのまま菅原は及川の手を引き、するすると人混みを抜けていった。
「でもさ、気がついたらスガちゃんのこと目で追ってたよ」
掴まれた手を一度解き、及川が握り直す。しっかり手のひらを合わせると先ほどよりもお互いの体温を感じる。
「かっこよくて、可愛くて、今はもう目が離せない」
ぎゅっと手を握り込むとぴくりと菅原の手が揺れた。
「俺の特別」
いつもならこれも「ばーか」となじられそうなものだったが、及川の手を引いたまま菅原は振り返らず、何も云わなかった。代わりにぎゅっと同じくらいの強さで握り返された手が及川の心を弾ませた。