箱の中で眠れるのなら薄暗い闇の中、目を覚ました。
どうやら眠っていたらしい。
そう気づいたのは、爆撃音が鳴り響き瓦礫の崩れる音がしてからだった。
空襲警報、救助隊のサイレン、そしてこの世の憎悪の全てが破裂したかのように凄まじく轟く音。
日常的にこの音を聞くようになってからどれくらい経ったのだろうか。
自分の手足があることを確認しながら、ユウはぼんやりと考えた。
我ながらこんな中でよく眠れたものだと嘲笑しつつも、寝不足の頭と身体は、多少でも休みにつけたことを密やかに喜んでいるようだった。
今回は少し遠くから音が響いてきた。西の橋のあたりが狙われたのかもしれない。あの辺には、いつもお世話になっていた市場があった。
*
私の生まれた国は、それなりに広い領地を持っていた。過去には幾度もの侵略戦争が起き、それが終結するごとに領土が広がったり縮んだりしたのだと、祖母から聞いた記憶がある。
昨今は落ち着いているように感じていたが、国境付近では変わらず小競り合いが起きていた。
それでも、私の街はそれなりに国境から離れていたし、学校に通えるほどには平和、だったと思う。
ここまで火の手が来ることは無いだろう。
そう思い込んでいた。
だけど。
ある日、国境で大きな争いが起き、どちらかの国の誰かが亡くなったことを皮切りに、戦争への歩みが進み始めた。
狙いは資源なのか、領土なのか、政府の偉いさんが考えていることなどわからない。わかるのは、「何かが奪われようとしている事実」だけだった。
十五の誕生日を終え、春から高等部に入学する予定だった私の生活は、その日から一変した。一番最初に奪われたのはまさに「日常」だった。
*
幸いにも、今のところは家族に欠員は出ていなかった。古くから争いが絶えなかったのが功を奏したのか(と言って良いのかは迷うところだが)、古い地下壕が各所に残っており、空襲警報が出たらそこに逃げ込むことになっていた。
裏を返すならば、無事なのは家族だけだった。
友人、先生、いつも美味しい野菜を届けてくれていた八百屋さん、香りの良いスパイスやハーブを沢山お店に揃えていて、子供にも飲みやすいドリンクの配合を教えてくれたお店のお姉さん。挙げればキリがない。
私の大切だった人たちは、いつの間にか居なくなり、最期の挨拶どころか、顔を見ることすらままならなかった。
この数ヶ月で爆撃の数が増え、救急隊員の人数も病床も、そして棺桶の数すらも足りなくなっていた。そのまま土に埋められた人も多いと聞く。
大切な人たちを、まともにあちらへと送り出すことも出来ないこの世の中を、呪って、呪って、そして、少し疲れてしまった。
*
警報がいつ鳴るかなど分からない。どこから砲撃が来るかも分からない。巷では厄介な伝染病の流行がもう何年も続いている。
どこにどうすれば生き延びる道があるのか、生き延びたとてその先に何があるのか、考えれば考えるほど、私の小さな頭は疲弊しきって、どうしようもなさに激しい憤りを感じ、破壊衝動に駆られるのだった。けれど街を破壊している奴らと同じにはなりたくなくて、モノに当たることだけはやらないと誓っていた。その誓いも、いつまで正常に機能するかはわからないが。
「どうせ死ぬなら、せめて棺桶の中で眠りたい」
いつしか私はそう考えるようになっていた。
生身のままで土に埋められ、耳や鼻などにじっとりとした泥が入り込み、虫や動物たちに肉を喰われることを考えるとゾッとした。
棺桶は、死者の個を守り尊厳を保つための、最期の部屋のようなものなのかもしれない。
*
ふと、外の空気が吸いたくなって、地下壕から出ようと思った。壕の中はどうにも息が詰まって堪らない。
母には止められたが、大きな爆撃はここから離れた場所だったし、攻撃も止んだようだから大丈夫だよと、自分でも何がどう大丈夫なのかよくわからない言い訳をして、不安そうに見つめる母を尻目に外に出た。
まだ暗い。陽が昇るのはもう何時間か先だろう。
春先のひんやりとした風が、瓦礫の埃っぽさをのせたまま頬を撫でた。
いつまでこんな生活が続くのかな。
すぐに終わるなんて言ってたのは誰だったっけ。
そもそも、なんで戦わなきゃいけないんだっけ。
戦うのは兵隊さんで、私たち一般市民じゃないはずなのに、どうして私たちまで攻撃を受けているのだろう。
みんなの日常を知らない誰かが「あいつらは殺してもいい奴らだ」とでも言ったのだろうか。
考えたところで答えは出ない。
外の空気を吸って気晴らしになればと思ったが、地下壕以外の場所の惨状を見れば嫌でも思案してしまうようになってしまった。こうして小さく後悔するのは何度目だろうか。
「ここじゃないどこかに行けたらいいのに…
まぁ、うちの経済状況じゃビザも取れないだろうし、別の国にツテがあるわけでもないし。無理だよね」
そうしてユウは再び自嘲した。
*
そろそろ壕に戻ろう、そう思った時、何かが迫り来るような音が聞こえてきた。
多分、馬の蹄の音。鳴き声もする。
攻撃はいつも空爆か戦車なのに、なんで…
思いつく限りの最悪な状況をフル回転でいくつも頭の中に描きながら、恐る恐る音の鳴る方に身体を返してみた。そこに居たのは闇夜にも隠れるほどに真っ黒で、時代錯誤のような古めかしく珍しいデザインの馬車だった。
*
闇の鏡に導かれし者よ
汝の心の望むがまま
鑑に映る者の手を取るがよい
私に 彼らに 君に
残された時間は少ない
決してその手を離さぬようーー
*
暗闇の中、目を覚ました。
そこが自分の望んでいた棺の中だと知るまで、あと……
[了]