片思いギャラリー初めて好きになったのは小学校の同級生。
太陽みたいに明るく笑って、「一成!」って昼休みのたびに駆け寄って来るのが好きだった。
2人目は中学の先輩。いつも気にかけてくれて、笑った顔が可愛いのに頼りになるところが好きだった。バスケも上手かった。
3人目はクラスの同級生。
「オレ、深津のこと好きなのかも」
少し照れたように笑う温かい笑顔が素敵だった。自分はそれまで彼をそんなふうに見た事は無かったけど、その一言を言われてから妙に意識した。
でも彼はすぐに隣のクラスの可愛い女子を彼女にした。
思えば、ずっと片想いだった。
それが普通だった。3人目の時はタイミングが違ったから、厳密には片想いではなかったかもしれないが、彼に彼女が出来てから自分は明確に彼が好きで、なぜあの時頷かなかったんだと酷く後悔したから、あれも片想いだ。
どうやら他の人の普通は、女の子を好きになる事らしい。
男の自分が男を好きになるのは普通とは言い難いらしい。
それに気付いてから、悩んだり自己嫌悪に陥ったりもしたが、ある日を境に別にいいじゃないかと吹っ切れた。
どうせ男が男を好きになるなんて、叶うはずもないんだから。この瞬間を楽しむべきだ。
想いを言葉にすることもない。向こうが気付くこともない。いずれ彼女が出来て自分とは違う、普通というレールに好きな人たちは乗っかっていく。
じゃあそれまで十分楽しませてもらおう。ちょっとした触れ合いや、心の通う瞬間を大切にして、胸の奥にしまって大事にしよう。
それでいいじゃないか、そういう人生だ。
そう決心してから、深津の人生は薔薇色になった。短い恋、叶わない恋を全力で楽しむ。
成長するにつれて、感情を顔に出さないようになって、それもまた有利に働いた。
頭の中でどんな事を考えていても、顔に出さなければ分からない。自分の気持ちは自分だけのもの。
同級生が、彼女だなんだと騒いでいるのを一見冷めた目で見ながら、頭の中では自分も恋をしたい、次はどんな片想いができるだろうと思っている。
浅ましくて愚かな自分。だけどそうするしかない、どうやら自分の恋愛対象はずっと男のようだから。
また素敵な片想いをしよう。いつでも取り出して見返せるように。
そんな時、ある男に出会った。
沢北栄治。
あの頃好きだった先輩に似ている。
でもそれよりもっと可愛くて、泣き虫で、笑った顔は今まで出会ったどんな人より太陽に近かった。誰よりバスケをしているところがカッコよかった。
そして眩しすぎる。
4人目はこいつか。
深津の楽しい片想いが、また始まった。
本当に顔が好きだ、と思った。2年になった沢北は、事あるごとに「深津さん!」と寄ってくる。
正直可愛い。ニコニコしてる顔も、泣きそうな顔も可愛い。
絶対言葉にはしないし、顔にも出さないが深津は沢北の顔の造形を大層気に入っていた。
坊主頭で、より綺麗な骨格が目立つピョン。
誰にも聞かれないからこそ、頭の中の深津は饒舌だ。
可愛い。笑う時に少し垂れる目尻が可愛い。
きゅっと上がった口角と、くしゃっと顔が潰れるみたいなのも可愛い。
「深津さん、オレと1on1しましょ!」
沢北は練習後、いつもそう言って深津の腕を引く。まだ自主練している部員は数名いるものの、人もまばらな体育館に沢北の楽しそうな声が響く。
「嫌ピョン、昨日もした」
「毎日しないとオレが嫌なんです!」
触れ合った手が嬉しい、沢北が自分だけにわがままを言うのが嬉しい。
絶対言わないけれど、こうしてまた深津の片想いギャラリーに沢北の映像が残っていく。
「ね、お願い!」
「…お前、その顔すればオレが許すと思ってるピョン」
沢北が渾身のうるうるお願いポーズをする。
こんな風にあからさまなかわい子ぶりっこよりも、沢北の素の表情が好きな深津は、ちょっと呆れてうんざりしてみせた。
「オレのこういう顔、好きじゃないんすか?」
「そもそもお前の顔はそんなに好きじゃないピョン」
うそだ。本当は大好き。
でもこんな風に、ちょっとじゃれるみたいに沢北を揶揄うのも好きだった。それに、あんまりあからさまな態度をとってしまうと深津の気持ちを気付かれそうで怖かった。
楽しい片想いに油断は厳密。バレたら即終了のゲームでもある。
「うそだー!じゃあどんな顔が好みなんですか深津さんは」
「河田みたいな男らしい顔ピョン」
「ええー、全然系統違う…」
「当たり前ピョン、河田に並ぶなんて100年早い」
デコピンをかまして、若干涙目の沢北に向き直る。腰を低くして、慣れた姿勢をとり沢北の持つバスケットボールを手で弾いた。
「ほら、お前から」
「はい!」
沢北がくしゃっと笑う。そういう顔が1番好きだ。
練習後の体は少しの疲労と、心地よいアドレナリンに溢れていて悪くなかった。相手が沢北なら尚更。
あぁ、幸せ。
この時間がずっと続いて、沢北が恋人を作らずに、自分の気持ちに気付かずに、少し特別な先輩のままで、卒業まで楽しませてほしい。
まだまだ沢北ギャラリーには空きがある。いつかこいつが居なくなっても、素敵な思い出を見返して生きていけるくらいにしておかないと、好きな気持ちに押し潰されそうで怖かった。
6月の雨はシトシトと降るから好きだ。
曇天の多い秋田の空も、本領発揮とばかりに雨の日が続いている。
蒸し暑くて辟易するが、これでも関東と比べたら湿度が低い方らしい。松本が今朝言っていた。
髪がうねるから嫌だピョン、と言ったら坊主なんだから関係ないだろと突っ込まれた。笑って欲しいところだったのに。真面目な松本らしい。
そんな事を考えながら3年の昇降口で、深津は空を見上げた。
今朝から降り続く雨は、昼を過ぎたあたりから本降りとなり、夕方17時を過ぎた今でも止まない。
中間テスト期間で、この期間は部活は休み。
だが強豪の山王工業バスケ部は、1日休むだけで体が鈍ってしまうというのを言い訳に、1時間だけの自主練習が許されていた。
テストの成績が悪い者は問答無用でテスト勉強に向かわされるのだが、幸い深津は勉強の方はそれなりだった。
自主練習なので練習試合などは出来ないが、軽く体を動かすくらいはできる。運動すれば頭が冴え、寮に帰ってから勉強の集中力も高まった。
引退したら逆に勉強できなくなりそうだピョン、と考えつつ傘を取ろうとして、あ、と気付く。
置いてきた。3階の教室に。
頼みの綱の河田は先に帰ってしまった。真面目な松本なら傘を2本持ってるかも、と思ったが今日に限って奴はまだ練習している。
いまから3階まで戻るのも億劫な気分だ。
学校から寮まで、徒歩数分。
雨足は結構強いが、走って帰ればなんて事ない。今日の自主練は軽めだったから、いい運動になる。ちょうどいい。
と思って、教科書の入ったリュックを抱きしめ、踏み出そうとした時。
「深津さん」
ス、と影が伸びて背後に誰かが立った。
「入ります?傘」
振り向いた先には、恋しくて美しい沢北の顔があった。
「…ここは3年の玄関だピョン」
2年は別なはずなのになんで背後から来る、という意味を込めたのに、沢北は微笑んで「知ってます」とだけ答えた。
「まさかこの雨の中走って帰ろうとしてました?大雪の日に同じことして風邪ひいたの忘れたんですか」
妙に温かな言葉の響きに、少し反応が遅れた。
まるで心配してくれてるみたいだ。
じんわりと胸が温かくなって、いや、でもそんなはずはないと思い直す。
自主練を切り上げて先に帰っていたはずなのになんでいるんだ、と口には出さずにいる深津を横目に、沢北はビニール傘を広げ、雨の中に踏み出した。
「入らないんですか?帰って、勉強教えてくださいよ、オレに」
振り向いて笑った顔に胸がきゅっとなった。
傘に打ち付ける雨の音がうるさい。
「…なんで俺がお前に教えるピョン」
言葉とは裏腹に、まさか片想い相手と相合傘で帰れるなんてと深津は浮かれていた。もちろん顔には一切出さずに。
「濡れそうだピョン」
「くっつけばいいでしょ」
あぁ、今のいいな。沢北の表情といい声のトーンといい、なんだかただの部活の先輩と後輩よりも距離の近い関係のようだった。
今の言葉は、深津の脳内記憶媒体に録音して、保存しておく。
いつでも取り出して、見直せるところに入れておく。
今までもこうして保存してきた幾つもの思い出がある。この後の記憶も、しっかり保存しておけるように目に焼き付けておこう、と心に決めた。
「俺が持つピョン、傘」
「いいですって、オレの方が背高いし」
「なんだそのマウント」
「はは、怒んないでくださいよ」
沢北も嬉しそうで、深津まで嬉しくなる。
こんなの、友人同士でも当たり前のことなのに、深津にとっては願ってもない幸運だった。
沢北は、隣に立つと自分よりも数センチ背が高くて、肩幅も思っていたより広くて、話すたびに少し体を縮めて深津の顔に耳を近づけようとするのが少し照れ臭くて、仕草ひとつひとつが深津にとっては夢みたいだった。
雨に混じって時々香る沢北の香りにドキッとしながら、こんなチャンス二度とないぞと恋心が囁いてくる。
少しなら近付いてもいいんじゃないか?
バレない程度にニオイを嗅いだら?
掴むところがないからと言って、腕を回してみたらどう?
今までだって何度も聞こえてきた言葉だが、深津がそれを実行した事はなかった。一つ欲を出すとさらに欲しくなる。するとバレる。この醜い恋心に勘づかれて、楽しい片想いが終わってしまったらどうする。
結局何もできずに終わるのが常だ。
今回もそうだな、と思いつつ、狭い傘の中、沢北との距離感を楽しみながら、学校から寮までの道のりがそう遠くない事を今だけ呪った。
中身のない会話をして、普段のじゃれ合いが嘘のように静かに肩を並べて歩いた。
「深津さん、肩濡れてる」
と、沢北がそう言って、突然腰を抱いてきた。
え、と思ったがもう遅い。
体は深津の言うことをきかず、素直に抱き寄せられてしまった。
いつもの先輩と後輩なら、「近いピョン離れろ」と言ってグーで殴ってごまかすのに、一瞬一瞬に浸っていた深津は完全に油断していて、沢北の腕を振り解けなかった。
「さ、わきた…ちょっと近い、ピョン」
「濡れるでしょ」
さらにグッと抱き寄せられる。足を止めた沢北はその上、深津の顔を覗き込むように体を縮める。
視界の端に映った沢北の肩は、傘の端から落ちた雨粒でしっとりと濡れている。
「そっちの方が濡れてるーー」
ピョン、まで言えなかった。沢北が顔を寄せてきて、二重まで綺麗なのか、と思った時には唇にも柔らかい感触があって、一瞬呼吸が止まる。
あれ、と思った時には沢北の呼吸が目の前で感じられて、真っ直ぐな瞳の中に深津の間抜けな顔が映っていた。
「深津さん、も」
これはなんだ、何が起こったんだ。
「オレのこと好き?」
「は?」
終わった。楽しい片想い。いつバレたんだ。なんでキスしてきたんだ。何がしたいんだこいつは。というか。
「"も"、ってなんだ」
ピョンを忘れた。どうでもいい。
「"も"っていうのは…」
「最悪だ」
「え?」
深津さんも、ということは他にもいるって事か。沢北のことを好きな奴。深津自身のように、浅ましくて醜くて邪な気持ちを抱いている奴。
そして何より沢北が、深津のそれに気づいていた。
何もかも終わった。最低最悪だ。また綺麗な思い出にして、額縁に入れてしまっておける最高の片想いにするつもりだったのに。
本人に気付かれた上に、馬鹿にしたようなキスをされるなんて。
楽しく片思いをしたいとは思ったが、弄ばれてこんな風に見下されてオモチャにされたいとは思った事はない。そんなのはまっぴらごめんだった。
「こんな事されたくないピョン」
深津は沢北の腕を振り解いた。今度はうまくいった。
「え、だって深津さんもオレのこと…」
「なんで言うピョン」
「なんでって、そりゃオレも深津さんが」
「言わなきゃ終わらなかった」
我ながら冷たい響きだった。
沢北の目がハッと見開かれる。深津の拒絶に気付いたのだ。
「俺の楽しい片思いだったのに、お前が壊すなんて」
「片思い!?なんで!オレだって深津さんのこと」
「要らないピョン、そんなの」
「要らないってなにが」
あぁダメだ、言ってしまう。いつも喉から手が出るほど欲しかったものがすぐそこにあるのに、深津の臆病な恋心が今度はやめろと囁いてくる。
そんなもの、かりそめだぞ、と。
「両思いなんて要らないピョン」
どうせ無くなるんだから。
沢北の傘から飛び出して歩き出す。
激しい雨は深津の肩、額、首筋を濡らし、じっとりと制服に染み込んでくる。
「オレの気持ちがどんなものか知りもしないくせに!」
背後で沢北が叫ぶ。
振り向くと、今は1人の傘の中、沢北の眉毛がへの字になって目元に涙が浮かんでいた。
その顔も好きだ。好きだった。
さよなら、深津の楽しい片想い。