ズッ…ズココ…。
「…おい拓也」
「…へ?」
「へ?じゃないだろ。下品だからやめろよそれ」
出先で3人が空腹を感じ、学生御用達のファミレスへと足を向けた。真っ先に注文したドリンクバーの一杯目はすでに飲み切ってしまい、氷が溶け出したメロンソーダだった薄緑の液体のみが残っていた。テーブルに置かれたままのコップから伸びたストローを咥え、無心で吸い上げていたのは理由がある。向かいのソファに腰掛けた同じ顔の二人の距離感だ。
輝二も、輝一も、お互い一人っ子として育ってきた。兄弟がどういうものかわからない。だが、「弟は守るものだ」という兄の姿と、「兄ちゃんに甘えちゃう」という弟の姿を見てきた輝二は、これが普通の在り方なのだと思った。しかも自分たちは性別が違う。兄が、妹を庇護の対象として接するのは当たり前なのだと思っていた。
「新しい飲み物淹れてこようか?」
「あ~、お願いしようかなぁ」
「わかった、待ってろ」
「あっ、俺も行くよ」
ここで「輝一もついでに持ってきてもらったら?」と口にするような命知らずな拓也ではない。
「はい」
「ん」
通路側に座っていた輝一が先に立ち上がり、輝ニがソファから降りるタイミングを見計らい手を差し出す。手の平が重なった瞬間指を絡め、並んで足を踏み出した。
最初に違和感に気がついたのは泉だった。デジヴァイスだったケータイから時代が進み、薄型の二つ折りの物を持ち出したタイミングで、双子の端末についたキーホルダーがお揃いだったのを指摘した。「あんた達って、ホント仲が良いわね」と微笑ましくなった泉に輝ニが「少し恥ずかしいけど…兄妹ならこういうのが普通なんだろ?」と言ってのけた。彼女こそ、兄もいなければ妹もいない一人っ子。だが「兄妹だから」という理由で装飾物を付けるのには疑問を感じた。首を捻り、感じた違和感を問いかけようと口を開きかけたとこに、肩をぽんと叩かれる。振り返ってみれば、柔らかく笑う輝一がいた。
「いきなり触ってごめんね泉」
「あっ、ううん…大丈夫よ」
「あと、輝ニのおもりありがとう」
にこやかに表情を緩め黒髪が並ぶ。横から「…おもりってなんだよ」と不貞腐れだした頬を突いた。
「遅れてごめんな」
「はぐらかしやがって…別にかまわないさ」
「うん、ありがとう」
陶器のような肌をするりと撫でてから「じゃあ俺達行くね?またな、泉」と細指を絡め取る。びくりと肩を揺らした輝ニが、気恥かしそうにしながら泉へ手を振って背中を向けた。遠ざかっていく二人を見送りながら「……これは」と呟いた言葉は静けさの中消えていく。
一番の被害者は拓也だろう。現実世界に戻ってきて、身体付きに男女のそれが現れだしてからも輝ニはなにかと拓也と行動を共にしたがった。理由は簡単で、単に気を使わないからだ。それに関しては拓也自身なにも問題はない。性別は違うが、輝ニと過ごす時間は幼い頃と変わらず楽しいもので、誘いに応じて様々な所へ行った。買い物、映画、ゲームセンター、ウインタースポーツ…。色恋感情の持ち合わせはないが、傍から見たらデートに見えるんじゃ…そう思えなくもないが、決まって輝一も居るからカップルに間違われる事は一度もなかった。どちらかというと、そこの2人のほうが…。
「なあ輝一」
拓也が輝一に問いかけたことがあった。一人っ子で育って兄弟のそれが解らないと言っても、いくらなんでも可笑しいんじゃないのかと。
一度目を丸め、ゆっくりと綻ばせた輝一が「俺と輝ニの事だから、拓也も…誰にも口出ししてほしくないな」と言いのけた。その眼差しに対し、背筋を這い上がってきた恐怖にも似た感情に身震いをして、頷くことしか出来なかった。そして、内心で「輝ニ…強く生きろよ」と手を合わせた。
小学生の時は戸惑いを見せていた輝ニが、段々と慣れていったことは言うまでもない。度々兄に向かって「こんなべたべたするものなのかな、兄妹って」と聞いてはいる。だがその度に「そうだよ」と、「これが普通だし、なにより俺が兄としてしたいんだ…」と切なげな表情を見せるから口を噤むまでがワンセット。中学に上がる頃には完全に絆されてしまった。
しかも、だ。高校進学を機に二人暮しを始めるという。同じ学校に通う事に味を占めた輝ニが兄と同じ高校に行きたがった。父輝成は初めの方は渋ってみせた。なぜなら輝一の第一志望が、源家から通うのには距離があったからだ。そこで輝ニから提案されたのが兄との同居。比較的裕福な家庭、これも社会経験だと思い二人分の生活費や家賃は源家の負担で解決した。輝一と一緒なら安心だと、輝成も決断できたのだ。その提案も、輝一きっかけということは知らずに。
甘いホットカフェラテとホットコーヒー、氷が入ったメロンソーダをトレーに乗せた輝一たちが帰ってきた。取りに行くと言ったのは輝ニだったはずだが、彼女の手にはなにもない。変わりにしっかりと繋がれた手を引かれ肩を並べている。
「おまたせ」
「二人ともありがと〜」
数年前は頬を引きつらせていた拓也も、見慣れた光景に何も言わない。
二人が席を外してる最中に運ばれてきた料理が湯気を揺蕩わせている。輝一の座っていた場所にはハンバーグ定食が、輝ニの所にはミートドリアが用意されていた。
「先どっちがいい?」
「ハンバーグ」
「わかった」
ようやく離された手でフォークとナイフを握り、一口サイズに切り分けていった。それを横目にドリアをスプーンに乗せ、小さい口で息を吹きかける。
「輝一」
「ああ、ありがとう」
口を開けた状態で横をむき、冷まされた一口を口内へと招き入れた。「うまいか?」「うん」と会話をおりなしながら咀嚼して、喉を通る頃にはハンバーグの切り分けが終わっていた。
「出来たぞ」
「うん、ありがとう」
切り分けに使っていたフォークで突き刺したハンバーグを、カフェラテを飲んでいた唇へと向けた。口に含んだ瞬間熱さに目を見張り、はふはふと息を吐き出しながら噛みくだく。
「わっごめん!熱かったな…」
はい、ともう一度差し出したハンバーグは、輝一がしっかりと吹き冷ましたものだった。涙目になった輝ニが再びぱくりと食べあげて、今度は難なく喉を通ったことに顔をほころばす。
「うまいな」
「ホント?よかった」
そこでようやく各々の前に置かれた料理に手を付けた。
「こーじ〜、俺にもひとくちちょーだい」
「ん?わかった、取皿取ってくれ」
ひとくち、と言ったのにスプーンが向けられることも、もちろんふーふーと冷ましてくれるわけもなく。手渡した取皿にべちゃりとソースとライスが落とされた。銀色のスプーンに乗って兄の口の中へと消えていった時はとても美味しそうに見えたのだが、手元に引き寄せた皿の上の米の塊は冷え切って、あまり美味しそうには見えない。不毛な考えはよそうと、チャーハンを食べていたレンゲでドリアを突いた。
「そういや、部屋決まったんだって?」
「無事に決まったよ。中々大変だったぞ〜、あれこれ注文があって…なあ輝ニ?」
「…だって、風呂は譲れないじゃないか」
いくら父の金だと言っても予算に限りはある。ユニットバスは嫌だと、女子らしい事を言ったのかなと考えた。
「最初の物件の広さでも十分だったじゃないか、輝ニは小さいんだから」
「お前はまた…あれだと、二人で入るのにはさすがに狭すぎるだろ」
「んぐッ?!」
取皿の上で冷まされたドリアを喉に詰まらせた拓也がゲホゲホとむせ返る。慌てて紙ナプキンを差し出した輝ニの顔が見れない。変わりに、優しく笑いかけている輝一をじとりと睨んだ。
「まさか、そんなことないだろうけど一応聞くな。……まさか…お前ら、さ……一緒に風呂入るつもりなのか…?」
ぱち、ぱちと長いまつ毛に縁取られた瞳が瞬いた。傾げた首に合わせて黒髪がさらりと揺れる。
「毎日じゃないぞ?」
「毎日、って…それはッ、」
「たくや」
目線だけで黙らせられるのは一種の特技だと言えるだろう。紳士的に、柔らかく笑っているはずなのに何も言えなくなった。押し黙った拓也の姿に再び首をひねった輝二が、兄の肩をちょんと突いた。
「…拓也、どうしたんだろうか」
「んー…もしかしたら、拓也もお前と一緒にお風呂入りたいんじゃないのかな」
「うげぇ…気持ちわる…」
んなわけねぇだろッ!と叫びたかったが、心底引き気味な表情を見せる輝二に何も言えない。テーブルに隠れて繋がれてるであろう手のひらたちを思い浮かべて、もう何も言うまいと、残りのチャーハンをかきこんだ。