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    僻地。

    ミンナココニイタ

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    僻地。

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    ふみ俺
    「俺」と、「俺」を失いたくない「伊藤ふみや」

    楽園追放。あるいは、凡人は入居不可。なにか……音が聞こえた。
    もう誰もいないはずの部屋。誰かが来るには早かったし、いた誰かはいなくなっていて、この家に住んでいる誰かだってもう、居ないに等しい。
    それなのに音が聞こえたような気がしたから、それは目の前で再生される走馬灯の一部だと、天井を向いて倒れ込んでいる男は思った。

    いま目は赤く霞んでなにも見えない。腕も脚も、途中で糸を切り離されてうまく動かない。
    自己はからだの中心にうずくまる。そこでただ耳をそばだてながら、痛みと寒さに震えている。

    ――化学繊維の擦れる「ごそごそ」
    ――生ぬるい地肌が冷たい機械の表皮に触れた「ぴたり」
    ――そして押し上げる「すう……」
    ――勢いをつけて飛び上がる「ひょうっ」
    ――質量を持ったものが、落ちた「がたん!」
    ――男のうめく声。

    ――男の声。

    ――「こんな机のへりに置かなくたっていいだろ」


    男の声?

    いやにはっきりと聴こえてきた、囁き声のようなその低い声。男は瞼をこじあけるけれど、視界はもはやまっくら。そこで無数の木や蝶や鳥が乱れ舞い、そこで自分自身が歌っているのが見える。遠い暗い空では、青い太陽が浮かんでいる。燃やされる無数の牛の群れ……その悲鳴が質量を持って、鳥の首を掻き切り、脂を流させる。
    見えていない。
    そう感じているだけのことだ。身体中に流れる死への恐怖を押し流すための快楽物質が、グロテスクで淫靡な情景を再生している。滅多刺しの腹と右の胸と脚から血が抜け出ていくなか、呼吸は浅くなり、そして死にゆく脳が最期の夢を見ている。
    それはどこにもない情景。人に遺された終わりの楽園。

    ――ああ……

    男は服と理を脱ぎ捨てる。形而上の指でなぞればみんな消えることを知っていた。そしてよりプリミティブな自分自身と抱き合う。
    境界線を失って混ざり合う中で、彼は自意識と自意識との争いをする必要があった。押さえつけられる自我。正しきに塗りつぶされる自我。生きてきたトポロジー。それに反発する。叱咤とともに蘇る恐怖。しかしその一方で渇望していた死。人はみな、自らを罰する。自らの中に内在する神に出会うために。
    そして自己に従うことなく、顔を上げ、楽園の地を踏んだ時にはもう、結局のところ自我は欠け、もはや戻れはしない。頭がない、胴体もない、四肢だけの体になって、自分の血肉でできた赤々とした葉を踏みしめる。

    ――「もうこれ、ちょっとまずいかもな」

    悲鳴。
    痛み。
    今までこの肉体を保っていた全ての命の慟哭。

    ――「やるだけやってみようかな……よく見たらなんとかなるような気がしなくもない。うん。よし、たぶん、まだ大丈夫だろ。たぶん」

    ――よう。
    ――俺のこと、わかる?

    四肢だけの肉体をまえに、知っているような知らないような顔の男。
    真っ黒い髪を後ろに撫でつけている。
    程よく焼けた肌。中肉の身体。緩やかな印象の服装で。現世的な様で、しかしその印象はぶれる。その輪郭が異様にはっきりとしたものに見えた。睫毛が一本一本びっしりと長く生えているように見えた。指は多くの節を持っているように見えた。どれも正解なのだとわかっていた。

    「お前のよく知ってる顔じゃない? まるで、隣に住んでるみたいにさ。うん。そっか。わかんないよな。だってもうお前、違うもんな。
    俺は正邪のカリスマ。伊藤ふみや。ダメ? なんで? ……なんちゃって。はは。わかんないか。
    いや、こんな状況になるとは思ってなくて。たぶんこれでもいけるはいけるはずなんだけどな。でもあんまり、期待しないで。ダメだったら、ごめん。そしたらお前はここでさよならになるからさ、最期になるかもしれない話をしようよ。
    なにがあったか、覚えてる? 俺には、なんとなくしかわからないんだよね。空き巣が物置に隠れて……滅多刺しにされて……そいつは逃げ去ってって、そんな感じ?
    あ、合ってんだ。
    完璧に? 
    そう。はは。
    まぁまぁまぁ。
    笑って、ごめんって。うん……死ぬって、痛くて、辛くて、苦しくて、でも最高に、気持ちがいいよな。わかるよ。
    俺が、もう一回死ねるようにしてあげる。
    ま、うまくいったら、だけど」




    *




    「おはよう、伊藤ふみや」
    「うん」
    「今日は、アパートを借りに行くことにした」
    「え。近場?」
    「この辺の物件があれば近場だろうけど。そうでないなら遠くまで」
    「……せめて、ナポレオン商店街方面にして。そこから出るとまずいかも」
    「バイトを探してる時にあの辺によく行ってたんだけどさ……あっちは、ぱっと見一軒家ばっかりだったな。安いワンルーム探してんだ。あっちは難しいよ。それに、大使館周辺に安いアパートなんてない。無理だ」
    「じゃあ、今のままでいいじゃん」
    「“支援者”の支援で建てた人目を避けたこのプレハブ小屋で? ていうかさアパート止めるならだったら住まわせてよふみやの住んでるところに、部屋空いてるよね、俺の住所もそこになってるんだろ」
    「それは駄目。“凡人は入居不可”だから」
    「それって、本当に何?」
    「俺が決めることでも、俺が決めたことでもない。今のところはね。まあ……与えられた定義としては、あの家じゃないと生きていけない奴ら。俺も含めて」
    「俺もこの掘建て小屋とそこくらいしか家の候補がないわけだけど?」
    「そういう意味じゃないよ」
    「ごめん」
    「いい、いい。ほんと……あんまり、お前には危ない橋を渡らせたくない」
    「どういうこと?」
    「アパート選び、俺がついていきたい。いい? ちょっと待って。一週間後なら、できてるはずだから」
    「何が?」
    「だからさ、代わりに今日は俺とカフェに行こう。アパート見に行くなら今日は空いてるんだろ。俺のよく行くカフェに一緒に行こう。この日が終わるまで。今日は何分だろうな。それとも二四時間? いいや、たったの一秒かもしれないな」
    「さっきから何を言っているの、伊藤ふみや」
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