10月の話『命日』
「わ、パパ凄い!これ、パイ?」
「そうパンプキンパイだよ。僕にも出来そうだったからね」
甘い匂いが漂っている。うたた寝をしていたわたしは匂いに気が付き、追うように辿れば仕事が休みなパパが、見事な物を作り上げていた。まだ出来たばかりみたい。
「でも何でパンプキンパイなの?」
「世間的にはハロウィン、とか言うし。ちょっとかぼちゃも余ってたからね。あぁ、切り分けておくから好きに食べていいからね」
「…隣に持ってってもいい?」
「あぁ、そうだね持って行きなさい」
丁度いい入れ物と言えばタッパーくらいしかない。3切れ入れた。何故3切れか。1つは自身が隣で食べられるようにする為だ。兼もう1つの理由。
サンダルを履いて、僅か数十秒で着いてしまうお隣。今日も静かだ。住職がいるかどうかはさて置き、一人息子である彼氏は多分いる。
律儀にインターホン。彷徨曰くは開いているなら「勝手に入って来れば?」だったが、それはあくまで中学時代の話。高校生になった今、流石にドカドカと上がり込むのも如何な物かなと。
カラリと扉が開いた。
「未夢か…なんだよ鳴らさないで入って来ればいいのに」
寝てたのだろうか。寝ぼけ顔が面倒くさそうにして出迎えていた。
「だって一応"来客"だもん。それにちょっと用あるし!」
「ふーん来客、ねぇ。宿題教えてーの時は普通に入って来るのにな?」
「……くっ…そ、それは切羽詰まってるからでですね…」
「なんだそれ」
矛盾してるだろって言いながら笑ってる。それはそれとして、とパパからもらったパンプキンパイを彷徨に手渡した。なんだなんだとキョトンとしてる。
「パンプキンパイ」
「え?お前がー……な訳ないか」
「コラ。一言余計よ」
「もしかしてハロウィンだから?」
「うん。パパが持ってっていいよーって」
明らかに表情が変わった。彷徨って本当にかぼちゃ好きだなぁ。普段から想像が付かなくて本当にギャップあり過ぎる。かぼちゃ好きなのはわたししかもう知らない秘密だけど。
「3切れ?」
「うん、2切れはおじさんと分けて貰ってー…もう1つは…」
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「よく命日が今日だって知ってたな」
「おじさんから聞いた~そういうの何で言わないのよ」
「いや、言ったところで…」
残りの1切れは、彷徨のお母さんの仏壇にだ。(後にわたしが頂く前提だけど)
前わたしが使ってた部屋より更に奥。掃除だけは丁寧にされている仏壇のある部屋。ここはかつて生前の彷徨のお母さんの部屋だったみたい。
仏壇に1切れのパンプキンパイを置いて静かに手を合わせた。仏壇は既に綺麗に花や供え物がたくさん置いてある。
「どうぞ!よかったら食べてくださいね」
パパが作ったから美味しく食べてくれていたらいいけれど。
「……さて、お前今日の用ってこの事?」
「そうだよ」
「で?帰りにそれをついでに食べるって感じか?」
げっ、バレてる。
「うわ、目ざとい…」
「ばーか、お前の深層心理くらい分かる。何年付き合ってると思ってんだ?」
「2年!」
「正解」
バカにしてるなこれは。
「そうだハロウィン、だっけ?ついでに英語勉強するか?未夢サン、"Trick or treat?"ってどういう意味?」
「ば、バカにしてー!流石に子どもだって分かることじゃない!お菓子くれなきゃイタズラしちゃうよでしょ?」
「そうだな?で?」
ニタリ顔。でも今日は必殺武器がある。
「残念!パンプキンパイあるから今日はイタズラできませーん!」
「これはお前の父さんからだろ?無効。本人からじゃなきゃな?」
「なっ…」
「じゃっ、イタズラ決定で」
担がされた。屈辱にも程がある。向かう先は多分彼の部屋。
「信じられない!お母さんの命日に何を考えているのよ」
「さぁ?ま、母さんなら許してくれるかなって」
「いや、ちょっ、待って、いやー!」
ピシャリと襖が閉められてその後は恥ずかしくて答えたくない。
『手紙』
──────────これ、この子が成長した後、あなたから渡して貰えませんか?タイミングは、いつでもいいんです。この子にしてあげられる、最後の贈り物として。
あれから早くも13年の月日が流れ、16歳になった彷徨に、宝晶は大切にしまってあった一通の封筒を渡しに、息子の部屋を訪れた。
亡き母の命日がせまる10月の半ば。中学生の頃渡すにしては、自身がいない日が多い事や、彷徨も年頃で何かと多感な時期にあり、反抗的な面もあったので一先ず見送っていた。高校生になった今は、ようやく垢抜けた感じもあり、タイミング的には丁度いいと踏んだのだ。
突然宝晶が部屋に来たので、彷徨は目を丸くした。一緒にいた金髪の少女も目をパチクリ。中学2年から付き合っている一人息子の恋人で、敷地内にある邸宅に住む、知人の一人娘だ。
「…………何、だよ親父」
「そろそろ、お前に託す日でもいいかと思っての」
懐から一通の封筒を手渡した。色褪せずに、開けた形跡もない花柄の封筒。
「何?」
怪訝そうな顔をしつつも、彷徨は宝晶からそれを受け取った。達筆な字体で表に『大切なあなたに』、裏に『母より』と記されてある。彷徨は宝晶を見た。
「死んだ母さんが、死ぬ前にわしに託した。いつかお前に渡してくれってなぁ。勿論1回も中身は見とらん。後はお前が好きにしなさい」
もうすぐ命日じゃな、と言いながら宝晶は彷徨の部屋を退室した。彷徨は宝晶の姿が見えなくなると、封筒に視線を向ける。
「…お母さんからの、手紙?」
「えっ…これ開けるの怖いんだけど…」
らしくなく指が震えていた。何せ母の記憶は彷徨にほとんどない。ここでワープ騒動があった時、顔を見た程度のもので、話しをした訳じゃない。
「何言ってるの、亡くなってるお母さんからの贈り物なんだからちゃんと読んで、大切にした方がいいよ?」
促されて、ようやく封筒を開けた。カサっと取り出した便箋を拡げ、ゆっくり文章に目を通した。
「私は、あなたにこれを贈ります。きっと随分大きくなった事でしょう…。」
そこから彷徨の声は止まった。黙って、文章を目で追っている。
文章半ばだろうか、視線が真ん中で止まって。彷徨は未夢の手を握って来た。
「えっ…」
未夢はパッと彷徨を見るが、便箋で彷徨の顔は見えない。未夢は内心ハラハラした。手紙の内容から受け止めきれない何かがあったのか、苦しくなってしまったのか、等見てる本人しか感じられない計り知れなさを感じていた。
「か、彷徨?」
呼んだが彼は答えない。そのまま読み切ってしまったか、便箋を置いた。
俯いていて表情は分からない。未夢はどうしようと思ったが、悩んだ末、彷徨の後頭部に空いている片手を滑らせ撫で上げる。
「……甘えたい時は甘えなさい、苦しい時は吐きなさい、大切な人を作りなさい。これがあなたに言える、わたしからの言葉。でも、ずっと見守ってます……だってさ」
声に出しているが、未だに表情は俯いてしまっていて分からない。
「彷徨、苦しいの?辛くなった?」
首は横に振られた。
「いや。今だから分かるんだよ。…家族ってやつ。…あったかいよ」
言った後、彷徨はぽすりと未夢の肩口に寄りかかって来た。
「彷徨…?」
「頼みあるんだけどさ、今ちょっとだけ、このままでいい?」
「…うん」
握っていた手を離し、両腕が背に回された。単純に、温もりが欲しかっただけだ。
「あの…わたし、彷徨のお母さんにはなれないよ?」
「ははっ、バーカそんなの分かってるよ。今ちょっとの間でいいんだって」
「…よかったね、お母さんから最後に贈りものがあって」
最初で、最後の手紙。何処に仕舞うか考えていた。
でもそれ以上に目的も出来上がる。
あの生活があった今だから、見守られていた優しさを文面を通して感じられたから気が付けたと思えるのだ。
「おれ、いつか自分の家族、欲しくなったよ」
「そうだね…って…あれ?」
「何?」
「……その時の相手って……」
「今はまだちゃんと言えないけど…でもおれが生涯隣にいて欲しいのは、もう、今もこれからも1人しかいないから」
誰だと思う?と投げかけて彷徨は未夢を見た。
「形にするよ。いつか、な」
今はまだ、今の時間を大切にしたい。
──────ありがとう、母さん。あなたの息子でよかった。