渡し守は朝を待つ今回もエンディング後、暁人だけが帰ってきた世界です。
デイルのキャラクターを捏造しています。
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辺りは薄暗かった。今は夜なのだろうか。
数メートル先もよく見えない。いや、何もないから見えるものがないのか。
何かあるのかわからないが、足の動くのに任せて進んでいた。どうして歩いているのか、どこに向かっているのか、霧がかかるように考えはまとまらなかった。
更にあてどなく進んでいくと、足下はいつの間にかごつごつとした石に変わっている。
そして、小さく音が聞こえてきた。聞こえてくるのは水の音。
数歩先に水面が見えて自然と足が止まった。水面は波立っている様子もなく穏やかにも見えたが、その黒々とした深さは底が知れなかった。
そのまま水に向かって突き進んでいっていいものだろうか?どうしたものかと立ち尽くす。
足を止めてみると、急に足が疲れを訴えてきた気がして手近な石に腰かけて足を伸ばした。ずいぶん長く歩いたような気がする。
「おい、お前何してるんだ」
声につられて顔を上げると、いつの間にか近くに一人の人間が立っていた。背格好などから男であるようだ。
しかし、その顔は面のように垂らされた布が邪魔してうかがい知ることができない。
「いや、何って、何だろう」
「おい、しっかりしてくれよ」
返答に窮していると男は呆れたように言った。
その声音にちょっとイラっとして水面に視線を投げる。
「そう拗ねるなよ」
「拗ねてない」
視線を向けない事に、しょうがないとばかりに男がため息をついた。
自分でも少々子どもっぽい態度を取ってしまったと思うがどうにも取り繕う気になれない。
無言が続くのに何故だか気まずさはあまりなくて、穏やかな水面を見ているにつれて心が落ち着いて居心地がよくなっていく気がしてきた。
「こんなとこ来ちまうなんて、ちょっとたるんでるんじゃねぇのか」
せっかく穏やかな気持ちを邪魔するように、男が憎まれ口をたたく。
「うるさいな。好きで来たんじゃないよ。そもそもここどこなの?」
「自覚なしかよ」
男の声の呆れの色が強くなった。
静かで穏やかでいい場所なのになんでこの男は邪魔をしてくるのだろう。わざわざちょっかいをかけてくる輩には構わずとっとと先に進もうか。
それが良いと心の中で頷いて、立ち上がる。
「おい、どこ行くつもりだ?」
歩き出そうとすると、またもや男が話しかけてきた。
「もう行くんだよ。鬱陶しいおじさんに構ってられないし」
すると、男が目の前に回り込んできた。
「ちょっと、どいてくれない?邪魔なんだけど」
「それは聞けない相談だな」
苛立ちが募る。
自然と目元に険が宿るが、布越しでも男に何ら慌てた様子がないことはわかった。
「あいにくと、オレはここの渡し守を任されてるんでな」
「渡し守なら川を渡すのが仕事だろ。船も無しに何しに来たのさ」
「お前を追い返しに来た」
間髪入れずに返してくるもので勢いを削がれた。
「この川渡るには渡し賃がいるんだよ。お前払えないだろ」
「いくらいるんだよ?」
「古風にいくんなら六文だな」
「ろくもん?そんなの持ってるわけ無いだろう」
ぽんぽんと返ってくる軽口の応酬が心地いい。
先ほどの静けさから感じる自分が空気に馴染んでいくような心地よさとは違う、自分の輪郭を描き力強く包み込んでもらうような心地よさ。
「まぁ、こっちも今どきそんな物持っているとは思っちゃいない。だから、思い出話を渡し賃代わりに聞いてんだよ」
「思い出話?」
言葉を交わすうち、霧が晴れるように少しずつ思考もはっきりしてくる気がする。
これまで、いろいろなことがあった。どちらが価値があるなんて比べるつもりはないが、同年代の大多数と比べればなかなかに波乱万丈な人生を送っていると思う。
「話せる思い出はいろいろあると思うよ」
少しだけ苦く笑った。
甘くあたたかい幼い日、あの頃はその大切さを知らなかった何気ない日常、そこから転がり落ちるように父が亡くなり、母が亡くなり、それから。
「いや、お前の話じゃ渡し賃に足りないよ」
だが、男は話も聞かぬまま即答した。
「なんだよ。何も知らないくせに」
「知ってるさ。お前が頑張ってることは、オレがよく知ってる」
これまでの自分の人生を大したことないと一蹴されたように感じて食ってかかろうとするが、男が殊更やわらかい声音で言った。
明瞭になってきた思考にその声音が引っかかった。そのやわらかい声だけではない。子どもみたいな軽口、はっきり意志を持った声、こちらを子ども扱いするようなわざとらしい呆れ声。
彼の姿を見たことは片手で足りるくらいしかなくて、しかものんびり眺める間などない事ばかりだったから、彼に関する記憶はどうしても声の占める割合が多くなる。
それに引っ張られるように、それからの思い出があふれてくる。
あの夜を越えて、生き残った彼の仲間と新たなチームを組んだ。そして、人知れず人ならざるモノを相手にする彼の役目を引き継いだ。
「そんな・・・何、で・・・」
「そりゃお前、ここは三途の川だからな」
「三途の川・・・って、僕死んだの!?」
「死んでねぇよ。何回か死にかけたり、あの世に近い場所まで踏み込んだりしてるから、ちょっとしたことでふらふらぁっとここまで来ちまっただけだろう」
こっちの狼狽を気にも留めずに、迷子か何かのように軽く言ってくれる。あまりに悠長な言い草に自分でも落ち着いてきた。
確か、今日の仕事は廃ビルの浄化だった。下層から順に各所に巣くった穢れを払いながら上を目指し、やっと屋上に着いたと塔屋から踏み出した途端空に向かって雨が上り始めた。はっとした時にはもう遅く、ぶわりと浮かび上がるてるてる坊主。その後ろには死神のようなシルエットも複数浮かび上がる。
あの夜のようにそこかしこにエーテル結晶体があるわけではないので、見る見るうちにジリ貧になり何とか照法師を倒したと思ったところに虚牢の自爆特攻をくらった。そこで意識が途切れている。
「・・・え?僕、本当に大丈夫なの?」
「言っただろう、追い返しに来たって」
その瞬間、肩をポンと押された。
大した力ではないはずなのに、後ろから何かに引かれるように体が倒れる。
背中の衝撃に身構えるが、背中も頭も地面にぶつかることなく真っ逆さまに落ちていく。
「もっと山ほど土産話こしらえてから来い。それこそジジイにでもなってから。ここで待っててやるから」
もうとっくに姿は見えないのに、不思議と声が響いて僕の意識は暗転した。
「———キト、アキト!アキト!」
自分の名前を呼ぶ声が届くと同時に、体中に痛みを覚えて呻きながら目を開けた。
「・・・デ、イル」
「よぉ。天使とのランデブーを邪魔しちまったか?」
髭面の大男、デイルが目元に安堵を滲ませながらこちらを見下ろしていた。
「いや。予約便を間違えてムサイおっさんと地獄巡りに繰り出すところだったから助かったよ」
何とかニヤリと笑みを浮かべて軽口を返す。
「それは・・・」
デイルは何か察したように軽く瞠目した。
「土産話が渡し賃に足りないって追い返された」
「言ってくれる。それなら、定刻の便はタイタニック号でも用意してもらわなきゃな」
二人で、ニヤリと笑いあって手を借りながら身を起こす。
たくさんの土産話を積み上げるために、僕は生きていかなきゃならない。
さしあたっては、この後きっとくらうことになるだろうエドの長々としたお小言を思い出話に追加することになりそうだ。
end