秋の歩幅「ルキノさん、コーヒーが美味しいカフェをみつけたので行きませんか」
ルキノの私室が無遠慮にノックされれば、許可をする前に聞き慣れた声が部屋に響いた。
「私は入室の許可をした覚えがないが」
「僕と貴方の関係でしょ。そのカフェはビスコッティもおいしいと評判ですが」
いかがですか?、と火傷痕で引き攣った非対称な笑顔でルキノをカフェへと誘う。ルキノが読み進めたページは全体の半分、軽い昼食を数時間前に取っただけで胃袋を意識してしまえば空腹のような気もする。すぐに返事をするのも面白くはないと、伸びた鉤爪を顎にあて考えるふりをするもノートンの笑みはかわらないまま。
「付き合おう」
ルキノの返事と共に、部屋を出ていくノートンに付いてこいということだろう。デートの誘いをしたにも関わらずエスコートをしないとは、テーブルマナーだけではなくそのようなマナーも必要なのかと、今後のカリキュラムを再考しなくてはいけないらしい。
街路樹の紅葉が歩道のレンガへ落ちていく。落ちた紅葉を照らす秋の暮れが二人の影を伸ばしていた。
ノートンが言うには館から遠くないカフェということだ。館を出るまではノートンが先に歩いてたが、館を出てからはルキノの歩幅に合わせるようにノートンが隣を歩いている。魔トカゲ故に人よりも大きい一歩に合わせれば必然とノートンの一歩も大きくなる。少しばかり歩調を落とせば、それに気づいたノートンがルキノを恨めしそうに見上げた。ルキノは自分の一歩が大きいと理解しているからこそ、ノートンに歩幅を合わせている。
「僕に合わせる必要はありませんよね」
「ふむ。相手に合わせるとはマナーというより人としての基本だな。相手を個として尊重する、人間関係の基本となりえることだ」
女性に合わせるように自然とした動作でノートンを優先する。自分が特別という意味ではない、自分の方が庇護の対象という意味だ。見た目は魔トカゲであるが、この男の内側は郷里であるイタリアを重んじている。紳士の嗜みと称し、ノートンにマナーを教えるのもマナーを重んじているからだ。
だからこそ、恥を忍んで喋りたくもないアントニオにイタリア式のデートの誘い方を聞けば鼻で笑われた。一発殴っても許されるだろうかと、磁石に指をかけた所でアントニオが口を開く。「デート?気を使ってそんなものに誘うぐらいならお気に入りのカフェにでも誘え。くだらん時間を増やすよりはお前と気持ちよく別れた回数で印象が決まるだろう」アントニオの助言の本質をノートンは理解できていないが、無駄に考えるのもバカらしい。それでも、次の行動は判明したのだ。
先程よりはゆっくりと紅葉のカーペットを歩いていく。急ぎたいと思っていたのはノートンの焦りであった。
「そして、こういうことがマナーだ」
グイっとノートンの肩がルキノの方へ寄せられれば、後ろから自転車がすまないと片手をあげて二人を追い越していく。
「相手をエスコートする、男性側が車道を歩く、基礎的なことさ」
ゆっくりと離される深緑の鱗に覆われたしなやかな指。ルキノの身体の向こう側では、車の往来が激しかった。思えばカフェへの大通りに差し掛かった所でルキノが自分の後ろを通り、立ち位置を変えていた。自分が女性と同じ庇護の対象となっているからなのか、この人の恋人になり得る存在として意識してくれているのか、どちらであってもノートンは腹立たしい。魔トカゲと人間という絶対的な力の差や、体格の違いを見せつけられているようだ。庇護の対象と言えば紳士的であるが、ノートンが感じている感情は格下への配慮と同じである。ならば、こちら側にいるのは自分ではない。
「では、僕がこちら側では」
ルキノの前を通り、ノートンが車道側へと移動すれば貴方がそちら側だと、ノートンの暗い瞳が告げる。足元で枯れた落ち葉がくしゃりと音を立てた。
「それが正解だ。では、エスコートを頼もうかな」
するりとノートンの腕に絡むルキノの手のひら。動揺したことを悟られないうように下唇を小さく噛んだ。緊張と動揺から更にノートンの歩幅が狭くなってしまう。
カフェは大通りを抜けた先、距離は実に三百メートルほど。この距離をこの歩調で進むに丁度良い気温であった。