放課後デートとまた明日 とある私立学校のとある教室から、まるで少女のようにかわいらしく、美しい少年が出てきた。彼の名前は白鳥藍良。大きな襟、大きなリボン、ゆったりとしたワイドパンツは柔らかなシルエットとウエストの細さを引き立てる。コツコツと上品な靴の音を立てて、白鳥藍良は階段へと向かう。自分も帰るところだったので、なんとなくその後ろ姿を目で追いながら一緒に昇降口まで来てしまった。
外に出ると、鳥の子色のショートヘアと制服の裾が風になびく。そして、どこか踊るように揺れる鞄。何もかも同じものを、自分も身に着けているはずなのに、彼が着ていると全く別のもののように感じる。少しだけ速足になるのを理由もなく追いかけた。
たまたま教室を出るタイミングが一緒だったからこれ幸いと後ろ姿を眺めていたが、帰り道は別方向なのでそろそろこの時間も終わりだ。
白鳥藍良はこのあと、他校の生徒と待ち合わせているはずだ。前にその人は白鳥藍良を校門まで迎えに来て、やけに人目を引いていた。身長がそこそこ高くてふわっとした赤いくせ毛。うなじは刈り上げていて片耳にピアス。そして黒縁のメガネをかけたおそらく年上の先輩。メガネをおしゃれアイテムとして身に着けている、その「正解」を体現しているような男だ。うちの制服はかわいらしいと評判だが、あちらの制服はとにかくおしゃれでカッコいい。ビリジアンのストライプシャツに、足の長さを強調する白いパンツ。黒の太縁の眼鏡では隠しきれない端麗な御尊顔に周囲の人間は男女問わず注目していた。
最近姿を見ないのは待ち合わせ場所を変更したからだろう。誰であっても他校の制服は目立つのに、あの男であれば尚更だ。ふたりはこれから放課後デートかな、なんて考えながら、自分は白鳥藍良とは背中合わせの方向へと歩き、校門を離れた。
◇◇◇
校門から離れ、同じ制服の人間が視界からほとんど居なくなったのを確認してから、藍良は通学路の途中にある本屋へと立ち寄った。アイドルやモデルの顔が並ぶ雑誌のコーナーを素通りし、さらにポップが賑やかな新刊のコーナーをも通り過ぎて、背の高い本棚の並ぶ奥へと入っていく。既刊が静かに陳列された紙のにおいが充満する空間に、藍良の大好きな横顔があった。
「ヒロくん」
声をかける前に、その横顔が藍良に気づいてくれた。読んでいた文庫本を本棚に戻すと、微笑みながら振り向く。
「お帰り、藍良」
天城一彩は眼鏡越しに笑って見せて、鞄を持っていない方の腕を藍良に向けて広げる。藍良は周りに人がいないのを確認してから、その腕の中に入った。背の高い本棚に隠れて、しばらくの間静かに抱き合う。一彩の制服の生地から、違う場所の匂いがする。それを吸い込んで恥ずかしくなって身体を離す。片手は、一彩のシャツの袖を軽く摘まんだままだ。
「帰ろっか、ヒロくん」
本当は帰りたいわけではないのだけれど、いつまでも本屋に居るわけにもいかない。ここは待ち合わせるのには丁度いいけれど、おしゃべりをするには静かすぎる。二人は店の外に出て、そっと手をつないだ。
毎日、二人の学校の中間地点にある本屋で待ち合わせて、一彩に藍良の家まで送ってもらう。着ている制服の違う相手と二人で並んで歩くのはとても目立つだろうけれど、校門まで迎えに来られた日からは開き直っていた。
学校であったことや勉強したこと、昼食のメニューの話など、他愛のないことを共有しながら歩く。歩くのが一人の時よりも遅いのは、なるべく長く一緒にいたいからだ。隣を歩く一彩の横顔を盗み見るように見上げると必ず気づかれて微笑み返される。藍良は顔が熱くなるのを見られないように、彼の肩に頭を押し付けた。
バスを使えば五分もかからない距離を、三十分かけて歩くようになったのは一彩と付き合うようになってからだ。一彩は藍良を送ったあとはバスに乗ってさっさと帰るらしい。その話を聞いてから、二人の時間を長く共有したいという想いが同じだと分かって、かつて毎日使っていたはずのバス停を歩いて通り過ぎるたびに嬉しくなった。
ゆっくり歩いていたはずなのに、話しているとあっという間に自宅に着いてしまう。名残惜しくてゆっくり自宅の門扉を開いたら、キィっとわざとらしい音が鳴った。
「また明日ね、藍良」
「うん。……また明日」
そう言って、一彩は手を振って最寄りのバス停に向かって歩く。明日もまた会えるからと、藍良も諦めて自宅の扉を開けた。開けようとした。
「あれ」
思わず声が出る。藍良が帰宅する時間にはいつも母が鍵を開けておいてくれるはずだ。仕方なく鞄から自宅の鍵を取り出して、ついでにスマホを確認する。
『藍良くんごめんね。でかける用事ができちゃったから行ってきます。夕飯遅くなっちゃうから、お腹空いてたら先に食べていいからね』
泣きながら謝るウサギのスタンプと一緒に、母からのメッセージを受信していた。メッセージの受信時間はついさっきだ。藍良ははっとして、門まで引き返す。
「ヒロくん!!」
がちゃっと乱暴に門を開けてしまったので、少し遠くまで歩いていた一彩が、何事かと戻って来てくれた。
「どうしたの、藍良」
「い、今ウチに誰もいないみたいなんだけど、寄ってかない?」
裏返りそうな声と真っ赤になっているであろう顔の熱さ。恥ずかしくなって俯いてしまったけれど、一彩が優しく頭を撫でてくれる。
「いいの? お邪魔しても」
藍良は両手で顔を覆って、こくりと頷いた。
◇◇◇
念のため部屋の前で一彩を少し待たせて、自室をチェックする。幸いほとんど散らかっておらず直ぐに一彩を通すことができた。『散らかしているものは掃除機で吸い込むからね』という母親の教育に感謝する。
丸いローテーブルの側にクッションを置いて、一彩に座ってもらった。
クリーム色の寝具とアイボリーの机、寝具と同系色のラグという淡い色で揃えらえた空間では、一彩の赤い髪と深緑色の制服はちょっとだけ浮いている。そのせいか、自室に一彩がいるという状況を強く意識してしまい、藍良は心臓をドキドキと高鳴らせた。
部屋に通したのはこれが初めてではないけれど、大好きなアイドルグループのポスターが貼ってある自分だけの空間に、エリート校でトップクラスの成績を誇る男がいるというミスマッチ。いくら考えても恥ずかしくなってしまう。
藍良は一度席を外して二人分のお茶を用意する。部屋に戻って来てお茶をテーブルに置いたあと、ちゃっかり一彩のすぐ横に座った。ふふ、と一彩が笑って、早速お茶を飲んでくれる。
帰り道でしていた話の続きをしたり、ふと目に付いたアイドルのポスターのことで一彩が話を聞いてくれたりと、まったりした時間が過ぎていく。
出したお茶を二人とも飲み終わった時、ふと一彩が眼鏡を外してテーブルの上に置いた。どきりとしてその横顔を見上げると、眼鏡という緩衝材の無くなった顔立ちが至近距離に現れて、藍良は思わずかぁっと頬を染めてしまった。
「藍良」
「ひ、ヒロくん……?」
眼鏡を外したのを合図のようにして空気が変わった。一彩が藍良の腰に腕を回して抱き寄せてくる。反対の手で髪を耳にかけながら頬を撫でられ、表情から力を抜かれてしまう。ぽうっと見つめ返したら、もう目の焦点が合わないくらいに近づかれていた。
「いい? 藍良……」
頷くのと同時に唇を塞がれた。
「んっ……」
こうなることを期待していた藍良はすぐに体温を上げる。丁寧に唇を舐められ、思わず口を開いたところにするりと侵入される。甘く熱いキスに、思考も蕩けていく。
「おいで、藍良」
一彩に言われて、ベッドにもたれて座っている一彩の膝に座る。邪魔なローテーブルを退けて向かい合うと、またキスをされた。
「……っ、ふぁ……」
息継ぎをする暇もないほど深くキスをされ、その間にするすると制服のリボンを解かれ、ぷつっと襟のボタンを外され、ジャケットを脱がされた。キスをしながら器用にブラウスのボタンを外され、露わになった首筋をくすぐるように唇が這う。
「あっ、ぁん……」
ベストを脱がそうとする手に脇腹をくすぐられて思わず声が出る。複雑な作りをしているはずの制服を、慣れた手つきであっという間に脱がされてしまった。ズボンの肩紐はずり落ちて、ブラウスのボタンはすべて外される。
「藍良、ごめん……」
一彩は藍良の肌に口づけながら謝る。
「久しぶりに君に触れたら、止まらなくなってしまって……」
言いながら、一彩は藍良の鎖骨や胸に顔を埋めてくる。一彩が喋る時のわずかな息遣いでも肌で感じてしまう。
「謝らないでよォ……いっぱいキスして、ヒロくん……」
藍良は一彩の頭をぎゅっと抱きしめた。
◇◇◇
「……また、遊びに来てね」
ルームウェア姿では玄関までしか見送りができない。藍良は玄関の鍵を一彩のために開けてあげてから、名残惜しんで彼に抱き着いた。
「うん。今度は僕の家に呼んであげるね」
「ふふゥ、楽しみにしてる」
いつまでも引き留めていたいが、どうせ毎日会えるのだ。久しぶりに触れあえたから浮かれてしまったけれど、明日は学校もあるし、そろそろ一彩を帰さないといけない。
名残惜しさを隠せず、藍良がゆっくりと離れたが、その時突然外の門扉が開く音がしたので、藍良は慌てて一彩から三歩離れた。
がちゃりとドアが開いて、藍良の母親が帰宅する。
「あら、一彩くん来てたの? ちょっと藍良、何であんただけ部屋着なの」
「い、いいでしょ別に! 制服シワにするなってうるさいのお母さんじゃん!」
何をしていたのか、一緒に勉強をしていた、夕飯を食べていかないか、明日も学校なのでまた今度。いつもの会話を交わして、母親が買い物袋を持って家の奥へと入っていく。
母親の姿が見えなくなると藍良はほっとして、一彩に笑いかけた。
「じゃあ、また明日ねェ」
「うん。また明日」
ひらひらと手を振って、一彩が玄関の外へと出ていく。藍良はドアが閉まる瞬間まで見送り、一彩が門扉をくぐる音までしっかりと聞き届けた。
大好きな人が帰ってしまうと、いつもの自宅の日常風景だ。そう思って溜め息をつき、片付けようと自室に戻る。ベッドの隅に広げて重ねてある制服の上下をハンガーにかけて、ブラウスを洗濯に出すためにカゴの中に入れる。
昼間母親が整えてくれたはずのベッドにもうシワが寄っているのを見て、自分の身体に一彩の手や唇の感触が蘇る。
藍良は恥ずかしくなってベッドの上で丸くなった。
ベッドの中から、半開きのクロゼットにハンガーでひっかけてある制服を眺める。いつかあの隣に一彩の制服も並べて掛けて……というところまで考えて、藍良はぎゅっと枕を抱きしめた。