サウナはいいよなぁ。
汗だくの背をぐんにょりと壁に預けて、腰タオル一枚姿のペンギンは思った。見苦しいと言うなかれ。水を打たれてもうもうと熱気を上げる焼け石に蒸されている人間にとっては、これが正装である。
年の大半雪に埋もれた故郷を持つ彼にとって、サウナは懐かしく親しみ深い。風呂だって好きだが、どれだけ湯に浸かってもあっというまに凍えてしまう冷え込みのときだってサウナの熱は体に残ってくれるのだ。おまけに汚れも浮いてするりと落ちる。
「……ここ、アレねぇのな」
ペンギンの隣で入れ墨の肌を顕にし、彫像みたいな顎のラインに汗を伝わせた船長は、気怠げに手首をスナップさせて見せた。
「あぁ、叩くのなー。この辺、生えるんですかね」
細い若枝を葉ごと束ねて、蒸された体をはたき合う。理由など考えたことのなかった地元の風習に、「皮にも葉にも殺菌作用がある木だ。それなりに意味はあんな」と注釈を加えたのは島の外から来たこの人だった。そんなことをペンギンは思い出す。ローはニヤリと口の端を歪めた。
「振り回すのにイイ枝をガキに持たせるのは間違いだよな。アホがアホになってはしゃいでのぼせて、巻き添えでおれまで説教だ」
「……いやー、んなこともあったよーな。なかったよーな」
ペンギンは目を泳がせる。記憶が正しければ、巻き添えを主張するこの人も最後はチャンバラに参加していたはずだが、そりゃこの偉そうなキャプテンにだって十三歳の頃はあったというだけの話である。「十三のお前に木の枝もたせたらもっとアホだったろう」と突っ込まれたら、ペンギンも「まぁあの倍くらいは」と答えざるをえない。
「……思い出話とかめっずらしい。ローさん、おれより先にジジィになる気です?」
「かもな。お前、今でも同じことしでかせそうじゃねぇか、酒抜きで。さすがに張り合える気がしねぇ」
「しーまーせーんーー」
言葉と一緒に魂まで口から抜けていそうな返事を、どうだか、と鼻で笑い、ローは立ち上がってサウナ室から出ていく。それを溶け気味のペンギンは目で追った。
サウナはいい。この頭が空っぽになる感じは、湯につかるだけでは味わえない。やたらと物思いの多いローには特に効きそうだ。
何より、水に嫌われたこの人が心ゆくまで温まっても溺れない、というのが素晴らしい。
と、思って見ていたら、彼のキャプテンはスタスタと水風呂に向かっていってしまった。
「ちょっっっと待った」
バネじかけみたいな勢いでペンギンはサウナ室を飛び出す。ローは水風呂の脇ですまし顔で待っていた。
「落ち着きがねぇな。立ちくらみ起こすぞ」
「何ぬるっと入水しようとしてんの」
「醍醐味だろ。整わせろよ」
「冷ますならシャワーで十分っつったのあんただろ」
過日のローが過剰な血圧乱高下のリスクをこんこんと諭した挙げ句、「そんなに心臓に負担かけたきゃ切り出して直に揉んでやるぞ」と脅してきたことを、ペンギンは実のところ大変よく覚えている。その講義の前に、少々忘れ難い出来事があったからだ。
「大体な! あんとき一番大事故だったの、サウナから雪飛び込もうとしたおれにあんたがかました足払い」
ハ、とローは愉快そうに笑った。
「覚えてんじゃねぇか」
◇
さて、この通り浴場は実に賑やかだったが、宿自体がハートの上陸メンバーによる貸し切り状態だったため、幸い迷惑を被った人間はいなかった。
「ハクガーン、だいじょぶかー?」
シャチは扇ぐ手を止めて、サウナ脇のクーリングベンチを覗き込む。
ハートの誇る戦法は、海上ではベポをレーダー兼護衛につけた船長が大暴れし、海中では幼なじみコンビがポーラータングとトリオを組んで敵船に大穴を空けるというものだが、これが確立されたのは実はハクガンが入団してからだ。ポーラータングの船体を己の体と等しく扱える彼がいなかったら、シャチもペンギンも、いつ数百トンに「撥ねられる」か分からない戦法なんて恐ろしくて決してとれない。
「ぁー、うん、悪いな手間かけて」
「全然いいけど、なんで仮面のまんまサウナ挑戦しちゃったわけ……?」
「湯船はいけたから、いけんじゃないかと」
「そっちでも外した方がいいと思うぞ、おれぁ」
ポーラータングの名操舵手は、宴会の乾杯のタイミングで一足先にもっきゅもっきゅと頬袋を膨らませているヤツで、しかしクルー全員で決めポーズをとるとなれば元気よく参加し、体格には恵まれず体力もあまりないが、白兵戦ではでっかいマサカリを担ぎ出す。そういう、マイペースだがノリはよくて極めて優秀な、ペンギンとシャチの頼もしい相棒だった。
そんなハクガンは、横たわったまま、水風呂の側でぎゃいぎゃいとじゃれている船のトップを指し示す。
「……で、あれ、なに?」
「あー……なんつーか、うちのキャプテンな」
呻きながら、シャチはハクガンを扇ぐ手を再開させた。
「ペンギンが『キャプテンがいてくれんだから、おれは元気なアホの役!』ってしてんの見てっとさ。……隙だらけの襟に氷とか入れたくなるみたいなんだわ」
「亀ひっくり返して遊ぶガキじゃねぇんだから……」
ハクガンがイイやつなのは目が節穴でなければ分かることだが、その理解に辿り着くには、彼がそれなりの変人であることがちょっとしたハードルになる。海中でタッグを組んで真っ先に彼の能力を評価したペンギンとシャチ、特に「鳥仲間ー!」と意味不明な動機で彼を構い倒したペンギンに、ハクガンは他のクルーより一層の信頼をおいてくれている。
ようするに、心配してくれているのだ。そういう事情から、シャチも真面目に答えざるをえなかった。
「んー、でもな。ああいうのが全然なかったらなかったで、……影でこっっっそりいじけんのよ、ペンギンが」
二人は無の表情で見つめ合い、やがてハクガンは、ところでさ、と頷いた。
「……この宿、飯うまそうだったよな」
マイペースだが肝心なところでは空気が読めて、関わってもろくなことにならない話をちゃんと聞かなかったことにできる。ハクガンは、シャチたちの本当に頼もしい相棒だった。
「おう、つうかサウナ後の酒は美味いぜー。ビール飲も、ビール」
「酒は甘いの以外いらない」
「そういうヤツだよお前は!」
濡れてしんなりしたハクガンの黒髪を、シャチはわしゃわしゃとかき回す。
その向こうで、キャプテンたちはペンギンの介助つきで水風呂に入ることになったらしかった。