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    insectfairiesの前日譚(上)です。Pico達の高校時代を捏造しています。BFがかなり喋る
    ホラーっぽく書いてみたけど多分そんなにホラーじゃない

    #FNFAU_insectfairies
    ##FNFAU_insectfairies

    「羽化(上)」 昔々──と言っても、そんなに昔でもないけれど──あるところに、一人の少年がおりました。
     彼の名前はPico。天真爛漫、成績優秀、眉目秀麗と絵に描いたような優等生でした。友人も待人も引く手数多。教師からは毎日のように褒めそやされ、毎年当然のように何らかの賞を取る。正に誰もが夢見る人格者だったのです。

     そんな彼にも、一つ悩み事がありました。それは大好きなお父さんのことです。
     父子家庭で育ったPicoは、当然ながらお父さんと共に暮らしていました。母親がいないのですから、家事は二人で手分けしてしなければなりません。Picoは、仕事で忙しいお父さんの代わりに、家事の大半を務めていました。
     朝ごはん、昼ごはん、掃除に洗濯。夕ごはんやごみ捨ては、お父さんの役割です。
     ですが。Picoは、一度もお父さんとまともな会話をした事がありませんでした。
     どれだけ家事をこなしても。どれだけ料理が上手くなっても。どれだけ成績が上がっても。どれだけ頑張っても、お父さんはPicoに振り向きません。良くやったねと、流石は自慢の息子だと、そんな事すら言うこともありません。ただたださっさと仕事に出かけてしまうのです。
     それでもPicoは信じていました。もっと沢山勉強してもっと沢山評価されれば、いつかきっとお父さんは自分を見てくれると。だから、自棄っぱちなくらいにPicoは頑張ってきたのです。
     キツかったのは、それを知らない周りの事です。優等生のPicoを、周囲は大いに持ち上げました。沢山の称賛を、尊敬を、羨望を、彼は毎日のように浴びていました。
     その度に彼らはこう言うのです。
     ──きっとお父さんも鼻が高いでしょうね。
     ──お父さんだって君のことを誇らしく思っているよ。
     Picoだって、彼らに悪意がないことを知っています。だから、いつも優等生らしい笑顔で優等生らしい言葉とお礼を返していました。
     代わりのように心は空虚。何を与えられても満たされない空洞みたいな穴が、いつもPicoを悩ませていました。

     ですが。
     ここ最近、彼には、ある転機が訪れていました。
     なんと、彼に新しい友達が出来たのです。

     ミッドナイトブルーの髪に黒曜石の瞳。
     高らかに歌い上げる音は天上のアリアにも勝り。その微笑みは天使とすら見紛う。
     人々から“Boyfriend”と呼ばれ親しまれるその少年は──実のところ。多くの人の頭を悩ますクソガキでした。
     テストはいつも最下位、サボりなんて当たり前。口も悪ければ頭も悪い、顔と歌“だけは”良い子な問題児。それがBFという少年でした。
     何せPicoとの出会いも最低です。他の生徒に弄られていた彼をPicoが助けたら、『いい子ぶっちゃって、助けてなんて誰も言ってないっての』と言って、お礼も言わずに去ってしまったのです。
     ……ですが、その後美味しくなかったからとお菓子を押し付けたり歌の要望に応えたりと、何と無く大人達から見捨てられない理由が分かるような、そんな子でもありました。
     いつから友達になったのかは、Picoにも分かりません。ただちょっと勉強を教えただけ、ただお返しに歌を歌ってやっただけ。そんな軽い切っ掛けが積みに積み重なり、いつしか一緒にいるようになったのです。

     例えばある日。その日もPicoは図書館で自習をしていました。そこにBFがやって来て、自然と彼に勉強を教える時間になります。
     BFは頭が悪かったので、同じ問題をぐるぐると繰り返し解いていました。その間、Picoは自分の問題集に専念します。
     すると、ふと、BFの手が止まっていることに気が付きました。何か分からない所があったのかと顔を上げれば、じっと此方を見つめる黒曜石と目が合いました。

    「ねぇ、Picoってさ、どうしてそんなに勉強するの?」

     徐に言われた言葉にPicoは首を傾げます。

    「どうしてって、頭良くなるためだよ」
    「頭良くなってどうしたいのさ」
    「良い大学に入って、良い会社に勤めるためだよ?」
    「良い会社に入って良いことあるの?」
    「良いことって……」

     Picoは言い淀みます。BFの聞きたいことがよく分からなかったのです。沢山勉強して、良い大学に入って、良い会社に入る。何も可笑しくはありません。Picoには電工学に入りたいという夢がありましたし、それに向かって勉強するのは当然のことです。
     それなのに、話を聞けば聞くほどBFは不愉快そうな顔になっていくのです。

    「うーんと……BFくんは、何を聞きたいのかな」

     回答のかわりに質問を返すと、BFはため息をついて質問を変えました。

    「だってPico、毎日勉強ばっかりじゃん。朝も昼も夜もずーっと勉強ばっか。そこまでしなきゃ入れない大学なの?」
    「一応前の模試だとA判定だったけど……」
    「じゃあ尚更なんで勉強するのさ。それ以上必要無いじゃん」
    「継続は力だよ。それに、油断してると足元すくわれるしね」
    「俺が言いたいのはそういう事じゃなくてさぁ」

     はぁ、とまたため息。その物言いは、まるで何も分かってない子に対する教師のようでもありました。学校で一番の優等生であるPicoに、です。
     これには流石のPicoもムッとして、少し刺々しい口調で問い詰めました。

    「何を言いたいのさ」
    「……それ、本当にPicoがしたいことなのかってこと。俺にはどう見たって──今の優等生の座に固執してるようにしか見えないんだよ」

     Picoは面食らいました。BFの言葉は、余りにも突拍子がありませんでした。優等生であり続ける事が悪いと、そう婉曲的に言われたのだから当然です。
     普通ならば違うと否定するべきなのでしょう。けれどそうするにしてはBFの顔はとても真剣でした。蔑みでも僻みでもない、まっすぐに此方を見る眼差しです。
     そしてそれは、今までPicoが見たことのない表情でもありました。

    「そんなの……そんなの、当然じゃないか」

     苦し紛れに絞り出した言葉に、BFは「そう」とだけ言って視線を手元に戻しました。それで終わりです。Picoの悩みに悩んだ言葉は、その二文字で片付けられてしまったのです。
     それはPicoにとって新鮮な反応でした。大抵の人は、Picoが勉強したり良い大学に入るためと言ったりすると、称賛し褒めそやすだけです。でも、この目の前の友人はそうでないのです。そんな、普通とは違う反応をするBFに、Picoは何処か憧れのような感情を抱いていました。

    「じゃあ、BFくんはどうなりたいの?」

     反対に問われた言葉にBFはパチパチと瞑目します。そしてにっこりと、まるでその言葉を待っていたかのように咲いました。

    「俺?そんなの決まってる」
    「俺はね、ラッパーになりたいんだ。そんで世界中を旅して色んな物を見たい」
    「世界にはまだ俺達が見たことのないモノがたっくさんあるだろ?氷の森だったり、炎の花畑だったり、砂の草原だったり。そういうのを俺は見て、聞いて、歌にしたいんだ」
    「きっと楽しいよ。だって、他でもない俺が決める道なんだから」

     大きく腕を広げたり、何処かの空を指さしたり。座った状態で両手をバタつかせながら話すBFは、今までに無いくらい目をキラキラと輝かせていました。

    「そっ……か。叶うと、いいね」

     今度はPicoが目を伏せる番でした。BFの夢を語る姿が余りにも眩く写ったのです。BFはそんな彼に不思議そうに首を傾げましたが、すぐに自分の手元に意識を向けてしまいました。
     間もなく、休み時間の終了を告げるベルが鳴ります。次の授業はどうするのかと聞くと、BFは当たり前のようにサボると告げました。

    「世界を旅したいなら尚更勉強するべきだと思うけど」
    「いーんだよ。ほら、たまには休憩も必要だって言うだろ?」
    「それなら休憩し過ぎだよ。単位落としたって何もできないからね?」
    「そもそも学年違うだろ、センパイ」

     Picoの呆れた眼差しにBFはカラカラと笑ってみせます。そして、そのまま止める間もなく教室とは別方向へと歩いて行ってしまいました。
     Picoは考えます。このまま先生に話せば、先生は怒りながらBFを連れ戻してくれる事でしょう。実際今までそういう事は何度もありました。その度に先生はPicoに感謝を告げ、BFは恨みがましい眼差しで此方を見ました。そもそもサボらなければいいのに、と思わなくもありません。
     でも、今回は。今回ばかりは、そういう事をする気分ではありませんでした。考えれば考えるほど、先程のキラキラとした目が脳裏にちらつきます。それを邪魔するのは、何だか失礼な気がしたのです。

     結局、その日は放課後になってもBFは帰ってきませんでした。
     Picoはいつも通り一人で自習をし、学校が閉まる時間になれば家に帰ってまた勉強をします。
     でも、問題集の頁を捲る度に、昼のBFの言葉を思い出して手を止めてしまいます。
     良い成績をとって、良い大学に入って、良い会社に入る。それはとても良いことの筈なのに。誰も彼もが夢見る理想の未来の筈なのに。そんな期待を、ずっと背負ってきたのに。
     なんだか、今のPicoには、とてつもなく詰まらない事のように思えて仕方がありませんでした。

     だからでしょう。その笑い声が聴こえてきたのは。
     勉強机と相対して筆を走らせる中。不意にPicoは、誰かの笑い声を聞きました。
     くすくす、けらけら。忍び笑いにも噛み殺しにも聞こえるそれ。
     木々の擦れのような、鳥の囀りのような。
     そんな笑い声が、どこからともなく聞こえてきたのです。

     不思議に思ってPicoは近くの窓を開けました。
     ひんやりとした冷たい空気が流れ込んできます。
     空にはてかてかと光る月、眼下には家々の明かり。
     いつも通りの景色の中に、夜に外を出歩く猛者の姿はありません。
     Picoがそれを確認する頃にはもう笑い声は止まっていました。
     きっと気の所為だったのだろう。そう結論付け、机に戻ります。
     ただ、ちょっとした気分転換として窓は開けたままにしておきました。
     遠く、虫の鳴き声だけか風に乗って響いてきました。



     それから一ヶ月後のことです。
     Picoは今日も沢山の友人に囲まれ、頼み事や称賛を受けていました。今日のテストも安定の満点、教師から指定された問題も全問正解。正にいつも通りの光景でした。

     勿論BFとの関係も続いています。
     物を教えたり教えられたり。食べ物を貰ったり貰われたり。そんな友人関係がずっと続いていました。
     歌を一緒に歌ったこともあります。サボりを無理矢理止めたこともあります。未だに上がらない学力に呆れ、その呆れ顔がムカつくのだとちょっとした喧嘩にもなりました。
     でも、少しずつ、そんな関係にも慣れてきました。BFはそういう物なんだと思えば少しは楽になります。何より、時折見せる大人びた眼差しが、Picoにはかっこよく見えました。

     ──とはいえ。幾ら破天荒なBFが相手とはいえ、まさか一緒にサボりをさせられるなんて、流石のPicoも思っていなかったのです。

     皆に群がられていたお昼休み。突然、BFが扉を勢いよく開けたかと思うと、ズカズカと教室内に入ってきました。
     その勢いの良さと足取りの力強さから、誰も彼を押し止める事は出来ませんでした。
     BFがPicoの腕を遠慮なく掴み『借りてくよ』と言って教室から出るのを、ただ呆然と見るしか出来なかったのです。

    「どこに行くの」
    「適当なとこ。そこら辺の商店街でもいい?」
    「だめだよ、帰ろう?皆に怒られちゃうよ」
    「この状態でわかった帰るって言うと思う?」
    「でも……」
    「たまの休憩もいいじゃん。先生に聞かれたら俺のせいにすればいいよ。怒られ慣れてるし」
    「そんなの、駄目だよ。誰かを言い訳にするのは悪いことなんだよ」

     そもそもサボり自体優等生としてあるまじき行為です。BFは単位にギリギリ影響しないラインで常習しているようですが、Picoの場合はそうも行きません。今日だって先生に任された発表の予定があるのです。
     そんなPicoを鼻で笑い、BFはズンズン進みます。廊下を抜け階段を降り。最終的に校門を抜けてしまったところで、BFは自分の話を聞くつもりなど無いのだと、Picoは悟りました。

     最初に二人が来たのはファストフード店でした。BFが勝手にハンバーガーセットを二人分頼んで支払い、適当なテーブルで食べるのです。
     Picoはファストフードを食べるのが初めてで、安っぽくてしょっぱい味に目を瞬かせました。同時に、勢いよく齧り付いた余り後ろ側から具材が飛び出してしまったのを、BFがケラケラと笑ってスプーンで掬ってやりました。

     その次に来たのはゲームセンターでした。BFがPico用にカードを作り、お金をチャージして手渡します。断ろうとしましたが「金使ったのに断る方が失礼じゃない?」と言われれば何も反論出来ません。
     レーシングゲームで遊んだり、格闘ゲームと文字通り格闘したり。取り分けPicoが気に入ったのは音楽系統のゲームでした。何せ隣には音楽に精通するBFがいるのです。
     手当たり次第にゲームをやってはランクを総ナメしていくBFを、Picoは少し遠くから見ていました。華麗な手捌き、足捌きは見ているだけで惚れ惚れとするものがあります。その頭の回転の速さをもっと勉強に活かせばいいのに、とさえ思いました。

     ふと、Picoは自分以外にもBFのプレイを見ている人がいることに気が付きました。
     皆目を輝かせて彼がフルチェインしていく様を見詰めています。
     中にはゲームセンター内での知り合いなのでしょう、彼の名を呼んでエールを送る者さえいました。
     それは熱狂的なものに近く、BFが当然のようにスコア一位を取れば、割れんばかりの拍手が飛びます。
     誰もが彼に集中し惚れ込む中、なんだかPicoは、自分が場違いな存在のように思えてきました。

     一通りゲームを終えたBFが此方に近付いてきます。途中で皆に声をかけられ会話をしますが、何の話をしているのかPicoには分かりません。皆一斉に話す上専門用語が多くて理解出来ないのです。Picoは声をかける事もできず、ただ俯いて来るのを待っていました。
     BFはそんなPicoに首を傾げましたが、すぐに声をかけられてそちらに意識を向けました。その様は、いつものPicoの環境にそっくりでした。

     結局、二人がゲームセンターから出たのは、予定より大きく伸びた二時間後の事でした。すっかり橙色に染まった空が疲れ切った二人を出迎えます。

    「近くのカフェに行こう」

     パタパタとシャツの襟元で扇ぎながら、BFはそう言いました。Picoに異論はありません。どうせ今日の日程は全部BFが決めてしまうのです。半ば引き摺られるように、Picoは連れられていきました。

     最後に来たのは町外れの小さなカフェでした。Picoがホットココアを、BFがブラックコーヒーを頼みます。二人で一口飲んで一息ついた頃に、ふいにBFが言いました。

    「今日はどうだった?」

     それがサボりの内容についての問いかけだと、直ぐに分かりました。

    「……楽しかったよ。でも……」
    「でも?」
    「やっぱり、サボるのは良くないと思う……」
    「そういう話したいんじゃないんだけどな、俺は」

     BFは嫌な顔せずにただため息をつきます。まるで、それを言われることを予測していたかのようでした。
     いえ、Picoだって分かっているのです。今はこんな事を話す場ではありませんし、話したってBFが言うことを聞くわけでもありません。
     それでもPicoは言わずにいられませんでした。最早誰に話しているのかもわからない、暗示のような物でした。

    「好きなゲームとかあった?」
    「え?うーんと……UFOキャッチャー、だっけ?あれは楽しかったな」
    「あー、あれね。お前得意だったもんな」

     そう言ってBFは自分の荷物を見ます。そこにはPicoが取ってくれたUFOキャッチャーの商品が袋に入れられていました。苦手なのにムキになって取ろうとするBFを見かね、代わりにプレイしてくれたのです。

    「じゃあ俺のプレイは?」
    「……凄かったよ。惚れ惚れした」

     その感想にBFはとても満足げでした。もしかしたら、それを見てほしかったのかもな、とPicoは思いました。

    「あそこの人達とは知り合いなの?」
    「うん。最初俺がアイツらの記録更新した時滅茶苦茶絡まれて、そっからずっと勝負する仲だよ。なかなかつえーんだよな、アイツら」

     あの記録も来週には更新されるだろうなぁ。BFはのんびりと答えます。とても穏やかで大人びた顔でした。

    「でも、アイツらは俺と違って楽器系はできないから、そっちはずっと俺が一位なんだ。毎回『コツを教えてくれ!』って言われるけどさー、誰が無償で教えるかっての」
    「……そっか。そう、なんだ」

     珍しく口のよく回るBFに、Picoはそんな生返事を返しました。いつも通り「良かったね」「すごいね」と言えばいいのに、色んな言葉が喉につっかえて出てこないのです。
     そんなPicoの事などつゆ知らず、BFはどんどん話していきます。最初にゲームセンターに行った時のこと。UFOキャッチャーが下手で笑われた時のこと。太鼓のゲームで張り切りすぎた余り機械を壊しかけた時のこと。
     板に水を流すように話しまくる彼の目は、夢を語った時と同じキラキラとしたものでした。
     そうこうしている内に日はどんどん西に沈み、空は赤くなっていきました。街を行き交う人の数が増え、遠く鐘の音が聞こえてきます。下校時間になったのです。

    「……そろそろか」

     唐突に言葉を止め、BFは時計を見ながらそう呟きました。
     え、と聞く間もなく、BFは残っていたコーヒーをぐいっと一気飲みします。そして「出るよ」と言って席を立ちました。真っ直ぐレジに向かって会計をしだします。慌ててPicoが追い掛けたときには、もう会計は済んでいました。
     店員の声を背に外に出ます。涼しい風が二人を出迎えました。夕暮れを告げるカラスの声に子供達や大人の楽しそうな笑い声。
     その全てを振り切るように、BFは早足で進み始めました。
     どんどん先へ行くBFをPicoは必死に追い掛けます。商店街を抜け大通りを抜け住宅街を抜けようとしているところで、ふと、彼は帰り道を歩いている訳ではないことに気が付きました。

    「待って、BFくん、どこに行くの」

     困惑した声にBFは答えません。ただ進んでいきます。
     軈て道はアスファルトを抜け、簡易的な舗装しか施されていない土の道へと変わっていきました。周囲には木々がぽつぽつと立ち始め、どんどんその数を増していきます。明らかに森へ向かっていました。それに比例して、Picoもちゃんと帰れるかどうか不安になってきました。

    「ねぇBFくん──」
    「Pico」

     不意にぱしりと手を掴まれました。突然のことに思わず足を止めます。

    「ここから先、俺がいいよって言うまで、一切喋っちゃ駄目だから」

     くるりと振り向いてそう告げたBFに、Picoは頷く事しか出来ませんでした。その顔に笑顔がないとか、眼差しが何処までも真剣だとか、声がいつもより低いとか、そういう理由からではありません。そこに、何か焦りのような必死さが滲み出ていたのです。
     Picoが応えたのを見て、BFは先を進みます。夕暮れ時の森の中に二人の姿が飲み込まれていきました。

     森の中は酷く暗く、寒いものでした。虫や鳥の声だけがどこからともなく二人を迎えます。
     道は踏み固められただけの物になっていました。草木を踏めば隠れていた虫達が一斉に跳び立ちました。
     鴉が木の上から二人を見ています。斜陽の空は帳が降りかかり、薄墨色に染まりつつありました。
     どこを見ても人の気配はありません。ただ、自分の手を握るBFだけがハッキリとした質量を持っていました。
     ですが、何処に向かっているのか、それすらも分かりません。

     一歩ずつ進むごとに、Picoは不安になっていきました。
     周りの暗さが、空の黒さが、不安を余計煽ります。
     虫や鳥たちの声だって迷いかけた自分達を嘲笑っているかのようでした。
     自然と俯いて見る足元は既に暗い闇に溺れ始めていました。
     一応BFが携帯機器で先の道を照らしていますが、そんな物では心元がありません。
     冷たい空気と寒々しい風に、Picoは身体の震えを抑えるので精一杯でした。
     やっぱり一回帰ろう、ここには日を改めて来よう。そう告げようと口を開いた、その時です。

    「Pico」

     ひゅ、と空気が喉を通る音がしました。
     思わず動きを止めたPicoを、BFが強く引っ張って促します。
     それにつられてPicoの体は動きますが、最早そこに心はありませんでした。
     ありえない。どうして。そんな疑問がPicoの頭の中に浮かんでは消えを繰り返しました。

     だって、その声は間違いなくお父さんのものだったのです。

    「聞くな」

     短くBFが制します。少しだけ早足になります。Picoもそれを見て、先程の言葉を思い出しました。
     何があっても、BFが良いと言うまで喋ってはいけない。

    「でも、」
    「駄目だ」

     取り付く島もありません。それどころか睨むように見られ、「二度目はないよ」とさえ言われる始末です。
     でも、気になるのです。あの声が何なのか。どうしてあの声がするのか。
     あれがお父さんの声であることに、何もおかしな点はないのですから。

    「Pico」

     ほら、また。

    「Pico、今日もテストで満点とったんだって?流石はお父さんの息子だな」

     優しい声で。聞いたことない音色で。

    「いつも優秀で真面目で、Picoは偉いよ」

     後ろから。横から。前から。

    「ああそうだ、今日は一緒にドライブしに行かないか?なに、ちょっとしたお祝いさ」

     声が、聞こえるのです。

     勿論、幻聴だとは分かっていました。こんな所にお父さんがいるはずがありません。理性はそんな事分かりきっています。
     それでも、本当に自分にかけられてるような気がしたのです。どこまでも優しい声。慈しむような声──Picoがずっと欲しかったモノ。
     言ってほしかった。褒めてほしかった。頭を撫でてほしかった。ただ、それだけで。それだけを欲しがっていたから。
     それをずっと、求めて、諦めて、抑えてきたから。だから。
     なのに、息を吐き出す度にBFがそれを制します。繋いだ手を痛いほど握り締めるのです。
     どうして制するのか。応えたって良いじゃないか。だってずっと欲しかったモノなのに。それがすぐ近くに在るのに。
     PicoはBFの背中を睨み付けました。彼は振り向きません。

    「Pico?どうして何も言わないんだ?」

     声が少し不穏さを帯びます。さも悲しげと言うように、アカルくてヤサシかった声に翳りが入ります。

    「何か怒ってるのか?お父さん、何かしちまったか?」
    「それなら謝るよ。すまんな、ずっと独りにしちまって。でも、これからはちゃんとするからな」
    「いっぱい会話もするし、いっぱいお出かけもしよう。それでいいだろ?」
    「……なんで何も喋らないんだ?もしかして、何処か体調が悪いのか?」

     違うのです、違うのです。ただ、BFが、目の前の少年が、スピードをどんどん上げていくのです。最早かけっこくらいの早さで二人は先を進みます。暗い森の中を走っていきます。
     PicoにはBFが何をしたいのか全くわかりません。どうやら何かを探しているようなのですが、それなら自分を置いていっても大丈夫なのに。そうすれば自分は、自分はやっと──

    「Pico、どうしてお父さんの言うことがきけないのですか」

     不意に別の声が重なりました。
     ……先生の声でした。

    「、」

     息を呑みます。痛いほどの耳鳴りが、頭の中で木霊します。最早ちゃんと歩けているのかすら分かりません。
     それを皮切りに、どんどん声が重なっていきます。知っている声が、まるで山彦のように語りかけてくるのです。

    「Pico、だめだよ。お父さんの言うことはちゃんと聞かなきゃ」
    「返事くらいしようよ、どうしたの?Picoらしくない」
    「いつからそんな悪い子になっちゃったのさ」
    「そんなんじゃ優等生になれないぞー」
    「ねぇPico」
    「返事しろよ、Pico」
    「ぴぃこぉー」
    「Picoったらー」
    「ねぇねぇねぇ」

    「見つけた」

     不意に、BFがそう呟きました。思わず顔をあげると少し広い草原の中に自分達はいました。周囲を高い木々が取り囲み、黒黒とした闇がその隙間を塗り潰しています。空はもう星粒が分かるくらいに夜になっていました。

    「コイツを呼んだのは、アンタ達?」

     誰もいない所にBFが声をかけました。見る限りそこには高めの草が群がっているだけです。
     それなのに、まるで会話でもしているかのように彼は言葉を続けます。

    「悪いけど、コイツは俺のダチだから、連れてかれると困るんだよね。潔く諦めてくんない?」

     風が吹き抜けました。今までの何よりも冷たい、ゾッとする寒さです。それに煽られた草木が嘲笑うようにさらさらと葉を擦り合わせます。
     同時に聴いたことのない──初めて聞いた子供の声がしました。

    「やぁよ」
    「だって、その子、ほしいんだもん」

     けらけら、くすくす。二人を取り囲むように子供のような声が笑ってみせます。目に見えない何かが確かにそこにいるのです。
     もう既に聞き知った声はそこにはありません。お父さんの声も、先生も、友人もいません。いいえ、最初から存在などしなかったのです。ただ誘蛾灯代わりにそれらが使われていただけで。
     困惑するPicoとは裏腹に、BFは一つ舌打ちをします。これだから妖精は──そんな悪態が聞こえた気がしました。

    「言っとくけど、コイツはアンタらの望むような反応はしないよ。どうせ飽きたら捨てるんだから、最初から手に入れない方がいいんじゃない?」
    「やってみなきゃ分かんないじゃん」
    「いいからちょうだいよぉー早くちょうだいよぉー」
    「いっぱいやりたいことあるんだよー時間なくなっちゃう!」

     はやく、はやく、と彼らは急かします。けれどPicoの目には何も見えません。ただ草木がさわさわとざわめいているだけです。それがより一層、彼の恐怖心を煽りました。

    「そんなにコイツがいいの?こんなヤツ、どこにでもいるのに」
    「いいの!うるっさいなぁ」
    「はやくちょーだいってばぁ、いろいろやりたいんだからー!」
    「さいしょはわたしなのー、で、つぎはそっち!」
    「いっぱい遊びたいなぁ、髪梳いたり本焼いたり爪研いだり、

     皮剥がしたり指千切ったり目玉取ったりしたいなぁ」

     ──ぞわり。背筋を冷たいものが這っていきました。声達は此方の様子に気付いていません。いいえ、最初から此方の事など見ていないのです。
     あくまで無邪気に、何の疑問も不信感もなく。彼らはPico“で”遊ぶことを夢見ていました。Picoの意志など、最初からどうでも良かったのです。
     カタカタと身体が震えます。辺りの寒さとはまた違う冷たさに身震いが止まりません。それは紛れもない死への恐怖でした。
     それを知ってか知らずしてか──いいえ、きっと知らないのでしょう──妖精達は声高に寄越せと叫びます。

    「いいからはやくちょうだいよぉ、もう待てないよお」
    「ねぇねぇこっちこっち、えーっと、名まえなんだっけ?忘れちゃった!」
    「あとで聞けばいいよ、それよりはやくちょーだい」
    「独り占めなんてズルいぞー!ぼくらにも分けろー!」
    「ほら、はやく」
    「はやくよこせ」
    「はやくはやくはやくはやく──はやく!!」

    「黙れ」

     ぱきゃり。

     唐突な異音に、ハッとPicoは我に返りました。
     見ればBFが何か踏みつけています。
     ぐりぐりと足の裏全体を使って踏み潰しているそれは、まるで虫のような翅がついていました。

    「これが最後の通告だ」

     今までに無いくらい低い声で、BFは告げました。水を打ったように静かになった世界に、彼の声だけが朗々と響きます。

    「もう二度とコイツに関わるな。さもなければ、俺はお前たちを殺す消す

     木々がざわめくのをやめ、枝葉の隙間から月の光が落ちてきます。その月光に照らされて、ようやくPicoは彼の顔を見ることが出来ました。
     じっと宙を見据えるBFは、とても怒った顔をしていました。



     ──そこから何があったのか、Picoは覚えていません。気が付けば、二人は住宅街の中を歩いていました。
     街路灯や家の明かりが疎らに見えてホッと安堵の息が溢れます。まだまだ空気は冷たいままですが、森の中よりはずっとマシです。
     手はまだBFに握られたままですし、「いいよ」とも言われていません。それでも、先程の森の中から抜け出せた事に、Picoは心から安心しました。

     道中、ぽつぽつとBFが、今回の発端を話しました。
     曰く、この世界には妖精と呼ばれる者が存在すること。
     彼らは無邪気で無垢で、簡単に人を殺せる力を持っていること。
     中には人を拐っては遊び、壊れたら捨てるを繰り返すような輩もいること。
     そして、そんな奴らに、Picoが目を付けられたのだということ。

    「街の奴らはそういう事、しないんだ。俺がいつも言い聞かせてるから。だから多分、アイツらは外から来たんだと思う」
    「俺が絡まれるのはよくあるけど、まさかそっちに目を付けるとは思ってもみなくてさ。見捨てるのも気分が悪いし、どうせすぐに壊して新しい犠牲者探すだろうし」
    「だから早めに片付けようって思ったんだ。アイツら単純だから、標的が自分の土地に入ってくれば、簡単に正体現すだろうなって」

     話しながら先を行くBFを、Picoはぼんやりと眺めていました。それは余りにも非現実的な話でした。しかし、ありえないと片付けるにしては、あの森の中の出来事は現実味がありすぎたのです。

    「ま、あんまり気に病むなよ。あそこで聞いたのはお前を釣るための餌みたいなモンだから。全部都合が良いだけの夢だ。とっとと忘れるに限る」

     そこでやっとBFは「喋っていいよ」と言って止まりました。一つの家の前に辿り着いたのです。それはPicoのよく見知った建物……Pico自身の家でした。
     PicoはBFを見ました。何かを話そうと口を開閉しますが、何も言葉になりません。まずはお礼を言わなければならないのに。ありがとうって言わなければならないのに。その全てが喉につっかえて出てこないのです。
     かわりに飛び出たのは、不躾な質問でした。

    「……もしかして、今回が初めてじゃないの?」
    「え?……あー、まあ、な。さっきも言ったけど、ちょくちょく絡まれるんだ。その度にサボらなきゃいけないからメンドイんだよなー。でも、教室で集団幻覚見るよりはマシだろ?」

     こてん、と、首を傾げながら語るBF。そこに嘘をついている様子はありません。まさか、と思ってPicoは更に質問を続けます。

    「……赤点取ってるのも、もしかして」
    「変な妖精に気に入られて、“アンタより頭悪い奴価値ないからみんなやっつけてあげる!”とか言われたんだよ。何が起こるのか分からないからさ、ずっと絵とか描いて提出してた」

     まあ、ソイツももう少しで片が付きそうだけどなー。
     両手を上にあげ、ぐうっと背伸びをします。事も無げに話すBFには一切の躊躇や悪意がありませんでした。間違いなく、本気でそういう事を言っているのです。
     Picoは呆然と友達を見詰めました。彼にそんな事情があったなんてちっとも知りませんでした。誰がこんな事を思い付くのでしょう。BFの事情は、彼が想像し得る様々な“最悪”を優に超えたものだったのです。

    「どうした、Pico?何か変か?」

     怪訝そうにBFが顔を覗き込んできます。それを、Picoは反射的に顔を背けて避けました。明らかに不審なものを見る目付きになる彼に、慌てて言葉を連ねます。

    「大丈夫。大丈夫だよ、BFくん。何ともないから」
    「……それなら良いけどよ。無理はすんなよ」

     BFは友人として心配しているだけなのでしょう。けれど、Picoにはその全てが重く感じられました。二人して同じ所に立っている筈なのに、なんだかBFが別世界に生きているかのように感じられました。

    「それじゃあ、俺は帰るから。お前も早めに寝ろよー」
    「待って、最後に聞かせて。……あの子達は、どうなったの?」

     ひらひらと振られていた手が、ぴたりと動きを止めます。少しの沈黙の後告げられたのは、曖昧だけれどはっきりとした答えでした。

    「……見えてないなら、最初から居なかったも同じだよ」

     ガチャン、と扉が閉まります。Picoが玄関の扉を閉めた音でした。結局あの後、Picoは何も言えずに家の中に帰ってきたのです。
     よく見知った壁の色と温度が彼を出迎えます。戸棚の時計は既に午後の6時を指し示していました。遠く聞こえるのは、お父さんが夕ごはんでも作っている音でしょう。
     Picoはのろのろとした足取りでリビングへと向かいました。案の定、そこにはエプロンを着たお父さんがいました。

    「ただいま、お父さん」
    「……」

     お父さんは此方を一瞥すると、すぐに料理に戻りました。お帰りとすら言ってくれません。
     ですがそれで良いのです。これが普通のこと、何の変哲もない日常なのですから。
     あんな風に優しい声で名前を呼んでくれるなんて──そんなの、ありえない事なのです。

     Picoは自室に入るなりベッドに飛び込みました。ぼふん、と音を立てて柔らかい布の塊が彼を支えます。空調がついていないから酷く冷たいそれらに顔を埋めながら、まだ友人の事を考えていました。
     テストは最下位、サボりの常習犯、口も悪ければ頭も悪い皆の問題児。それがBFです。それがPicoの知っていたBFの筈です。
     だけど、実際は、彼の方がよく考えていて。彼の方がより他人を想っていて。学力がどうなのかは分かりませんが、このままなら、きっと。そう思ってしまうほどに、今日のBFはいつもと違っていました。
     きっと、彼の秘密を知る者はPico以外居ません。頭を抱える先生も馬鹿だと嘲る友人も知らないのです。その事実が、ずっしりと肺の中に溜まって息苦しく感じました。

     ──明日になれば、全て元通りになっているのだろうか。

     その思考の意味すら未だ気づかずに──Picoは、夕ごはんに呼ぶお父さんの声に従って、腰をあげたのでした。

    【続】
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