One-off letter アイツに手紙を書くのが流行っている。
大河タケルはそれをただ眺めていたが、傍観者ではいられなくなった。
*
きっかけはタケルと共にゲームをよく遊ぶ友人間の遊びだった。
今五人が夢中になっているゲームでは、友人に手紙を出せる。大吾が手紙関係の仕事をしたことも相まって、メモ程度の小さなものだがお互いに現実世界でも手紙を送り合うのがちょっとしたブームになっていたのだ。
こういったことは伝染していく。恭ニはみのりやピエールに。隼人はバンドメンバーに、大吾は大好きな二人へ、志狼は大切な友人に手紙を出した。素直な二人は思いのまま、何気ない話なんかを。素直になれない二人は普段言わない気持ちなんかを。それが人を笑顔にしていく様子を、タケルは少しの思い出とともに見つめていた。
タケルだけが手紙を出せずに数日を過ごす。別に、道流には手紙を出してもいい。たくさんの会話していたって、伝えたい尊敬や感謝はいくらでもあった。しかし、道流が発するであろう言葉がタケルの指先を重くする。きっと手紙を差し出したら、円城寺さんはアイツのことを口にするだろう。タケルには確信があった。
喜びは人を伝って必ず誰かに届く。気持ちは誰かの心を揺らして行動として現れる。例として、隼人から四季へ。そして、四季から漣に。数人が談笑をする穏やかな事務所に、四季の快活な声が響く。
「漣っち、住所わかんないから直接あげるっす!」
「あ? んだよコレ」
「手紙っす! 今、オレたちの間で大ブームなんすよ」
返事がほしいと、四季はなんてこともなく笑ってみせる。住所、とペンを探す四季に、漣はうんざりしたように投げかけた。
「なんかすんのかよ。だりぃ」
漣の四季に対する態度は、自分に対するそれと真逆と言っていいほど違う。一度タケルは四季に問いかけたのだ。「四季さん、アイツの態度にうんざりしないのか?」。四季の解答はシンプルだったが、タケルの弱いところを突いた。「タケルっちの漣っちへの態度もこんな感じに見えるっすよ」。でもタケルっち、漣っちのこと嫌いじゃないでしょ? そういうことだと笑う四季に何も返せずに動揺するタケルに、四季は先程とは異なる笑いを重ねる。「漣っちもタケルっちが好きでしょ? そういうことっす」。タケルと四季の思う『好き』の形はだいぶ異なるが、二人ともお互いの言いたいことはわかっていた。
「オマエ、返事も書かない気か」
助け舟、と言ったわけではないが口を挟んでしまった。アイツは自分の言葉なら必ず反応を返すんだ。案の定、喧嘩腰に食って掛かられる。声色が違うことを自覚している。
「返事? ……ファンレターに返事は書かねえって下僕も言ってたじゃねーか」
「四季さんがオマエにファンレターを出すはずないだろ」
「ほしいっすか? ほしいなら書くっすよ」
「いらねえ……大体、手紙なんてもらったことねえし。今更だろ」
その場にいた全員が意外そうに漣を見たものだから、漣はたいそう居心地が悪そうに眉をひそめる。注目を浴びるのは好きな方だが、こういう不本意な視線は好まない。まして、それが驚きとともに僅かな憐憫を滲ませたのだからなおさらだ。
「……家なんてなかったんだ。今だってねーし、届くわけねえだろ」
そう手紙を返そうとする漣に、四季は強引に手紙を押し付けて言った。
「じゃあ……ここに漣っちのポストを作るっすよ!」
言うが早いか、四季はくるりと背を向けてプロデューサーのデスクへと駆け出す。一言、二言、会話を手短に済ませた四季は給湯室に向かい、数秒の後に大きな四角い菓子缶を掲げて戻ってきた。
「はい。これ漣っちのポスト。ここに置いとくっす!」
これでこれからいっぱい手紙もらえるっすよ! タケルは四季の行動力に舌を巻く。その場にいる全員は四季の味方ではないが、漣の味方でもない。
「…………いや、なんでだよ」
呆気にとられていた漣が立ち直ったときには、もうブリキの缶にデカデカと油性マジックが走ったあとだった。『漣っちのポスト』という大きな文字を見て、隼人が苦笑いする。
「……諦めて、レン」
俺も手紙書くから。慰めるような宥めるような言葉に漣はため息と短い諦めしか返せず、タケルはそれをただ見守ることしかできない。
「いらねー……」
呟きは、たしかにタケルの耳にも届いていた。
*
アイツに手紙を書くのが流行っている。円城寺さんも笑いながら手紙を書いた。
四季は猫の写真なんかを同封しているらしく、漣は写真だけを抜き取って便箋は缶に戻す。四季がポストの設立を嬉しそうに話しているのを聞いた。おそらくそれを耳にした人間が何人か、漣に手紙を書いている。
輝と英雄は家がないという点が気になったらしく、非常に漣を気にかけている。なにか事情があるのだろうと口は挟めないようだが、察した漣の機嫌は最悪になった。
アスランはレシピを送ったと聞いた。洒落た洋食をレシピを受け取った道流が夕食に出した。
「らーめん屋に直接言えよ……うぜえ」
春名はオススメのドーナツ屋を、朱雀はお気に入りのパンケーキ屋を、巻緒はイチオシのケーキ屋をそれぞれ送ったらしい。
「今度連れてけ」
漣は返事を書かない。それでもみんな気にしない。事務所のテーブルをペンで散らかして、咲は気持ちをのせる色を楽しそうに選んでいる。かのんはとっておきのシールを出す。想楽が便箋をくれた。
タケルは手紙を書かない。タケルは書けない。
*
漣の誕生日が近い。具体的にはあと二日。
四季、隼人、旬、咲、玄武の五人が事務所のシンプルなテーブルで、思い思いに便箋を埋めている。タケルはそれをときおり視界に入れつつ、人に気が付かれる前に視線をゲームに戻した。
五人は手紙を書いている。誕生日を祝う手紙を書いている。玄武は四季と咲に、どうやれば文章が硬い文章にならないのかを聞いていて、隼人は旬と話しながらペンを走らせる。
「タケルっちは書かないんすか?」
やはり、口にしたのは四季だった。旬がため息をついたのは誰のためなのだろう。
「俺は別に……伝えたいことがない」
「え? 誕生日、お祝いしたげないんすか?」
それとこれとは話が違うのだが、四季の中でそれはイコールらしい。ジュンっちも書くと四季は言うが、それもタケルの中で現状とは結びつかないものだった。
「僕は関係ないでしょう、四季くん」
旬のなかでも関連はないらしい。タケルは内心、安堵する。
「でもジュンっち、オレに手紙くれたときに『対面だと小言が出てしまいますから、手紙も悪くないです』って言ってたじゃないっすか。タケルっちも漣っちに会うと戦闘モード入っちゃうから、手紙ってアリだと思うんすけど」
咲と玄武が旬を見る。旬はより深くため息を吐く。タケルは考えを改める。
「せっかくの誕生日だし……どうっすか?」
沈黙。タケルは精一杯で「気が向いたら」と返し、レッスンの時間にはまだ早いのに事務所を出た。
*
レッスンまでまだ時間があった。タケルの足は小さな文具屋に向かっていた。
先程まで広げられていたカラフルなレターセットは少なかった。タケルはどういう店に洒落た便箋があるのか、知らなかった。
手紙にはいい思い出が多い。小さい頃、妹と弟がくれた手紙は未だに宝物だし、ファンレターだって大事にとっておいてある。だからこそ、内心、もらった手紙をぞんざいに扱う漣には少し苛立っていた。人が時間をかけて書いた大切な気持ちだ。あんなブリキの缶にいれっぱなしはないだろう、と。
それでもタケルは手紙を選ぶ。シンプルすぎても事務的だが、あまり本格的なのはこそばゆい。悩んで、悩んで、結局ワンポイントで猫が歩く水色のレターセットを買った。ついでに、深い赤色をしたペンも。シールは買わなかった。切手もいらない。そういえば、手紙をひさしぶりに書く。まさか、こんな形で書くことになろうとは。
準備は一段落。しかし、ひとつの問題をクリアすれば、また問題が発生する。タケルは未だに、なにを書けばいいのかがわからなかった。
『誕生日おめでとう』これは絶対だ。
『感謝してる』してなくはない。
『いつもありがとう』礼を言うのはオマエだ。
『今度一回だけ味玉をやる』手紙が一気に肩たたき券のようになった。
言いたいことを口にするのが苦手だった。それでも、時間をかけてゆっくりと向かい合えば気持ちは浮かんでくるのだと思っていた。だが、どうやらそうではなかったらしい。自分が彼に向ける感情というのはシンプルで、どれだけ待っても果てしない。砂漠の砂に手を突っ込んでたった一粒の宝石を探すような、途方も無い話だ。
四季の声がふいに蘇る。
『漣っちもタケルっちが好きでしょ? そういうことっす』
どういうことだったんだろう。一気にわからなくなった。四季の『好き』とはなんなんだろう。きっと、道流の『好き』も似たような形で、タケルはそれをまだ理解していない。
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『誕生日おめでとう』これだけで終えてしまいたい。
『感謝してる』書いてから、手紙をくしゃくしゃにして書き直した。『サイバネの時は助かった』。
本当は、もっと昔に助けられていた。だだっ広い海で遭難していたみたいな俺を導いた、頂点への道標は間違いなくオマエだった。
『いつもありがとう』なんに対しての礼なんだろう。わからなくなったから消した。
『オマエのことは嫌いじゃない』四季さんの『好き』を自分なりに解釈したのだが、あってるのかがわからない。
それから、最後に。
『生まれてきてくれて、ありがとう』
それは昔、幼い妹弟に送った言葉だった。
*
誕生日当日、タケルは手紙をポケットに入れて事務所を目指す。あとはパンパンになっているであろうブリキ缶に、この手紙を紛れ込ませればいい。きっと出したら後悔する手紙だ。でも、出さなかったら後悔する。今はしなくても、漣が居なくなった時に、必ず。
別れはいつだって突然やってくる。根無し草のような漣は、きっとふらっといなくなるだろう。不意に浮かんだ想像が、タケルにとって心底恐ろしかった。これは四季の言う『好き』からくる気持ちなのか、彼にはわからない。
幸か不幸かで言えば、後者だろう。タケルは漣と鉢合わせる。漣は知る由もないが、タケルにとって最悪のタイミングだった。なるべく事務所にいないで済むよう、時間はギリギリだ。レッスンに出てしまえばテレビの収録がある。これでは手紙を入れるタイミングがない。漣は変わらずに事務所までの道で勝負しろと言う。断る前に、不安が出た。
「おい……手紙、ほしいか?」
ピンとこなかったようだ。キョトンとする漣に、タケルは続ける。少しの祈りと、影すら追えぬ感情を探すように。
「……俺からの、手紙」
断ってほしかったのだろうか。こんなことを言えば、答えはひとつなのに。
「いるわけねえだろ」
それなのに、タケルの気持ちはざわざわと揺れた。思い通りなのに、願いではない。癇癪を起こす寸前の、感情を抱えきれない子供のような気持ちになった。こんなにもひどく苦しい答え合わせがあるなんて、考えたこともなかった。
「……オマエのそういうところ、大嫌いだ」
だから、うんと傷つけてやりたいと思ってしまった。ポケットに入った手紙をくしゃりと握りつぶす。不毛だ。不快だ。理不尽だ。ただ、誕生日おめでとうと言いたいだけなのに。
それなのに、傷ついた顔もせずにコイツは言うのだ。
「手紙に書いてあること言えよ」
受け取ってやると言う。目の前にいるのは不遜な王か、無垢な子供か。あんなにもいろんな人から手紙を受け取っておいて、まだわからないのか。
「……言えないから、手紙を書くんだ」
ペンを握るたった一人の時間から滑り落ちたありがとう。胸の奥が燃え上がって生まれる風のようなおめでとう。きっと、こじれにこじれたごめんなさいも、まだ形のない、普段の言い合いでかき消されてしまう友愛だって。
手紙がしわくちゃになる悲鳴が手のひらを伝わる。悲しみは時に孤独を引き連れてくるが、今回は孤独が隠れるくらいの怒りを連れてきた。
「四季さんの手紙は受け取るくせに、なんなんだよ」
「あ? 今四季関係ねーだろ」
「関係あるだろ! そもそも、四季さんが言わなかったら手紙なんてかかなかった」
「はぁ!? 四季に言われたから書いたのかよ」
「…………それはわからない。でも、本心で書いた。それなのに……はぁ。もういい」
怒りは治まるとき、様々な感情をさらっていく。タケルの感情にはぽっかりと穴があいて、諦めだとか呆れだとかが残っている。そうして、いつもどおりになってしまう自分たちを胸の穴ごしに見つめていた。
「手紙は渡さない。競争もしない。とっとと走って、事務所にでもどこにでも行けよ」
返事も待たずに歩き出す。漣が歩きださないものだから、自然、置き去りにしていく形になった。
*
手紙は事務所のゴミ箱に捨てた。
缶の真下、そっけないゴミ箱には手紙だけが入った。
蓋の開いた缶にはたくさんの、色とりどりの手紙があった。
*
だらだら、タケルはゲームをしている。雨でロードワークができないのは困ったが、漣と顔を合わさずに済むことにタケルは内心、安堵していた。
手紙は捨てたから、一生吐きだすことのない気持ちが彼の中でぐるぐると渦を巻いている。きっと、四季さんほど俺はアイツを好きではない。でも、嫌いじゃないとわかったのは四季さんのおかげなんだとタケルは理解していた。四季が笑うように、道流が慈しむように、きっと自分はアイツに優しい感情を抱けたはずなのに、と。
ふいに玄関のドアが悲鳴をあげる。台風みたいな音の到来。あの扉の天敵は一人しかいない。平坦だった気分が下がる。
「……なんだよ」
玄関をあけ、最低限を口にする。隙間をからだで埋めて、家に招き入れるつもりはないと意思表示をしながら。
「……手紙、見た。返事は書かねえから言って回ってる」
「はぁ!?」
チビにだけ言わないのは可哀想だと、同情のようなものだと彼は言うが、タケルの耳にはほとんど届いていなかった。どうして? なんで? 捨てたはずだ。疑問が脳を埋めていく中で、その隙間に特徴的な声が溶ける。
「別にチビのために生まれたわけじゃねーけど。ま、オレ様って存在に感謝しろよ!」
そう言って災害は背を向ける。タケルはその背中に問いかける。
「……他になんかないのかよ」
くるりと振り向いて漣は笑う。タケルは知っている。こういうとき、アイツはニタリと笑うのだ。
「変なの」
*
「タケルっち! 手紙、ゴミ箱に落っこちてたっすよ! ちゃんと拾って入れといたっす!」
謎は早々に解けた。善意は時として、だいぶ余計なことをする。
「…………サンキュ」
それは捨てたんだと、なんとなく言えなかった。
「お祝いできてよかったっすね。オレも漣っちから返事もらったんすよ……口でだけど。タケルっちももらったっすよね?」
「ああ。だいぶ偉そうなのがきた。よくいつもどおりの態度でいられるよな……」
タケルは呆れを隠さずに口にして、思う。祝福には感謝という図式がアイツにはないんだ。でも四季さんは笑っているし、きっとみんなあたたかな気持ちになっている。俺だって今はもう、アイツらしいなという感想しかない。
「オレは結構珍しいこと言われたっすよ。漣っち大好きって書いたんすけど、『別に嫌いじゃない』って言ってもらえたっす!」
「………………それ、俺の」
「え?」
なんでもない。タケルはそうつぶやく。
プレゼントは感謝と、少しだけ見つけた気持ちと、便利な言葉。そして、これから作るチャーハン。これだけやれば充分なはずだと、タケルは事務所の扉を開けた漣と道流をいつもどおりに迎えた。