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    amelu

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    2024年アルハイゼン誕生日ゼン蛍。
    とあるきっかけと周りの後押しで急接近した二人のおはなし。

    ##ゼン蛍
    #ゼン蛍
    #hailumi

    光を抱く巨樹 不可抗力ではあったが、アルハイゼンは蛍と抱き合った。
     それは、真昼の往来で起きた、些細な事故に過ぎない。
     だが、あの小さくしなやかな身体を自分の腕に収めたときから、アルハイゼンの日常は複雑に縺れてしまっている。
     業務の合間に教令院を出て街中へと下りてきたアルハイゼンは、不意に曇りなく晴れ渡った暑い青空を見上げた。白い鳥が旋回するように飛んでいる。まるで、あの日のような光景だ。もっとも、あの日に真っ白な翼を広げて空を舞っていたのは、鳥ではなく蛍だったのだが。
     あの日は、風が荒れていた。ヤザダハ池の桟橋からの坂道を上りきったところで、アルハイゼンは上空を緩やかに滑空する白い影に気が付いた。その影の大きさから鳥でないことはすぐわかったが、それが彼女であることに気が付いたのは一瞬遅れてだった。突風が吹きつけ、乱れた前髪がアルハイゼンの視界を奪う。指先で払って再度見上げたときには、翼の制御を失った白い影が回転しながら勢いよく落下しているところだった。体勢を立て直すには低空すぎる。あとは如何にして着地の衝撃を和らげるかだ。目測だが、このままでは建物に衝突する可能性もある。彼女ならば咄嗟に身を翻して避けられるのかもしれないが、予備策の有用性について検討する前にアルハイゼンは石畳を蹴っていた。
     草元素力が凝集された照準を合わせて、概算した落下角度の進入降下線へと割り込むように飛び上がる。胸部に強い衝撃を受けたが、元素力に支えられたアルハイゼンの身体は、蛍が受ける衝撃を逃すように一回転してその姿勢を保った。
    「——大丈夫か?」
     蛍をしっかりと腕に収めて地に降り立つと、この状況を見ていた周囲から歓声が上がった。呼吸、意識に異常はない。突風に煽られて一時的に風の翼の制御を失い、しかも街の上空であったために旋回などの回避行動が取れなかっただけと見受けられる。ただ、脈拍だけが少し速い。アルハイゼンの腕の中、蛍の柔らかな肢体が惜しげもなく押し付けられ、その胸元からは強い鼓動が伝わってくる。
    「ん、うん……ありがとう、アルハイゼン」
    「君は、どこに行こうとしていたんだ? 太陽にでも向かっていたのか?」
     テイワットに数多ある神話において、太陽に向かって飛んで翼を失った者の話は有名ではあるが、この場合もちろん冗談だ。
    「……近道を」
    「ほう、変わった近道だな。君は空を歩くのか。まあいい、君がスラサタンナ聖処や教令院から飛び降りる癖があるのは知っている」
    「アルハイゼン……あの、怪我は? すごい衝撃だったと思うんだけど」
    「俺か? もちろん何ともない。君があと三倍大きければ肋骨の一本でも折れたかも知れないが」
     緩衝の原理だとか負の加速度だとか小難しい計算は抜きにして、実際に抱き留めた蛍は小柄で軽く、アルハイゼンの腕にすっぽりと収まっている。それはまるで錠が噛み合うようにぴったりとしていて、妙な安心感があった。
    「ごめんなさい、驚かせて。それで、あの、もう下ろして……?」
    「断る」
    「えっ」
    「下ろしたところで、君は歩くことは疎か真っ直ぐ立つことすら難しいはずだ。回転落下の影響で平衡感覚が狂っている。脳震盪を起こしている可能性もある。なるべく頭を動かさず、しばらく安静にすべきだな」
     必要があればビマリスタンに連れて行くつもりだったが、受診したところでベッドに寝かされて吐き気止めを処方される程度のものだろう。それならばと、アルハイゼンは真昼の往来の中を蛍を抱き上げたまま歩き、自宅まで連れ帰ったのだ。
     それから、数時間はアルハイゼンのベッドで寝かせて、まっすぐ歩けるのを確認してから帰した。些細な事故、日常の範囲内の変則対応に過ぎない。だが、アルハイゼンが抱き留めた衝撃は、弧を描いて貫く矢のように彼の平常を奪っていったのだ。


     白い鳥の旋回を見送り、アルハイゼンは知恵の殿堂から持ち出した本に目を遣った。それは、今の彼が身を置いている状況を明確にするものだった。
     古い符文学の本。そこには古代の神話と神の職掌について書かれている。アルハイゼンがこの本を手に取ったのは偶然ではなく、知論派の機関誌に寄稿された研究論文を査読するにあたって必要だったからだ。十年以上前に読んだこの本を開いてようやく、アルハイゼンは自身の日常に起こった糸の絡まりに気が付いた。
     昨夜はついに、不注意で皿を割ってしまった。蛍のことを考えていたのだ。彼女の旅は順調なのだろうか。今はスメールに戻ってきているが、またいつ別の地へ行ってしまうかわからない。アルハイゼンは、スメールに滞在しているときの蛍しか知らず、それを悔しく思う。蛍とのことを思い返すたび、夜の静けさに息を詰め、ひりつくような焦燥感を覚えて、目の前の文字を追うことが困難なほど平静ではいられなくなる。
     思い返せば、あの墜落事故未遂が起こる前から、蛍は不思議な行動を見せるがあった。例えば、アルハイゼンと目が合うと驚いたように視線を外したかと思えば、偶然街角で行き合ったときには嬉しそうに手を振ってこちらに近寄ってくるというようなものだ。今になって、その仕草や表情のひとつひとつに、意味を探してしまう。
     『神のもたらす愛』の解釈は多岐に渡り、それこそ学者の数だけ存在するが、『愛を司る神』の職掌が『愛の虜にすること』というのは概ね共通の認識だ。また、『愛の神』の妻が『快楽』であることも定説であり、愛を司る神がもたらすのは友愛や恩愛ではなく『恋と性愛』だとされている。
     叶うことならば、自分の眺める風景の中に蛍がいてほしい。だが、それだけでは不安なのだ。ふつふつと煮立つ情感が彼女へと凝結し、火を灯す愛欲が枝葉を伸ばしていく。
     縺れた自身の感情に折り合いをつけたアルハイゼンは、本を閉じる。
     最早、恋を疑う余地はない。何せ、恋も愛も神話の時代から存在するのだ。あとは、これをどう彼女に伝えるかだ。このままでは、干上がってしまいそうだった。


     ◆


    「金髪の旅人と書記官は恋仲らしい」
     その噂は、蛍の耳にも入っていた。パイモンが目を見開いて「いつのまに」と訊いてきたので、「アルハイゼンに迷惑だよ」と返しておいた。先日の“墜落未遂”が原因のようだが、アルハイゼンの人助けが称賛されることはあっても、それが「真昼の往来で抱き合っていた」と色恋に結びつけられるのは行き違いが過ぎる。
     アルハイゼンと恋愛。大人の男性として当然のようで、どうにも想像のつかない言葉だった。恋人は、いるのかもしれない。きっと、蛍の知らないどこかで、大人らしいさらりとした逢瀬を重ねているのだろう。
     蛍の知らない世界、見たことのないアルハイゼン。勝手に想像しておいて、腹の底に沈む重たい溜息が漏れる。蛍もまた、すべてを友人たちに曝け出しているわけではない。こうして、アルハイゼンとの噂や彼自身に対して言い表せない澱んだ感情を抱いていることも、友人の誰も知らない。もし察するとしたら、いつも傍にいるパイモンくらいだろう。
    「蛍、どうしたんだ? 顔色が悪いぞ」
    「うん……ちょっと胸焼けかな」
    「ナヒーダと約束してるけど……別の日にしてもらって今日は休むか?」
    「ううん、大丈夫。昼のお肉が重かったかも」
    「そうか? もしつらかったら、薬もらいに行こうな」
     大丈夫だよ、と念を押して、キャサリンのいる冒険者協会受付の前を上っていく。
    「パイモン、今日はこっちから行かない……?」
     蛍が示したのは、突き当たりにレグザー庁があるいつもの道ではなく、カフェの前を通ってカリミ取引所へと続く道だ。
    「なんでだ? まぁ、オイラはどっちでもいいぞ!」
     教令院へと至る経路は二つあるが、カリミ取引所の前の坂道を上っていくと、アルハイゼンの家の前を通らない。この時間に彼が自宅にいるのかどうかはわからないが、あまり彼の家の前を通りたくなかったのだ。
     家の前を横切ったとき、見知らぬ女性が家から出て来たらどうしよう。そこには蛍の知らないアルハイゼンの生活があるのかも知れないと考えて、怖くなってしまった。
     なるべくパイモンとの会話に集中してぐるぐるとした坂道を通り抜けると、教令院の前に出る。スラサタンナ聖処に行くためには、教令院のエントランスを必ず通り抜けなければならないので、急ぎ足で扉だけを目指した。ラザンガーデンにはまばらに学者の制服が見えるが、蛍の見知った人物はいない。少し安堵して、スラサタンナ聖処へと入っていく。
    「——蛍、来てくれたのね。急に呼び出してごめんなさい」
     蛍を迎え入れたナヒーダは、ぱっと明るい表情を見せる。だが、蛍の顔を見るや否や、不思議そうに首を傾げた。
    「わたくし、あなたに無理を言ってしまったかしら」
    「え……ううん、そんなことないよ」
    「蛍のやつ、胃もたれしてるらしいんだ」
    「そう……? それならいいのだけれど……もしかして、最近のシティでの噂を気にしているの?」
     今度は、蛍がナヒーダを見つめ返す番だった。スメールの民を慈悲深く見守り、その知恵を小さな枝葉の先まで行き渡らせているナヒーダのことだ、根拠のない市中の噂も耳にしていたのだろう。
    「あ……アルハイゼンに、迷惑かけてないといいんだけど」
     歯切れの悪い言葉しか出てこない。この噂は、アルハイゼンにも伝わっているのだろうか。彼は、この噂をどう思っているのだろう。
    「彼のことだから、きっと迷惑だなんて思わないわ。むしろ……いいえ、余計なことを言うべきではないわね。それはそうと、今日は、そのアルハイゼンのことであなたを呼んだのよ。力を貸してもらえるかしら?」
     反射的にナヒーダに何かを聞き返そうとしたが、移り変わった話題に押されて蛍は頷いた。ナヒーダの手助けになるのなら、蛍もパイモンも労力は惜しまない。
    「もちろん、私にできることなら」
    「ありがとう。どうしても、あなたにお願いしたくて」
     そういって、ナヒーダは一枚の紙片を取り出して蛍へと渡した。見てみると、とある荷物の出荷に関する手控えだった。荷受け人はもちろん、スラサタンナ聖処のナヒーダ。
    「璃月から荷物で、送り主は……鍾離先生?」
     意外な人物の名に、蛍はパイモンと顔を見合わせた。
    「そうなの。実は、モラクスが古物市である調度品を見つけたらしいのだけれど、デザインや使われている素材からスメールに縁深いものだと感じたのですって」
     ナヒーダの話によると、モラクスであるところの鍾離は、璃月の古物市でスメールに由来する逸品を見つけ、それがたったの数モラで叩き売られていたことから盗品の可能性が高いということで、鍾離はそれを買い取り、持ち主が見つかるなら返却してほしいとナヒーダに知らせてきたようだ。
    「もしかして、その持ち主がアルハイゼンってことか?」
     パイモンもすぐに気が付いたようだ。ナヒーダはたしかに、アルハイゼンのことで蛍を呼んだと言った。
    「正確には、彼が以前から探していたものなの。彼自身ももうとっくに諦めてしまったみたいだけれど、時を経てようやく手元に返してあげられそうよ。だから、蛍、あなたにお願いしたいの。オルモス港でこの荷物を受け取って、アルハイゼンに届けてちょうだい」
    「わたしが……? そんなに大切なものなら、他の——」
     アルハイゼンがそれを探していたと知っているナヒーダ、もしくは彼に近しく親密な誰かが相応しいのではないか。それを言いかけて口先が縺れた。アルハイゼンの深層に触れたいという意識が湧き上がり、本心ではない建前をナヒーダに告げることはできなかったのだ。
    「わたくしは、あなた以外にはいないと思っているわ。そうね、アルハイゼンに渡すのは明後日がいいわ。明日、港で受け取って、明後日にアルハイゼンへ渡してほしいの。日程にも無理がないでしょう?」
    「明後日? うん、明日、オルモス港に行けば余裕だと思う」
     お願いね、とナヒーダににっこりと笑顔を向けられ、蛍は先ほどまでの靄がかかったような不安が押し流されていくの感じていた。


     オルモス港で受け取ったのは、『割物注意』の札が貼られたひと抱えの箱だった。中身はわからないが、大きさはたしかに小物ではない調度品らしく、しっかりとした重みがある。壺のような陶器にしては軽い。割れ物と書いてある以上、箱を振って内容物を確かめるわけにもいかない。パイモンと二人、中身について言い合いながら、慎重に持ち帰った。
     時間的には、オルモス港で荷物を受け取ったその日にアルハイゼンに届けることも可能だった。だがナヒーダに何度も「明後日」と言い含められていたので、荷物を預かったまま一晩置いて、明くる日の午前中にアルハイゼンの自宅へと向かった。
     レグザー庁の前を左に進み、商店横の坂道を上がるとすぐにアルハイゼンの自宅がある。もし出勤していて不在だったら、教令院まで届けるべきだろうか。彼の退勤の頃合いを見計らって出直してもいい。僅かな気まずさと箱の中身に対する興味、ナヒーダの意図を推し測りながら、蛍はドアを軽く叩いて声を掛けた。
    「——アルハイゼン、いる?」
     室内で、ガタンと音がした。静かな足音が気配と共にこちらに近付いてくるのがわかる。錠が上がる重い音がして、扉が少しだけ開いた。
    「蛍、どうしたんだ? 約束は……していなかったと思うが」
    「うん、急にごめんね。ナヒーダに頼まれて、荷物を届けにきたの」
    「ナヒーダが、お前の大事なものって言ってたぞ」
     荷札と『割物注意』の文字が貼ってある箱を見せると、アルハイゼンはぴくりと眉根に力を込めた。先触れのない訪問と覚えのない届け物に困惑しているのだろうか。
    「大事なもの……? ふむ、ひとまず入るといい」
     玄関で荷物を受け渡すつもりだったが、アルハイゼンは早々に踵を返してリビングへと戻ってしまった。蛍の背中で扉が静かに閉まる。アルハイゼンの家に入るのは、抱えて運ばれたあの日以来だ。あの時のことを思い出すと、目眩がしそうなほど鼓動が速くなる。
    「——蛍」
     ドアの前で立ち止まった蛍に声を掛けたアルハイゼンは、三台あるうちの中央のソファに座り、自らの傍の座面を軽く叩いて示した。ここに座るように、ということだ。
    「お、お邪魔します……」
     箱を抱えたまま、アルハイゼンの隣に腰を下ろす。蛍の頭の後ろを飛んでいたパイモンは、横のソファの上に落ち着いた。
     早く立ち去りたい気持ちと彼としっかり言葉を交わしたい気持ちが交互に蛍を襲う。
    「荷札を見る限り、璃月からのようだが」
    「オイラたちも中身は知らないから、アルハイゼンが確認してみてくれ」
     アルハイゼンは、テーブルに置かれた箱を一通り検分してから、箱の蓋に打たれた杭を丁寧に抜いていく。蓋を外し、布を巻かれた品を取り出して、その包みを解いた。
    「これは……」
     アルハイゼンの声に、驚きの色が混ざる。布で保護されていたのは、スメールの巨樹を象ったようなガラス細工だった。
    「ランプ……?」
    「ああ、そうだ。ランプだ」
    「わあ! 綺麗だな?」
     繊細な薄いガラスはモザイクのような色柄で、まるで巨樹が星を抱くようなぬくもりと優しさを感じさせる意匠のランプだ。
    「アルハイゼンの、大事なもの?」
    「そうだな。正確には、俺の両親のものだが」
    「ご両親の……」
     蛍が知っているのは、アルハイゼンの両親はずっと昔、アルハイゼンが子供の頃に亡くなっている、ということだけだ。そうとなると、この精緻な細工が施されたガラス製のランプは、十数年あるいはそれ以上の長い間、壊れることなくスメールに戻る機会を待っていたことになる。
    「——両親の結婚が決まった頃、読書家の父へ母が贈ろうとしたものだ。デザイン画が母の日記に残っていた。これを持って新居に移るつもりだったそうだ。最終的にフォンテーヌの職人に細工を頼んで、完成品を送り返してもらう際に、盗難にあったらしい」
    「すごい……ちゃんと、アルハイゼンのところに戻ってきたんだね」
     ああ、と小さな声で返すアルハイゼンの視線は、思い出のランプに注がれている。繊細だが、それでいて巨樹の強い生命力のようなものを感じさせるそれは、きっとスメールの自然の加護で守られていたのだろう。もしくは、ナヒーダが草神として信仰を集めるようになって流れが変わったのかもしれない。
    「これを、君に届けさせるとは……クラクサナリデビ様らしいな」
    「スメールは、本当に素敵な国だね」
    「……そうだな。臣民に誕生日の贈り物をする神はなかなかいない」
    「誕生日……? え?」
    「アルハイゼン、お前もしかして」
    「ああ、今日は俺の誕生日だが」
     ランプをテーブルに置いたアルハイゼンは、視線をこちらに寄越す。その視線を受けた蛍は、咄嗟に言葉が思い浮かばずに動きを止めていた。時間に余裕があっても、「明後日」をナヒーダが強調していたのは、このためだったのだ。
    「……誕生日おめでとう、アルハイゼン。私、知らなくて、何も渡せるものがないんだけど……ごめんね」
    「ありがとう。気にしなくていい、このランプで充分だ」
    「でもそれは、ナヒーダが手配してくれたものだし……」
    「ふむ。それなら、俺の話を聞いてくれないか。とても大事な話だ。急なことで準備も不完全だが……次に機会があるとは限らない」
    「うん?」
     アルハイゼンでも蛍でもなく、なぜか隣のパイモンがひゅっと息を詰めた。アルハイゼンはランプにオイルを差して火を灯し、ふわりと広がるぬくもりの灯りを見つめてから蛍に視線を移す。ランプの柔らかな灯りのせいか、いつも涼しげな色をしたアルハイゼンの瞳が熱っぽく見えた。
    「——蛍。俺は、君と結婚したいと思っている」
     言葉の意味を、必死に探した。蛍の思考と知識の間に溝があるのか、それとも彼女の聞き間違いなのかアルハイゼンの言い間違いなのか、とりあえず彼の発した言葉を理解できない。固まってしまった蛍の代わりとばかりにパイモンが声にならない悲鳴を上げて飛び上がり、天井の近くでわなわなと震えていた。
    「飛び回るのは構わないが、照明にぶつからないように気を付けてくれ」
     天井に張り付いてしまいそうなパイモンを見上げながら言ったアルハイゼンは、蛍と違って緊張した様子もない。
    「お、お前が急に変なこと言うからだろ! 急に結婚とか! そもそもアルハイゼン、お前、蛍のこと好きだったのか⁉︎」
    「……『好き』の一言では言い表せないな。ただ、軽々しい気持ちでないのは確かだ」
    「私も、アルハイゼンが思いつきでそんなこと言うなんて思わないよ。でも、どうして結婚なんて」
    「敢えて『好き』という言葉を使うなら、俺は、君に好かれていると思っていたんだが、それは俺の勘違いなのか? 勘違いと言われても、求婚を取り下げる気はないが」
     混乱のあまり、言葉が出てこない。今の蛍にわかるのは、アルハイゼンが蛍のことを憎からず思っていて、蛍の中にあるあたたかい感情も彼に伝わっていたということだ。
    「勘違い、じゃ、ないよ」
     その言葉に、頭上のパイモンがほっと息を吐いたのがわかった。やはり、パイモンも蛍の恋心には気付いていたのだ。
    「……よかった。それならば、問題はないだろう。……君の旅の事情はわかっているつもりだ。だからこそ、曖昧にはしたくはない」
     恋人関係は、甘く綺麗な砂糖菓子のようなものだと、小説で読んだことがある。物語の中で、それらはいつも、過ぎた情熱やすれ違いで簡単に壊れてしまうものだった。世界を巡る旅人に、口約束の恋人関係は、風に舞う木の葉のように不安定で儚いものなのだろう。
    「先程、君も言っていただろう、“スメールは素敵な国”だと。ただ通り過ぎるだけではない、君が生きていく国にしてもいいんじゃないのか?」
     巨樹に抱かれた国、スメール。その国を統べる草神クラクサナリデビも大きな慈愛で民を包み込む存在であるが、アルハイゼンもまた、蛍にとっての拠りどころになろうというのだ。それが精神的なつながりに留まらず、実利を伴う形を取ろうというのがとても彼らしいと思う。
    「……ありがとう、アルハイゼン」
    「礼を言われても、諾否は判らない。……だが、急かすつもりもない。俺の求婚は、概ね八十年先まで有効だ。気負わずに考えてほしい」
    「はちじゅ……⁉︎ そんな先まで?」
    「ああ。結婚は、君の人生を摘み取ることになるかもしれない。そのくらいの覚悟があって然るべきだろう」
    「アルハイゼンは長生きする予定なんだな?」
     アルハイゼンの年齢で八十年先といえば、百歳を優に越える。つまり、蛍以外との結婚は端から考えていないということでもある。
    「……もし、君と結婚するなら、その先の人生は少しでも長いに越したことはない」
    「だって! 蛍、どうするんだ?」
     世界樹に記録されていない存在、兄との再会、まだ見えない旅の終わり——未来の不安は尽きることはない。その一方で、芽吹いたばかりの恋心を、想う相手本人が受け取ろうとしている。初めて愛した人、アルハイゼンには幸せでいてほしい。彼が望むなら、今の自分を差し出してもいいとさえ思う。
    「うん……私も、アルハイゼンと一緒にいたい」
     ランプのあたたかい灯りが揺れる。アルハイゼンの逞しい腕がこちらに伸びて、大きな骨張った手が蛍の頬を包んだ。目を閉じて擦り寄せれば、そのまま抱き寄せられたのがわかった。
    「お、オイラっ、ちゃんと届け物してきたってナヒーダに伝えにいこうかなっ! 蛍、アルハイゼンと仲良くな! 喧嘩するなよ! それじゃあ行ってくるからなっ」
     先程まで仲立ちを買って出ていたパイモンだが、急に気を利かせたのか、蛍が呼び止める間もなく家を出て行った。
    「……彼女にも慣れは必要か。毎回ああやって気を遣わせるわけにもいかないだろう」
     アルハイゼンが呟いた。今はまだ慣れないとしても、いずれは蛍とアルハイゼンの仲睦まじい姿が日常となるのだろう。
    「うん、パイモンも一緒にね」
    「もちろんだ。……ところで、今日の君の予定は?」
    「特に決めてないけど……お祝いしたいな、アルハイゼンの誕生日」
     アルハイゼンの厚い胸板に耳をくっつけると、とくとくと命の強い音が聴こえる。明日の行方も知れない旅だとしても、ここには彼がいる。彼の強い命が蛍をつないでいる。
    「わかった。あとでバザールに行こう。今は、もう少し話がしたい」
    「うん? 話? 本当に話だけ?」
    「ああ、そうだな」
     蛍の金髪を優しく撫で、掻き上げる。見上げて、蛍もアルハイゼンの頬に手を添えた。蛍も、それを望んでいた。すっと背筋を伸ばし、少しかさついたくちびるを迎え入れる。
     二人を見守るのは、透明な柔らかい光を放つ、思い出のランプだけ——。
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     それは、真昼の往来で起きた、些細な事故に過ぎない。
     だが、あの小さくしなやかな身体を自分の腕に収めたときから、アルハイゼンの日常は複雑に縺れてしまっている。
     業務の合間に教令院を出て街中へと下りてきたアルハイゼンは、不意に曇りなく晴れ渡った暑い青空を見上げた。白い鳥が旋回するように飛んでいる。まるで、あの日のような光景だ。もっとも、あの日に真っ白な翼を広げて空を舞っていたのは、鳥ではなく蛍だったのだが。
     あの日は、風が荒れていた。ヤザダハ池の桟橋からの坂道を上りきったところで、アルハイゼンは上空を緩やかに滑空する白い影に気が付いた。その影の大きさから鳥でないことはすぐわかったが、それが彼女であることに気が付いたのは一瞬遅れてだった。突風が吹きつけ、乱れた前髪がアルハイゼンの視界を奪う。指先で払って再度見上げたときには、翼の制御を失った白い影が回転しながら勢いよく落下しているところだった。体勢を立て直すには低空すぎる。あとは如何にして着地の衝撃を和らげるかだ。目測だが、このままでは建物に衝突する可能性もある。彼女ならば咄嗟に身を翻して避けられるのかもしれないが、予備策の有用性について検討する前にアルハイゼンは石畳を蹴っていた。
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