4月度グルアオSS集『思春期あるある』
「んふふ~」
上機嫌に鼻歌を歌いながら明日着る服をクローゼットから取り出していく。いつもジムで会う時は制服姿だし、今回は思いきってスカートにしてみようかな。あ、この前可愛いフレアスカートを買ったし、それにしよう!
そのスカートに合いそうな服をどんどん出していっては鏡の前で重ね、一人ファッションショーを開く。理由はそう、明日恋人のグルーシャさんと会うからだ。しかもデート先は彼が住むお家。これはもう、気合を入れるしかない。
これかな? いやあっちの方がいいかな? どんな格好だとグルーシャさんから可愛いって言ってもらえるのかな? だなんてことを思いながら明日のコーデを考えるのがすっごく楽しい。
「よし、これで行こう!」
かなりの時間をかけながらも決めた服装をハンガーにかけ、残りは全てクローゼットの中へ片づけていると目に入ったのは姿鏡に映った自分の姿――いや、正確には自分の前髪。
「……ちょっと野暮ったい、かな?」
交際を初めてからというものかっこいいグルーシャさんと釣り合うため、自分なりにおしゃれに気を遣ったり髪を伸ばしてみたりと色々挑戦してきた。そのせいでほんの些細なことでもすぐに気になるようになってしまったけれど、大好きな彼の隣に立つためにはオシャレもポケモン勝負並に頑張らなくては!
だからこそ、ちょっとでも微妙な部分があれば直したい。ここをなんとかしたら、明日着る予定の大人っぽいコーデがもっともっと素敵に着こなせるような気がする。
よーし! と心の中で気合を入れると、近くの棚からポケモン用のハサミを取り出した。この中途半端に伸びてしまった前髪を、ちょこっとだけ切るだけだから大丈夫。パーモットの毛先を毎回上手くカットできてるし、へーきへーき!
と軽い気持ちで散髪を始めたんだけど、この慢心こそが諸悪の根源だった。出会った頃のグルーシャさんだって、慣れ始めが一番危ないと言っていたはずなのに。
そんなことをすっかりと抜け落ちていた私は、何の迷いもなく自分の前髪にハサミを入れた。
数分後、私は隣の部屋に住む学生から何事かと激しくドアをノックされるくらいの叫び声をあげた。
***
ソファから立ったり座ったり、忙しなく動くぼくをポケモン達は呆れたようにじっと見つめている。だって仕方ないだろ。今日はアオイが家に来るんだから。
昨日ジムから帰宅後すぐに家中を掃除して回ったし、彼女が好む飲み物やお菓子を何日も前から準備した。変な臭いがしてないか急に不安になったから、普段は絶対に使わないルームフレグランスも置いた。これで清潔感あふれる部屋になっただろうし、あの子だって心置きなくくつろげるだろう。……それなのに重要なことを見落としているような気がして、なんだか落ち着かない。
いや、理由はわかってる。生まれてこのかた恋人を家にまで呼んだことなんてないから、柄にもなく緊張しているんだ。
「……こんなサムいところ、絶対に見せたくないな」
そんなことを呟きながらキッチンまで水を飲みに行くのは何回目だろう。いい大人が情けない。アオイが来るまで、本当に大丈夫かどうか最終チェックをしにもう一度家中を回るか?
そうやって、少なくとも本日四回目の巡回をしようとしたところで来客を知らせるチャイムが鳴った。……とうとうアオイがやって来た。
年上らしく、スマートな対応ができるよう深呼吸をしながら落ち着こうとすれば、リビングに居座っていたポケモン達がみなぞろぞろと移動し始める。そして最後尾のマニューラがサムズアップするかのように指を一本だけ立てると、部屋から去っていった。あんな仕草、どこで覚えたんだ?
謎のエールに疑問符を浮かべながらも、再度鳴ったチャイムを聞き慌てて玄関へと向かった。
「待たせてごめ……ん」
春が来たと言えど年中雪が降るナッペ山の気温は低い。風邪を引かせないためにもすぐさまアオイを家の中に入れようとドアを開ければ、目の前にはエクスレッグヘルメットを被った人物が立っていた。
前にプレゼントしたコートを着てるし、背丈的にもアオイなんだと思うけどどうしたんだ?
「えっと……」
「グルーシャさん、こんにちは! 今日はお邪魔しますねー」
状況を把握しきれずに戸惑うぼくとは対照的に、アオイはいつもの明るい声で挨拶をする。とりあえず体が冷える前に彼女を室内に入れると、リビングまで案内した。
暖房が効いた室内でコートを脱いでソファに座ってからも、彼女は頑なにヘルメットを外そうとはしなかった。
「暑くない……?」
「お気になさらず!」
いや、無理だろ。即座に入ったツッコミは、口から出ることなく胸の中で消化不良を起こしている。ヘルメットについてあんまり触れてほしくなさそうな雰囲気を出してるけど、そんなのできるはずがない。いつもの制服姿とは違って可愛い服を着ているのに、頭にはフルフェイスメットを被っているというギャップに脳が混乱して、せっかくのアオイとの会話に集中できない。
「道中で何かあった? もし怪我したのなら手当てするし、ちゃんと見せて」
「あのっ、全然違いますから! なので今日はこのままでお願いします!」
「そんな無茶言わないでよ」
彼女が目の前にいるのに顔が見えないとか、意味わかんない。これ以上はしつこいと思われる危険性はあったが、どうしてもアオイの顔が見たくてぼくはなんとか食い下がる。だって、多忙な中なんとか有給をもぎ取ったのに、久しぶりのデートで恋人がヘルメット装着してるとか意味がわからないだろ。
「……アオイの顔が見たい。お願いだから、それ外して」
自分のよりもずっと小さな手に触れながらそう懇願すると、アオイは消え入りそうな声で笑わないですか? と聞いてくる。本当に何があったんだ? と思いながらも、ヘルメットを脱がせるためにぼくは頷いた。
「絶対、絶対に笑わないでくださいね」
そう念押しで言うと、アオイは両手でヘルメットを持ち上げた。中からうっすらと化粧をした彼女の顔が現れ、普段とは違う雰囲気にどきりとしながらも、瞬時にとある部分へと視線がバキュームのように吸い込まれていく。
いつもは右耳にかけている前髪が、ない。いや正確には……――
「あ! グルーシャさんの嘘つき!! 今笑った! 笑わないって言ってたのに、笑った!!」
アオイは涙を浮かべながらぽかぽか胸板を叩いてくるけど、ぼくはまだ笑ってない。口元が緩みかけたから、引き締めただけだ。
「酷い! だから嫌だったんですよ!!」
怒りに満ちた表情を浮かべながら立ち上がって出て行こうとする彼女を、ぼくは慌てて止めた。
「笑ってない、から。だから落ち着いて……」
「じゃあなんでさっきお口をむぎゅってしたんですか! いつもはそんな顔しないじゃないですか!!」
一気に燃え上がる炎のように怒鳴り声をあげる彼女をなだめるためにも、アオイをもう一度ソファに座らせ、力いっぱい抱きしめた。薄い背中を軽く叩きながら、アオイの怒りが収まるのを待つ。そうやっている内に、腕の中でぐずぐずと鼻水を啜る音が聞こえ始めた。
「うぅっ……。こんな、はずじゃなかったのに……!」
「そこまで落ち込まないでよ」
「だってぇ……」
ジェットコースターの如く感情の起伏が激しい。ここまで感情的で、しかもいつもの丁寧な喋り方ではなく年相応の言葉遣いで喋っているアオイは新鮮だな。
「前髪を、自分で切るんじゃなかったぁ……」
憎らしげにぼくの服を掴む指に力がこもる。なだめていても機嫌が戻る兆しは全くないので、仕方なくぼくもとある過去を打ち明けた。
「ぼくも、同じことをしたことあるよ」
「……そうなんですか?」
「大会の前に前髪を切りすぎてさ、不貞腐れながらテレビのインタビューに応えてたよ。ほんと、サムい思い出」
なんで人前に出る可能性が高いのに、そんな余計なことをしたくなるんだろうねと付け加えれば、アオイは目を丸くしながら見上げてくる。
「グルーシャさんにも、そんな時があったんですね」
「お年頃なら誰にだって経験はあるんじゃない? まあぼくの場合、その時の態度が悪すぎて周りからのバッシングがすごかったから、あんまり思い出したくないんだけど」
「すごく気になるので友達にお願いして、当時の映像がないか探してもらいます」
「え、なんで? 普通に嫌なんだけど。クソガキ時代のぼくなんか見ても何にもおもしろくないから」
「さっき笑った仕返しです」
「だから笑ってないってば。あれはちょっと……急にくしゃみが出そうになっただけだから」
何度否定してもいや笑っていたと譲らないアオイにどうすれば逃れられるのか考えた結果、今日のために用意していた物を早めに渡すことにした。
一度彼女から離れると、引き出しの中からラッピングされた小物を取り出した。
「これ、あげる」
すぐに開けるよう催促すれば、彼女は不思議そうな表情を浮かべながら水色のリボンを引く。そして中にある物を手にして小さく呟いた。
「きれい……」
きらりと光ったそれは、モスノウの翅をモチーフにしたピン留めだった。最後に会った際、中途半端に伸びた前髪を邪魔そうに耳にかけている姿を見ていたので、フリッジタウンの雑貨屋で購入した。雪の結晶のような模様には細工がされているようで、光が当たると不思議な輝きを放っている。
「こんな風につけてみたら、切りすぎた前髪を誤魔化せるんじゃない?」
そっとそのピン留めを手にすると、アオイの前髪部分につけてみた。いつもより額が広く見えてしまうけど、あのガタガタが目に入らないからいい感じになっているんじゃないかと思う。……いや、どうだろう。アオイの好みに合うといいんだけど。
そんなぼくの不安をよそにアオイは鞄から小さな鏡を取り出し、チェックをし始める。そして少ししてから、彼女は小さく笑った。
「これなら大丈夫ですね……。ピン留めのプレゼントもありがとうございました。すごく素敵です」
ここに来てからやっと明るい顔を見せてくれた。それに対して笑みを浮かべながら、ぼくはアオイの頬に触れる。
「似合ってる。すごく可愛い」
途端に赤面する彼女が愛おしい。コロコロと変わっていく表情を眺めているだけでも楽しくて、そこがアオイの好きなところの一つでもあった。
「お茶とお菓子を持ってくるから待ってて」
またアオイが何かを言い出す前にぼくは立ち上がると、キッチンへと向かう。流し台から覗き見れば、彼女は何度も何度もピン留めに触れては嬉しそうに微笑んでいた。
……これであの悲惨な前髪を見て、吹き出しかけたことはチャラになったかな。
終わり