F 秋晴れの空の下で三井が大好物の唐揚げに噛り付こうとしたまさにそのとき、屋上のドアがギイッと音を立てて開かれた。そこから顔を覗かせたのは同じバスケ部の一年後輩の宮城で、三井の顔を見て「あ、いたいた」と近付いてくるも、三井の隣に座っている男に気付くと驚きの表情を浮かべる。
「え、一緒に飯食ってたの?」
宮城の言葉にもぐもぐと咀嚼をしながら頷く。三井の隣に座って同じように弁当を掻き込んでいるのは二学年下の流川だ。同じバスケ部でそれなりに仲が良い先輩と後輩といえど、わざわざ屋上に来て一緒に弁当を食べている姿というのは確かに不思議な光景だろう。宮城とだってそれなりに仲は良いが、部活以外でつるむかといったらそうでもない。
「昨日居残り練習したときに昼のジュースを賭けてワンオンしたんだよ」
紙パックのジュースを宮城の方に掲げながら言うと、なるほどと宮城は納得した表情を浮かべ三井の前へとしゃがみ込んだ。
「で、どっちが奢ったの?」
「……俺だよ」
「やっぱりね」
「ウッセーな……で、なんか用か?」
おそらく三年の教室で徳男あたりにこの場所を聞いたのだろうし、わざわざ貴重な休み時間に来るのだから何かしらの用事だろう。三井が尋ねると宮城が思い出したように口を開いた。
「あ、そうそう、今日の練習なんすけど急きょ体育館使えなくなったんで休みになったのを伝えようと思って。流川もいたから丁度よかったわ」
「休みかー……んじゃ帰りに近場のコート寄ってくか?」
流川の方へと視線を向けて尋ねるとリスのように頬を膨らませた流川がこくりと頷く。膨れた頬を指で押したくなる衝動を抑えて視線を宮城へと戻した。
「お前はどうする? 一緒にやるか?」
「俺はアヤちゃんと部の備品の買い出しに」
途端に宮城が顔を緩ませ、アヤちゃんが――と話し始める。こんなに好意が明け透けなのに二人の仲は一向に進展しないのだから不思議なものだ。ふりかけのかかった白米を口へ運びながら話を聞いていると、隣で食べていた流川が弁当箱の蓋を閉める。三井が宮城と話し込んでるうちに食べ終わったらしい。手提げ袋に弁当箱と空になったジュースの紙パックを仕舞った流川が大きな欠伸をしながらゴロリと寝転がると、頭を三井の太腿の上に乗せてきた。
「オイコラ、重いっつーの」
額をぺちりと叩いて文句を言うものの避ける気配は微塵もない。全くこの男はと溜息を零しつつもそのまま弁当を食べるのを再開すると、宮城が呆れたような声を出す。
「三井サン絶対先輩と思われてないよね。普通無言で二年も先輩を枕に使わないもん」
「コイツが図太すぎるだけだろ」
既に寝息を立て始めた男の寝顔を眺めているとそういえばと宮城が声を潜めた。
「流川といえばあの噂のことなんか聞いてる?」
「噂?」
「彼女ができたってやつ。噂っていうか本当らしいんだけど」
毎日のように告白されてはにべもなく断っていた男があるときから「恋人がいるから」と断るようになったという。それがあっという間に全校どころか他校の流川ファンにも広がり、今はみんな流川楓の恋人探しに躍起になっているらしい。
「……さあ。俺らそういう話しねーし」
「マジでコイツ彼女いるんすかね。そんな気配全然なさそうなのに」
「どうだかなぁ……」
呟いて最後の唐揚げを口に放り込む。
「部活の後だって流川と三井サンいつもギリギリまで残ってんでしょ?」
「おう」
「そのあと会う時間なんてないしなぁ」
「……そうだな」
噂の張本人は大して寝心地も良くないだろう枕を使いながら穏やかな寝息を立てている。見た目は大人びて見えるが寝顔にはまだ十五歳の幼さを残している。二人で寝顔を眺めていたが、暫くすると宮城が勢いよく立ち上がった。
「花道のトコにも行かねーといけないんで俺もう行きますわ」
「おう、じゃあな」
箸を持ったまま手を振って宮城を見送る。ドアの締まる音を聞いてから弁当箱を片付けようと視線を下に向けると、寝ていたはずの流川とバチリと視線が絡んだ。一度寝たらちょっとやそっとじゃ起きない男がドアの締まる音ひとつで目を覚ますとは考えにくい。つまりは――。
「狸寝入りかよ」
「ちげー。先輩達がウルセーから寝られなかった」
「嘘つけ。お前そんな繊細じゃねーだろ」
どれだけ教師が怒鳴ろうがピクリともしないクセにと額を叩けば、流川が拗ねたようにむっと唇を尖らせた。
「だって、せっかく先輩と飯食ってたのに……」
不機嫌さを隠そうともせず吐き出された言葉にだらしなく頬が緩む。
「んふふ……」
「なにその笑い」
「いやあ……俺のカレシ可愛いなあーって思ってよ」
そう言って唇に弧を描くと、流川が眉間に皴を寄せた不機嫌な表情のまま顔を赤らめた。こういう初心なところが本当に可愛いなと思う。
流川と恋人関係になったのは一月ほど前だが、この事実を知る者は自分達以外には誰もいない。流川から告白されてそれを受け入れたときに一つの約束をしたのだ。三井が高校を卒業するまでは二人が付き合っていることは内緒にしておこうと。同じ部活だから二人が付き合ってるというのを知ったことで周囲がやりにくくなっても困るし、何より親衛隊まであるこの男の恋人なんてポジション、バレたら何をされるかわかったもんじゃない。流川としては堂々と交際宣言をしたかったのだろうが「俺の身の安全のためだ」と言ったら渋々ながらも受け入れてくれた。
そのかわりせめて恋人がいることだけでも公にしたいと言われたので了承し、以降流川は告白されるたびに「恋人がいるから」と断っているそうだ。流川のこの『匂わせ』のおかげで親衛隊はじめ流川に想いを寄せる女子の間は混沌としているらしい。まさか誰もその匂わせの相手が三井だとは思ってはいないだろう。
その匂わせている張本人はというと、恋人との逢瀬の時間を邪魔されたことに拗ねている。恋人の膝を枕にして。
「仕方ねえだろ。宮城だって邪魔するつもりで来たわけじゃねえし」
「……そーすけど」
持ったままの弁当箱と箸を傍らに置くと、ぶすりと頬を膨らませる流川を宥めるように頭を撫でた。途端に膨れていた頬がみるみる萎んでゆく。ちょっと頭を撫でただけで機嫌が直ってしまう恋人の姿にたまらず三井は相好を崩した。
『カッコイイ』が代名詞みたいな男だが、実際付き合ってみると『カワイイ』と思うことの方が圧倒的に多い。バスケをしている時はひたすらに攻めて攻めて攻めまくるのに、恋愛になるとまるで違う。奥手というよりは経験が無さ過ぎてどうしていいかわからないのだろうが、それがまた三井の心をくすぐるのだ。可愛くて可愛くてたまらない。
「部活休みになったんだからいいだろ。二人でいられる時間増えたんだしよ」
「それはウレシイ」
僅かに口元をゆるめる流川にそうだろそうだろと両手で頭を撫でまわすと、もっと撫でろといわんばかりに手の平に頭を擦り付けてくる。まるで犬や猫のように甘えてくる仕草。こんな姿親衛隊や流川に想いを寄せる女子が見たらイチコロだろうなと思うが、残念ながらこの姿は他には内緒だ。内緒というよりは三井以外の前でこの男がすることはないから、見る機会もないだろう。考えるだけで口元が緩む。
自分だけが見られる優越感に浸っていると「なんかニヤニヤ」してると流川に指摘される。むすりと唇を尖らせて顔を近付けると、流川が僅かに身じろいだ。急な接近に慣れきれてない恋人が可愛らしくてたまらない。
「お前のせいだバーカ」
そう言って筋の通った高い鼻を甘噛みしたら、流川が真っ赤になりながら変な顔をしていた。こんな顔を知っているのも自分だけ。