看病するエナ「あいつ今日も休みだってよ。」
液晶に表示された簡潔な休みを告げる文章。いや、単語。
ヤニカスが体調不良を理由に休みだしてから今日で3日目になる。
「そうか、まあ、やるしかないよ。」
「ふみぃ……先輩、大丈夫でしょうか……。」
不本意だが俺はほとんどのアルバイターからブロックされている。おかげでなかなかメンバーが集まらない。昨日と一昨日はなんとか見つけてバイトが出来たが今日は分からない。
クマサンに損害費を払っているあいつは這ってでもゲロ吐いてでも出勤してくるくせにここのところ休んでいる。相当悪いのだろうか。
「キミ、今日は組める人がいないらしい。だから今日は休みでいいってさ。」
「はあ……。」
怒る気力も湧かなくてとりあえず床に落ちていたカプセルを蹴って帰る。どいつもこいつも真面目にやらないムカつく奴ばかりだ。あと半日で編成変わるってのに評価は100とちょっと。全然クリア出来なかったし下がったもんだ。これは俺悪くないだろ。もう諦めて次の編成にかけた方がいいだろ。
こんな時間に帰ることなんて滅多にないから違和感だ。そうだ、ついでにヤニカスの家に寄っていこう。様子見ついで、文句言ってやろう。
あいつのボロボロアパートの軋む階段を登り部屋の前に立つ。人には鍵をかけろと言うくせにこいつも結構かけてない。そのおかげであいつのヤニ汁を防げたのだからあえて指摘しないでいるが……。
呼び鈴を押すが返事は無い。
「入るぞー。」
薄いドアを開けるとすぐキッチンがありそこにはいない。なら部屋だ。恐る恐る覗くと万年床になってる薄い布団が盛り上がっている。不調というのは本当のようだ。
「おーい、生きてるかー?早く出勤してくれなきゃ困るんだけど。」
反応は無い。生きてるよな?掛け布団越しに肩に触ろうと手を伸ばしたら突然こいつが飛び起きた。
「うぉ!!」
突然病人とは思えない勢いでトイレに走っていった。
げほげほと咳き込む声が聞こえてくる。ああ、吐いてるなと悟りちゃぶ台に置いてあったいつ使ったか分からないコップを軽くゆすいでそこに水道水を注いでトイレに向かう。
「大丈夫かー?」
反応がなかっただけで俺が来ていることは分かっていたのか特に驚くことはなく俺の侵入を許した。
「……。」
便器に置かれているこいつの手が震えている。ゲソにもハリがないしかなり消耗してるな……。
とりあえず背中をさすった。よく分かんないけどゲロ吐いてるやつには世間一般的にはこうすると思ったからだ。
にしても細え体だな。肩も背中も薄いし固くてほぼ骨だろ。
こいつの体のことを考えていると落ち着いてきたのか便座から離れて座り込んだ。
「ほら、これ。」
水を渡す。バンカラとはいえ水道から出てくる水は成分が考えてある体が溶けない水だ。
ちょびちょびと半分程水を飲むとコップを突っ返された。いや、返されても困る……。
「……お前、バイトは……?」
「今日は休み。んな事より大丈夫かよ……。」
「……。」
大丈夫かという問いには相変わらず返事しない。声もちょっとかすれてるし見るからに様子がおかしくてさすがに心配の方が勝つ。
とりあえず布団に戻そう、その後は……それから考える。
「立てるか?」
手を差し伸べるか迷って中途半端に差し伸べた。こいつが意外と人の善意を受け取らないことを知っていたからだ。手を叩かれたり無視されることはなく俺の手を掴んで体重をかけてきた。
立ち上がらせると腰に手を回して一応倒れないように支える。腰も細え。バイトじゃあ素うどんばっかだし夜とかちゃんと食べているのだろうか。
それに服越しに感じるこいつの体温が高い。明らかに発熱している。
なによりこんなにくっついても拒絶も悪態もつかないこいつが怖い。もはや別人だろ。
コップをちゃぶ台に置いてからヤニカスを横たえる。しっかり掛け布団までかけてやった。呼吸による掛け布団の上下が早い。こいつかなりしんどいだろ。
横向きに寝そべったこいつは掛け布団をぎゅっとして丸くなった。
「なあ……そこの収納に毛布あるから取ってくれないか……。」
寒いのか。次々俺の中のこいつ大丈夫かよ……を更新していく。
備え付けの狭い収納を開けると物はそんなに入ってなくて毛布はすぐに分かった。薄い掛け布団の上に広げてかけてやる。こいつは何も言わなくなった。
何かしてくれとも出て行けとも言われなくて何をしようか考える事にした。
……そうだ、なにか栄養のあるものを。
この様子だと飯食べれてなさそうだし。
勝手に冷蔵庫を開けるが見事に何も入ってなかった。こいつは助けを求めるということを知らないのだろうか。
ならコンビニだ。どうせ明日も出勤できないだろ。早く治してもらわなきゃ困る。色々置いていってやろう。
「生きてるかー?」
買い物を済ませヤニカスの家に戻る。出る時と変わらず死んでる。
「お前これ、ほら。色々揃えといたから早く治せ。」
額に冷却シートを貼ってやり枕元にスポーツドリンク、今食えという意味を込めてゼリーを置く。
「いいのに……。」
もぞりと時間をかけて起き上がる。冷却シートが加わったおかげでより病人感に拍車がかかっている。ちょっと痛々しい。
「そんなんされても返せねえよ……。」
「いや、返さなくていいけど。」
そう、返さなくていい。これは俺なりの罪滅ぼしも入っているのだ。これだけじゃ返しきれない事をした。
「お前そんな良い奴だったっけ……。」
「一言余計だわ。」
ゼリーをこいつの手に乗せて握らせる。しかしフィルムを開けようとして取り落とした。握力どうなってんだよ。
「しゃーねーな。」
フィルムを剥がして付けてもらったプラスチックの小さなスプーンで一口すくうとヤニカスの口元に持っていった。
「いや、そこまでしなくても……。」
さすがにそれは恥ずかしかったらしい。
「じゃあ気ぃつけて持て。」
「……ありがと……。」
小さく感謝が聞こえてきて人の世話をする自分のらしく無さに小っ恥ずかしさを覚えこいつがゼリーを食べている間部屋をキョロキョロと見回した。
ゼリーをちょっと残していたが食べれてはいたし薬を飲ませて再びこいつを寝かせた。ここまですれば明日には多少良くなるだろう。
俺に背を向ける形で横になっているから寝落ちているのかは分からない。でもさっきの嘔吐を見てしまったから1人にするのは何となく憚られた。日中位は傍に居てやろう。どうせバイトも休みでやることなんて無いんだ。
暇だからナマコフォンを触ることにした。
「……う。」
動画を見ているとヤニカスがたまに呻きながらたまに手を動かして震えていた。なになに、どうした。
「大丈夫か?」
声をかけて掛け布団越しに触れるとビクッと体を驚かせて起きた。何が起きたか分からないと言いたげに俺の方を見た。片目から涙が伝っていた。
魘されていたんだとすぐに分かった。起きたのならとコップに少しスポーツドリンクを注いで見せてやると半身を起こした。
手が訳分からんくらい震えていたからこいつがコップを持つ手に合わせて上から手を添えた。脈がどくどくと煩いくらいに早くて強い。
どんな悪夢を見ていたのか分からないが未だにちょっと放心している。何となく布団に投げ出されていた左手を持って嘔吐の時とは違ってゆっくりめに優しく背中を摩ってみる。相変わらず体温は高い。
「……もう大丈夫。」
震えが治まってくるとやっとこいつが口を開いた。しかしその声が震えていた。なに?なんで?!
顔を見ようとすると逸らされる。
「もう帰っていいよ、ありがとな。」
帰っていいって言ったって……そんな、じゃあはい、帰りますとはならねぇだろ。
ずび、と鼻を啜る音がして顔を見なくとも顔面がどういう状態か分かった。だからバイトの時みたいに肩にぽんって手を置いた。
「うう……やめろよぉ……さわんなぁ……。」
「あ?なんでだよ!!俺は良かれと思っ」
「これ以上優しくすんなあぁ……。」
あーあ、涙腺決壊させちゃったよ。なだめようと思ったのに。メンタルどうなってんだよ……。
「分からねえんだよ。そんな優しくされたことないから、どうすればいいか……。」
ぽたぽたと掛け布団に水滴が落ちる。触るなとは言うが落ち着けないとまた熱が上がると思い背中を摩る。幼い頃良くこうされたのを覚えているからだ。
「うううう……。」
ぽたたたたっと煩く水滴が落ちる。逆効果か?
そっとしておくという選択肢もあったがそれは違うと思った。ここでそっとしておいたらこいつはこの感情をひとりでどうにかするんだろ?拒絶しない、分からないってことはこれは嫌じゃねーってことだ。
「黙ってされときゃいいーんだよ。」
もう何を言ってもメンタルに刺さってしまうのか収まらない。こいつが割と涙腺緩いのは知ってはいたがたまにしゃくりあげてしまってるのは初めて見た。
ひとしきり吐き出したのか落ち着いたこいつは横たえたらすぐに寝た。どういうつもりなのか俺の手を掴んで離さなかったので意図せずとも帰れなくなった。まだ寝たばかりだからもう少し待ってからそっと抜け出すことにしよう。
明日少しでも良くなってりゃいいけど……。