盗人たけだけしい「後生大事そうにカメラを抱えてるけどな、実際のところ、何が大事なのか分かってんのかよ」
檸檬の言い分は、涙目の少年には通じていないように見えた。少年が抱えているカメラはどう見ても高級品だった。一眼レフと呼ぶのだろうか。百人にカメラを描きなさい、と指示をしたら、九十九人ともこうした、レンズの部分が出っ張った、重たそうな四角い物体を描いて寄越すだろう。残りの一人は絵心がない。
ちょっと見たところ、地面に落として、土っぽくはあるが、どこも故障しているようには見えない。精密機械はいかにも壊れました、という顔をしないから、外見で故障の判断をつけるのは難しいが、少年が大袈裟に怯え過ぎているのではないか、と蜜柑は思う。
「写真館だとか、現像屋さんだとかは聞いたことあるだろ?だがな、カメラ屋なんて聞いたことあるか?ないだろ。つまりだな、大事なのはカメラそのものじゃなく、写真だってことだ。なら、カメラに何があったって、大した問題じゃない。そうだろ」
まくし立てられた少年は萎縮しながらも、檸檬の発言にムッとしたように、少し顔を上げる。
「おい、檸檬。カメラ屋はあるぞ。店名にカメラってついていて、カメラの売り買いができる。もちろん現像もできる」
「そうなのか?」
檸檬は意外そうに眉を上げたが、先ほどの持論に瑕疵があることに気づいて、すぐさま上げた眉を顰めた。
「あのな、蜜柑。論点はそこじゃねえんだよ」
「だったら俺も自分の意見を言わせてもらうがな、こんな子供にかかずらってないで、もう行くぞ」
面倒くさそうに話題を切り上げる蜜柑に、少年は慌てたように声を掛ける。
「ちょっと待ってください。このカメラが壊れたの、お兄さんのせいじゃないですか」
「そのお兄さん本人は、カメラの故障は根本的な問題じゃないとのたまってるぞ。それとも何か。父親の形見か何かだったのか」
「そういうわけじゃないですけれど」
形見を壊した絶望でもなく、小遣いで買ったものを台無しにした落胆でもなく、ほんのりと悲壮感を漂わせる少年の眉間は、おそらく両親の青春の友だったカメラを受け継いだのだろうと想像させた。憐憫を抱かないでもないが、てれんこ歩いてくる檸檬を避けずに、トロくさく道端に立っていた過失も、少年の責ではないだろうか。
そう思うと、どういうわけだか苛立ちが募ってきた。
「叩いたら直るんじゃないのか」
と言って少年の手から、ずっしりとしたカメラを取り上げる。軽く叩いた。すると、レンズになっている筒状の部分が重力に従って落っこちていく。
「ああ!」と明瞭な声で叫び声を上げながら、少年はレンズをキャッチする。
「何をするんですか!」
ドラマみたいなセリフだな、と檸檬が笑う。少年はキッと二人のことを睨みつけると、蜜柑の手の中から大事なカメラを救出した。ポケットからガーゼハンカチを取り出して、慎重に埃をはらって、レンズを嵌め直す。
「直ったかどうか、一回撮ってみたらどうだ」
図々しくも檸檬はそう言うと、蜜柑と雑に肩を組む。少年も怒っていて、冷静な判断ができないのか、どういうわけか素直に二人に向かってシャッターを切った。
ぱちり、と慎ましやかながら、はっきりとした音が響く。
「撮れたか」
少年はまるで職人のように、カメラに耳を当て、再びレンズを覗き、軽くカメラを振った。
「撮れたかもしれないです」
「じゃあ問題解決だ、よかったな」
蜜柑の発言に、少年は釈然としない顔をする。人に絡んできた挙句、嫌な顔を向けてきたにも関わらず、無罪放免にして、あまつさえカメラまで直してもやったのだから、非難される謂れはない。なので、足早にその場を立ち去ることにした。
「蜜柑、今日は機嫌でもいいのか」
「いいわけあるか。チンピラに絡まれたようなものだ」
無論、いいわけがなかった。
「でも、怒らなかっただろ」
「まあな。けどな、始終、俺が怒ってるような言い方をするな」
うるさそうに檸檬が耳を塞ぐので、公園の池に突き落としてやろうかと思った。
〜それから十年後〜
「佐川さん、今のお気持ちは」
表彰台は、天井の照明よりも、あちこちで焚かれる取材用カメラのフラッシュの方が、はるかに眩しかった。僕が写真家を志したのは、中学生の時だ。その時の自分には、今こうして華々しく大賞のトロフィーを胸の中に抱いているとは、想像もつくまい。
あちこちから差し出されるマイクに、嬉しいです、ありがとうございます、と声を吹き込んでいく。
「佐川さんは、ご自身の相棒とも言えるそちらのカメラのことは、どう思ってらっしゃるのでしょうか」
ずい、と記者が身を乗り出してくる。
「大事なのはカメラじゃない、そう思って、撮影をしています。大事なのは写真。カメラは、そういった意味では、相棒ですかね」
満面の笑みでそう答えた。