寝取り流花 恋は劇薬。劇薬は悪。悪は痛み。
痛みを伴わない恋など存在しない。
「流川ッ! テメーいまライン踏んでただろ!」
「踏んでねー」
「踏んでた!」
この男のすべてを食らいつくしたい。視線を独り占めして、饒舌な口を黙らせ、その桜色の首筋に顔を埋めたい。そうしたら、桜木は一体どんな顔をするだろうか。
「花道くん」
唐突に、お疲れさま、と部活を終えた二人だけの自主練中に眼鏡をかけた男がやって来る。そいつを見た途端、猛禽類のように俺を睨んでいた桜木の表情がパッと華やいだ。俺の存在など忘れ一直線にそいつの元へと走り去っていく桜木の腕を咄嗟に掴む。怪訝そうな顔をしてこちらを振り向いた桜木が、なんだよと冷たい声で言い放った。
「なんでもねー」
「んだよ、じゃあ離せ」
だけどそのまま離さず桜木を見ていたら、次第に桜木の顔に戸惑いと緊張が走る。そんな顔をさせたかったわけじゃない。俺にも花が綻ぶような笑みを向けて欲しくて、一秒でも長くそばにいて欲しかっただけ。
「ふんッ」
桜木が俺の手を払いのけ離れていく。
男は駆け寄ってきた桜木に持っていたタオルを渡して、頑張ったねと頭を撫でた。健気な献身を注ぐ男を見て、反吐が出る。気に入らない、あいつのことが何もかも。優しい瞳で桜木を見つめ、幸の薄そうなフリをして桜木からの愛を自分のものにしている、桜木の恋人が。
出会った瞬間、すぐに分かった。こいつが運命だと。
それは相手も同じだったらしい。顔を青ざめさせて動揺を隠せずにいた桜木が、へなへなとその場にうずくまる。本能が、こいつを逃すなと告げていた。獲物を捕らえるように視線を外さないままゆっくりと近付く。そしてその熟れた頬に触れれば、怯えと期待が入り交じった瞳と目が合った。
それからのことは、断片的にしか覚えていない。いつの間にか初めて訪れたはずの桜木の家にいて、桜木を抱いていた。余裕のない声、ひくつく腹、きつく掴まれ痕が残る背中。切なげに俺の名前を呼ぶ男をめちゃくちゃに壊してやりたくて、その些細な粗まで支配したくて、それと同じくらいとびきりに甘やかしてやりたかった。
生まれて初めて感じる衝動に戸惑いを感じながらも、満たされていた。これが愛なのだと思った。青空にかかる虹、ブザーと共に揺れるゴールネット、願い続けていた夢が叶う瞬間。
幸せの絶頂、だけどそれは急激な速度で落下した。次の日の朝、起きるや否や取り乱し暴れだした桜木を宥めていると、全身から色をなくした桜木から恋人がいるのだと告げられた。
「お前は俺のものだろ」
「違う」
「俺たちが運命じゃないなら、昨日のことはどう説明する」
桜木が一瞬怯んで、グッと拳を握り覚悟を決めたようにこちらを見る。
「なかったことになんて、絶対にしない」
次に桜木が言う言葉を遮り、先に口を塞さいだ。それからもう一度体を繋げたあと、声を震わせながら桜木が囁く。
「嫌いだ、お前なんか」
そんな脆ささえ、愛していた。
高校生活の秋の風物詩といえば文化祭だろう。夏休みに入る前よりも学校全体が活気に溢れ、生徒たちがいきいきと活動している。窓を開け切っているから、各教室の声が体育館までよく聞こえた。同じフレーズを何度も繰り返し練習している吹奏楽、羽目を外し過ぎて先生の怒号が飛んだ三年の教室、そしてはしゃぐ女達の声と戸惑う桜木の声が段々とこちらへ近づいてくる。
「ねぇ、みて流川くん。かわいいでしょ?」
「ほら桜木くん、こっち来て」
絶望で顔を歪めた桜木が出てきて、無理やり風呂に入れられた猫のように斜め下の虚無を見つめている。白と赤のギンガムチェックのヘッドドレスに、桜木が少しでも動くと揺れるレースのフリル、そして真っ赤なシルクの生地に織り込まれている繊細な刺繍。
綺麗だ。だけどそれ以上に、そのフリルから覗く筋肉隆々の太股に強く目を惹かれた。夏には暑すぎる格好なのだろう、桜木の首筋からは汗が流れ、それを黒のチョーカーが吸収する。ああ、早くこの男を自分だけのものにしたい。誰にも見せたくない、たとえそれが桜木の彼氏でも。
「綺麗」
素直にそう口に出せば、周りの空気がピタリと止まった。それを作ったらしいおさげの女が「ありがとう」と頬を赤らめて返したが、俺が綺麗だと思ったのはそれを着た桜木だったからそれ以上何も言わず口を閉ざす。
「だ~ッはは、似合わね~!」
「ミッチーうるせーぞ!!」
遠くにいたはずの宮城と三井が寄って来て桜木を指差し大きく笑えば、こちらをキッと睨んでいた桜木の表情が途端にやわらいだ。
「この天才がこれを着て接客してやるから来いよ、ミッチーもリョーちんも」
「花道が出てくんのかよ」
「おう」
不満かね、といつの間にか宮城と肩を組んだ桜木が口を尖らせてそう告げる。思わず体が動き二人を引き剥がそうとして、三井から引き止められた。咄嗟に三井を睨み返したが、制するように黙って首を振られハッとした。桜木が怯えを隠した表情で俺を見ている。
「……悪い」
番ではない、だけど運命の相手。桜木が他の誰かから触れられれば、居ても立っても居られなくなる。それがαなら尚の事だった。桜木を狙っているわけでもない、それどころか桜木には彼氏がいる、桜木はお前の番じゃないんだぞ。人からそう諭されるが、それがなんだ、としか思えなかった。体中が桜木は俺のものだと訴えていて、骨の髄まで愛してやりたいと叫んでいる。その気持ちに蓋をすれば、俺はきっと気が狂ってしまう。
「せっかく作ってくれた衣装が破れるだろうが」
「ん」
「反省したならいーけど」
桜木がそう怒ってくれたおかげで場に漂っていた緊張感が抜けた。それ幸いと三井と宮城がまた喋りだし、それに桜木が笑顔で応える。興味を失った振りをしてまたバスケの練習に戻り、少し離れた位置で楽しげに話す桜木を見ていた。