分かりやすく成立する勘違い 生まれてはじめて恋をした。
自衛官になって配属された先で出会った14も年上の人を好きになってしまった。
手のかかる部下だったと思う。それでも、人見知りで口下手で人付き合いが不器用な新入りを見捨てず育ててくれた。
今夜も、こんな風に大勢が集まる親睦会という名の飲み会に参加することができた。
騒がしい場所が苦手で極力この手の集まりは避けてきた昔の自分と比べると大進歩だ。
隣に好きな人がいてくれるから安心して座っていられる。
「どんな子ども時代だったって……おとなしい聞き分けのいいお利口さんでしたよ」
「アオ3尉も酒の席では冗談を言うんだな」
まるで水のように米焼酎を飲みながらサタケ隊長が笑う。
「本当ですよ、みんなが面倒くさがる花壇の水やりとか率先してやる優等生でした」
ぬるくなったビールをちびりと飲みながら続ける。
「それが今じゃ……なんだ、遅れてきた反抗期か?」
全く顔に出ていないけどサタケ隊長はいつもより少し饒舌だ。
「違いますよ」
ただ、熱くなれるものが何もなかっただけ。
子どもの頃は食べられなかったタコワサが今では美味しく食べられるようになったという雑談から随分と飛んだな。
サタケ隊長はだし巻き卵に大根おろしを乗せながら、小さく笑った。
「だって隊長は、少しぐらい無茶なことしても分かってくれるじゃないですか。始末書も減俸も、そりゃないほうがいいですけど、言うこと聞かないのは隊長なら分かってくれるって思ってるからで……」
卓越した操作技術に的確な指示、実力に裏付けされた統率力、TSのパイロットとしても自衛官としても人としても尊敬してる。実のところ、甘えてるんだ。
「……アオ」
サタケ隊長の凪いだ瞳が俺を見つめている。こんなに優秀な上に顔貌まで整っていて声まで良い。おまけに料理も得意らしいじゃないか。逆に、何が苦手なんだ。
「あまり心配させるなよ」
もし自分が隊長の立場だったならとっくに見捨ててるような部下に対してもこの優しさ。
残った酒をクッと飲み干して、サタケ隊長は立ち上がった。
「隊長?」
行かないで。赤いジャケットの端を指先で掴む。
「すぐ戻る」
タバコかな、隊長はタバコ吸わないからトイレかな。そりゃ、サタケ隊長も神様じゃなくて人間なんだからそうだよな……。
空になったグラスをじっと見つめる。
米焼酎の美味しさはまだよく分からない。あと10年もすれば隊長のような飲み方ができるようになるのだろうか。
この人の下に配属されるまで知らなかった、こんなにも相手の全てに憧れるぐらい誰かを好きになることができるなんて。
隊長が戻ってくるまで落ち着かなくて、なるべく目立たないように体を縮こませて座る。
すっと、隣に誰かきた。
グラスを持ったヒビキだった。
「イサミって隊長のことほんと好きだよね」
ひとつ年下のヒビキにはすぐバレた。まだ今ほど仲良くない配属されてすぐだったのに即バレた。
「イサミが無茶するのも懐いてるのもサタケ隊長だけだし」
そんなに分かりやすかったのだろうか。
「隊長だけはやめておけ」
誰より長く隊長の下にいる先輩に言われた。何杯飲んだのか知らないけど声もいつもよりやや大きくなってて赤い顔をしている。
「えっ、もしかしてサタケ隊長って酒癖最悪とか?」
付き合いの長い男同士にしか分からない何かがあるのか、とヒビキが食いついた。
「いやいや、サタケ隊長は尊敬できる人だよ。男の俺から見ても文句なしのイイ男だし、酒癖も女癖も悪くないし、タバコもギャンブルもしないし」
だからこそ釣り合わないって分かるから胸がチクチクする。
「アオがサタケ隊長に惚れてるって俺でさえ気付くぐらいなんだからサタケ隊長なんかとっくに気付いてるぞ」
向かいの席に座っている隊員達がうんうんと頷く。
一緒にいることが多いヒビキだけならまだしも仲間のみんなにバレていたらしい。
それならもう話は早い。
「あの、それじゃ。サタケ隊長が最近欲しがってるものとか、気になってるものとか知りませんか」
もうすぐ誕生日だ。
先輩達はそれぞれ顔を見合わせて曖昧に笑って首を傾げた。
「サタケ隊長に何かあげたいんですけど」
自分なりにサタケ隊長の身の回りの物を観察したり、普段の様子をうかがったりして、喜んでもらえそうな物を推測しようとしてたけどコレだって思えるものがまだ見つからなくて困ってた。
「隊長が喜ぶもんっていやぁ、まぁ、そりゃぁ」
その続きが聞きたいのに「やめとけ」と横から止めに入るもう一人の先輩。
「アオが選んだ物ならなんでも嬉しいと思うぞ」
そんなありきたりな回答は求めてません。大体、隊長ほどの収入があれば欲しいものは何でも買えるだろうし。
「そうだなー、何かあげるより、あれだ。隊長にどこか連れて行ってもらったらどうだ? バイクに乗せてくださいとか何とか言って」
どういう意味だろうと首を傾げる。
「それだ! ツーリングデート!」
「今日のMVPはお前で決まりだ!」
「あーあ、俺はもう知らねーぞ」
途端に盛り上がる。
何をそんなに盛り上がっているんだろうか。ヒビキなら分かるかなって隣を見ると、珍しく真剣な顔で先輩達の様子を見ていた。
「ヒビキ……」
「うん。たった今、完璧に理解した」
腕組みをしてヒビキがしたり顔で頷く。
「イサミ! 隊長が戻ってきたら、今週末一緒に出かけたいですってお願いするんだよ」
「だから今週末は隊長の誕生日……」
「いいから!」
ヒビキの方が年下のはずなのに……むしろこの隊の中で最年少はヒビキのはず。
「でも、せっかく休みなのに。隊長……彼女さんとか、それこそ隊長のこと祝いたい女の人はたくさんいるんじゃ……」
隊長は独身だけどモテないわけじゃない。むしろ、素人も玄人も関係なしに言い寄られてるって噂を聞いたことある。女癖は悪くないって断言されてたし、すごくスマートに遊んでいるんだろうなぁって思ってた。
「迷惑かけるのはイヤです」
飲みかけのビールのグラスをぎゅっと握った。
「そんなことない、そんなことないよ、イサミー」
ヒビキが肩を組んできた。
「そうだぞアオ、もし仮に隊長のこと祝いたい美女がいたとしてもアオには敵わないから大船に乗ったつもりでガンガンいけばいい」
「何があってもいいように外泊届けは出しとけよ」
「やだ、セクハラ」
普段ならノリのいいヒビキが本気で引いてる。
「今のセクハラか!? すまん! 申し訳ない! もう言わないから忘れてくれ! 頼むから隊長には黙ってて!」
「セクハラ……? あぁ、外泊って、そういう……一晩だけの相手ってことですか」
「やめて、アオ! すみやかに忘れて!!」
さっきまで赤い顔してた先輩は青ざめて両手を合わせて懇願してくる。
「いえ、本当に自分は気にしてないです。新たな知見を得たとでもいいますか……それもありだな、って」
その発想はなかった。
「一晩だけの遊びで抱かれてそのあと捨てられたとしても構わないって思える程度には焦がれてるんで」
「は?」
怒気をはらんだ声がして、しん……と静まりかえる。
「誰が誰に何だって?」
全員下を向いたり視線を逸らしたりして隊長と目を合わせないようにしている。
「アオ3尉!」
「はい!」
階級込みで名前を呼ばれた。
「先ほどの発言について説明を求める」
「説明、ですか」
始末書を書かされる時と同じ空気だ。説明と言われても何をどう言えば……。
「あの、ちなみに隊長、どこから聞いてました……?」
おそるおそる先輩の一人が声を上げた。
「リオウの『セクハラ』あたりからだな」
最悪だ、と頭を抱えてテーブルに突っ伏す先輩。慰めるように肩を叩く先輩。天に祈るように目を閉じる先輩。ヒビキだけが笑いを堪えたような顔で頬の内側を噛んでいる。
「とりあえず、アオ。お前は、もっと自分を大切にしろ。一晩だけの相手なんてやめておけ」
「えっ、はい……」
こじれたー、ってヒビキが小声で呟いた。
「何か言ったか、リオウ」
「何も言ってないです」
隊長が深くて長くて大きなため息をついた。
財布を取り出して万札を数枚テーブルにポンと置いた。
「酒の席とはいえ風紀を乱す発言は控えるように」
全員がサッと敬礼をする。
「アオ、お前はこっちだ。店を出るぞ、ついてこい」
「はい」
急いで立ち上がって、全員の敬礼に見送られながら隊長の背中を追った。
サタケ隊長の自宅に連れてこられて、言われるままソファに腰を下ろした。
向かいに立ったままの隊長に見下ろされる。
「申し開きはあるか」
道中ずっと無言だった隊長がようやく口を開いてくれた。
「ありません」
はぁ、とサタケ隊長はため息をついた。
「そうか……」
くるりと踵を返してキッチンへ向かって、水のボトルを2つ持ってきてくれた。
蓋を開けてくれるの、優しい。
差し出された水をコクリと飲む。
「隣、座るぞ」
「はい」
拳ひとつ分ぐらい空けて、サタケ隊長が隣に座った。
ごっごっと上下する喉仏に見惚れる。
「アオ」
吐息混じりに名前を呼ばれて体中がビリビリした。
「以前からよくあるのか?」
「よくある、とは?」
「一晩の相手を請われることが」
「いえ。これまで一度もないです」
隊長は、ふぅ……とため息をついた。
「好きなのか」
「何がですか?」
いつも的確で明確な指示を出す隊長らしくない。
「ヤリ捨てられても構わないと思わせるぐらい惚れてるのか」
「あ……」
さっきの話、聞かれてたんだっけ。
「そうです」
隊長の手の中でペットボトルがグシャリと音を立てた。
「さっきも言ったが、一晩だけとか遊びでもいいとか、そういう不健全な考え方は今すぐ改めろ。もっと自分を大切にしろ。説教くさいと思うかもしれないが、アオのことを大切にしてくれる相手を選びなさい」
「はい」
あー、完全にフラれた。何があってもそういう対象にならないって宣言された。
あとでヒビキに聞いてもらおう。
「すみませんでした、サタケ隊長」
好きになってすみません。一晩だけでもなんて欲を出してごめんなさい。
こんな形で初めての恋にトドメを刺されるなんて思ってもいなかった。
泣くつもりなんてなかったのに、じわっと涙が滲み出てきた。
「あっ、重ね重ねすみません……」
両袖で交互に目を擦る。
止まらない。
止まれって思えば思うほど、涙がポロポロ溢れてきて止まらなくなる。
「アオ……」
隊長を困らせてしまった。
「セクハラだと感じたらすぐに突き飛ばしてくれ」
ふわっと、隊長の匂いに包まれた。
どこよりも安心できる腕の中で安らぎを感じていると、よしよしと頭を撫でてくれた。
「サタケ隊長」
この大きな背中に腕を回せたらいいのに。
「あまり心配させるな」
飲みの席でも言われた言葉。
「ごめんなさい」
いつもいつも隊長に心配ばっかりかけて、手のかかる部下でごめんなさい。
せめて、一晩だけでいいから抱いてもらいたかったな。経験、ないけど。
「自分を安売りするな、今ここで約束しろ」
「はい」
「それと既婚者はやめておけ」
「はい?」
既婚者? サタケ隊長は独身のはずじゃ……?
思わず隊長の左薬指を見る。
「隊長、ご結婚なさってるんですか?」
「いや、俺は独り身だが」
うちの隊の既婚者は数名、さっき話をしていた先輩達はその数名に入る。
何か変だぞ、と二人同時に首を傾げる。
「アオ、擦り合わせをしよう」
「はい」
ぎゅっと、隊長が強く抱き寄せてくれた。
すごい、隊長、いい匂いがする。
「まず、先程アオは隊員のうちの誰かから肉体関係をもつよう請われたか?」
「いいえ」
「一晩だけの遊びで構わないという旨の発言は、俺が席を外していた時にあの場にいた特定の相手に向けてのものか?」
「いいえ」
「今、この状況は不快だ」
「いいえ」
「アオが好きになった相手は今目の前にいる?」
「はい」
ぴったりくっついた胸と胸。互いの心臓の音がすごく大きな音を打ち鳴らしている。
「キスしたい」
「えっ、あ……はい!」
「すまん、今のはひとりごとだ」
顎をクイっと上げられた。
「イサミ」
初めて名前を呼ばれた。
胸がキューンとした。
「リュ……サ、タケたいちょ……」
名前を呼ぶのはまだ早かった。でも、キスは今すぐしてほしい。
目を閉じて顔を上げる。
サタケ隊長と唇が重なった。
「すご……唇、やわらかい」
初めてのキスに舞い上がって余計なことを言った。
隊長がフッと笑った。
「初めてみたいなこと言うんだな」
「はい」
サタケ隊長がすごく驚いた顔をした。
「……初めてだったのか」
あ。もう一回、キスしてくれた。
長い。
今度は長い。息が続かない。
「う……っ……」
離してくれと隊長の腕をタップする。
ぷはっ、と胸いっぱいに酸素を取り込む。
まだ頭がクラクラしてる。
なんだっけ、何かサタケ隊長に言わきゃいけないことがまだあった気がする。
「そうだ……あの、今週末一緒に出かけたいです」
隊長、なんで黙ってじっと見つめてくるんですか。
「バイクに乗せてください」
ぎゅーって抱きしめてくれてる。
はぁー……って、肺の中の空気を全部出し切ったみたいなため息。
「大切にする」
「……はい」
大切にしてくれる相手を選びなさいって隊長は言った。
「あなたが好きです」
大きくて安心できる腕の中ですりすりと顔を寄せて甘えた。
性別も年齢も階級もこえて、サタケ隊長とお付き合いさせてもらうことになった。
一緒に休日を過ごすようになって、先日ついに隊長の自宅にお泊まりさせてもらった。いわゆる一線をこえたってやつだ。
毎日がとても満たされているけど、ちょっとだけ気になっていることがある。
訓練の後、先輩の一人に声をかけた。あの日「隊長だけはやめておけ」と言った先輩だ。
隊長とお付き合いを始めたことを報告すると「おめでとう」と「よかったな」と返ってきた。
「なんで、やめておけって言ったんですか?」
気になっていた疑問をぶつける。
毎日すごく幸せなんですけど。
先輩は大きな口を開けて笑った。
「だってアオ、めちゃくちゃ溺愛されてるだろ?」
溺愛だろうか?
部下兼恋人になったけど、公私混同しない人だからこれまでと何も変わらない。相変わらず始末書も書かせるし厳しい。
「隊長なぁ、酒癖は悪くないんだけど飲みの席に年長者しかいないと『うちのアオが可愛い』『アオは本当に可愛いんだ』ってことあるごとに言ってたからなぁ」
それは知らなかった。
「だからな、アオはもう隊長から逃げられないぞ」
なんだそんなことか。
「のぞむところです」
逃すつもりがないのはこちらも同じなので。
end