楓可不『candied』『明日、行けなくなっちゃった」』
可不可の両手からはみ出る大きさのスマートフォンの画面に、慣れた手つきで指を滑らせてメッセージを送る。しばらく気づかないといいな、と思ってたのに画面を閉じる前に既読の表示がついてすぐに返事が返ってきた。
『え。どうかした?』
『ぐあいわるい?』
続け様に送られてきたメッセージは、文字からでも楓の声が聞こえてくるような気がした。焦った様子が伝わってきて、ズキリと胸が痛むのに、可不可の口から溢れたのは小さな笑い声だった。
可不可は少し迷って通話ボタンをタップした。すぐに通話終了ボタンを押すと今度はスマートフォンが震え出し、楓からの着信を告げた。どちらかが発信してすぐに通話終了、通話できる状況だったらもう一方がかけ直す。可不可と楓との間でのちょっとした約束になっているやり取りだ。
「もしもし、楓ちゃん」
『可不可? もしもし、大丈夫なの?』
先ほど想像したのとほとんど同じ声色で楓が応じる。
「うん。熱もないし、しんどいところもないよ。外出するなら念のためって検査があったんだ」
『うん』
「それで少しだけ引っかかっちゃって…‥治療が必要なほどではないけど、念のため人混みに行くのは許可できないって」
『そっか……具合が悪いわけじゃなくてよかった』
ほっとした様子で息を吐く音が耳を打つ。ああ、優しい彼にまた心配をかけてしまった。ごめんね、と言いかけて口をつぐむ。可不可の体調に関することでは謝らない、可不可のせいではないから。これも楓との間の暗黙の約束だった。
「行きたかったなあ、お祭り」
『楽しみにしてたもんね。お土産買ってくるよ。何がいい?』
楓の声はすっかりいつも通りだった。いつもと変わらない、穏やかで揺らぎのない優しい声。
「うーん……楓ちゃんのおすすめがいいな」
『あはは、またそれ? わかった。楽しみにしててね』
それから少しだけ他愛もない話をした。お祭りの話題にはそれ以上触れず、今日は月がよく見えるよ、だなんて言われて窓の外を覗くと、半月を少し太らせたような半端な形の月が空に浮かんでいた。
『じゃあまた……明後日、お土産持って行くね』
「うん、待ってる。じゃあね」
通話を切るとひとりきりの病室は途端に静かだ。おやすみ、と送られてきたスタンプに可不可も同じスタンプを返した。表示を落とした真っ黒な画面に向かって、可不可はごめんね、と呟いた。
***
お祭りの翌日はいつもより早く目が覚めた。外出や外泊が多いからかやけに静かな病棟も、遠くに響く花火の音も煩わしくて、早々にベッドに入ったからだ。スマートフォンを開くと楓から大量の写真が送られてきていた。
『おはよう、楓ちゃん。今気がついた。写真、きれいだね』
お土産を持ってきてくれる、と一昨日言っていたからきっと今日か明日には面会に来てくれるだろう。いつかな、と目を向けた時計はまだ六時前だった。いくら昨日の夜早かったからとはいえ、時間を認識したら少し眠たいような気がしてきた。ベッドに横になり、楓が送ってくれた写真を一枚一枚見ていく。
立ち並ぶ屋台、道を埋め尽くす人混み、そして夜空いっぱいに咲く花火。それはきっと、楓が可不可に見せたいと思ってくれた景色だ。「いつか本物を一緒に見ようね」の約束を数え切れないくらい交わしてきた。
いつか、っていつだろう。いつになるのだろう。いつかは、本当に訪れるのだろうか。
可不可のために切り取られた瞬間はどれもきれいだったけれど、楓はいつも本物には及ばないと言う。その違いは可不可にもわかるだろうか。
コンコン、と病室の扉が控えめに音を立てた。巡回の看護師だろうか。はい、と返事をすると扉がスライドする。可不可の視線の先には廊下の向かい側の壁。あれ? と思いつつ少し目線を落とせばそこには楓が立っていた。
「おはよう、可不可」
「楓ちゃん……? どうしたの? こんな朝早くに」
「もう夏休みだよ。あ、面会時間前なのは可不可のお父さんに話したら少し無理言ってくれたみたい。お土産、少しでも早く渡したくて」
そっと扉を閉めた楓は、流しで手を洗い、慣れた足取りでベッドサイドの椅子に腰掛けた。
「何がいいかなあって迷ったんだ。ヨーヨーとかお面とかでもいいかなって思ったんだけど、珍しいものがあったから」
楓が持ってきた紙袋がガサリと音を立てる。取り出したのは木の棒、その先に赤い球体がついている。
「それなあに?」
「りんご飴って言うんだって。昔は定番だったらしいんだけど、りんごを飴でコーティングしてあるみたい」
「へえ……」
飴は赤く着色されてるのだろうか。まだ柔らかな朝の日差しを受けて、キラキラと輝いて見える。
「きれい……」
「ね! これだったら次の日でも大丈夫って言われたから。あ、看護師さんに聞いたら、まだ朝ごはん前だから少しだけなら、だって。あと他の職員さんや患者さんには見つからないようにねって」
俺も一緒に食べようと思って買ってきたんだ。そう言った楓はもう一つりんご飴を取り出し、ひとつを可不可に手渡した。受け取ったそれは思っていたよりも重たくて、取り落としかけたのを楓が支えてくれた。
「これ、どうやって食べるんだろう?」
「え? うーん……飴だから舐めるのかな?」
りんご飴と互いの顔とを交互に見比べていたらなんだか可笑しくなってきてしまい、ふたりで顔を見合わせて笑った。
結局、りんご飴は朝食のあとに食べ方を調べて食べることにした。ベッドサイドの棚にふたつ並べて置いたりんご飴がうっすらと赤い影を落とす。君が持ってきてくれたから、こんなにも綺麗に見えるんだと言ったら、また笑うだろうか。
「ありがとう、楓ちゃん」