楓可不『秋宵の攻防』 二人目の体重を受け止めたベッドが少し軋んだ音を立てる。可不可よりも少し広い背中を抱き寄せ、湿り気を帯びた首元に顔を埋めると爽やかで少し甘いボディーソープが香る。買い物に出かけた時に一緒に選んだ、お揃いのボディーソープの奥に見つけた楓自身の匂い。それを確かめるように深く息を吸うと、頬に触れた脈が少し速くなったような気がした。
触れたところから湯上がりの温もりが部屋着越しに伝わってくる。普段から可不可よりも楓の方が少し体温が高い。楓の温もりが移り、体温が溶け合うのが心地よくて、もっと楓の近くに行きたくて、背中に回した手に力を込めた。可不可が乗り上げた時にはびくともしなかった太腿が居心地悪そうに身動いで、ようやく可不可の背にも楓の手が触れる。遠慮がちに彷徨っていた掌が、背中を上下に撫で始めたことであやされそうな気配を感じて、可不可は触れたままだった首筋に柔く吸いついた。
「っ……可不可、そろそろ離れて」
「やだ」
可不可を押し返そうとする手に、大した力は入っておらず、可不可が体重をかければいとも簡単に離された距離が埋まる。再び首に触れた唇で頬、耳、額、鼻先とあちこちに音を立てて口づける。溶け合った以上に体温が上がるのを自覚すると同時に息が上がるのを感じた。
「かふ、か……もうおしま……」
「だめ」
体の内側、ずっと奥底に火が灯る。その熱に追い立てられるように何か言いたげな楓の唇を塞ぐ。
薄く開いた唇の合間から、尖らせた舌先で歯の形をなぞる。スッと抜けるのは可不可とは違う歯磨き粉の香り。普段なら苦手なミントの刺激が、今この瞬間、楓とキスしているという事実を可不可の脳に鮮明に伝えている。鈍く回転する脳で辿った記憶のまま、歯の隙間から舌を挿し込む。
「んぅっ……かえでちゃ」
呼吸の隙間で読んだ名前が甘く響く。部屋着越しに掻き抱かれた背中が熱い。洗い立ての髪に指を通しながら楓の頭を抱え込み、更に口づけを深める。
「んっ……ふっ、すき……かえでちゃん、すき」
酸素の足りない頭で紡げる言葉は拙くて。もつれそうになる舌を必死で動かして楓の咥内を探る。歯列をなぞって、擦り合わせた舌が逃げようとするのを追いかけて、いつも楓がそうしてくれるように上顎をなぞって……。思い描いている通りには動かない舌がもどかしくて、それでもじわりじわりと高められた熱で視界が揺らめく。
もたれかかった身体がゆっくりと倒れ、ベッドに沈む。可不可の好きにさせることにしたのか、逃げるのをやめた舌は、それでも可不可の動きに応えるだけで、いつものように可不可の理性を取り去ってはくれない。唇の端を伝う唾液が楓の頬を汚すのも、だいすきな人を翻弄しきれない己の口づけの拙さも、全部わからなくしてほしいのに。跨った腹に触れる可不可の熱に気づかないはずがないのに。
楓の手はじゃれつくしゅうまいを宥めるのと同じ手つきで可不可の頬を撫でている。可不可はその手を絡め取って、自分の部屋着の裾から薄っぺらい腹へと導いた。
「だめだよ、可不可……しないよ」
「やだぁ……」
「だめだってば。明日も早いでしょ……それに今日は雪にぃも礼光さんも部屋にいるから……」
「声、我慢するからぁ……」
今日こそは主導権を握ってみせる、と思っていたのに今日も上手くいかなかった。すっかりその気になった身体の中で渦巻く熱が出口を求めている。どうにかして解放されたくて再び重ねた唇は今度は固く引き結ばれていて、痺れた舌先でなぞっても頑なに可不可を受け入れようとしない。ムッとして唇を離し、精一杯の力を込めて蕩けた鈍色を睨みつける。
「かふかぁ……もう……」
ゆるして、掠れ切った声で楓が請う。許して? こっちの台詞だよ。抗議の意を込めて下唇に軽く歯を立てた。
秋分を過ぎて長くなった夜はまだ始まったばかりだ。絶対に負けられない我慢比べが始まってしまった気配に、可不可はひっそりと口角を上げた。