楓可不『海の鵲』 埠頭にある病院は、見舞いに行くには実は少し不便だ。バス路線は限られているし、時間帯にもよるが本数もそれほど多くない。父親の入院中や、退院後も両親が付き添ってくれている時は車だったから気にならなかったが、一人で病院を訪れるようになって改めて実感した。
閉じ込められてるみたいだ、と可不可が溢したことがある。病室も、病院も、埠頭全部が鳥籠か檻のようだと。
『今バスに乗ったよ』
楓が送ったメッセージはすぐに既読がつき、しゅうまいに似た白い犬が指を立てたスタンプが返ってきた。
『待ってるね』
『そういえば、今年も病院の入口に笹が飾られてたよ。短冊はまだ書いてないから一緒に書こうね』
楓も先ほど可不可が送ってきたものと同じスタンプを返す。既読がついてから数分待って、それ以上の返信がなさそうなことを確認してから画面を落とした。
窓を流れる景色は貨物拠点だった頃からの名残で似たような形の建物の群れ。うとうとしていると目を覚ました時に自分がどこにいるのかわからず焦ったこともあった。それでも何年も通ううちに見分けがつくようになった景色を見るに、病院まではもう間も無くだ。一つ前の停留所を通り過ぎたことを確認して、アナウンスよりも早く停車ボタンを押す。そんなことをしたって到着時間は変わらないのは分かっていたが、ほんの少しでも早く可不可に会いたかったから。
『もうすぐ着くよ』
今度はすぐには既読はつかなかった。小さな違和感を覚えながらも、目的地への到着を告げるアナウンスを聴いて、楓はバスを降り、いつもより少しだけ早足で病院を目指した。
「えっ……会えないんですか?」
「そうなのよ。今日はちょっと……ね」
いつものように面会受付をしようとしたら、今日は面会はできないと言われた。
「でも、さっきまで――」
さっきまで、連絡は取れていたのに。一緒に短冊を書こうと、話していたのに。続く言葉を楓は飲み込むしかなかった。こういったことは初めてではなかったから。
気まずそうに眉を下げた顔馴染みの看護師がきょろきょろと辺りを見回して、楓に耳打ちするように囁いた。
「さっき……ほんの二〇分ほど前に発作を起こしてしまったの。それほどひどいものではなかったけれど、今日は安静に、って。浜咲くんが来るのにって残念がってた」
面会できるようになったら連絡が行くと思うから、そう言い残して看護師はパタパタと病棟へ戻っていった。可不可が急に体調を崩すのも、会いにきたのに会えないことも、珍しいことではない。けれど、何度経験しても、心臓が直接爪を立てられたように軋む。
手に握ったままだったスマートフォンのロックを解除し、メッセージアプリを開くと、楓のメッセージはいつの間にか既読がついていた。一分、二分と画面を見つめていても可不可からのメッセージはない。
『また来るね』
すぐに既読になったメッセージに胸の軋みが和らぐのを感じた。
『うん』
『待ってるね』
楓はスマートフォンをカバンに戻し、病院の出口を目指した。
こういう時、楓は可不可に大丈夫かは訊かない。意味がないから。可不可は楓に謝罪の言葉は送らない。キリがないから。
来た時には気づかなかったが、出入口には大きな笹が飾られていた。病院のスタッフや入院中の子どもが作ったであろう飾りと、数えきれないくらい吊り下げられた短冊で重たげに垂れている。そういえば今日がちょうど七夕だった。日が落ちきっていない空はまだぽつりぽつりと星が浮かぶ程度だが、今夜はよく晴れそうだ。
一年に一度の逢瀬の日。織姫と彦星にも会いに来たのに、会えないこともあったのだろうか。
会いたいと思った時にすぐに会えないのは、楓が高校生になる前と変わらずに世界中を飛び回っている家族だって同じはずなのに。可不可に会えないことがこんなにも苦しいのはなぜだろう。埠頭と楓とを隔てる海が天の川だとしたら、ふたりを繋ぐ鵲はバスだろうか。織姫と彦星が会えなかった時、鵲は何を思うのだろうか。楓を埠頭から遠ざけるバスに尋ねたところで、当然返事はなく、不規則な振動が響くばかりだった。