カルヴァドス浄という男は秘密主義者で、他人に弱みを見せることは少ない。見せたとして自己演出に組み込めるような、些細なものがほとんどだ。ささやかな秘密。ちょっとした失敗談。どこにでもある日常の共有は、人を酔わせ、惹きつける。
そうした浅瀬の関係だけに満足できずに深く踏み込もうとすれば、優しい男の仮面はそのままにのらりくらりと躱される。相手が女性ならば「君のためだ」という囁きも添えて。つくづくラウンジスタッフが天職のような男だ。
だからこそ、思う。
『浄』が男と関係を持っている事、その相手が『宗雲』であること。それは、自ら喉笛を晒すような行為ではないのだろうか。
「……そんなに見つめてくれるなよ」
静かにグラスから口を離し、はにかんだ顔で男が言った。
酔ったのか、と続けられる言葉は照れ隠しの響きがあるが、どちらもポーズでしかないことはさして短くもない付き合いで知っている。
現にゆったりと頬杖をついた体勢でこちらを見てくる浄は、見慣れた顔に戻っていた。何かを見定めるような、非対称の笑み。
「気を損ねたか?」
「まさか。そう聞こえたかい?」
ひらひらと手を振って否定を示し、男は肩をすくめた。わざとらしい仕草だが嫌みには映らない。巧みなことだ。宗雲は密かに感心しながらグラスに手を伸ばした。冷えた水滴が爪を伝い、指を濡らしてぽたりと落ちた。
「いや」
「なら良かった」
微笑んで再びウイスキーを口へ運んだ男に倣い、宗雲もグラスを傾ける。喉の渇きを癒すのには向かない、爽やかだが甘く舌に絡みつく重さを持つアルコール。たまには趣向を変えてみるかと選んだものだったが、当たりだ。小さく笑み零し、またひと口、嘗めるように含む。
浄は宗雲がグラスをテーブルに置くまでを見届けて、それから口を開いた。
「……それで?」
「うん?」
「なにを見ていたんだい」
深みのある金色の瞳を弓形に細め、浄が問う。さて何が飛び出すのかと面白がる、余裕を湛えた眼差し。
「何というものも無いが……ただ、そう。お前がなぜ俺を相手に選んだのかと思ってな」
「おや、伝わってなかったかな。俺は結構、宗雲のことを気に入ってるんだけど」
眉を上げ驚いてみせる姿に嘘はないだろう。だが額面通りに受け取れない程度には宗雲は目の前の男を知っていた。ある意味では信頼、と言っても良い。それにただ気に入っているという言葉だけで片付けられるほど浅い関係ではないはずだ。床を共にしたことは、一度や二度ではない。
宗雲の沈黙をどう受け取ったのか、浄は左の口角を僅かに引き上げた。
「どうにも信用が無いようだな」
目蓋を緩く伏せ、手慰みにかグラスを緩く回す。揺らされた氷がカランと澄んだ音を立てた。控えめなジャズピアノの旋律が耳に届く。
「……お前はそこまで分かりやすい男じゃない」
「それは褒め言葉と受け取っても?」
「どうとでも取れ」
浄は吐息だけで笑うと上機嫌にグラスを口に運んだ。喉仏が小さく上下する様を見るともなしに眺めていれば、不意にその目が向けられる。薄明かりを混ぜ込んだ鮮黄色。
「理由が欲しいならあげようか」
「必要ないな」
間髪入れずの否定に気を悪くした風でもなく、むしろ愉しげに肩を揺らしてさえいる。
「本当に?」
蛇じみてぬらりと光る目を笑みの形に引き絞り、男は重ねて問うた。口は閉ざしたままに硬質な視線を返しながら宗雲は自然と顎を引く。その僅かばかり空いた距離を埋めるように浄が組んだ指をテーブルに乗せ、上体を寄せた。
「宗雲」
己の名を呼ぶ、薄い唇の隙間から覗く舌がいやに赤い。甘さを多分に含んだアルコール混じりの熱い呼気が肌に触れ、宗雲は知らず唇を舐めた。ただの一言で記憶から引き摺り出される常朔の部屋。嫌な誘いだ。
「必要ないと言っているだろう。……お前が今夜の予定に穴を空けたいのなら別だが」
「そう怒るな。冗談だよ」
眼差しを強くすれば、浄は降参だとでも言うように軽く両手を挙げて身を引いた。その様を目の端に捉えながら宗雲は努めてゆっくりとグラスを傾ける。氷が溶けて薄まったブランデーは、もうあまり美味くはなかった。