きらきら光る俺だけのお星さま 学生達がソワソワしだす金曜日の放課後――桜も別の意味で落ち着かない一日を過ごしていた。見回り当番でもない為、日曜日の山の日の振替休日も重なり舞い込んだ三連休に恋人から泊まりに来ないかと誘われたのだ。お泊まり自体は初めてではない。片手で数えられるくらいはお邪魔したことがある。けれど今回は金曜日の夜から十亀の家に三泊することになり、最早ちょっとした同棲だねえと桐生がおっとりとした口調で言った言葉が皮切りになった。
「三日も桜君を閉じ込めてナニする気なのかな獅子頭連の副頭取さんは」
「ちょっ、蘇枋さん!まぁ確かに三日は長いですよね……」
「普通に映画見たり……なんか銭湯に来る常連のジーサンから畑仕事頼まれた手伝いとか」
「畑なら梅宮さんの屋上菜園があるじゃない。杉下君と一緒に手伝ったら?」
「いや、お前何でさっきから怒ってんだよ……」
恋愛センサーを搭載している割に自分に対する友情や好意に対してどうにも鈍感な節がある我らが級長を一年一組の面々は影ながら見守ってきた。いつの頃からかやたら恋愛関連の例え話が増えた桜に『好きな相手』が出来たのは明白で。どんな相手であれ桜が好きになったのならそっと見守り、もし泣かされるようなことがあれば抹殺しようとクラスメイトが秘密裏に覚悟を決めていたことを桜本人だけが知らない。
「まぁまぁすおちゃん、十亀さん悪い人じゃないし桜ちゃんも楽しみにしてたんでしょ?」
「ま、まぁ……」
うっすら染めた頬を人差し指で掻きながら楽しみにしていたことを肯定する桜に一同は眩しい光を浴びた時と同じ反応をしつつその成長ぶりに拳を握り締めた。こ、ここ、こ、こい、びとが出来た、その、十亀、なんだけど。桜から第一報を聞いた時におめでとうと言う傍ら副級長の二人は『獅子頭連・副頭取の十亀条』が桜の恋人という図式をイコールに出来なかった。だってそうでしょう!?
ラムネ瓶で人を殴打、容赦のない制裁と皮剥ぎ、下駄で桜の頭を踏みつけた猛獣が対話を経たとしてどう紆余曲折したらそうなるのだ。あの見た目からは想像も出来ないゆったりとした喋り方と恵まれた声帯……絶対女慣れしているに違いない。初心な桜のことだ散々弄ばれて捨てられるんじゃないか。しかし嫌な予想のオンパレードに反し二人の交際は清いのなんのって。
「桜ちゃんと手を繋ぐまでに二ヶ月かけた恋人でしょ~大切に愛されてるんだから大丈夫だって」
聞けば十亀自身も桜が初恋というピュアっピュアカップルの爆誕である。デートだって専らお互いの家や公園、商店街の美味しいお店巡りと熟年夫婦かい!と周りが総ツッコミしたくらいだ。ほわほわ、ふわふわ。お花が飛び交う二人はとても微笑ましいので心配はいらない……と言いたいところなのだが、一点だけ不安要素があるとするならば。
「桜さんが大切に愛されてる……っていうのはそれはもう痛い程分かってますけど……」
楡井の痛い程という表現は比喩ではない。実際に痛覚を刺激されているのではと錯覚するくらい『痛い』のだ。恋人である十亀から『桜以外』に向けられる視線は。見回り中に偶然出くわしその牽制を一度でも受けた者は誰だって気付く。独占欲の塊みたいなこの男が桜を手離す気など毛頭ないことを。気付いていないのは桜だけで、いつか飽きられるかも、捨てられるかもという不安を常に抱えているのだから見守る方の頭が痛くなるというものだ。
「あ、あ、愛され、とか言うんじゃねーよっ!やっぱり……三日も家に、って迷惑、だよな……」
しょんぼりを全身で体現する級長にどうしてそうなる!?と面々が慌て始める。だから気にするとこはソコじゃないんだって。何で自分の貞操的なとこに不安を覚えないかなぁこのピュア一号は。こうなると思考がどこまでも落ち込んでしまうので全力でフォローに回るしかない。
「誘ってきたのは十亀さんなんだからあっちも楽しみにしてると思うなぁ」
「そ、そうですよ桜さん!普段会えない分だと思って!」
「何かあったらすぐに連絡くれていいからね、桜君」
「おーい桜君、噂の恋人が校門前まで来とるで!」
窓の淵に指をかけて筋トレに励んでいた柘浦の言葉に一組全員が一斉に窓の方へ集まる。いやちょっと待て。楡井のマル秘メモによれば作務衣とスウェットしか持っていないらしいという男が今日に限っては白いTシャツとスラックスという出で立ちで。お家デートにしては大層気合いが入っている様子の十亀にやはり桜を泊まらせない方が安全では、一組の過半数がそんなことを考え始める。
「桜ちゃん、桜ちゃん」
校門へ向かおうとする桜を呼び止めた桐生がこっそり耳打ちをするとみるみる真っ赤になっていく顔のまま彼は駆け出して行ってしまった。
「桐生さん、桜さんに何て言ったんですか?」
「んー?桜ちゃんをちょーっとだけ後押ししてあげよっかなぁって」
窓辺に集まった面々の眼下ではちょうど桜が校門前の十亀と鉢合わせたところで。皆囃し立てることは決してせず、恥ずかしそうに、でも恋人の隣へ並び歩き出した桜の後ろ姿を見つめる。そんな一同へ向かって十亀がちらりと視線を寄越して会釈をしてきたので誰もがつられてぺこり、と頭を下げた。何だかおかしな光景だがだって我らの級長は愛されているのだから。俺も恋人欲しいなと誰かがボヤいたのをきっかけにクラスメイト達はそれぞれ帰路へつくのであった。
「一応色々買ってみたけど追加で欲しいものある?」
「一応の量か?それ……」
風鈴高校からの帰り道、一度アパートへ荷物を取りに帰りたいという桜にじゃあ必要そうな物買っておくよぉと申し出た十亀は僅かな待ち時間の間にパンパンのビニール袋を両手に下げて待っていた。ほとんどが飲み物や菓子類だったけれど懐中電灯や錐のようなどの場面で必要になるのか分からない物まで入っている。
「ほら、そっち片方寄越せ」
「んー?あ、じゃあこうしよぉ」
空いている右手で荷物を一つ持つという意味で差し出した手のひらへビニール袋の持ち手の片方が任される。結局十亀が二つ持っていることに変わりはないのに鼻歌でも歌い出しそうに頬をだらしなく緩める男を見て何も言えなくなってしまう。
「恥ずかしいヤツ……」
「だってぇ恋人と荷物半分こして同じ家に帰るって嬉しい以外にあるぅ?」
「なっ……っ、行くぞっ」
いつもだったら『またな』と抱えた寂しさを飲み込んで別々の場所へ帰らなければいけないけれど三泊するということはそれだけ長く一緒にいられる。二人の間で揺れる荷物の重さなんてわけないくらいこころが浮かれているのは桜も同じかも、しれない。鼓動が高鳴り慣れた道でさえきらきら輝いて見えるし、隣にいるだけで胸がいっぱいになるのだから。
「ただいまぁ」
「た、だいま……」
家主に倣い小さな声で普段なら紡がない挨拶の言葉を紡ぐ。適当に座っててぇと言われれば桜の体はヒトをダメにするビーズクッションへ吸い込まれる。自分の部屋にはないもちもちの感触に包まれていると、十亀がテイクアウトした料理を温め直し飲み物と一緒にテーブルへ並べていく。あっという間に美味しそうな匂いが部屋に充満し桜の腹の虫がせっついてくる。二人で一緒に手を合わせ「いただきます」の声が重なったことに自然と笑みが溢れた。
◇◇◇
夕食を食べ終えて先に入ってきなぁと促されるまま風呂と歯磨きを済ませた桜と入れ替わりに十亀が浴室へ消えていく。ふとベッドの端に先程までは無かった段ボールを見つけて桜は首を傾げた。四角い面の一面がコの字型に残された箱。用途が分からない箱の正体は後で十亀本人に聞くとして、やはりというべきかベッドの下には薄いマットレスと枕、タオルケットが用意されていて桜は頬を不満で膨らませた。
「別に……同じベッドで寝りゃあいいのに」
何度か泊まりに来た時も毎回十亀は桜へベッドを譲って自分は床で寝てしまうのだ。確かに男二人だと狭いかもしれないが、恋人ならば同じベッドで寝てもいいのではないかと桜は常々思っている。今日こそは……一緒に……そんな決意を桜が秘めているとは露しらず風呂から上がった十亀がぺたぺたと歩いてきた。
「桜ぁ、寝る前にちょっとだけいい?」
「いい、けど」
手招きされてベッドに腰掛けた十亀の隣へ座るとその手にはあの段ボールがあった。違うのは箱の中に懐中電灯が入れられ、コの字になっていたスペースへ小さな穴が無数に開けられた黒い画用紙が差し込まれていること。電気消すよぉ、という声と共に部屋の壁や天井に小さな光の粒が幾つも投影された。
「わ……」
「何か涼しい部屋の中で星が見たいなぁって閃いたら作っちゃったぁ」
部屋の境目がなくなって二人の眼前に広がる空にはよく見れば大きさがまちまちの星が光る。星は適当に作ったからと創造主の男が笑い、一番大きな星の名前は『はるか』だよ、と。
「そんな名前の星あったか?」
「真っ暗な空で皆が迷子にならないよう一番大きくて輝いているからはるかって言うんだよぉ」
これなら掴めそうだよねぇ、と手を伸ばしてのんびり語る男に桜は深呼吸をしてからその腰に抱き付いた。部屋の明かりが消えていて良かったかもしれない。だって今の自分は間違いなく耳まで真っ赤に染まりきっているから。
「さ、さ、さ、桜ぁ!?」
「き、今日、は……は、ハグの日、らしい、ぞ……」
「へ、あ、あぁ~日付の語呂合わせ、かなぁ……」
風鈴高校の校門までやって来た十亀の元へ向かう前に桐生に教えられた八月九日が何の日か。あまりの恥ずかしさで消え入りそうになる声を何とか十亀に届けようと桜は言葉を続ける。
「だから、今日は……このまま……一緒のベッドで、寝たい……とがめと」
「ヒュッ」
男の喉から空気が勢いよく吸い込まれる音がした後、暫し無言の時間が流れる。やっぱり嫌だったのだろうかと回した腕の力を弱めた時だった。桜の体を十亀の両腕が優しく、けれど力強く包み込む。同じシャンプーとソープの残り香に混じって鼻腔をいっぱいにする大好きで安心する匂い。
「ごめんねぇ、嬉し過ぎてびっくりしただけぇ。一緒に寝よう、桜ぁ」
「お、おぅ」
その夜、作り出された星達を輝かせたまま二人は同じベッドで抱き合い眠りについた。最初は緊張してしまい眠れそうにないかもと思っていたのに言葉を交わす内に段々と目蓋が重くなって。互いの体温を溶かしてそれを心地好いと思える日が来ることを、桜は恋人の腕の中にすっぽりと包まれ初めて知った。あまい空気で満ち足りた部屋の中、健やかな寝息を立てる桜の旋毛へ触れるだけのキスが落とされたのは十亀とお星さまだけの秘密。