「君を召し抱えるにはどうすれば良いんだい」
マーリンは遂に、この頃彼の思考の殆どを埋め尽くしていた問題について、その原因たる男へ解決策の提示を求めた。唐突であった筈のその問い掛けに、しかし意外にも男、ヴァレンはのんびりとした笑みを崩さぬままに温かな紅茶を含む。
「おいおい、俺は騎士だぜ?それがそう簡単に主人を鞍替えなんて出来るわけがないだろ」
「君はかつて、僕が〝マーリン〟であるなら、仕えることを検討してやっても良いと言ったね」
「…記憶違いじゃないか?君はその辺、そそっかしい所があるらしいし」
稀代のメイジの追及に白々しくそう言って、カップをソーサーに戻す落ち着いた所作をじっと眺めた。すると空気の読める騎士の居心地は相応に悪くなったらしく、小さく悪かったよ、と軽く尖った唇のままで詫びられる。
「君のいない旅はとても大変でね。是非口説かれて欲しいのだけど」
──マーリンはこのヴァレンのことをとても気に入っていた。彼は頭が良くて気が利くし、その辺のグブリンや盗賊程度なら軽く一掃出来る程の実力もある。記憶の欠如によって世間知らずな面もある自分を常にフォローし、難題が立ち塞がるとその解決にいつも一役買ってくれた。
いつしかマーリンは、聖石町を発つ時はいつもヴァレンが同行出来るか否かを確かめるようになっていた。しかし目に掛けるようになると、今度は何かと都合が合わずに彼と旅をする機会は減った。その間に新たな出会いもあったが、行動を共にする誰かを無意識の内にヴァレンと比べてしまい、何とも言い難い気分にさせられることも多い。
そこでマーリンは考えたのだ──あの騎士を自分お抱えにしてしまえば良いのでは、と。ヴァレンはいつも忙しい。ブライト騎士団に所属する彼は、いつも上官たるホーガンの指示に従ってあちこちを駆け回っている。それによってマーリンに割く時間がないと言うのならば、立場を変えて貰うしかない。そんなわけでこうして話を切り出したのだが。
「勿体無い評価だが、無理だよ。現実問題騎士団は万年人手不足だ。君も知ってるだろ」
人好きのするようでいて、実はつれないヴァレンは軽く手を振ってきっぱりとノーを突きつけてくる。しかしそんなことはもちろん想定内のメイジである、彼の軽快なトークに置いてけぼりを喰らわぬようにその間合いを詰めていくのだ。
「そうだね。だから優秀な君が五人、否十人分は働いている」
「褒めちぎっても〝うん〟は言わないぜ。…言えない、が正しいかな。俺だって君に付いて旅をするのは吝かじゃあない」
「おや、そうなのか」
振り文句を口にしながらも、それを惜しむような発言が思いがけず出て来て、マーリンは少し驚きつつも好機を逃さぬようにその尻尾を掴む。すると意外にも捻くれ者である筈の騎士が素直に首を縦に振った。
「そりゃそうさ。偉大なメイジ・マーリン様の護衛としてあちこちを巡れるのは騎士としての誉れだからな。…何より将軍の目がないからいろいろ好きにやれて良い!」
「…後半が本音のようだね」
珍しく殊勝なことを言い出したかと思えば、やはり器用に手を抜くことを考えていたようである。思わず苦笑いが浮かぶが、しかし知る限りヴァレンの仕事はいつも丁寧だ。
(そう言うところは本当に抜け目ない…)
だからこそ余計に自分の旅について来て欲しい。そんな思いが強まって、マーリンは最後の足掻きにもう一押しを加える。
「──つまり、君自身は僕付きになっても良いと思っているけれど、立場が許さないと言うことだね?」
これまでのヴァレンの言葉だけ(そう、その〝裏〟までは分からないけれど)をざっとまとめると、彼の意思はこちらにあり、後はその外堀をどうにか埋めて仕舞えば良いと言うことだ。その確認に対し、若盛りな騎士はほんの少し含んだ笑みを浮かべながらも首肯する。
「まぁ、そんな感じ。俺には一応ハーミット隊長って肩書きがあるから、脱隊するにはまず将軍、それから王都サバンナにおられる我らがブライト騎士団団長のお許しまでを得ないと」
「…おやおや、随分大掛かりだ」
ここに来て初めて彼を抱えるための具体的な方法を明示され、マーリンは自らの顎先を撫でながら目を細めた。少なくとも記憶にある限り自分は王都に訪れたことがない。その上で王の覚えもめでたい騎士団団長に目通りを願うには、更にヴァレンのことを認めて貰うまでにどれほどの準備が必要か──考えるだけで頭が痛くなりそうである。
(…最終的にホーガンを説得すればどうにかなると思っていたが、)
マーリンは旧友たるホーガンの説得にはそこそこの勝算を持っていたが、まだ顔も知らない騎士団団長についてはもちろん何の手も打っていない。交渉するに当たり、金を積めば良いのか、ヴァレンに次ぐ優秀な人材を当てがえば良いのか…その辺りも皆目見当がつかなかった。
(金はそこそこにあるから良いとして、そもそもそんな人材が他にいないからヴァレンを連れて行きたいのであって、後者を条件に出されるととても厳しい)
自分の想定の甘さを痛感して唸っていると、そんな様子を眺めていたヴァレンは特に表情を変えるでもなくこう付け足した。
「そうそう。だから精々将軍のご機嫌を取って、偶に君の旅に着いて行くぐらいが関の山かな」
どうやらこの騎士にとって稀代のメイジからの勧誘話は、悪い気はしないものの現実的ではないと言った受け止めのようだ。正直今回一番手が掛かるのはヴァレン自身の説得だと思っていたので、彼が吝かではない様子である事にはホッとはしつつも更に大きな問題が出て来て困るマーリンである。
(最初は、僕が〝マーリン〟であることが条件のようだったのに)
あれこれ思考を巡らせてもままならない現状に、最終的に辿り着くのはそんな恨み言。そもそもの発端は、マーリンと出会った当初にヴァレンが使い魔たちとのやりとりで売り言葉に買い言葉をしたことだ。
『彼を守るのは一時的な任務であって、生涯続く仕事じゃない』
『もし君のマスターがマーリンのようなメイジなら、検討してやらなくもないが』
メイジの使い魔として尊大な振る舞いをしたメイメイに対し、少し気分を害した様子で騎士が返したその言葉は今でも鮮明に覚えている──結果として自分は〝マーリン〟であったし、ヴァレンは想像を遥かに超えて優秀な騎士だった。では今存分に検討して頂こうと持ち掛けたところで、今度は上官の皆々の許諾が必要と来た。後出しの条件追加は非常に良くない。
(…しかしそうせねば彼が僕付きにならないと言うのだから、仕方がないか)
こうなっては後にも引けない、ここまでするのだからいつか必ずヴァレンを自分の騎士にして見せようではないか。
深く息を吐いて静かに腹を括り、まず最初の一手をどうするか考え始めるメイジの脳裏に、ここでふと何か既視感のようなものがよぎる。
(……誰かを身請けするために、こう無理難題を吹っ掛けられると言うのは、…どこかで聞いたような、)
しばらくそのまま考えていたが、やがて思い至ったそれにマーリンは思わず軽く吹き出した。
「なんだなんだ?面白いことでも?」
唐突な挙動に驚いたらしいヴァレンに首を横に振りつつ、もうすっかり冷めた砂糖とミルク多めの紅茶を口に運ぶ。それからゆるりと頬杖を付き、不思議そうにこちらを見る騎士にそぐわない言葉を掛けるのだ。
「遠い国の、月の姫の話を知っている?」
「……残念ながら」
「求婚してくる男どもを篩いに掛けるように姫は貢物を強請るんだが、そのどれもで無理難題を吹っ掛けるのさ。仏の鉢、竜の球…」
「……一応聞くが、何故その話を俺に?」
「君は一体、何を差し出せば月から降りて来てくれるのだろうかと思ってね」
「…さて、知らないな。俺は月になど行ったことがないから──君が連れて行ってくれるなら、話は別だが?」
「…ふふ、これは手厳しい」