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    MoeRu729

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    MoeRu729

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    ズブリと腹に刺さるナイフ。
    気付いた時には、視界に火花が散っていた。

    「は」

    遅れてくる痛みに、ワースはヒュッと息を飲む。炙るような熱さを持った下腹部を認識すると共に、大量の脂汗が吹き出た。

    「はっ、ぁ、は」

    ガクガクと震えるままに足元が崩れ、ベシャリと地面に転がった。血溜まりの中で浅い呼吸を繰り返すワースに気付いた誰かが悲鳴を上げ、連鎖するように周囲に喧騒が巻き起こる。

    「っ、ぁ、マッドロス!」

    気怠く軋む身体に、気合いで最適解を叩き出させる。半狂乱に叫び声を上げる男を泥で拘束した瞬間、カラン、と杖が手の平から滑り落ちた。

    ワースは淡く靄がかる視界で考える。

    何でもない日のはずだ。マーチェット通りで日用品を買って、昼飯でも食って帰るかと考えていたぐらい普通の日常。こんな見ず知らずの男に刺されるなんて予定は今日のワースには無かった。
    なのに何故か今、己の腹部にはナイフが刺さり、下半身は赤のペンキをぶちまけたような色に染まっている。

    (…。、やばい)

    ワースは思った。これは助からないかもしれないと。
    ナイフを抜くと出血が酷くなる。その程度の知識は勿論ワースも持っているが、抜こうが抜かまいが致死量の血が体外に流れ出ていくのを感じていた。
    喉が詰まって空気もろくに吸えやしない。瞼が意味もなく痙攣して、バチバチと極彩色に点滅する。

    (あーあ、こんなんで終わりかよ。俺の人生)

    後悔は一つも無い。と胸を張って死にたいわけではなかったが、こんな突拍子もなく死ぬとも思っていなかった。本当に今から死ぬのか疑問視するほど頭は冷めていたが、現実を突きつけるように周りの音が段々と小さくなる。伏した地面は冷たかったが、ワースの指先はそれ以上に凍っていた。

    「…は、は」

    ワースは笑った。
    人は死ぬ直前に大事な人を思い出すと何処かで聞いたことがある。当時自分は誰を思うのだろうと考えたが、それの答え合わせが今行われていた。
    結果は予想と変わらず、けれどそれは後ろ姿のみで。

    (けっきょく、なんにも……)

    最後の最後まで真正面から顔も見れないのかと、嘲笑してしまった。

    ―――――――――――――――――


    長々としたカタカナが羅列された点滴や、痛々しく何本も刺された針がより一層空気を重くする。
    オーターはため息を一つ。針が刺されていない方の手を取り、おもむろに指の節を撫でたり、爪の輪郭を確かめてみる。それはオーターの想像よりもずっと成長していた。

    「…ワース」

    名前を呼んでみる。久しぶりに響かせた慣れない音は、少し掠れ気味だった。眠るように目を閉じるワースは何の反応も返さない。連絡をもらったオーターが病室に駆け込んでから、すでに三日が経過している。ワースが意識を失った後、病院に運び込まれた時と合わせて一週間も経っていた。

    オーターは内心で舌打ちをする。

    最初の四日間、オーターはワースが刺されたことすら知らなかった。当たり前だが、未成年であるワースに関する事柄はまず最初に両親に伝えられる。通常であればそこからオーターへと知らされるはずが、父親の『アレ如きに構う必要などない』の一声により全ての情報が遮断されていた。オーターが今回の件を知れたのは、ひとえに魔法警備隊隊長であるライオが事件の被害者欄に書かれたマドルの姓を見つけた故。
    自分とて忙しい身の上にも関わらず、仕事のことは気にするなと送り出すその姿勢は男前と言うほかないだろう。

    「早く、目を覚ましなさい」

    必死の治療の甲斐あって一命を取り留めたワースだが、出血量の多さと傷の深さから依然として予断は許されない。医者曰く、目を覚ますかどうかは本人の気力次第だと。そう聞かされた時、オーターは心臓に鈍い痛みが走ったのを覚えている。
    祈るようにワースの手を握る。ピクリとも動かない冷えた指先でさえ、今は手放したくなかった。

    「……いつも私は」

    後悔してばかりだな。オーターが過去を反芻するように目を瞑り、そう呟いた時だった。
    静まり返った病室にノックが響き、扉がカラカラと控えめな音を立てて開かれる。

    「失礼。オーター、少しいいかい?」
    「何か事件に進展があったのか」
    「流石、話が早いね」

    入ってきたのは魔法人材管理局局長。オーターと同じ神覚者であり、炎の杖の称号を持つカルド・ゲヘナ。
    黒い鞄を片手に持ったカルドはベッドサイドの丸椅子に腰掛け、その中から十数枚ほどの紙の束を取り出した。オーターはそれを受け取り、ペラペラとめくっていく。

    「魔法排斥連盟、規模は二千人前後」
    「別件で捕縛した男がそこの会員を名乗っていてね」
    「魔法に関する特権廃止を名目とした組織か」
    「実際は神覚者の権利剥奪を掲げる組織、本人曰くこれは大義だってさ」
    「…ふざけたことを宣う馬鹿どもが」

    オーターは露骨に不快な顔をし、眉間に皺を寄せる。要は神覚者を妬む烏合の集。先ほどカルドが別件と言っていたが、各所で似たような事件が同日に起きていた。組織の規模から見ても、反旗を示すためのテロ行為と考えるのが妥当なところだろう。オーターの中の抑えきれぬ苛立ちが、紙束をグシャリと歪める。

    「神覚者本人には敵わずともその弟であれば、というわけか」
    「そうだね。捕まらなければフィンくんのことも襲うつもりだったと、やたら得意げに話してくれたよ」

    カルドにしては珍しく怒りを滲ませた声音だった。表情こそ柔和さを保っているものの、可愛がっている弟子が標的にされたのだ。内心は決して穏やかでないのだろう。しかしそれはオーターとて同じこと。強者に刃向かう覚悟もない奴が、卑劣な手を用いて弟を害した事実。排除するには十分すぎた。

    「拠点は郊外の古城、詳細も割れてる。余罪も多く、生きてさえいれば多少痛めつけても問題は無い」

    遠慮なく魔法を行使しても構わん、だってさ。これはライオからの伝言だよ。そう付け加えたカルドは足を組み直し、残念だと言わんばかりに肩をすくめてみせる。

    「僕も行きたかったんだけど、レインが『俺が全員殺す』って聞かなくてね」
    「まあそうなるだろうな」
    「君とライオとレイン。やりすぎだと思うかい?」

    カルドの問いを、オーターは一蹴する。

    「薄汚い犬に情けをかける必要がどこにある」

    何処までも冷淡で、無機質な声だった。
    言い切ると同時にオーターは書類を置き、椅子から立ち上がる。ふり返る直前にワースを数秒見つめ、くしゃりとシーツに広がる黒髪を柔く撫でた。

    「すぐに戻る、良い子で待っていなさい」

    ほんの少し、ともすれば無表情に見えてしまうほど些細に口角を上げ、オーターは今度こそ病室を後にする。扉が閉まり、その姿が完全に見えなくなってからカルドは一言。

    「…君のお兄さん、本当に不器用だね」

    相互不理解だの歩み寄りが足りないだの言われているが、素直になれば全部丸く収まるだろうに。某後輩に負けず劣らずの殺意を醸し出す同僚に対して、カルドは呆れたように呟くのだった。

    ――――――――――――――――――――――――


    男の人生は、転落で出来ていた。

    伯爵家の嫡男かつ生まれながらの二本線。両親からの多大なる期待と、それに応えるだけの才能が男にはあった。幼少期からトップクラスの成績を取り続け、その度に賞賛と甘やかしを受けた男はいつしか傲慢に周囲を見下し始める。それはイーストンに入学しても変わることなく、一本線を蔑み努力を疎い自分は選ばれし人間だと驕り高ぶる日々の数々。
    そんな男が初めて味わった挫折。
    神覚者選抜試験で突きつけられた圧倒的な才能の差。地に伏した己を見下ろす無機質な双眸、全身が強張るほどの鋭利な魔力。自分が特別でも何でもない唯の凡人だと、男はその時になって漸く理解した。

    そこから男の絶望が幕を開ける。

    『期待外れ』『口ばかりの能無し』『凡才』

    傲慢に振る舞っていたツケが回ってきたのだ。
    男は見下す側から見下される側になり、その屈辱はやがて才ある者への憎悪に変貌する。

    『甘い蜜を啜っているだけの無能な集団』
    『選抜試験でも不正をしたに違いない』
    『権力を笠に着て驕り高ぶっているだけ』

    劣等感を拭おうと男は根も葉もない噂を吹聴した。更に、幸か不幸か男の行為に賛同する者まで現れ始め、大仰な組織の長にまで祭り上げられた。
    男はそれに優越を覚えた、覚えてしまったのだ。
    芽生えた怨嗟を肯定される環境は心地が良かった。テロじみた行為だって男は特に命令も何もしていないが、いけ好かない奴らの鼻を明かせたと思うと歪んだ自尊心が満たされた気がした。組織のトップというのも、過去の挫折を追いやり、自身が特別な人間だと思い込むには十分すぎて。

    だから、忘れてしまったのだろう。
    己の矮小さを。
    決して踏んではならない虎の尾があることを。
    何に手を出してしまったのかを。
    忘れるべきでは、無かったというのに。

    ――――――――――――――――――
    「ひっ、は、ぁ」

    走る、走る、走る。無骨な石壁と燭台に囲まれた地下廊下を、震える身体を殴りつけてでも走り続ける。
    目を閉じれば鮮明に思い浮かぶ。この世の地獄と見紛う光景。左を見れば容赦のない斬撃に切り刻まれ、右を見れば眩い光で誇張なしに焼き潰される。そして、後ずさろうとすれば足元は砂に覆われ沈むのを待つばかり。二千人という数も、一本線も二本線も関係ない。全てはたった三人の手で蹂躙された。

    「っぁ、く、くるな!」

    カツ、カツ。

    石畳を叩く足音が男の恐怖心を掻き立てる。ぶわりと肌が粟立ち、大粒の汗が一気に噴き出す。

    カツ、カツ。

    音が徐々に近付いてくる度に呼吸は荒くなっていく。肺が、心臓が、全てが限界だと悲鳴を上げる。逃げなければと脳は命令するのに足が縺れて上手く動かない。このままでは殺されてしまうと理性は訴えているのに、男の身体は迫り来る絶望を受け入れようとしているのだ。

    「っ!」

    その矛盾した思考が判断に迷いを生んだ直後。ゆらり、砂嵐のように目の前に現れた螺旋が無感動に男を射抜いた。

    「あ」

    瞬間、男の足はピタリと動きを止める。
    砂の双眸が、凍てついた瞳が、冴え渡る刃のような眼差しで男を貫く。

    「ぁ、あ」

    極限状態が男の精彩を鈍らせ、足が絡まる。
    ベシャリ、男はみっともなくその場に尻餅をついた。

    「貴様が、このふざけた事件の黒幕だな」

    頭上から落ちてくる声は落ち着き払っていて、それが余計に男の恐怖心を煽る。この場を支配しているのは紛れもなくこの男で、自分をいつでも殺せるのだと言わんばかりに余裕たっぷりな態度だった。

    「貴様は秩序を脅かし、あまつさえ私の弟に手を出した」
    「お、俺が指示したわけじゃなっ」
    「黙れ、下の管理が出来ないのならせめて尻拭いぐらいしてみせろ」
    「し、神覚者がこんな、弱者には優しくすんじゃねぇのかよ!!」
    「犯罪者に慈悲が必要だと本気で思っているのか、つくづく救えないな」

    意味のない問答。命乞いは時間稼ぎにもならない。
    自身の怠慢を研鑽に転せず、他責に走った時点で己の人生は詰んでいるのだと、男は今度こそ理解した。けれど、今更後悔したところで何の意味もない。既に沙汰は下され、男は断頭台に立たされている。

    「悔いろ、それが貴様に与えられた最後の慈悲だ」

    杖が、振られる。刹那、男の足元が砂塵となり崩れ落ちた。穴は急速に広がり、深まり、男の身体を飲み込んでいく。やがて首まで砂に浸かった時、もがく男が最後に見たものは。

    (あ、のひと、おなじ)

    己を映し出さない、無機質な砂の双眸。

    ――――――――――――――――

    「あ?」

    ワースが目を覚ました時、まず目に入ったのは真っ白な天井だった。次に消毒液の匂いと腕に刺さった点滴の針。そして最後に、ベッドサイドで本を読む男の姿。

    「目が覚めましたか」

    男―――オーターはパタンと音を立てて本を閉じ、ぽけっと己を見つめるワースに視線を返す。

    「……、あ、え」

    オーターだ。そう認識すると同時にワースの脳内は大混乱に陥る。何故ここにオーターが居るのか。そもそも自分は刺されたはずで、あの後どうなったのかが分からない。死にぞこなったのは確かなのだろうけど。

    「な、んでテメェが…あ、夢?」
    「見舞いに決まってるでしょう」
    「見舞い…?あ、父様からなんか言われて?」
    「あの人は関係ありません。私の意思です」

    『私の意思です』
    オーターの言葉にワースはますます混乱した。だってあの兄が理由もなく見舞いに来るなんてそんな、天地がひっくり返ってもあり得ない。やはり夢かと思って頬をつねれば、じんじんとした痛みは現実を訴える。

    「…」
    「…」

    現実を正しく把握した後に訪れる、沈黙。互いに何を言うでもなく、ただ見つめ合う謎の時間。ワースは今すぐにでもこの場から逃げたくなったが物理的に無理なので、ちょっともう一回腹を刺して失神したいと思った。ブラックジョークにも程がある。

    「え、っと。その」
    「…んだ」
    「あ?」
    「心臓が止まるかと思ったんだ」

    ワースはぱちりと瞬く。今何と言ったのかこの兄は。脳が言葉を処理しきれずにフリーズする。オーターはそんな弟の様子を気にした風もなく、淡々と話を続ける。

    「お前が刺されたと聞いて、頭が真っ白になった」

    もしかしてこの兄は、自分の身を案じていたとでも言うのか。いやそんなまさか、こいつに限ってそんなことあり得ないとワースは笑おうとして、中途半端に口角を上げるに留まる。オーターが、いつもの冷淡な表情とは似ても似つかない不安げな顔をしていたから。自他共に認める鉄仮面がここまで崩れるのはいつぶりか、少なくともワースの記憶にはない。ワースのキャパシティはとうに限界を超えていた。
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