ちょっと自動サぐ♀『雨宿りホテル編』「やみそうにないね」
嵌め殺しの広いガラス窓から外を見ながら、ぽつりと呟いた。
室内にはわたしとサリエリさんの二人きり。小さな特異点で、元々同行サーヴァントが少なかったせいでもある。聖杯の持ち主の目星がない一方、大きな動きがないのは不幸中の幸いだ。
「依然通信も不調だ。やはり今夜はここで明かそう」
「そうだね……」
そうなると何より気にかかるのは、わたしたちが置かれている現状、具体的には建物だ。サリエリさんが現代日本の建築や施設に明るくないのは仕方ないとして、わたしの方は、ここがビジネスホテルとは異なる場所だということは、エントランスに掲げてあった看板の内容からも察していた。
一人でそわそわしてしまうけど、わたしたちが恋人同士だというのが幾らか救いにはなっている。もし過ちが起こっても何も変じゃない――いや、任務中なのは問題だけれど、緊急事態だし。うん。
(…………)
ちらりと隣を窺うと、サリエリさんは特に表情を変えず、さっきからずっと窓の外を見つめている。横顔からは、何を考えているのか読み取れない。
その視線が、ふいにこちらに向けられる。
「マスター」
「っ、はい!?」
「とりあえず身体を温めるべきだ。浴室を使うといい」
いきなりの提案に戸惑ったけれど、彼の言うことはもっともだ。カルデアとの通信が回復しない以上、できることもない。礼装のおかげで風邪程度ならひかないだろうけれど、身体が冷えているのは確かだった。
「あ、ありがとう……じゃあ、お先に」
「ああ」
部屋に備え付けのタオルを手に取って、大人しくバスルームへ足を向ける。
(……とは言っても、ガラス張りなんだよねぇ……)
半ば諦めてドアを押し開ける。まあ彼のことだ、お風呂中はこちらを振り向かずにいてくれるんだろうけど……
「って、わぁ! ねえ、サリエリさん!」
「どうした?」
ちょっときて、と手招きすると、怪訝そうにしながらもついてきてくれる。
「みてこれ、花びらいっぱい! それにいい匂い!」
ガラスの向こう側に広がっていた広々とした浴室、大理石風の石で作られた浴槽にはたっぷりのお湯。その表を覆うように、色とりどりの花びらが散らされている。
「しかもジャグジーだ! さすがー!」
「マスターは、こういう場所は初めてか?」
「初めてだよ!」
「そうか」
目を輝かせるわたしを見て、サリエリさんが少しだけ微笑む。
「……良かった」
「え? どうかした?」
「いや……」
何でもない、と言う彼に首を傾げながら、そういえば、サリエリさんもすっかり濡れ鼠だなと気がつく。きっと本人は霊体化すれば済むと言い張るだろうけど……
「ねえ、広いし、どうせなら一緒に入らない?」
「……は?」
今度は彼が固まる番。何かを言いたげにじっと見詰めて、たちまちしかめっ面に変わっていく。
「ほら、二人とも冷えちゃってるしさ、ゆっくり温まった方がいいと思うんだけど……」
「いや、それは……」
言いよどむ彼をじいっと見上げる。よしよし、ここが押し所だ。チャンスを逃したくはなかった。
「極力一緒のほうが護衛にもなるでしょ。それとも、わたしとは嫌とか?」
「そんなことはない」
即答されて思わず笑ってしまう。相変らず復讐者の割に律義で真面目な性分だ。
ああ、いや、思い返せば他のアヴェンジャーたちも比較的律義で真面目な人が多い。
「変なことはしないから、安心してよ」
「それは本来私が言う台詞だろう」
サリエリさんはとうとう呆れたような声と共に溜息をついて、観念したのか小さく頷く。
「マスターがいいというのなら、了解した。くれぐれも妙な気は起こすなよ」
「わかってますよう」
本当は、してくれてもいいんだけどな。
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「ふう~……」
全身を包む心地よい温度に、自然とため息が出る。広い浴槽でゆっくりお湯に浸かるなんていつ以来だろう。しかも大衆浴場じゃなく貸し切りだ。手足をどれだけ伸ばしてもぶつかることもない。
「いい匂いだし、なんだかこのまま寝ちゃいそう……」
「せめてベッドまで我慢してくれ」
「サリエリさんのえっち」
「……」
「冗談だってば」
軽口を叩きながらも、何となく視線は外したまま。ほんのりピンク色の乳白色のお湯とはいえ、どうしても意識してしまう。
いつになく口数少ないせいで、つい彼の方を振り向いた。
そうすればバスタブの縁に背中を預けている姿が、手を伸ばせば届く距離にいる。
普段は軽く束ねている銀灰色の髪が今は水に濡れ、首筋に張り付いている。その隙間から覗く横顔に、見惚れてしまいそうになる。
(綺麗だなあ……)
それで思わずその頬に手を伸ばしてしまって、たどり返した視線が真っ直ぐにぶつかる。
「勿論……マスターが望むのなら、私は構わないのだが」
「え、」
そのまま引き寄せられて、間近から顔を覗き込まれてしまう。
「さ、サリエリさん……?」
「……仕返しだ。今は一応任務中だからな」
すっと身を離すと、いたずらに笑いながらガラスの向こうに目をやった。
「そ、そうだよね」
「ああ。……それに、焦らずともいつでも……」
薔薇の匂いの内側で何かを呟いた気がしたけれど、ジャグジーの泡立つ音でよく聞こえなかった。
「ねえ、ウェルカムサービスでパフェが頼めるって!」
ソファで髪を乾かしてもらいながら、テーブルの上にあったメニュー表を指差す。これにはサリエリさんも興味津々で、二人でひとつのタブレットを隣り合って眺めていく。
「ほう、これはまた豪勢な……」
「しかも結構いろいろあるね。迷っちゃう」
「ふむ、では私はこのフルーツ……いや、シトラスにしよう」
「じゃあわたしはこっちのチョコレート!」
注文ボタンを押して数分、ドライヤーを止めたタイミングでドアがノックされた。今更だけど、特異点でもちゃんと接客サービスは機能してるんだ。
「わ、すごい!」
つやつやと宝石のように輝くフルーツ、シルクのように滑らかな生クリーム。メニューで見たよりもボリュームがあって華やかだ。それをお行儀悪く、バスローブのままベッドの上で食べる。
「どっちかというとリゾートホテルみたいだね」
同意を求めた先では赤い瞳が物欲しげにわたしの手元を覗いていたので、忘れることなくグラスを差し出した。サリエリさんの、柑橘類がふんだんに使われたパフェも、爽やかで美味しい。
「そうだ、せっかくだし写真撮ろうよ! サバスタ映えするかな?」
グラスを持ち上げて、レンズに向かって掲げる。二人が画角に収まるようにくっついて、カシャリと音を立てて一枚。
「うん、いい感じ! 今日はちょっと贅沢に♡みたいな」
「撮るのはいいが……」
これがレポートの足しになるかはさておいて。
サリエリさんもちゃんと一緒に写ってくれたわりに、何故だか煮え切らない様子だ。
「まあいい。後が楽しみだ」
「???」
意味深な言葉はよく分からなかったけど、とりあえず風呂上がりのパフェはたっぷり堪能できた。
「それにしても、全然雨やまないね」
あれから一時間ほど経った今も、窓の外は土砂降りのまま。遠くの雲が時折光る様子から、雷も酷くなっていそうだ。
「移動は諦めて、予定通り休むといい。見張りは私がしておく」
「それは助かるけど……サリエリさんも一緒に寝ようよ」
「しかし……」
「それに、すぐ隣に居た方が……」
「『護衛がしやすい』?」
「そう?」
ほとんど屁理屈めいた提案にも、サリエリさんは渋々といった様子でベッドの縁に腰掛けてくれた。その隙も見逃さずに、
「ねえ、サリエリさん」
「ん?」
「えい」
こちらを向いてくれた隙を狙って、もう一枚。
「ありがとー」
「随分浮かれているな」
「そうかな? そうかも」
これでも自制していたつもりだったけれど、いつの間にかノリノリになってしまっていたのは確かだ。首を傾げれば苦笑が返されて、それすら嬉しくて、口元が緩んでしまう。
「じゃあいい加減、大人しく寝ることにしましょうか」
カーテンを閉めてフットライトに切り替えて、ふかふかのベッドに勢いよくダイブする。
いつの間にか時計は深夜0時過ぎ。こうしていると本当に、どこかに旅行に来たみたいだ。ベッドサイドのアメニティは知らないふり。
振り仰いで、まだ身体を起こしたままのサリエリさんを見る。バスローブのわたしに対して、彼はもういつものスーツ姿。ジャケットを脱いで、わずかにタイを緩めて、髪ゴムも解いているので、休息モードではあるんだろう。
「明日、何時に起きようか」
「日の出前後でいいだろう。その前に通信が回復したら起こしてやる」
「じゃあ、アラームはいらないね」
なんだか会話まで旅行の一場面みたい。
本当は雨が止んだら移動するべきなんだろうけれど、彼はそうは言わなかった。マスターの身体を気遣ってくれるサーヴァントで、頼れる恋人。
「なんだか、眠るのもったいないなあ」
「駄目だ。ちゃんと寝なさい」
「恋バナだけでも」
「私相手では退屈だろう」
そんなことはないけれど。どんなことを話してくれるか気になるし。
わたしは、どうせ彼の好きな所を延々と上げることになるけれど。
「満足したか」
「うん」
微睡みを枕と一緒に押し遣りながら、もう少しだけ夜の中に留まる努力をする。
これが本当の日本だったらいいのにね。
口にはしないけど、いつかこうして二人、あてもなく旅ができればいいのになと思う。
視界の端で、サリエリさんがベッドサイドに手を伸ばしたのが見えた。通信端末を手に取っているけど、何か進展があったのかな。
もそもそと上体を持ち上げる、その肩を引かれて、前面カメラに切り替えて、薄暗い中でカシャリとシャッター音がする。
サリエリさんが撮ってくれるの珍しいな。
首を傾げながら、ありがとうと答えると、
「記念に撮っておくべきだろう」
「なんの記念?」
薄暗い部屋の中、大きなベッドの上で隣り合って、わたしはバスローブ姿で、彼は着崩していて。
そこだけ切り取ると、誤解されそうな一枚のような気が……ちがうや、誤解じゃなくてここは実際に……
「何って、立香が初めてラブホテルを使った記念だろう」
浮かべる笑みは明らかに挑発的で、みるみる頬が熱くなっていくのが分かる。
「それで、この写真は本当にサバスタとやらに投稿するのか?」
「し――しません! 消して、今すぐ!」
慌てて手を伸ばしたけれど、わたしと彼の体格差では端末の端にさえ届かなかった。
終