盃に涙を流すエンマ大王から定期的に送られてくるお中元やら何やらが、今年も来た。
元祖宛と本家宛で中身はさして変わりは無いのだが、元祖が魚であれば本家は肉だったり、その程度の違いはある。
だがさすがエンマ大王と言ったところか。
この大王が送ったふたつ分の贈り物、互いにそれぞれの相手方が好きなものが入っており、量的にもあわせると両軍で宴会ができる量になるのである。
故に毎年交互にそれぞれの屋敷で宴会を開くのが恒例行事となっている。
そんな中、今年は元祖屋敷で開かれる年だった。
「……今年は元祖だァ?」
「昨年ここでやったじゃないか、そんなことも忘れたのかい?」
「いや忘れてねーけどよ……」
ノールックで書類を渡すキュウビとそれを受け取っては文字を書き判を押す大ガマ。
午前11時頃からこんな状態である。
「宴会の日までには片付けるって言ってたのに、キミの一日は一分ぐらいしか存在しないのかい?」
「イヤミ言うんじゃねぇよ、今やってんだから」
「あーあ…合戦の時の大ガマはかっこいいのにな〜」
「るせぇ、じゃあこっちやるかお前」
「嫌だね」
一時の会話が終わると、再び紙とペンを走らす音で部屋が埋まる。
「あと何枚」
「知らないよ」
「あぁ?数えられんだろ」
「数えられないぐらいあるんだよ」
「……」
キュウビの横にある柱時計は午後の2時を示している。
毎年それぞれの屋敷の門が開くのは午後7時。
大ガマからは見えない位置に時計があるゆえ、時刻を彼は把握出来てはいないのだが、独特な時間を刻む音が大ガマを静かに急かしていた。
正直、残りの書類はもうないのだが、敢えて言わないことでキュウビは大ガマをわざと急かすことにしたのだ。
「……次くれよ」
「は?自分で取ってよ」
「キュウビてめぇ……!!」
「……」
「……って、あれ?」
ない。
書類がない。
「お前食ったんじゃねぇだろうな」
「バカ言わないでくれる?ヤギじゃないんだけど」
「……嘘だろ」
「嘘じゃないよ、終わったんだよ」
「まじかよ……っしゃあぁああああ!!!!!!」
ぴょんぴょん飛び上がり始めたかと思いきや、大ガマは部屋の隅へ走り出す。
「へへっ、サンキューな!キュウビ!」
「キミねぇ、まだ何も準備してないじゃないか」
この蛙、服はいつものを着ていても髪は解いたまま……要は寝起きのままだった。
しかも毎年一晩宴会を行った方の屋敷に泊まってから翌日に帰るという流れである。
如何せんいつも以上に準備が必要なのだ。
「あ?まだ時間あんだろ、それより昨日途中だったバ◯ルギウスが先だわ」
「いいけどそれさ、ボクの記憶が正しければ確か大技直前で一時停s「ーーーーーー」
キュウビが上から覗き込んだSwitchの画面には、某ゲーム恒例の”力尽きました”の文字列。
「だから言ったじゃないか、いわんこっちゃない」
「くっそ~~~~……まだナス残ってんのによ~…」
「とっとと準備しろって言われてんだよ、ほら行くよ」
キュウビが大ガマのロアル……首根っこを掴もうとした瞬間、
「……ほんとに、行くのかよ」
「は?」
顔こそ見えないが、弱々しい大ガマの声がキュウビの耳に入ってきた。
「……して、今年はこちらで執り行うのだな」
「そうですね。今屋敷の者が支度を進めておりますゆえ、土蜘蛛殿もそろそろなされた方がよろしいかと」
「…っと、そうだな」
「予め毎年ご用意されているものは持ってきましたが、もし追加で必要なものがありましたらお呼びください」
「あぁ、感謝する」
失礼します、と一礼をし土蜘蛛の自室の障子を閉めたオロチの気配がなくなった途端、部屋には重苦しい静寂が漂う。
別に、本家の者との宴会が嫌なわけではない。
むしろ60年前では到底考えられなかったことが今こうしてできていることは嬉しい。
嬉しい──のだが。
「……聞こえぬな」
庭の池からこの季節なら毎日聞こえるはずのヒキガエルの鳴き声。
それが今日は、聞こえない…というより、カエルの鳴き声自体が聞こえない。
「何か…あったのか?」
口には出してみたもののこの感覚は違う、とすぐに気がついた。
本当に何かあった時─それこそ60年前の怪魔騒動の時やら、数年前の真魔騒動の時やらで感じた胸騒ぎとはまた別の感覚だった。
「気の所為か」
自分を宥めるように声に出し、予めオロチが置いていってくれた蘇芳色の着物に腕を通す。
軽すぎず重すぎず、それでもって薄すぎず……昔から愛用しているものからとはいえ、この着物だけは外せない。
そしてこの着物と同じぐらい昔の記憶も、外せないものだった。
「あやつめ……」
くすりと笑いその上から羽織を身につけると、色々と悟られぬよう深呼吸をして妖気を整える。
「オロチ」
「整いましたか、土蜘蛛殿」
「あぁ、そちらも支度は出来ておるのか」
「はい、たった今全て整ったところです」
「では我らも向かうぞ」
「はっ…!」
年に一度の夜は、これからである。
それから少し前。
「くそっ……また捕獲するしかねぇか」
「暴れないでって言ってんじゃん、キミ髪長いんだから」
「わーったって、2乙とあと15分でナスか…うーん」
元祖同様、本家も屋敷の者は全員準備に取り掛かっているゆえに大将の世話は副将がする。
「うちの大将は全く……」
「んじゃお前元祖行くか?」
「行っても多分キミを制御出来んのはボクだけだろうね」
「だろーな」
素直にずっといて欲しいって言えばいいのに、と思うがこの蛙にそんなことは言っても無駄である。
現に先程キュウビの耳に入ってきた文言もそれに関係があるのだが。
「……ところでさぁ」
「何」
「キミ土蜘蛛さんに会いたくないの?」
「応急薬グレーt…あ」
少し悲しげな音と同時に画面に出ていたのは”クエストに失敗しました”の文字。
「ほら、いつもなら無乙でとっくに終わってんのに集中出来てないじゃん」
「……たまにはあるだろ」
「いやないね、大体今日のキミなんか変だよ」
「いつも変だろ」
「うるさいねェ、少しは真面目に話を聞いたらどうだい」
爪が引っかからないように気を配りながら動かされる櫛。
「……土蜘蛛さんとの間に何かあったわけ」
「んで分かんだよ」
「あれ、ビンゴだった?」
「ビンゴというかなんつーか…別にデケェことがあったわけじゃねぇけどよ」
「へぇ」
「……不安なんだよ、ほんとに」
セーブをして、ジョイコンを本体に戻しながら、ぽつぽつと語られた”不安”。
正直キュウビからすると”そんなこと土蜘蛛さんがするはずないじゃないか”というものだったが、本人からしたらとても不安なのだろう。
だからキュウビは言った。
「多分副将と大将で一室ずつだから、君たちも今夜一緒の部屋で寝るんだろう?その時に聞いてみなよ」
「…なんて、」
「”オレは土蜘蛛に見放されてもおかしくない”……ってさ」
宴会が無事今年も終わり、後はそれぞれ仲のいい者同士で呑み直す時間帯になった。
元より歳が下の子供達はこのタイミングでそれぞれの屋敷に帰るので、大人達の話し声は聞こえるものの独特な静けさに屋敷中が包まれる。
このふたりも同様、土蜘蛛の自室の濡れ縁で盃を交わしていた。
「……久方ぶりだな、大ガマよ」
「なに、唐突にどうしたの」
「いや…先の会場では騒々しくてまともに声をかけられなかったのでな」
「まぁそうだな、うん」
大ガマの結先がふわりと動いた。
「のう、大ガマ」
「なに?」
「先から気になっていたのだが」
「え?」
「……お主、なにゆえ涙を流しておるのだ」
「あーあ、バレちゃった」
頬杖をつきながら、大ガマはへへっ、と微笑む。
流石だなぁ土蜘蛛さんは、なんて呑気に言いながら。
「何か、してしまったか」
「んーん…土蜘蛛さんは何もしてないよ」
「であらば何故…」
「オレさ、…怖いんだよ」
「……怖い?」
キュウビが言ったように、今が聞くチャンスなのはわかる。
でも、でも、……怖い。
だけど今聞かないで、この先ずっとこのままなのも、
嫌だ。
「…オレ、さ」
「あぁ」
「お前に見放されても、おかしくねぇんじゃねぇかって思うんだ」
大ガマは未だ力なく笑い、土蜘蛛からは笑みが消える。
「どういう、事だ」
「ん……」
「……お主が、話したくば話せば良い。
吾輩で良ければいくらでも聞いてやろう。だがな、」
「……」
「お主が何を言い出そうと吾輩がお主を見限ったり、本家の大将としてのお主を認めなくなるということは有り得ぬ」
「え……」
「だから、話しとうないなら話さんでよい。だが何も話さずして吾輩の前から姿を晦ますことはこの土蜘蛛が許さぬ」
「…いいの」
「良いといっておる。お主が何を話そうと、吾輩が本質から信頼して背中を預けた大ガマであることに何ら変わりはない」
「…うん」
「ましてや知らぬとは言わせぬぞ?吾輩が平安で味わった出来事をきっかけに、皆が頭を抱えるぐらい疑り深い性分になったということもな」
「ははっ…そーいえば、そうだったな」
「その土蜘蛛がここまで信頼しておるのだ……元よりお主も懐に誰彼構わず招き入れるような奴ではないがな」
……なんだ、しってたの
それを聞いた大ガマはにこりと笑って、土蜘蛛に身体を向けた。
土蜘蛛も、ふぅ、と一呼吸おいてから再び大ガマに向き直る。
「…お前もそうだけど、オロチも、キュウビも、エンマ大王もさ、オレらのまわりってみんな強ぇ奴ばっかじゃん」
「あぁ」
「でさ、立場的にオレもそん中にいるわけじゃん」
「そうであるな」
「だけどさ……オレ相応しくねぇと思うんだ、自分が。
確かに力とか何か才能があったから大将になったと思う、それは分かる。それで大将になれたからお前と出会えて、ここまで仲良くなれたのもわかる」
「……」
不意打ちはここでは要らぬと正直思ったが、これは彼なりの本心と感謝なのだろう。
「でも、でも、オレより長く生きてきて、それだけ妖術も使えて、頭も回って、そんなに出来る土蜘蛛が……土蜘蛛に…いつか、いつか、見放されるんじゃねーかって…」
だんだんと声が震えてきて、目から大粒の涙を流す大ガマの姿。
普段の大胆不敵な姿からは到底想像ができない彼だった。
「……先も言うたであろう、吾輩がお主を見限ることなど到底有り得ぬと」
「うん…」
「周りが先に死んでいったり、あまりにも長く生きたゆえに術が使えて気味悪がられたり、…色々と苦悩があったのは吾輩も知っておる」
まるで自分の事のように、土蜘蛛は辛そうに言葉を丁寧に紡いだ。
「だからこそお主は吾輩が守り抜きたいのだ」
「え…」
「この土蜘蛛に、お主を守らせてはくれまいか…大ガマよ」
「……つちぐも、」
口元に流れてきた大ガマの最後の涙。
まるで思い残すことがないかのように、重ねられたふたりの手に落ちた。
「安心するがよい、大ガマ。
吾輩は、手に入れ、守りたいと感じたものしか……捕えぬ」