ハロウィンと夜の物語解釈これはあくまでも、私にとっての「ハロウィンと夜の物語」の解釈です。
これが正解という訳でもありませんし、其々の信じる解釈があると思います。それでも、この妄言が誰かにとって何かの参考になればという祈りを込めてここに残しておきます。
○私の解釈の基本スタンス
今作において鍵となるのは、ケイトであると思っています。そのため、ケイトが語る楽曲である「おやすみレニー」を中心として考察を行っています。
正直歴史のことはよく分かりません。ほとんど、音楽作品から分かることだけでの推察を行っています。史実を知れば変わる解釈もあるのかもしれません。
この作品に限らず、楽曲の解釈については頻繁に考えているため、今後の解釈ツイートでは違うことを宣っている可能性もあります。
これらを踏まえて、この先をご覧いただければと思います。
○「おやすみレニー」歌詞カードに記載の無い部分について
布教回スペースでも話しましたが、「おやすみレニー」という楽曲には歌詞カードに記載の無い部分があります。
・それからジョニーと二人 何を企んでたの?秘密にしてたつもりでしょ でもママは何でもお見通しよ
・あの子は、今も何処かで終われなかったハロウィンの続きをしているのだと思います。カボチャみたいな頭の男の子を見かけたら、それはレニーかも知れません。私のお話はこれでおしまいです。作り話だと思うのならそれでも構いません。それでも、あなたが眠る前の三秒でいいのです。その瞬間だけは、すべての悩みや、憎しみ、悲しみを忘れて…こう言ってもらえませんか?おやすみ、レニー
この2ヵ所。わざわざ伏せられているということは、きっとここには共通点があるのだと思います。そしてそれは「ケイトが今現在誰かに語りかけている言葉である」というものではないかと考えています。
曲中には、他にも語りかけるような文章が出てきます。“神様って素敵じゃない?”“そんなに楽しかったの?”等。しかし、曲の終盤に「私の話はこれでおしまいです」と言うケイト。この楽曲で語られているのは過去の話であり、現在進行形で誰かに話しているのだと捉えるのが自然ではないでしょうか。
つまり、歌詞カードに記載のあるそれらの文章は全て、(エピソードの真偽は別として)「過去にケイトが経験した事柄」であり、記載の無い文章は「今相手に語りかけている文章」なのだと考えています。
歌詞カードが予定された台本で、それ以外がアドリブ…というイメージでしょうか。
○ケイトは誰に語りかけている?
まず条件として、「現在生きている人間」であるということは外せないでしょう。…ケイトが「見える」側という可能性も否定できないと思いますが…その可能性は低いと考えています。理由は後述します。
作中で生きている人間は、ディアナ・ジョニー・ショーンの3名。その他語りかける可能性がある相手としては記者(「憎しみを花束に代えて」はこのパターンでしたね)、そして我々聴き手でしょうか。
候補に関しては消去法で絞りこんでいきました。
まずジョニーは無し。ジョニーに対して「ジョニーと二人何を企んでたの?」などと言うのはおかしすぎるでしょう。彼が相手だった場合、ジョニーとの出会いを語るのもなんだかおかしな話です。
そしてショーン。ショーンに対して「作り話だと思うのなら…」はおかしいでしょう。ケイトの話が事実であるのなら、夫であるショーンは共に過ごしていたのですから。真偽の判断が出来るはずなのです。
聴き手、記者の線も薄いでしょう。「何を企んでたの?」と問いかけている以上、その当時ジョニーに関与できる人間でないといけません。我々はすでに過ぎ去った過去を聞かされており、ジョニーに関与するための《神々の意思を反映するためのアレ》はここには無いのですから。
そうすると、ディアナのみが残るわけです。
ジョニーの母として繋がりがあるものの、作中ではあまりケイトと関わりがありませんでした。レニーの死後にジョニーとの出会いのアレコレも含めて語りかけるのも自然なのではないでしょうか。
○ケイトの話の怪しい部分
ケイトは「おやすみレニー」冒頭、レニーはベッドの上で1日を過ごす程身体が弱いのだと語ります。しかし、一家がジョニーと出会う街に越してきた時。レニーはずいぶん元気そうに見えます。夕飯の時間に元気にジョニーの話をしている辺り、二人で一緒に遊ぶことも多かったのでしょう。
病気が良くなっている…?そんな筈は無いですよね。仮にそうであれば、「朝までハロウィン」のあの夜が“最後のハロウィン”であると断言することもできなかったはず。
ケイトは最後のハロウィンだから参加を許可したのだと語っています。レニーの命は確かに尽きかけている筈なのです。
さらに、引っ越してきた理由「夫の新しい仕事の都合」。ショーンはどうやら新しい仕事を始めたようです。何故なのでしょうか。ショーンの前職について語られてはいませんが、レニーの薬代を捻出するために“身を粉にして”働いたと語られています。収入はそれなりにあるが、きっと勤務時間も長く大変な仕事だったのでしょう。
これは推測でしか無いのですが、彼の仕事は採掘関係だったのではないでしょうか。…というのも、ケイトの歌う歌詞に「As time goes by…」という箇所がありますがこちらのメロディ、第6の地平線Moiraに収録されている「人生は入れ子人形」と一致するのですよね。(刹那~のところ)
この楽曲にも病気の子供が出てきました。そして同じく父親は治療費のために働くわけですね。こちらは父親の仕事について触れられておりまして「パパは遠くの炭坑で岩が崩れて旅出てり」と言われています。
同じメロディを持ってくるのには必ず意味がある筈であり(それは他のサンホラ曲に於いても同様)同じ境遇の彼が似たような仕事をしていても不思議ではないと思います。時間軸としてはゴールドラッシュが起こった直後ですので、金の採掘なんかをしていたかもしれませんね。
「新しい仕事」のために引っ越したということは、この採掘の仕事を辞めて新たな職に就いたのでしょう。今より割の良い仕事だった?辞めざるを得なかった?それとも無理して稼ぐ必要がなくなった?辞めたのにはそれなりの理由があったはずなのです。
そして3つ目。ケイトは「私達はそう決めたの誰のことも恨まないと 運命(かみ)も友達(ジョニー)も自分達も含めて」と歌います。
恨まないと決めた。それって決意をしないと恨んでしまう可能性があったことの提示でもあるわけですよね。恨むのに十分な理由はあったかもしれないと。
運命、これは純粋にレニーの持つ死の運命のことでしょう。そのような苦難を与えた神への恨み。
自分達、これも曲中で触れられていますね。レニーを丈夫に産めなかったこと。彼を救えなかった自分達への怒りのようなものでしょう。
これら2つはごく自然な要素だと思うのですが……。
ここに並べられている友達(ジョニー)の存在。ケイトはジョニーを恨んでしまう理由があったのでしょう。それはきっと「ジョニーが企んでいたこと」と関係があるのではないでしょうか。
○ケイトが語っているのはいつなのか
ここが私の考察において肝となる部分だと思っています。
後程ご紹介しますが、レニーの生死に関する仮説をいくつかたてた時に、どうしても矛盾が生じてしまったのです。(もしかするとこれも見落としにいつか気付いて撤回するかもしれませんが)これなら私の仮説が成り立つのではないか、と思っています。
ケイトがディアナに向けて語っているのは、“レニーの死後一年以上経った11月1日以降”であると思っています。日付を指定しているのは、レニーに関する物語上重要な出来事はハロウィンの夜に行われなくてはならないと考えているからです。もしかしたら2年後3年後かもしれません。とにかく、レニーの死後に1度以上ハロウィンの夜を迎えないとこの物語は終われないのです。
○朝までハロウィンの時間軸
先に、この楽曲の解釈について結論を述べさせていただきます。
この楽曲では既にレニーは死んでいる、と思っています。
しかし、レニーは確かにジョニーとハロウィンを楽しんだはず。ですが、それはこの「朝までハロウィン」ではない。というのが私の立場です。
我々の知らないハロウィンが既にあって、そこでレニーは死亡。この楽曲で語られているのはそれ以降の年のあるハロウィンの夜であり、レニーは“本物のお化け”として参加している。そういう風に考えています。
「星の綺麗な夜」にて、ハロナイさんはシェイマスの人生を振り返りながら、子供たちのハロウィンのパレードについていきます。
「朝までハロウィン」でも同じことが起こっているのです。レニーは死んでいながら、子供たちのパレードに混ざってハロウィンを楽しむのです。
これは余談…というか私のフォロワー様の殆どが知らない要素が含まれるですが…、この曲の歌い出しに「屋根裏部屋の秘密」という歌詞がありますよね。サンホラにおける屋根裏部屋ってとてつもない恐怖の対象なんですよ。屋根裏は死に繋がるのですが(過去曲にて、屋根裏部屋で13人の少年と老婆の死体が見つかる話がありました)、それなのに冒頭から屋根裏が登場する…。不穏、不穏すぎるのです…。それも含めてレニーはこの時点で死んでいるのではないかという仮説を立てたのです。
どうやら屋根裏部屋にボロボロのシーツ(レニーが仮装に使ったもの)があるみたいですので、レニーの魂はそこに留まっていたのかもしれませんね。
○作品の時系列の整理
私にとっての解を述べる前に、一旦時系列の整理をしておきます。(あくまでも私の説に対応したものですが)
なお、ここまで「星の綺麗な夜」について殆ど触れてきていませんが、それはこの物語に嘘やミスリードは無いと思っているからです。楽曲で語られた通りの解釈をしているので、取り上げておりません。聴いたことがない方は、是非楽曲を聴いてみてください。
そして、勿論彼を疑う方も居るでしょう。それを否定するつもりも一切ありません。少なくとも私は彼の話を信じている。それだけです。
以下、時系列
1 ジャガイモ飢饉によりシェイマスが渡米
2 戦争によりシェイマス負傷
3 ディアナと出会い、妊娠
4 シェイマスが殺害される
5 ケイトが渡米(この時点で妊娠中)
6 レニーが産まれる
7 ショーンの転職、引っ越し
8 ジョニーと出会う
9 ハロウィン中にレニー死亡(この時のパレードを「星の綺麗な夜」冒頭のハロナイは見ていた)
10 翌年(仮)のハロウィン=「朝までハロウィン」
11 ケイトの語り「おやすみレニー」
ざっくりですが、このような順序であると思っています。
○「ハロウィンと夜の物語」の私なりの解
改めてお伝えしておきます。これは私なりの解釈であり、旅人の数だけ答えがあるのです。決してこれが正解というわけではなく、何かの参考にして貰えれば、という気持ちで思考のプロセス・着眼点を含めて書き記しています。そしてサンホラは別の地平線が関わることも多く、今後公開される情報によっては私自身の解釈自体が大きく変わる可能性すらあります。これはあくまでも、考察初心者な私が2024年10月時点に考えている答えです。(書いているうちに11月を迎えるどころかハロ朝の配信が始まりました…)
まずは「星の綺麗な夜」について。
先に述べたように、この物語に嘘は無いと思っています。そのため、物語に関して特筆すべきことは無いのですが一点だけこの先の説を補強する意味も込めて、ハロウィンの夜の死者たちについてのみ述べておきます。
曲中でも語られているように、この時点で既にシェイマスは死んでおり、ハロナイは人生を追体験、そしてハロウィンのパレードへと加わっていきます。
この表現が正しいかはわかりませんが、ハロナイは成仏できない幽霊のような存在であると考えています。普段は彼自身に意識はない…というか自由に動けないのだと思います。しかし、ハロウィンの夜だけは死者と生者の境界が曖昧になり、自身の存在を認識できる…。彼が解放されるまで(成仏するまで)それは繰り返されるのです。
ハロウィンにはそんな不思議な力がある…。そういう世界観だと思っていただければと思います。
次にレニーが産まれてから死ぬまでについて。
1つ目の大きなポイントは、ショーンの転職でしょう。なぜショーンは転職をすることになったか。それは「薬代を稼ぐ必要が無くなったから」であると考えています。
ではなぜ薬代が必要なくなったのかというと、余命宣告をされたから(=これ以上の治療が出来ないから)であると思っています。「おやすみレニー」後半で“あなたに残された数字を聞いたとき目の前が真っ暗になったけど”と歌われています。この部分を素直に聞くと、まるでハロウィンの直前に余命宣告を受けたように捉えられますが、余命宣告自体は引っ越し前に行われていたのだと思います。正直それ以外に転職に関するそれらしい理由が見つかりませんでした。
前に住んでいたサンフランシスコは随分と活気のある街でしたので、最期を山に囲まれた穏やかな町で過ごさせてあげたかったのかもしれませんね。
2つ目のポイントは、ケイトの嘘。
嘘…というか明かしていない真実という方が正しいでしょうか。母としての愛が深い故に…かもしれません。
というのも、この部分はケイトに潜む若干狂気的な面の提示でもあるためです。
引っ越し後のレニーがとても元気そうである点が気になる、という風に挙げましたがどうしてレニーは元気なのか。先で述べたように、レニーは余命宣告されており、治療も取り止めたのです。そんなレニーが元気いっぱいご飯を食べて、ジョニーと遊んで……そんなこと出来るでしょうか。もちろん例外もあるでしょうが、それまでベッドの上が世界の全てだった少年にとっては非常に難しいのではないでしょうか。
それでは何故ケイトの語りのなかで、レニーは活発な少年として描かれているのか。これは「過去に起こった事実と、ケイトの妄想が混在しているから」であると思います。
ジョニーと出会ったこと、ハロウィンの夜を楽しんだこと。その事象は事実であるのだと思います。しかし、実際にはレニーはジョニーと二人きりで遊んだりなどしていない、ハロウィンの夜にもケイトが付き添っていた、と考えています。
レニーの活発さはケイトの祈りにも近い、“息子の望んだ姿”の現れなのだと思います。完全に嘘であると否定することは酷かもしれませんが、現実とは少しかけはなれている描写であると思っています。
3つ目のポイント、ハロウィンの夜に起こったこと。
ここで提示するハロウィンの夜は、“レニーが死んだ夜”であり、「朝までハロウィン」ではありません。
では、そもそも何故私はレニーの死と「朝までハロウィン」の時間軸が異なると考えているのか。そちらからご説明しようと思います。
根拠となるのは、
・レニーオーランタンの存在
・「おやすみレニー」で聞こえてきた台詞
です。
ここまで説明をしてきませんでしたが、レニーオーランタンというのはおそらくレニーの死後の姿です。レニーにそっくりな容姿をしており、ハロナイと共に居る姿も確認されています。
そして、このレニーオーランタンは「朝までハロウィン」の冒頭に“ハロウィンの夜にようこそ”(意訳)的なことを言っているのです。彼が存在する以上、レニーが死んだ後であると捉えることが出来るのではないでしょうか。
次に、「おやすみレニー」で聞こえる台詞について。
曲の後半、レニーが亡くなったことが明かされた辺りに、「アハハハ!Halloween!Halloween!Trick or Treat!待ってよー!ジョニー!」というレニーの声が入っています。ハロウィンの夜のパレード中の台詞なのだろうということは想像できるかと思いますが…。「朝までハロウィン」にてこの台詞が確認できないのです。同じ時間軸だとしたらここでも発言していないとおかしいですよね。
そのため、「朝までハロウィン」のパレードはレニーが亡くなったハロウィンではなく、さらにハロナイのような死後の追体験でもなく、全く別の時間軸のパレードである。ということで私は結論付けることにしました。
そして、「待ってよー!ジョニー!」の台詞の回想がケイトの曲中で流れるということは、ケイトはその場に居たのではないかと解釈することが出来るのではないかと、そう考えています。
つまり、レニーが亡くなったハロウィンの夜。この日、ケイトはレニーに付き添ってハロウィンを楽しんだのではないのでしょうか。ケイトはレニーが亡くなったその場に居たのだと思っています。だからこそ、恨む対象はその場に居合わせた「私たち」そして「ジョニー」だったのです。
そして、このハロウィンのパレードをハロナイは見つめていた…。前半で「ケイトは死者が見えない」と判断したのはこれが理由です。その場にいたはずであるが、描写が一切ありません。行方が分からなくなってしまっていた兄の魂であるはずなのに…。
◯「朝までハロウィン」
では、朝までハロウィンの時間軸では何が行われているのか。
この朝までハロウィンに掛かっているのが、「ジョニーと2人企んでいたこと」だと思っています。
レニーはお化けとして目覚め、ジョニーの率いるハロウィンの列へと加わります。それはジョニーの狙いであったのだと考えています。
目的は、現世に囚われ続けているレニーの魂を救うため。
レニーの死後、ケイトのある種の願い・狂気により、レニーの魂は囚われ続けていました。彼女にはもしかすると、レニーの幻覚さえ見えていたかもしれません。だからこそ、「寝る前に歯を磨くのよ」などまるでそこにレニーが生きているかのような声掛けをするのです。おそらく精神的におかしくなってしまっているのでしょう。サンホラの母はだいたいそうです。(笑)
それに気づいたのがジョニー、そしてディアナだったのだと思います。ケイトと違って所謂「見える側」なのであると解釈しています。
根拠の説明が、非ローランの方には非常に難しいのですが…。第4の地平線Elysionにおいてディアナと同じ銀髪の女性、尚且つ死者に縁のある人物がいるのです。(興味のある方は「エルの絵本【魔女とラフレンツェ】」を聴いてみてください)そして「星の綺麗な夜」で第4の地平線の要素が出てくるのは、ディアナを狙った男がシェイマスを刺し殺すシーン。…少々こじつけかもしれないですが、ディアナにはElysionを彷彿とさせる要素がいくつかあるように思うのです。
そのため、ディアナは「見える」人間であるし、その霊を救うことが出来る能力があるのだと解釈しました。
「朝までハロウィン」の夜、ジョニーの列に加わったまま、最後はジョニーの家へと向かいます。そこでレニーを解放するという目論見だったのです。
◯レニーの魂の結末
すでにお伝えしている通り、ケイトの語る「おやすみレニー」は、彼らがこの「朝までハロウィン」でジョニーの家についたあと、ケイトがディアナに語る物語なのだと思っています。
おそらく、ジョニーの家で語っているのだと思いますが、ディアナとジョニーはケイトを招くことも想定していたのだと思います。家もそう遠くは無いはずなので、パレードを見たからなのか、直接招待したのか…このあたりの詳細は分かりませんが、何にせよケイトを連れてくることも必要だったのです。
理由は先述の通り、レニーの魂が囚われている原因は母であるケイトが彼の死を受け止めていないことであるから。レニーを救うためには、まずケイトに彼の死を認めさせなくてはなりません。
そうして家にやってきたケイトにこれまでのことを語らせるのです。こういったことは精神的な病の治療法の1つとしても行われるそうですね。正にそういうことなのでしょう。
そうして語っていくうちに自身の気持ちも整理出来はじめたケイト。最後の最後、レニーが解放されたのかどうかというのがボーナストラックに掛かっているのだと思っています。
布教スペースでも触れましたが改めて記しておきます。
限定版と通常版でボーナストラックの内容が異なっているのですが、いずれも作中のメロディのピアノアレンジとなっています。
限定版は「おやすみレニー」のアレンジ、通常版は「朝までハロウィン」
限定版は死を認め、レニーが解放されたルート、通常版は結局解放されずにハロウィンをさ迷い続けるルートである。と解釈しました。
そしてその分岐を決定付けるのが最後の台詞、「こう言ってもらえませんか、おやすみ レニー」であると思うのです。
おやすみ、をケイトがどういった意図で発しているかボーナストラックによって解を示す、という方式だと捉えています。
そういうわけで、限定版が個人的にハッピーエンドなのだと思うのです。
余談ですが、どうやらライブでこの楽曲をやった際は「レニー」と呼び掛けるかどうかは観客に委ねられていたらしいです。観客が呼び掛けた後、限定版のボーナストラックに繋がっていったそうなので、この辺りの解釈は概ね正しいのではないかと思っています。
長文すぎて書きもれがあるかどうかすら分かりませんが、これが私の「ハロウィンと夜の物語」の解釈になります。考察も、解説もゆるーっとやってるだけの人間なので…不備や不足があったらゴメンナサイ。
それでも、私の考察が誰かの参考に少しでもなればと願い、メモ代わりに書き記してみました。
其々の物語があると思います。私の解釈をそのまま受け入れて欲しい等とは思っていません。それでもどうか、「ハロウィンと夜の物語」が誰かに愛されたらと祈りを込めてこの物語を終わろうと思います。
おやすみ、レニー。