「俺、七基のこと好きだから」
人生何度目かの告白を受けた。
告白なんて何度もされているのに、初めての体験をしているような感覚で、目を見開いたまま動くことが出来ずにいる。
「でもそれは今日でお終いにする。明日にはもうお前のことは好きじゃない」
好きだと言われたのに、その直後に言った本人が否定をした。もう好きじゃない、なんてそんなことが出来るのか。好きという感情はそんなにも割り切れるものなのか。自分に当て嵌めて考えてみたけれど、自分にはできることでは無いと思う。というか、人間そんなに都合よくできるわけがない。
「だから別に気にしなくていいし、忘れて。お前とどうにかなりたかったわけじゃない。俺の中でこの気持ちを終わらせたかっただけだから。…それじゃ」
一方的に言いたいことだけ告げてこの場から立ち去っていく潮の背中を黙って見つめることしかできない。
振り返る直前、一瞬だけ見えた悲しそうな顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
その日は全くと言っていいほど眠れなかった。今日も学校に行って授業を受けなければいけないのに、寝不足で頭が回らない。朝からあく太の声が大きくて脳まで響いたことは覚えているが、今リビングに降りてくるまでにどうやって何をしてきたのかも覚えていない。
ただ、制服を着てスクールバッグは持っているからいつものルーティンはこなすことができているはずなのだが。
「みんなおはよう!…七基くん、顔色悪いけど寝不足?体調でも悪い?」
朝ごはんを作ってくれていた主任に声をかけられてドキリとする。
「だっ、大丈夫です!ちょっと眠れなかっただけで!」
「そう?無理はしないでね。何かあったら言ってね?」
そう言って朝食の席に戻る主任の背中を見つめる。『何かあったら』か。あったけれど、主任になんて言えるわけが無い。告白されて困っています、なんて、好きな人には。
そんなことをぼんやりと考えていたら宗氏と連れ立って潮がダイニングに入ってきた。本当はこんな場所で話すことでも、朝から話す内容でもない。でも、『お前のことは好きじゃない』なんて言われて、今日からどうやって関わっていけば良いのかわからないんだ。すぐ近くに人がいないことを確認して潮に話かける。
「潮、昨日のことなんだけど…」
「昨日?何かありましたっけ?」
きょとんとした顔で何も無かったような反応をする潮にむっとしてしまう。自分はこんなにも悩まされているのに、自分は言いたいことだけ言ってスッキリして。
そんなの嫌だ。
「昨日バルコニーで話したでしょ?」
「は?何言ってんの。昨日はずっと部屋にいましたけど?ねぇ、むーちゃん?」
隣の宗氏に助けを求める潮に宗氏も一瞬目を開いてから眉を潜めた。
「うーちゃんは昨日の夜部屋を出たあと神妙な顔をして戻ってきて、異様なカラーリングの肉まんを食べてから布団に入っていたぞ?」
事細かに昨日の夜の様子を説明する宗氏に次は潮が顔を歪めながら、昨日のことを思い出そうとしているようだった。
「…なにそれ。俺そんなの知らない。むーちゃんもパンダと手を組んで俺に何か仕組もうとしてる?」
そう告げる潮の表情は至って真剣で、覚えのない行動に混乱している様子だった。
その日の夜、宗氏に呼び出され七基はレッスン室に出向いていた。
「突然呼び出してすまない、斜木。今朝の潮について話をしておきたくてだな」
宗氏が言うには潮は本当に昨日の夜の記憶が曖昧らしく、七基に会ったこともその後変な肉まんを食べたことも覚えていないらしい。
そう告げる宗氏は顔を歪めて苦しそうな表情をしていた。潮のことになると普段冷静な宗氏もそんな顔をするのかと何故かモヤモヤしながら話を聞いていた時だった。
「斜木よ、もしかして昨日の夜うーちゃんに告白をされたのではないか?」
「えっ、」
変な声が出た自覚はある。普段なら恥ずかしく思う場面だが、宗氏の言葉が衝撃的でそれどころではない。
「やはりか。このような話を僕からするのは良くないと思うのだが非常事態かもしれないのでな」
「非常事態?」
そんな大変なことになりそうなのか?誤魔化しているだけかもしれないのに?
「実はうーちゃんから斜木のことについて以前から相談を受けていたのだ。しかし数日前に『決着がつきそうだ』と言っていた。……良い意味だと思っていたのだが、斜木の反応も含めると、どうやら違うらしいな」
潮の言う『決着』が『今日でお終い』『もう好きじゃない』の台詞を指すのならば、そんな悲しい終わり方はないだろう。潮の心中を想像して無意識に下唇を噛み締めた。
「僕が口を出す場面ではないのは百も承知だが、どうか昨日のことを教えてはくれないだろうか。」
潮がよく言ってる、プライバシーってやつを考えれば話さない方がいいことはわかっているが、そうも言っていられない状況らしいということと、このモヤモヤした気持ちを一人で抱えていられる気がしないという言い訳を心の中でしながら宗氏に昨日のことを話す。
「…はぁ、うーちゃんは相変わらず難儀な性格をしているな」
溜息をつきながら頭を抱えてしまった目の前の彼にずっと疑問に思っていたことをぶつける。
「ずっと気になってたんだけどさ、潮が食べてた肉まんって…?」
「詳しくは知らないが何色とも言えない物だったな……」
「「あっ…!」」
2人の声が揃う。
「夜半さんのところだな。」
「絶対そうだよね。何か知ってるかも」
レッスン室を飛び出し、二人か向かったのはうり坊主部屋だった。
「いかにも!しおに頼まれてボクが作った感情を消す肉まんを渡したぞ!」
うり坊主部屋には丁度子タろしかおらず、部屋に迎え入れた彼は嬉しそうに身体を揺らしながら説明をした。
「感情を消すって…!そんなこと本当に出来るんですか」
「今日のしおの様子わどうじゃった?何かしらの感情わ消えてなかったか?それに副作用で、消したい感情を向けている相手に関する記憶も少しずつ消えるようになっておる!」
「…夜半さん、その副作用について詳しく教えて欲しい。記憶が、消えると言ったか?」
「うん。感情と記憶わ深く結びついているからな、感情を完全に消すにわそいつとの記憶も消さなきゃいけない。30日間で少しず〜つ、ぜーんぶ消えちゃうようにしといた。30日目にはそいつの存在も知らなかったことになるはず〜!」
「存在…潮にとって、俺は知らない人になる…ってこと…?」
「ボクはしおが何を消したかったのかまでわ知らん!でも一つだけ教えちゃろ」
顎に手を当てた子タろはニヤリの気味悪く笑って七基をまっすぐに見つめた。その視線にゾクッと悪寒が走り、思わず背筋が伸びる。
「こーいう物語がハッピーエンドを迎えるためにわ、王子の行動が重要なカギだとトイが言っておった!王子、つまりフィアンセ!ビーチェ!だからボクが色んな書物を読んだりトイのゲームから研究して導き出したハッピーエンドへの鍵を見つけることが出来れば、しおの記憶も戻るかもしれないの!」
「王子様の行動が重要なカギ……それって何なんですか」
七基が真っ直ぐに子タろを見つめながら問いかける。しかし子タろは左右色違いの目をまん丸くしながらこめかみに人差し指を当てて考えるポーズをしながら質問を返してきた。
「何故それをボクに聞く?答えを知ってしまってわ楽しくないじゃろ?それに、これはしおが願って消した感情。なぜうじとなながそれを戻そうとする?しおはそれで喜ぶのか?」
「それは…」
「…そうだな。夜半さん夜分にすまなかった。肉まんのことを教授頂き感謝する。…行くぞ斜木」
宗氏は綺麗に45度の礼をしてその場を立ち去る。
「えっ、ちょっと宗氏!?…夜半さん、絶対に潮の感情、取り戻すので」
「おー!楽しみにしておるからな!30日後、実験の記録を残すためにまた結果を教えてくれ!」
呑気に笑う子タろに背を向けて宗氏を追いかける。早足の彼に着いていくのに必死だったが、頭の中はぐるぐると先程の話が回っていた。そのうちにレッスン室に戻ってきており、鏡を背に宗氏がズルズルとしゃがみ込んだ。
「30日後、このままでは潮の中から斜木の存在は完全に消えてしまう。そんなことは絶対にさせたくない。」
「宗氏…」
「潮が変わったのは確実に昼班のおかげだ。昼班のメンバーから誰一人欠けてはいけないんだ。それが例え記憶だろうと。それに、」
宗氏の射るような真っ直ぐな視線が七基を刺す。ゾクッとする程真剣な眼差しに思わず息を止めてしまった。
「潮が大切にしてきた感情を、潮の一部を、本人が願ったとは言え消すことは僕は許さない。絶対に思い出させる」
以前から潮の相談に乗っていたという宗氏は、彼の一番の理解者で、唯一潮が気持ちを打ち明けることができた相手なのだ。
「…うん、俺も。潮に忘れられたくない。言い逃げされたことも許してないから。絶対思い出させて文句言ってやるんだ」
宗氏は目をぱちくりさせてから優しく微笑んだ。小さく何かを呟いてから、はっきりとありがとうと告げる。
「僕も協力するが、斜木しか潮を元に戻せないんだ。…潮を頼む」
潮が捨ててしまった感情、それを掬いあげることができるのは自分だけ。そう思うと責任は重大だ。潮が気持ちに応えられるかは別だが、仲間として彼と離れることは望んでいない。
自分が区長を辞めようとしたあの日、潮が家まで来て連れ戻してくれたように。
今度は自分が潮を、潮の感情と記憶を連れ戻す番なのだ。