お湯飲み3号 トリックフラワーという生物は、ここまで面倒を見てやらなければならない生き物だっただろうか。自宅へと帰り着いたボクの目の前に広がる光景は、そんな疑問を抱くほどに奇妙なものだった。
「……何をしているんだい」
「ああ、おかえり。今日は早かったんだね」
いつものように出迎えてくれた彼は、ボクの姿を見るなりそう言った。……それから。彼の腕に抱え込まれている、ボクたちとよく似た姿の「それ」も、こちらへと視線を向けてくる。
「お風呂に入れようと思って。ご覧の通り、泥だらけでね……」
……ここに来るまでの道や廊下に点々と続いていた足跡を思い出す。あの泥は、これが歩いた跡だったのだろう。
「……」
ボクとよく似た瞳が、じっとボクの顔を見つめている。だがその視線から感じ取れる感情はほとんどない。これはあくまで、元素と竜血によって変異した植物型の魔物だ。変異トリックフラワー……ボクたちはこれを、あくまで仮称ではあるが、マジックフラワー、あるいは「3号」と呼んでいる。
「目を離した隙に、湖畔へ散歩に行ったらしい。今日はよく晴れていたから……」
彼はそう言いながら、くったりと力を抜いたまま動こうとしない3号の服を脱がせようと奮闘していた。衣服に似せてはあるけど、結局それは、植物でいう葉っぱなどと同じ扱いのものだ。雑に扱っても……というより、脱がさず風呂に放り込んでもかまわないだろう。そうすれば勝手に擬態を解いて、裸の姿を形作るだろうから。ボクはため息をつきながら、彼の方へと歩み寄っていく。
「お風呂に、栄養剤を入れてあげよう」
「……そんなことしたら、ボクたちが入れないだろ」
「湯を張り直せばいい。……そもそもこんなに泥だらけなものと、一緒に入る気だったのかい?」
彼は一瞬動きを止め、困ったような顔をする。そんな彼の腕の中からするりと3号が抜け出して立ち上がり、浴室の方へと歩いていく。その背を追いかけるようにして、彼とボクは浴室へと向かった。
アンプルの首を折り、浴槽の中へと垂らしていく。一本だけでは薄いかと思ったが、普段から与えている水分のことを考えれば、別にこのくらいでも「おやつ」にはなるだろう。そう思って、二本目を入れるのは止めた。
3号はというと、湯の中にしっかりと浸かり、じっとしたまま動かない。まばたきすらする事なく、水面を眺め続けている。……入浴中というよりは、水に沈んでいるだけに見える。泥だらけだった体はある程度シャワーで洗い流されて綺麗になった。……服は案の定というか、ボクが服を脱ぎ裸になったのを見て擬態をし直したため、今は全裸になっている。
……身じろぎのひとつすらしないのを見ていると、なんだか……少し、不気味だと思う。まるで自分の死体を相手にしているようだった。
もちろんこれもきちんと生きている。……植物としての生態・生活においては、肺を膨らませる必要も、瞬きをする必要もない。獲物を騙すためならばそうもする、だが、今はその必要がないから、動かない。
「……」
ふと気になって、隣に立つ彼の様子を窺う。彼はただ静かに、3号を眺め続けていた。
その顔には何の表情もなく、何を考えているのかもわからない。……ただ……ボクの思考を、トレースしきれているのなら。
「死体みたいだ」
彼の口から漏れた言葉は、案の定、物騒なものだ。ボクは苦笑しながら、そうだね、と相槌を打った。
「あるいは、幽霊かな。そこにいるのに、存在を認めてもらえない。よく似てるよ」
彼はゆっくりと手を伸ばし、3号の頬に触れる。指先で軽く撫でてから、そのまま首筋まで手を滑らせていく。星の印に指が届き、そこに爪が立てられた。その瞬間。3号が小さく震えて、びくりと体を動かして、彼の手から逃げる。
「……キミは、か弱いものをいじめるのが好きなのかい?」
ボクの言葉に、彼は小さく肩をすくめてみせる。
「人間らしい行為だろ? 小動物を握り殺すのが子供という存在だ。……生まれたてのボクに相応しい」
「そういうものかな」
「そういうものだよ」
彼は言いながら、再び手を伸ばした。今度は逃げなかった3号の頭をそっと撫でながら、彼は言う。
「だから、わざわざ作り直したんだ。……あの子よりも弱々しい、ボクにとって都合の良い存在としてね」
彼の視線の先には、鼻の下まで湯に浸かり、ぶくぶくと泡を立てている3号がいる。平和そうで何よりだ……と、思っていると。
んず。
「……あっ、こら! 湯を飲むな! 汚いだろう!」
彼が慌てて声を上げる。引き続き浴槽の湯を飲もうとしている3号の顎を掴んで上げて、叱りつけている。
……体だけでなく、知能まで弱々しくなっていないか? と、思ったが、口に出すのはやめておくことにした。